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121話 喚く老女

 ココルカ地区には団地が多い。

 隣接した放棄区画が元は工場などが立ち並ぶエリアだったことから、そこで働く工員とその家族たちに向けた住居として大量の団地が建設されたのだ。

 しかし濃縮魔素(マナ)の漏出で近隣エリアが放棄されたことで工員たちは新たな職を求めてココルカ地区を離れ、大量の団地は閑散としてしまっている。


 そんな説明をレイの口から聞きながら、アリヤたちはココルカ第十二号団地の敷地内を依頼者の家へと向かう。

 ベランダに干してある洗濯物や窓越しのカーテンの様子を見るに、団地にはそれなりの数の住民が住んでいるようなのだが、不思議なくらいシンとした静寂に満ちている。

 居住者向けの小さな公園にある錆びたブランコが、風のせいかキィ、キィと小さく軋む音を立てた。


「なんだ、この辛気臭い場所は。私ならこんなとこ絶対に住みたくないぞ」


 エクセリアが顔をしかめてそう呟く。

 仮にも今から会いに行く依頼者の家だ。あからさまな批判を口にするのは良くない気がしてアリヤはそれに同意しないが、気持ちはよくわかるので彼女の発言をたしなめもしない。

 代わりに口を開いたのはレイだ。


「工業区が放棄されて工員たちが去って以来、ここは低所得者や生活困窮者向けの借家として利用されているんだよ。ここに住むしかない人たちが多いんだよ。全員じゃないだろうけど」

「ふーん……? 大変なのだな」


 エクセリアは貧困という概念について知ってはいるがピンと来ないらしい。

 記憶喪失はもちろん、アリヤと同行し始めてからも燃から小遣いをもらったり学園で不自由なく生活したりと何気に恵まれている。

(食いっぱぐれない星の下に生まれてるのかな)なんて考えつつ、アリヤは団地を見回しながら口を開く。


「俺が元いた日本にもこういう団地って形式の建物はよくあったよ。住んでた場所の近くにもあった。ただ、ここはそういう普通の団地ともまた雰囲気が違うな……空気が重いっていうか」

「うむ、貧しいとかは別にしてもイヤ〜な感じだ。無人なわけではなさそうなのにどうしてこうも活気がない? 住民全員死に絶えているのか?」

「まさか……ないよな?」


 まさかと一度は口にしつつも、アリヤはそれを否定しきれずに疑問符を浮かべる。

 依頼の電話が来てから数時間で謎の奇病が流行って住民がいなくなった? いやいやいや……まさかそんなはずは、と突飛もない思いつきとそれを100%で否定しきれない気持ちがグルグルと回る。

 と、レイが団地棟を見上げながら薄笑みを浮かべた。


「フフ……見られているね」

「なんだって?」

「ご覧よ。三階の右から二番目の部屋、カーテンの隙間から目だ。その左も、その上も、そのまた左の部屋も」

「……!?」


 彼が言った部屋にアリヤが目を向けると、確かにこちらを凝視している視線があった。

 目が合っても逸らす気配がない辺り、気付かれても構わないという示威的な目だ。


(何のために? よそ者を監視しているのか?)


 不気味さを感じずにはいられない。本当なら今すぐに立ち去ってしまいたいところだがそうもいかない。

 依頼者の住む棟の入り口へと辿り着いたのだ。

 郵便受けの半分ほどにガムテープで封がしてあって、もう半分の家には住民がいるらしい。

 狭くて暗い階段を三階まで上がってチャイムを鳴らす。

 一押しでピンポン、ピンポン……と二度鳴るタイプのそれを押して待つと、塗装の剥げた金属製の扉がギィ、とゆっくり少しだけ開かれ、年配の女性が隙間から目を覗かせた。


「…………どなたでしょうか」


 しっかりと掛けられたドアチェーン。警戒心と猜疑心の塊のような目だ。

(家を間違えたか?)

 アリヤは慌てて部屋番号を確かめるが、聞いていた通りの407号室で間違いない。「ルーゴ”と記された表札も依頼人の名前“マルシア・ルーゴ”と一致している。


「あー、ええと……マルシアさんはご在宅でしょうか」

「…………マルシアは私ですが」

「あ、どうも初めまして。ご依頼いただきました藤間総合エージェンシーの者でございます。先程折り返しのお電話でお約束させていただいた通り、ご依頼の件についてお話を伺いにあがったのですが……」

「……」


 老女マルシアは無言のまま、パサついた白髪の隙間から覗かせた目で品定めするようにアリヤを見る。

 まさかこんな敵を見るような目で見られるなんて、アリヤの想定にはなかった。

 飛び込み営業ならともかく依頼をしてきたのは向こうなのに。しかも一度折り返して連絡を入れてアポを取ったのにだ。

 

(まさかここで帰れなんて言わないだろうな……時間かけて来てるんだぞ、困る!)


 と、女性はアリヤと目を合わせないままドアを閉じた。

 まさか本気で帰らせる気か! そう狼狽したアリヤが「はあ!?」と声を上げてドアを叩こうとすると、閉じられたドアが一転素早い挙動で開かれる。ドアチェーンが外されたのだ。

 がつんとドアに頭をぶつけて「痛い!」と呻くアリヤに目もくれず、老女はいやに小声の早口で鋭い声を発した。


「入ってください。早く!」

「え!? あ、はい!」


 言われるがまま、アリヤたち三人は老女の家へと招き入れられた。

 玄関には電気が灯されておらず、狭くて暗い。アリヤが転ばないように足元に目を向けていると、背後でエクセリアが不機嫌に声を上げた。


「おいお前。いくら依頼人とはいえ失礼ではないか」

「……はい?」

「お前が妙な開け方をしたドアでこいつは頭をぶつけたのだ。悪気はなかったにせよ一言軽い謝罪程度はあって然るべきじゃないのか」

「……」


 マルシアは無言でエクセリアを見据えている。

 その暗い表情と沈んだ瞳は彼女が何を考えているのかを気取らせてくれない。

 アリヤは慌てて立ち上がり、エクセリアを嗜めようとする。確かに頭をぶつけて痛かったけど、依頼人の機嫌を損ねるのはなしだ!

 が、それよりも早くマルシアが口を開く。


「…………急ぐ必要があったの」

「何だと?」

「急がなきゃならなかったのよ!! 見られている……あいつらに見られているの!! あなたたちが早く入って来てくれないと私が監視されるのよ仕方ないじゃない私は悪くないわ!!!」

「な……なに?」


 突如ギアを上げて喚くマルシアを目の当たりにして、エクセリアが珍しくビクッと怯む。

 驚いたのはアリヤも同様だ。これは依頼どころじゃないんじゃないか。精神的にヤバい人を引き当てちゃったんじゃないか?

 そんな考えが脳裏によぎったところで、すっと前に出たのはレイだ。

 マニッシュな服装の彼は柔和な笑みを浮かべて、老女の傍らにするりと歩み寄ると肩に手を乗せた。


「大丈夫、わかるとも。君は正しい……ここの団地の奴らは狂っている……日常的に君を監視し続けているんだ。そうだよね?」

「そう、そうなのよ!」

「君は正しい。君は頑張っているよ。奴らに屈さず飲み込まれずに抵抗を続けているんだ。なかなか出来ることじゃないさ。すごいねえ」

「そうよねえ……!!」


 レイの声色は異様に優しい。

 胡散臭さたっぷりの猫撫で声なのだが、マルシアはとにかく同意が欲しかったようで、壊れそうな勢いで首を縦に振っている。

 アリヤとエクセリアは顔を見合わせて、とりあえず老女が狂乱を収めたことに安堵する。

 そしてマルシアは誰に促されるでもなく、依頼についての話を早口で語り始めた。

 

「セベロが、息子のセベロがいなくなったの。あの子はいい子よ、誰に恨まれるようなこともない。働けない私のために働いてくれていたいい子なの。なのにいなくなった! ありえないわ! 母親の私に何も言わずにいなくなるような子じゃないの! 団地の連中の仕業よ……! ここの団地には職のない連中が大勢いる……働いてお給料をもらっているセベロを恨んでいたに違いないわ……! よくも、あの頭のおかしい奴らめ!!!」


 レイに一度宥められても彼女が精神的に不安定なのは変わらない。ヒートアップしがちなマルシアは憎々しげな声で妄想か事実か判然としない言葉を吐き散らすが、アリヤはテーブルの上の写真立てにマルシアと青年が並んで映っているのを見る。

 少なくとも息子の存在は妄想ではないようだ。


「それは大変だ。許しがたいねぇ。ちなみにセベロはいくつなんだい?」

「24よ! まだ若いあの子には将来があるの! 生きているはずよ……探し出して!!」

「探すためにもう少し話を聞かせて欲しいなぁ。セベロは何の仕事をしていたのかな?」

「ゴミの収集よ。毎日真面目に働いて欠勤なんてしたことがなかった!! なのに職場にも何の連絡もせずにいなくなっているの!! ありえないわ!!! これは陰謀!!! 陰謀よ!!!」

「それは大変だ。今すぐにでも探し出してあげなくちゃねえ」


 レイは聞き上手だな、とアリヤは思う。

 常人相手の聞き役としての適性はわからないが、少なくとも今にも爆発しそうな発狂寸前の女性との会話には向いている。

 聞いているようで聞いていない、真正面から取り合ってはいないが一応会話の体は成している。対応の匙加減が上手い。

 感心しながら見ていたアリヤへ、レイは素早く耳打ちをしてくる。

 

「彼女の対応はボクがやっておくよ。キミたちは団地の中で聞き込みをしておいたらどうだろう?」

「いいのか?」

「エクセリアはこの場にいない方がいいと思うんだよねえ。ムッとしたら言っちゃう子だろう? さっきみたいに文句を言って爆発させちゃったら大変だ。包丁でも振り回しかねないよ。色々限界みたいだし」

「た、確かに……」

「ちゃんと会話はレコーダーに収めておくから、ボクが改竄する心配はいらないよ」

「……それなら、お願いしようかな」


 彼からの提案に納得して、アリヤはエクセリアと一緒に外へ出る。


「よかったのか? あいつに任せて」

「いいんだ。レイはあの人とまともに話せてたろ? 向き不向きってあるからな」

「あいつよくあの頭のおかしいお婆さんと喋れるな。情緒不安定すぎてイライラしたぞ」

(……やっぱ部屋出て正解だったな)


 レイが付いてきてくれて良かったなあと考えつつ、アリヤは再び団地の中を歩き始めた。

 マルシアの言うような陰謀があるかはともかく、団地に不穏な空気が漂っているのは確かだ。調べてみなくては。

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