107話 実家へ
恋人のフリをしてほしい。燃さんからのそんな唐突な嘆願を、俺は戸惑いながらも承諾した。
俺は燃さんのことが結構好きだ。異性としては良い点と悪い点が極端すぎて評価に困るけど、性別関係なしに見た年上の友人としてはかなり好感を抱いている。愉快な人だと思うし話していて居心地が悪くない。
そんな燃さんがこの世の終わりのような顔をしながら恋人のフリをしてくれと頼んできたのだ。ニタニタ笑いながら言われたんじゃ(まーた妙なからかいか)と警戒して断ることもできたが、そんな落ちたテンションで言われたら気の毒で断れなかった。
そんな経緯で俺は彼女の運転する車に乗って、彼女の実家へと向かっているのだ。
「はあ〜あ……気ぃ、重っ」
ハンドルをゆるゆると回して左折しながら長い長いため息を吐く燃さん。
俺はその横顔を助手席から眺めながら、少し気を使った声色で問いかける。
「燃さん、ご両親と仲悪いんですか」
「や、そういうわけでもないんやけどね。私も年齢が年齢やから、うちの親もぼちぼち見合いがどうのこうのうるさいんよ。けどほら、燃さん結婚願望ないやん?」
「はあ」
「ないんよ。親のことは嫌いやないんやけど、やっぱ上の世代って考えが古いから女の幸せは結婚とか真面目に思ってるわけ。そういうとこ合わへんのよね……」
「ふうん、燃さんぐらい大人でも親には逆らえないもんですか」
「そりゃ親は親やからね。ほら、親っていつまで経っても子供のことは子供と思ってるやん? ちょろちょろっと反論しても聞いてくれへんの。今日もまた見合い相手を用意したとか言ってきてたんよ。仕事だとかで言い訳して回避するのもいい加減面倒になってきて、で、アリヤくんの出番ってわけ」
燃さんの指がビシッと俺を指したので、俺は「ははあ……」と相槌を打っておく。
なるほど、事情はそれとなく掴めた。
こう言っちゃなんだけど、想像の範疇は出ない話だ。この人の持ちかけてくる話だからもっとめちゃくちゃな事態かと思ってただけに少し肩透かしを感じる。いや、平穏に越したことはないんだけど。
そんな俺の様子を見て取ったか、燃さんはウインカーを光らせながら俺に横目を向けてくる。
「なんかアリヤくん意外とうろたえてへんね。なかなか肝据わってるやん」
「はは、血の門殴り込みをやったばっかだから気が大きくなってて。殺すか殺されるかみたいなのに比べりゃ気楽なもんですよ」
「ふーん? 恋人のご両親に挨拶って普通すくみあがるイベントちゃう? ドラマとかでよくあるやん」
「あれって恋人の親御さんに拒絶されたり交際に反対されたらどうしようって気持ちからくる不安でしょ。その点、俺は気楽ですよ。なんせダミーなんだから」
「は、おもんな。可愛げないわ〜。でも今後色々あって燃さんと実際くっつく可能性だってあるわけやん? そこんとこどうなん」
「いやあ……」
「は? いやあって何なん。照れ隠しならもうちょい可愛くやってくれへん?」
「痛っ!?」
そこそこ強めに脇腹を小突かれた。
好感度……始まりの魔女由来のまるで信用ならない胡乱な数値、あれを参考にするなら、燃さんは俺にかなり好意的な感情を持ってくれている。
それが友情か好奇心か恋愛感情かはわからないし数値が信用できる保証もないので考慮には入れないが、まあそれはそれとして仲良くしてもらってるのは事実だ。
くっつく。燃さんがどうかは置いといて、俺が誰かとくっつくなんてありえるのか?
いやいや……想像できない。この世界の地に足を付けられてるかさえ微妙なのに、この上誰かの運命を背負い込むなんて無理だ。
「にしても、燃さんこそいいんですか」
「何が?」
「彼氏ってことにして連れてく相手はもっと社会的地位とか高い人がいいんじゃないですか。俺なんてポッと出の転移者だし、歳も下だし、安定した仕事もないし」
「あーそれ。学園自治連合所属の将来有望エリート青年ってことにしてあるから適当に話し合わせとってな」
「えっ」
「学園自治連合にいながら企業連にツテを持ち、騎士団の私とも交友を持って清く正しい交際を始めた品行方正で容姿端れ……端麗ってほどでもないわ、はは。容姿それなりの、輝かしい立身出世が約束された有能青年。まあそんな感じで説明してあるから、ほどほどにお行儀よくニコニコ座っといてくれれば」
「は!? 聞いてませんよ!? 学園にはいるだけで勉強してるわけじゃないし、企業連にツテなんてないし!」
「七面會と知り合いやん」
「いや、ツテってほどじゃ」
「100パー嘘じゃなきゃなんとかなるんよこういうんは。70パーぐらいは本当なんやから余裕余裕」
「いやいやいや……大体、大丈夫なんですかその紹介。学園にいるのに企業連と騎士団との間をフラフラするコウモリ野郎みたいに聞こえませんかね」
「実際そんな感じの立場やろ」
「そんなことありませんけど!?」
ああ、雲行きが怪しくなってきた。燃さんは俺のプロフィールを盛りに持っている。見えないところで勝手にハードルを上げるのはやめてくれよ。
一つ不安が見えると、目を逸らしていた問題点が続々と意識に上がってくるものだ。
燃さんがヘラヘラしながらカーステレオに接続したスマホを弄ると、スッチャカスッチャカと軽快な洋楽が流れ出した。
「まま、ええやん。燃さんが口八丁手八丁で誤魔化すからアリヤくんは気楽にしといてくれればええって」
「気楽にできるわけないでしょ。一気に不安になってますよ」
「ははっ。あ、それと言ってへんかったけど、アリヤくん連れてくことは親に今朝伝えたんよ」
「け、今朝?」
「うん今朝。んで、今日は本当は親がお見合いセッティングしてた日やったんよ」
「……」
「だから来てるんやないかなー」
「来てる、って」
「ん、見合い相手」
「いやいやいやいやいや!!!」
俺はとっさにドアに手を掛けて、走行中の車から飛び降りようとする。ダメだ、聞いてなかった話が多すぎる!
だが燃さんが運転の片手間に義手の指をくるくると回すと、俺の肩に刻まれている燃さんの刻印から紐状の炎が飛び出して俺を助手席にくくりつけた。
「逃さへんよ! 燃さんとアリヤくんは運命共同体やろ!」
「知らねえ! なんだよこの火のヒモ!」
「最初血の門に比べれば気楽ですよ〜とか言ってイキッてたやん! だったら最後までイキり通してくれへん!?」
「聞いてない話が多すぎるんですよ! なんで俺が見合い相手と対面しなきゃいけないんだ、気まずすぎる!」
「我慢し! 男の子やろ!」
そんな俺の抵抗虚しく、車は都市南部の田園地帯を抜けて遠目に見える一軒家へと徐々に近付いていく。ああ、あれが燃さんの実家か。かなり大きいぞ……。
一気に窮地に追い込まれた気になってきた俺の肩に、後部座席からぬっと伸びてきた二本の手がガシッと指を絡めてきた。
「心配はいらん。私が付いてるぞアリヤ!」
「え、エクセリア」
そう、今日はエクセリアも同行しているのだ。
俺が燃さんの恋人役を担うのが気に食わなかったようで、同行すると主張して聞かなかった。
心配してくれる気持ちは嬉しいんだけど、俺が目を逸らしていた最大の懸念はエクセリアだ。
エクセリアは平気で両親との対面にまで付いてくるだろう。どう説明する? 妹か? どこの世界に彼女の親に挨拶するとき妹を同行させる馬鹿がいる?
「ねえ姫様、本当についてくるん?」
「当たり前だろう。アリヤは私の家族だからな、燃には渡さん!」
「えー、わけわからん感じになるやん。ま、面白そうやからええけど」
俺は全然よくない。非常識なバカのレッテルを貼られて針の筵に座らされるのは俺だ。
ああ、胃が重くなってきた。だが俺の憂慮とは裏腹に、砂利を踏み続ける車輪はついに燃さんの実家の敷地へと辿り着いてしまう。




