114話 新たな一歩
「もしもし、シエナ? 決めたよ」
独立して事務所を持つ。その決心をエクセリアと燃さんに伝えた俺は、ベランダへ出てシエナへと連絡を入れた。
独立のことを伝えるやいなや、電話口からはシエナの心底嬉しそうな声が聞こえてきた。
「よかったぁ〜! アリヤたちの戦力だとどこに行っても歓迎されるだろうから、他の勢力と結びついちゃうんじゃないかって気が気じゃなかったんだ!」
「ははは! 正直ちょっと迷ったけどね」
「やっぱりね! いやあ、そしたら私の立場だと気軽には連絡取りにくくなっちゃうもんね。せっかく友達になれたのに疎遠になっちゃうのは寂しいよ」
「そう喜んでもらえるとこっちも嬉しいな」
シエナはいつも感情表現が素直だ。演技が上手かったり腹芸ができるタイプでもないので、俺たちとの親交が続くことを無邪気に喜んでくれているのがストレートに伝わってくる。
策謀家とは真逆のタイプなのに人望を集めて組織を維持できているのはこの辺りが要因なんだろう。
そのまま雑談を交えながらいくつかの連絡をしつつ、オーウェン兄妹への連絡を頼んだ。
依頼を受けたりこっちから頼みごとをしたりとかはまだ後回しだ。物件を借りて内装を整えて、事務所を設立するには申請とかも必要なんだろうか? この街のルールを調べないと。宣伝だの広告もそのうち考えなきゃならない。独立するにはしなければならないことがとにかく多い。
「それじゃ、落ち着いたらまた連絡してよ。あ、事務所用の家具とかは学園から回せそうなのがたくさんあるから後で写真送るね。人手が入りそうだったら声掛けて!」
「助かるよ、ありがとう」
そう言って電話を切ると、横にはエクセリアが立っていた。
彼女は不機嫌そうなコンブを腕に抱いたまま、俺を見上げて口を開く。
「私もそれでいいと思うぞ。シエナたちと対立するのは嫌だからな」
「うん、シエナもそう言ってくれてたよ」
「それにカラスや騎士団に近付きすぎるのも危ない気がする。私もアリヤも、まだあまりにも無知だ」
「そうだな」
多分、エクセリアの件については焦って調べても良い結果は出ない。
七面會のカラスにせよ星影騎士団の上層部にせよ俺よりは一枚も二枚も上手だろう。考えなしに接触して情報を求めたって、よからぬ誘導を受けて良いように利用されてしまうかもしれない。
それよりはシエナたちとの連携を強化しながら、一歩一歩着実に歩みを進めていく方がいい。
「じゃあこれでアリヤは事務所の所長だな。ふふふ、晴れて一国一城の主ではないか」
「ん、俺が所長でいいのか? てっきりエクセリアは「所長は私だ!」とか言うもんかと」
「なんだ貴様、人をアホみたいに。所長の座などに興味はない。事務所の姫と所長は兼ねられんからな」
「事務所の姫ってなんだよ」
「姫は姫だ。所長より上に決まっているだろう」
「だから事務所の姫ってなんだよ」
エクセリアが姫だというのは今のところよくわからない。
騎士団に属している燃さんやブリークハイドがそう言うのだから姫なのは事実なんだろうけど、礎世界で言うところの姫とはなんだかニュアンスが違いそうだ。
一体なんなんだろうな。疑問を抱きながら彼女の顔をじっと見ていると、俺の視界にずいっと黒猫が入ってきた。
エクセリアが抱きかかえていたコンブを俺の目の前に掲げたのだ。
「なあアリヤ、所員1号はコンブだな!」
「え、コンブが所員?」
そんなことは考えもしていなかったので、俺は少し面食らって語尾に疑問符を浮かべてしまう。
だがエクセリアは大真面目に言っているみたいで、自信満々な顔で鼻をフンと鳴らしている。
しかし、困惑しているのは俺だけじゃない。当のコンブも手足をバタつかせながら抗議の声を上げる。
「オレはコイツ嫌い! コイツの部下になって働くなんて嫌だぞ!」
「あの、エクセリア。喋れるって言ったって猫なんだしあんまり無理強いは良くないんじゃないか」
嫌われているという引け目があるのと生来の猫好きとで、俺はかなりコンブの感情に配慮してしまう。
人間に嫌いと言われりゃ腹が立ってそいつを嫌いになるだろうが、コンブは猫だ。腹も立たないし気持ちを尊重してあげなくちゃなぁという気持ちになる。少なくとも俺は。
だが、エクセリアは首を横に振る。
「コンブ、甘えるな。アリヤもあまり甘やかすな。さっきのやりとりをもう忘れたのか?」
「あれはオレは悪くないよ」
「いいや、私もさっきはお前を庇ったが考えを改めた。喋れる以上は疑われん態度を取るべきだ。お前は私を飼い主と呼ぶが、アリヤだってお前の飼い主なのだから歩み寄りの姿勢を見せろ。でないとまたいつかさっきみたいなことになるぞ!」
「ええ〜」
コンブが顔をしかめる。
不思議なもので、喋れる程度の知性を手に入れたおかげか普通の猫よりも表情が豊かになっている。
普通の猫だって色々な顔はするが、より正確に状況に適した顔をするようになっているのだ。
まあそれはいいとして、エクセリアの言うことには一理ある。今は問題なかったけど、ずっと不満分子のままで事務所にいられるのは確かにちょっと困る。
俺は少し腰をかがめて、エクセリアの胸元のコンブと目線を合わせた。
「頼むよコンブ。どんな風に働いてもらうとかは全然イメージできてないけど無理な仕事はさせないし、所員としてウチにいてくれるなら働きに応じてエサとか色々と豪華にするからさ」
「……じゃあわかった」
それだけ答えてぷいっとそっぽを向いたが、とりあえず同意はしてくれたようだ。
淀みなく喋れるし、電話番ぐらいはできるだろうか?
となると、正式な所員1号は猫ってことになるわけか。なんかこう、前途多難だ。色々と。
そこへ、カラカラとサッシを開けながら部屋の中からベランダへと燃さんが現れた。
彼女は缶ビールを両手に持って、一本を俺に押し付けてくる。それと器用に指で挟んでいたサイダーをエクセリアへと渡す。
「めでたくアリヤくんの進路も決まったことやし、とりあえず乾杯しよか」
「燃さん、まだ午前中ですよ」
「燃はダメな大人だな……本当に。コンブはこうはなるなよ」
「別にいいやん〜関係ないない! ほら、ビール持って」
ヘラヘラ笑った燃さんがプルタブを引くと、プシッといい音をして泡が宙に弾けた。
まあ、好意で祝してくれてるんだし素直に受け取っとくか。
俺とエクセリアはそれぞれビールとサイダーを受け取ると、同じように音を立てて封を開ける。
「それでは! アリヤくんの、学生でもないのに学園に留まる謎の大人状態脱却を祝して! 乾杯〜!」
「言い方に悪意しかねえ……」
缶とビンを合わせて音を鳴らして、俺たちは雲混じりの空の下で乾杯をした。
新たな一歩だ。今までは燃さんやシエナに仮宿を借りながら生きてきたけど、ようやくこの都市に自分の足で立つことになる。
俺は苦いビールを喉に落としながら、眼下に広がる広大なパンドラの街を見渡した。頑張らないとな。
「あ、そうそう。アリヤくん、燃さんも事務所たまに手伝ったげるわ。外部顧問ってことにしといてくれる?」
「え、外部顧問? いいけど、高い給料とか出せませんよ」
「あーお金には困ってへんからタダで良い良い。親愛なるアリヤくんと燃さんの仲やん〜そこはプライスレスやって〜」
「本音で言うと?」
「もし星影騎士団クビになった時用の保険が欲しいな〜って」
まあ保険って言い方はともかく、実力があって親交も深い燃さんが少しでも協力してくれるというのは悪い話じゃない。むしろ願ったり叶ったりだ。
「外部顧問に給料は出せませんからね?」と念押しをして、俺は燃さんと契約代わりの握手をした。
地盤を新たに、俺はこの都市で新たな一歩を踏み出す。




