120話 廃れた街並み
「初日から事務所を無人にしちゃったな……」
事務所を出てからしばらくしたところで、そのことに気付いたアリヤは顔をしかめる。
一応、事務所への着信はスマホへと転送されてくるようになっているので依頼の電話があっても大丈夫だ。
ただもし事務所をいきなり訪れてくる客がいれば、オープン初日から不在かと呆れられてしまうかもしれない。
宣伝としてここ数日で配ったチラシには依頼はアポを取ってくれと書いたのだが、それでも突然飛び込みで入ってくる客の可能性はゼロじゃない。
無名の新興事務所に思いつきで頼もうとする客がいるかは定かじゃないが、それでも開業したてとあっては色々なことが気になるものだ。
それにしても、こんな形で初めて社会人としてのスーツに袖を通すことになるなんて思いもしなかった。
依頼人と直接対面する機会がたくさんある仕事だ。ただでさえ若くて侮られないか心配なのに、カジュアルな服装じゃ話にならない。
そう思ったアリヤは、事務所開業までの準備期間にそれなりに見栄えのするスーツを仕立てていた。
だが慣れないネクタイで首が苦しい。なんで社会人はこんな首輪みたいなものを付けてるんだろう? そんなことを考えていると、隣の席に座っているエクセリアが心配したように顔を覗き込んできた。
「どうしたのだアリヤ、浮かない顔をして。トイレか?」
トイレじゃないが、ネクタイが苦しくてと言うのも情けない。
アリヤは首を横に振って、しかめつらしい顔で問いに答える。
「大したことじゃないよ。そのうち人手はもう少し増やしたいなと思って」
「それには私も賛成だ! 手始めに300人ぐらい雇って部隊を組もう!」
「給料払えないって。まあ……電話番やってくれる人ぐらいは増やしてもいいかな」
とにかく人手もノウハウも足りない上に、誰に指導を仰いだわけでもない手探り状態なのだ。最初のうちは仕方ないかとアリヤは現状を割り切る。
すると後ろの座席から手が伸びて、トントンとアリヤの肩を叩いた。
「ねえ、次のバス停が目的地みたいだよ」
「ありがとう雷。よし、降りるか」
アリヤ、エクセリア、雷の三人は事務所を出てから電車とバスを乗り継いで四時間、パンドラ南東部の都市郊外へと訪れている。
失踪事件の依頼者が住んでいるのはこの付近らしく、直接話を聞くために足を運んだのだ。
普通ならまず話を聞く段階では事務所に赴いてもらうのだが、依頼の電話を受けた雷曰く依頼者はかなりの高齢女性だ。
遠方足を運んでもらうのも難しそうだし、初の依頼ということもあってアリヤたちの方がここまで来た。
バスを降りてみると、そこはかなりの僻地だった。
ところどころヒビ割れたアスファルトは整備が行き届いていない様子を伺わせていて、印刷の剥げたバス停留所の看板の時刻表は文字がかすれている。読めなくはない、といった具合だ。
置いてある自販機は稼働してはいるものの、商品ラインナップの半分以上が“売り切れ”表示。人通りが多くて飛ぶように売れているようには見えないので、メーカーの補充ペースが異常に遅いのだろう。あるいはもう忘れられているのかもしれない。
道路沿いにはかつて商店だったらしい建物が並んでいるのだが、とうの昔に営業を辞めてしまったようでシャッター街の様相を呈している。
舞い上がった砂埃に眉をしかめながら歩き始めると、エクセリアが不思議そうな顔をしてアリヤへと尋ねかけた。
「なあ、この辺りは何故こんなに廃れているのだ? 店の跡地の数を見れば前はそれなりに栄えていたような様子にも見えるのに」
「なんでだろう、俺も土地勘ないからなぁ……せめて土地の下調べぐらいはしてくれば良かった」
「むう……雷、お前は知らないか?」
アリヤの次に質問を向けられた雷は、「んー……」と少し間を置いてからこめかみに指を当てる仕草をして問い返す。
「キミたち、放棄区画は知ってるかな?」
「なんだそれは」
エクセリアがちんぷんかんぷんな表情をしたので、アリヤが代わりに口を開く。
「初めて学園に行った時に聞いたろ、案内してくれたニキから」
「覚えてないが?」
「ええと……パンドラには都市中に濃縮魔素のパイプラインが通ってるんだよ。その管が壊れたりして濃縮魔素が漏れた区域は土地が汚染されて危険だから、住んじゃいけなくなるんだ。水とか電気とかのインフラが止まって、建物は徹底的に破壊されて誰も住めなくなる。……それで合ってるよな? 雷」
「正解。それでこのココルカ地区はねえ、放棄区画とのギリギリ境界線に位置しているんだよ。左手、あの廃ビルの先に目を凝らしてごらん?」
二人が雷の言う方向に目を向けてみると、ビルの裏手にフェンスと鉄条網が見えた。
ちょっとした立ち入り禁止という類ではなく、軍事境界線レベルで厳重な封鎖だ。
アリヤは学園に行った時に放棄区画の話を聞きこそしたが、地下道を抜けたので放棄区画そのものには足を踏み入れなかった。
改めてその境界を目の当たりにして、放棄という言葉の意味合いを実感する。
「あんな感じに封鎖するほどヤバいんだな、濃縮魔素の漏出って」
「動物や死体がモンスター化するからねえ。人間をそのまま済ませてたんじゃあ食べ放題のビュッフェ状態さ」
「うげえ」
アリヤは大惨事を思い浮かべて顔をしかめる。学園への地下道にいたグールも厄介なモンスターだった。あんなのが人の居住区に湧いたらどうなるかはお察しだ。
エクセリアも大体は理解できたようで、「ふーん……」と呟いてフェンスをじっと見ている。
わりと飽きっぽくて移り気な子ところがある。何か一つに集中して興味を示すことはそれほど多くないのだが、放棄区画にはやけに関心を寄せている様子だ。
「入ってみたいとか言うなよ?」とアリヤは釘を刺すが、彼女はムッとした様子で眉をしかめる。
「お前は私をそんなアホだと思っているのか! 別に入ってみたいわけではない。ただなんだか……あれに見覚えがある気がする」
「見覚えだって? あのフェンスに?」
「……多分」
エクセリアはこれまで断片的にすら過去の記憶を思い出すことはなかった。
だが見覚えがある、それはつまり記憶だ。彼女は初めて過去の手掛かりを掴んでいるのかもしれない。アリヤは静かに息を飲み、エクセリアの思索の邪魔をしないように口を噤む。
……だが15秒ほどの沈黙の後、エクセリアはフンと鼻を鳴らして手をひらひらと揺らした。
「わからんわからん。アリヤ、お前が妙に神妙な顔で黙りこくるから緊張してしまったではないか!」
「えっ、俺のせいかよ! もう少し何か思い出せないのか?」
「フン、こーんな片田舎の光景だけで姫たる私の崇高な記憶は戻らんわ。ほら行くぞ! 依頼主の家はもうすぐだ!」
記憶に触れかけたのも束の間、すっかりいつもの調子に戻ったエクセリアがズンズンと前を歩いていく。
「そっちじゃないね」と雷に道を訂正される様子を後ろで眺めながら、アリヤは溜息を軽く吐いた。
エクセリアの記憶に関しては長期戦を覚悟している。こんなところでポンと戻るものじゃないだろう。
ただ……不思議だ、とアリヤは俯く。
(なんでエクセリアはこんな土地のフェンスなんかに反応したんだろう。あの子の出自と放棄区画、何か関係があるのか?)
フェンスの向こうにエクセリアの過去。とりとめもなく想像を巡らせながら二人の後をついていくと、いくつ目かの角を曲がったところで大きな建物が並んでいるのが目に留まった。
ココルカ第十二号団地。
立ち並んだ無機質な箱のような棟の一室が、今回の依頼者の居宅だ。




