★11話 アリヤ'sキッチン
俺は揚げ物をしている。
味付けをした魚のすり身をベースの生地にして、コーン缶と一緒に混ぜ合わせたものがボウルにある。
それをスプーンでちょうど良いサイズに掬って、形崩れしないようにそっと揚げ油に落としていく。
家族に先立たれてから一人暮らしの期間が長かったから、わりと料理には自信があるのだ。
シュウシュウと上がってくる泡を眺めていると、俺の背中に酔っ払いの声が投げつけられた。
「でな! あのオッサンめぇぇぇっちゃしつこいんよ! 頭下げて修繕費はお支払いしますー言うてるのにゴタゴタゴタゴタお小言一点張りでな!? 私はもう思ったね、このままブッチして逃げたってもええんやぞ! と! ちょいちょい、アリヤくん聞いとるー?」
「聞いてます。その話もう四回目ですよ」
「うっさいわ! 黙って聞いて! 役目やろ!」
何をしているかといえば、燃の家での出張料理人だ。
シエナたちと別れて電波塔を降りた直後、俺はスマホに大量の着信が来ていることに気が付く。燃からの鬼電だ。
慌てて留守録を聞くと、内容は当然というかなんというか、弁償を押し付けられたことでのご立腹のメッセージだった。
すぐに折り返し連絡をして謝って、なんだかんだの経緯を経て今、俺とエクセリアは燃のマンションに来ている。
「いやーそれにしても支払い押し付けられたんには腹立ったけど、まさかアリヤくんが料理できる子やとは思わんかったわ〜。あと5品でチャラにしてあげるから頑張ってなー」
「あと5!? 今準備してるこれでもう5品目ですよ!」
「だからぁ、10品で許すって約束やろ。こちとら楽しみにして食材大量に用意しておいたんやからさ、気張ってくれたまえ〜」
なにが約束だ、5品でいいって言ってたくせに。
だが燃はかなり酔ってる。空になったチューハイ缶が大量に床に転がっていて、あの出来上がりっぷりじゃ理屈をこねて反論したって一蹴されるだけだろう。
ため息を吐きながら、俺は次に何を作るか山積みになった食材に目を向ける。
食材といえば聞こえはいいが、よくわからないものも大量に混ざっている。ナマズ、亀、カエルにタガメ。
その辺はまだ何の生物か認識できるだけ良い方で、見たこともないような異生物も何種類もあるのだからタチが悪い。
人の頭みたいな柄の根菜には本気で驚かされた。いわゆるマンドラゴラってやつだろうか? 何に使うのか見当も付かない。そもそも本当に食材なのか?
(マーケットでは調理済みの店を中心に見てたけど、チラッと見た食材屋はゲテモノ売ってるとこも多かったよな……食文化が違うのか?)
と、ガシッと首に腕が回される。
アルコール臭がふわっと漂って、耳のそばで「わはは!」と上機嫌な大声が響いた。
これは燃じゃない。エクセリアだ。
「アリヤぁ! お前の料理おいしいな!」
「どれが良かった?」
「あの肉とキャベツのが特においしい!」
簡易ロールキャベツだ。めんどくさいので巻かず、ひき肉で作ったタネとキャベツを交互に重ねただけなのだがそれっぽい味になる。
料理を褒められるのは悪い気はしない。のだが、調理中に絡まれるとうっとうしい。
エクセリアは直飲みしていた缶ビールを俺の口に押し付けて、ぐいっと強引に傾けてくる。
「お前も飲め!」
「ちょっ、やめろ! 揚げ物してるんだよ! 大体エクセリア、酒飲んでいいのか!? 子供じゃないのか!?」
「ああー? アリヤ〜お前はいくつだ? 言ってみろ。ん?」
「20歳だけど」
「そうかそうかー。それならぁ! 私はお前の姉みたいなものなんだから20歳以上だろう。わははははは!!!」
「違うって! 15歳ごろの姉さんに似てるってだけだ! おい飲むな!」
この世界での法律は知らないが、お酒は20歳になってからと缶に書いてあるからそこは同じなんだろう。
年齢のことは抜きにしても酒なんか飲まずに料理を手伝え、と言いたくなるが、実は一品目はエクセリアも手伝っていた。
おおざっぱな性格で何をさせても雑だし包丁の扱いが荒いしで、不安になってこっちからNGを出したのだ。
その結果が絡み酒。俺は後悔している。儚かった姉さんの顔でビールをがぶ飲みしないでくれ。
「ほらこれ、揚がったから持っていって」
「これは何だ?」
「さつま揚げだよ、とうもろこし入りの」
「ほーん」
勝手にひとつつまんで「うまい」と言いながら燃のところへ皿を運んでいくエクセリア。
星影騎士団とは確執があるようだったから心配していたのだが、記憶喪失のおかげか、少なくとも燃に対してはわだかまりがないらしい。
それにしても散らかった家だ。
レトロ系からインディーズまでノンジャンルで集められたCDの山に、大量に積まれた大判の漫画がテーブルまで占拠。いつ着るんだよと聞きたくなるような変な柄Tシャツがところ狭しとラックに掛けられていて、飲み物のおまけでついてきたらしいボトルキャップフィギュアが作品ごちゃまぜで雑然と陳列。
地震直後のヴィレヴァン。サブカルゴミ屋敷。そんな悪口を頭の中で並べていると、「キミなんか失礼なこと考えてへん?」と燃から声が飛んできた。
「考えてませんよ!」
考えてますよ。
さて。次にどの食材を使うかを考えながら、俺は昼の出来事を思い返す。
シュラの襲撃、シエナとの出会い、そして警告。
「燃には気をつけて」と言われてから半日も経たないうちに、その燃の家で料理をしている状況は我ながらよくわからない。
順番に整理しよう。
小アジに似た魚を冷蔵庫から取り出しながら、俺はまずシュラのことを思い浮かべる。
七面會はドローンを使ってこっちの位置を捕捉している。そしてシュラは瞬間移動の使い手だ。
今日は偶然やりすごせたが、いつ襲ってくるかわからない。そして他者も対象にできるあのテレポート能力があっては、いつエクセリアを連れ去られるかわからないということだ。
「燃さん、シュラがテレポートみたいな魔法を使ってたんだけど、ああいう魔法使えるやつって大勢いるのか?」
「いないいない。激レアやね。あんなの大勢いたらしっちゃかめっちゃかになるわ」
だったら話は早い。
(次だ。エクセリアを守るためには、次の遭遇であいつを……)
そのためにはどうすればいい?
戦いの確実性を上げるために、自分の能力の把握が不可欠だ。
俺は魚に包丁を入れながら、まな板に残った血に向けて手を向けてみる。
「『武装鮮血』」
……が、反応はなし。他でも検証は必要だけど、人間以外の血には反応しないのかもしれない。
人間ならどうだ? 他人の血には反応するのか?
気になる要素だけど、これはすぐに確かめられることじゃない。まさか通りすがりの他人に血を出してくれと頼むわけにもいかないし。
となると、確実に頼れるのはやっぱり自分の血液だ。
適当に下味をつけた魚に粉をまぶして揚げながら、綺麗に洗った包丁の刃を指の腹に押し当ててみる……が、ためらう。
(怖え〜! そうスパスパ自分の体を刻めるかよ……漫画のキャラはよく自傷を能力のトリガーにしてたりするけど、よくやるよ全く……)
誰にだって得意不得意はある。そしてやってみてわかった。俺にとって自傷はかなりの不得意らしい。破傷風とか怖いし。
もちろん非常用に小さなナイフくらいは持ち歩くつもりだが、もっとカジュアルに血を出したい。
得体の知れない回復力を含めて自分の能力について何かヒントをもらえないか、燃に質問を投げてみる。
「燃さん、なんか俺ケガの治りとかが異様に早くなってるんですけど、これってどういう原理なんですかね」
「へー便利やん。キミは血を扱えるわけやから全身の毛細血管を巡る血とかでなんかごちゃごちゃっと回復促してるんやない。知らんけど」
「そんな適当な」
参考にならない。ならなかったが、毛細血管という言葉がなんとなく頭に残る。
外に出た血ばかりを気にしていたが、細かい血管は全身隅々にまで行き渡っているわけだ。
例えばこう、念じたら血の方から勝手に吹き出してくれる感じだとありがたいんだけど。
この件はとりあえず頭に置いておくとして、俺はもう一つの問題へと思考を移す。シエナから聞いた話についてだ。
学園自治連合のことはじっくり考えるとして、気になるのは星影騎士団について。
そこでタイミングよく、エクセリアが燃に質問をする。
「なあ燃、星影騎士団は宗教組織って聞いたけどほんとか?」
「んー? ホントホント。街の人たちみーんなめっちゃ世界骨を拝むもん」
ナイスだ。俺は揚がった魚を甘酢に浸しながら二人の会話に耳を澄ます。
俺がちまちま情報を引き出そうとするより、無邪気なエクセリアが聞いてくれた方が多分スムーズに話を聞けそうだ。
質問が続く。
「よくわからん……じゃあ私の姫って立場はなんだ? 宗教組織の姫ってなんか変だぞ。もしかして私が信仰の対象か? この街の神か!?」
「めっちゃ食いつくやん。姫様は崇められたいん?」
「当然だ。民衆が私にひれ伏したらきっとすっごい気分いいからな!」
「へえ〜王族気質。でも残念、信仰対象ってわけじゃないんよねえ」
「む……なら、街の連中は何を拝んでいる」
「教理はもっとシンプルなんよ。信仰の対象は世界骨そのもの。この街すべての文明の礎である魔素を生み出す世界骨を、人々はこぞって崇めてるわけやね」
「あの骨を? ふーん。パッとしない宗教だなぁ」
「星影騎士団は世界骨を守る騎士たちの団。ま、一枚岩じゃないし、本音はそれぞれ色々やけどね?」
「よくわからん」
アテが外れたようで、エクセリアがつまらなさそうにビールを煽ってから机につっぷす。
それから10秒も経たないうちに、すうすうと寝息を立て始めた。調子に乗って酒なんか飲むからだよ。
俺は完成した料理をテーブルに置く。
「お待たせ。アジ……なのかな? よくわからん魚の南蛮漬けです」
「おっ、きたきた〜。さつま揚げも美味しかったけどこっちはどうやろ……いけるやん!!」
「はは、どうも」
慣れないキッチンで何品も作らされて疲れ気味だけど、味を褒められればやっぱり嬉しい。
一人暮らしだったから人に食べさせたことがなかったけど、案外いけるじゃないか。俺の料理。
「ね。シエナ・クラウンと会ったやろ」
「えっ」
「私に気をつけるように言われたんやない?」
「……それは、ええと」
タイミングがひどい。褒められて気が緩んだ直後に聞かれたものだから、反応が遅れてしどろもどろになってしまう。
シエナと会ったこと、聞いた話は隠した方がいいと思って意図的に伏せていたのだが、しっかりお見通しかよ。
「ま、あの子からしたら気をつけた方がいいのは事実やねー。キミとシエナを会わせたのは私やから」
「は? 会わせたってどういう意味です」
「偶然シエナを見かけたから、広場に来るよう無意識に誘導したんよ。その手の魔法は私の十八番やからね」
「……何の目的で?」
「あっ皿!」
南蛮漬けの皿を取り上げる。答えるまで渡さないぞという意思表示だ。
燃は顔をしかめて行き先をなくした箸先を宙でさまよわせながら、機嫌よくニマニマと細めていた目をゆっくり開けた。
「キミにお願いがあるんよ。学園自治連合に行ってくれない?」
「何のために」
「シエナ・クラウンを殺してほしいんよ」
「!?」
思わず身を硬くした俺に、立ち上がった燃がぬるりと距離を詰めてくる。
俺はそれなりに背が高い方だが、燃の目線は俺にかなり近い。170センチはあるように見える。
俺の胸元に豊かな胸が押し当てられて、青紫の宝石みたいな瞳が俺を見つめる。
「ほら、シエナちゃん反権力思考やろ? あの子の作った“学園”に有望な若者が持ってかれて、星影騎士団的にはめっちゃ困ってるんよ」
「……騎士団の飼い犬になった気はない」
「別に犬扱いはしてへんよ。これは提案。でもあの子はいわゆる天才。周りにいるコマもすこぶる優秀。正面切ってやりあうには障害が多くてぶっちゃけ面倒。で、キミの出番ってわけ」
「勝手に決めるな」
「キミならあの子らと年齢層が変わらへんから警戒も薄い。懐に入り込んで……ガブッと」
「もがっ……!?」
指でつまんだ南蛮漬けを一匹、ぐいっと口に押し込まれた。ワタの処理がまずかったみたいで苦い。
俺が答えられずにいると、燃はまた目を細めてにんまりと笑う。
「ま、ま。殺すうんぬんは一旦置いとこか。追々考えてもらうとして……ね。とりあえず行ってくれる? 姫様も連れて行っていいから」
「……」
最初に難度の高い要求をふっかけて、次に少し緩和した要求を提示して受け入れさせる。
よくある交渉術だとはわかってるのだが、燃には有無を言わせない独特の雰囲気がある。
シエナのところに行くだけなら……誘われてたことだし。
そう思いかけたところで、俺の脳裏に迷いが浮かぶ。
本当にいいのか? 燃の索敵能力で首輪を付けられたまま、ズルズルと主導権を奪われて、段階的に言いなりの手駒にされていくんじゃないか?
電撃的に、俺の心に一つの考えが灯った。
ああ、これはかなり重めの決断だ。……来るぞ。
————鐘が鳴った。
『運命分岐点』
『今ここが、お前の運命を大きく分かつ岐路。選択肢を示そう。選ぶ権利を与えよう』
【①.燃の指示に従って“学園自治連合”に向かう】
【②.今ここで燃を倒す】
そうだ、俺の頭にあるのはその二択だ。ただし二つ目は少し違う。
やるなら“倒す”じゃない。“殺す”覚悟で挑まなければ。
俺はこの人に勝てるのか? まだ輪郭を掴みきってもいないあやふやな力で、燃を相手に勝ち目はあるのだろうか。
もう一つ。俺はこの人を殺せるだろうか。ためらわず殺せるほどの敵意を持てるだろうか。殺人の指示を出されはしたが、この世界の知識がない俺たちの面倒を見てくれているのも事実だ。
燃の魔法、“八卦焔命図”のサーチ能力がいずれ解決しなくてはならない問題なのは間違いない。
ここで確実に憂いを断つか、先送りにしてもっといい解決法を探るべきか。
俺が選ぶのは——




