115話 来訪者
アリヤが独立を決めてから十日。
エヴァンとイリスのオーウェン兄妹は荷物をまとめ、長年暮らした学園自治連合を後にした。
去るとなってしまえばあっけないものだ。シエナから餞別にと譲り受けた家具類は既に新しい家に送ってあるので、二人とも荷物は普段使いのカバン一つだけ。
名残を惜しむ友人たちと別れの言葉を軽く交わして、電車を乗り継いで一時間も経てば街並みに学園の残り香はどこにもない。
車窓に映る街並みを眺めながら、イリスがしんみりとした口調で呟いた。
「ちょっと寂しいですわね……ごめんなさいお兄様、わたくしが拐われたりしたせいで」
二人が学園を去ることになったのは、イリスを取り戻すためにエヴァンが独断で血の門に戦いを仕掛けたからだ。
たまたま勝てたから良かったものの、負けていたら学園が血の門を全面的に敵に回す結果になっていたかもしれない。
よく言えば度量が広い、悪く言えば考えなしなタイプのシエナは「気にしなくていいよ」なんて言うが、エヴァンは自ら責任を取って学園を去る道を選んだ。
不良寄りのグループに身を置いていたエヴァンは、集団の上下関係や心の動きに敏感だ。
もしシエナが自分たちを許せばシエナの求心力が大きく下がってしまいかねないことを理解していたからこそ、エヴァンは自ら学園を去ることを選んだのだ。
「シエナの奴は学園の王みたいなもんだからな。あいつがダメになりゃ学園は崩れる。俺はなんだかんだで学園には愛着があるんだ、それは見たくねえ」
そう言いながら、エヴァンは妹の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「とりあえず、お前は気にすんな。学園のヌルさにゃそろそろ飽きてた。俺たちならどこに行こうがなんとでもなるさ」
「そう……ですわよね……。ですわよね! わたくしとお兄様の溢れんばかりの才気を輝かせるためには狭すぎましたわ! あの箱庭は!」
「その意気だ。いいかイリス、俺たちはすげえ。超すげえ。身を立てて金持ちになんぞ」
「了解ですわお兄様! いずれ学園を買収してやれるぐらいのビッグマネーを掴んでやりますわ!」
そんな会話を交わしているうちに、電車は目的地の駅へと到着した。
藤間或也が事務所を設立したのは、都市中央から少し外れて北部に位置したビジネス街だ。
ビジネス街とは言っても無機質なビルが並んでいるようなタイプではなく、敷き詰められた石畳と煉瓦造りの建物が強く印象に残る。
パンドラの中では珍しく、静謐さと治安が保たれた街並みだ。
駅前で売っていた焼きたてのワッフルをザクザクと齧りながら、イリスが訝しむように眉根を寄せた。
「ほーん? あの男なんだか小洒落たところに事務所を構えやがりましたのね。ぜーんぜん似合いませんわ。小金持ちになって図に乗ってるんじゃありませんの?」
「とりあえず行こうぜ。こっちの方向みたいだぜ」
「なんて名前の事務所でしたかしら?」
「“藤間総合エージェンシー”だと」
その名前を聞いて、イリスがもっと眉間のシワを深めて首を傾げた。
「エージェンシーってなんですの?」
「代行業らしいぜ。俺も知らなかったけど」
「代行ってなんの代行ですの?」
「各種トラブル対応を代行……だとさ。探偵事務所を名乗るほどのノウハウはねえし、傭兵屋を名乗るほど暴力をウリにしたいわけでもない。でもって名前に困って苦肉の策がエージェンシーらしいぜ、シエナからの又聞きだ」
「なーんかフワッとしてますわねー。わたくしたちそんなところで働いて大丈夫なのか不安になりますわ」
「同感だぜ。まあ……血の門の件で世話んなったからな。しばらくは恩返しと思って手伝ってやりゃいいさ」
「了解ですわ!」
静かな街並みを行き交う二階建てのバスに乗って停留所を五つ進み、降りてから徒歩でさらに五分。
数時間かけてようやく辿り着いた新たな職場の前で、エヴァンとイリスは思わず唖然と立ち尽くすことになる。
「なんだ、こりゃあ」
事務所の外観にはそれほど大きな特徴はない。赤とオレンジの中間くらいの色のレンガで積まれた壁がちょっとポップで可愛いかなというぐらいで、形自体は普通の事務所ビルといった具合。
その二階の窓の内側に“藤間総合エージェンシー”と文字が貼り付けてあって、そこが事務所なんだなと一目でわかる。
二人が目を奪われたのはそっちではなく、建物の入り口前に並んだ男たちだ。
人数は五人。事務所のオープンを待ち望んでいた依頼待ちの客? いや違う。連中は開襟シャツや柄シャツをチンピラめいた雰囲気に着崩していて、各々の手には刀や銃が握られている。明らかに堅気じゃない。
そんな連中の中の一人が、拡声器を片手に二階の窓めがけて大声でがなり立てる。
「藤間或也出てこいやァ!!! てめぇン首獲って帰って、血の門で幹部に成り上がるんじゃ!!!」
「出てこい!!!」
「ぶっ殺したらァ!!!」
拡声器を持った男以外も口々に罵声を上げている。
先日の一件で大きく勢力を減退させた血の門の中でののし上がりを狙う連中が仕掛けてきたというわけらしい。
ただ人数から見るに、血の門そのものではなく下部組織のチンピラ止まりだろうとエヴァンは考える。
「藤間とエクセリアが出てくる気配がありませんけど、あいつらなんであの下品なクソザコ連中を放置してるんですの?」
「わかんねえ。関わるのも面倒臭えってことか? 初日から名指しでがなり声上げられたんじゃ近所からの印象最悪だけどな。俺たちがこの時間に来るのを知ってんだからまさか留守ってこともねえだろうし……」
かといって対処に困るような強敵にも見えない。
エヴァンが首を傾げていると、横でイリスがポンと手を打った。
「あ! わかりましたわよお兄様!」
「なんだよ」
「これアレですわ、わたくしたちが来るのを知ってて入所テスト代わりに放置してるに違いありませんわ!」
「あァ……? だとしたら気に食わねえな!」
エヴァンの眼光に不良特有の不機嫌が宿る。
確かにアリヤにはイリスを助ける手伝いをしてもらった恩がある。雇用してくれた恩も出来た。だがそうだとしても、初日から雇用主としての上から目線を押し付けてきたのだとしたら心底不愉快だと彼は考える。
「上等だ。だったら実力を存分に見せつけて、態度次第じゃ藤間の野郎もブン殴ってやる。そん時ゃ仲介してくれたシエナにゃ悪いが別で職探しだ」
「さっすがお兄様ですわ! 暴力最高〜!」
バキボキと指を鳴らしながら近寄ってきたオーウェン兄妹を見て、事務所前に並んだチンピラ集団は威嚇するような目を向けてくる。
「誰だァてめぇら、は゛ッ゛ッッ!!?」
「なんだこのガ、ギィィッ!!??」
エヴァンの動きは強く速い。
拳と肘で瞬時に二人を殴り倒して、三人目の胸板に人狼化した爪で深い傷痕を刻みつける。
その横ではイリスが金属バットで一人の肩を殴り潰して、もう一人の背後から組みついて首を締め上げている。
またたく間に五人組を制圧してみせて、エヴァンは爪で傷を付けたリーダー格の男に牙を見せながら低く唸る。
「雑魚が出世だの夢見てんじゃねえ。ここで死ぬか帰って寝てるか、今すぐ選べや」
「ひ、ひぃっ……!!」
その一声を受けて、彼は昏倒したり痛みに呻く部下たちを置いてあっけなく逃げ去っていた。
案の定強さも志もない雑魚だった。血の門を潰したアリヤの話を人伝にでも聞いて、これ幸いと考えも浅く突っ込んできた有象無象だとエヴァンは鼻を鳴らす。
それよりも、だ。
「藤間ァ。テメェ、俺たち兄妹を試しやがったのか? だとしたら容赦しねえぞ……!!」
「さっきのチンピラ共の代わりに殴り込みですわ!!! 神妙になさいな藤間とエクセリア!!!」
階段を登るやいなや、怒りを滲ませたエヴァンの前をズイズイ歩いていたイリスが事務所の扉をバンと開ける。
勢い込んで飛び入った事務所の中には、ぴりついた表情のアリヤ、エクセリア、そして彼らと向き合うもう一人の人影があった。
その人影は振り向いて、エヴァンとイリスへ深みのある笑みを浮かべてひらひらと片手を揺らす。
「やあ、また会ったね。イリス・オーウェン」
「げえっ!!! 血の門の……ジャラジャラ剣と女装のやつ!!!」
事務所に飛び込んだ威勢の良さはどこかへ失せて、イリスは怯えてエヴァンの背後へと飛び下がった。
ジャラジャラ剣……蛇腹剣を扱い、女の格好をした青年。エヴァンは身構えながら、忌々しげに目を細める。
(なるほどなァ……出てこなかったのはこいつと睨み合ってたせいか。ま、鼻持ちならねえ入所試験が勘違いだったのは幸いだぜ)
身を硬くするオーウェン兄妹を余裕の面持ちで見据えながら、彼は両手を広げて笑って見せる。
「酷いなぁ、もう名前忘れちゃったの? 雷だよ。雷春燕」
人間をキノコ化する怪しげな魔法を使うヤツだ。一瞬の隙も見せられない。
何のつもりで乗り込んできたのかとエヴァンが警戒していると、雷はオーウェン兄妹を無視するように背を向けてアリヤへと口を開いた。
「で、話の続きだけど……藤間或也、この事務所でボクを雇う気はない?」
「なんだァ……?」
自分を雇え?
アリヤへ投げかけられた奇妙な提案に、エヴァンは思わず首を傾げた。




