10話 シエナとユーリカ
「助けてって叫んでたのが聞こえたんだ。もうちょっと早く来れたらよかったんだけど、人混み抜けるのが大変でさ」
シエナと名乗った女の子はそう言ってあははと明るく笑う。
マニッシュな雰囲気のショートパーマが印象的で、声を先に聞いてなければ少年と勘違いしたかもしれないくらい中性的だ。
とにかく、まずはお礼を言わなくては。俺も名乗ってから彼女に頭を下げる。
「本当に助かったよ、シエナさん」
「いやいや、気にしないでー。あと呼び捨てでいいからね」
「そう? じゃあシエナって呼ばせてもらうよ」
俺は女の子から呼び捨てでいいよなんて言われても少し身構えてしまうタイプなのだが、シエナの肩の力の抜けた態度と女子女子しない容姿のおかげで抵抗なく名前で呼べた。同性と喋ってるような気安さがある。
あまりお礼ばかり言われても困るだろうと思ったので、気になったことを尋ねてみる。
「助けられたついでにひとつ聞いてもいいかな。さっきの銀色の鎧って、あれ魔法?」
「うん、魔法だよ。召喚ってわかるかな」
そう言うと、シエナは左手を見せてきた。
黒くて細い指輪が五本の指に一つずつ嵌められていて、よくよく見ると指輪の表面には細かい文字がびっしりと刻まれている。
「契約してる魔物を使役できるんだ。指輪一つにつき一体」
「へえ〜、じゃあ他にも契約してるのがいるんだ。召喚なんてのもあるんだな、初めて見たよ。すごいな、学生なのに」
「ん? うん、まあね!」
シエナは一瞬不思議そうな表情を浮かべた。
特に触れることなく流したようだったけど、俺は何か失礼なことでも言ってしまったんだろうか。
考えていると、シエナが俺の隣にいるエクセリアに目を向けた。
「ところで……君はエクセリア姫だよね。どうしてこんなところに?」
「うん? お前、私のことを知っているのか」
エクセリアの反応と同じく、俺も少し驚く。
というのも、今日ホテルを出てから街を歩く間、エクセリアの顔を見て反応した人が一人もいなかったのだ。
王族といっても時代や文化ごとに扱いは違う。場合によっては一般人に顔を知られてないこともあると聞く。
パンドラにおける王族はてっきりそのパターンかと思っていたのだが、しかしシエナは知っているらしい。
(助けてはくれたけど、シエナがどういう立場の子なのかはわからない。無警戒ってわけにもいかないよな。何を話して何を聞くべきだ?)
俺が少し考えてると、そんなのはお構いなしとばかりにエクセリアが口を開いた。
「悪いが私はお前を知らん。記憶がすっぽり抜けてるのでな」
「え、記憶喪失? 本当に?」
「ああ、私はウソはつかん。ウソは大嫌いだ。あいてっ!? おいアリヤ、なぜ私の背中をつねった!」
(なんでそれを言っちゃうかな!? 信用できるか確かめる前にこっちの情報をホイホイと……!)
「ねえアリヤ、姫様。あそこで大声上げてるおじさん、君たちに向かってきてない?」
「え?」
「どれだ」
シエナが指差す先を見てみると、清掃員みたいな服装の男が顔を真っ赤にしながら走ってきている。
「なんだ? 狂人かぁ?」とエクセリアは胡乱げにぼやいたが、俺はすぐにその男が何者かを理解する。
「ヤバい。あれ公園の管理人じゃないか」
「カンリニンってなんだ。あの男は何を怒鳴ってる?」
「管理人ってのは……いや説明してる場合じゃないな。オブジェを壊されてブチ切れてるんだよ多分」
「はあ? 知らんわ。悪いのはいきなり襲撃してきたあのバカだろう」
きょとんと、いやいっそ不愉快そうな表情のエクセリア。
「器物損壊とか弁償とか、その手の概念も忘れてるのか……」
「そもそも知らないんじゃないかな。姫様なんだし」
「うむ、知らん」
シエナの声にエクセリアが頷く。ごもっとも。
なんて言ってる場合じゃない。あのオブジェの弁償をしろなんて言われても無理だぞ本当に。
その時、俺の目が救世主の姿を捉えた。
「おーい、どしたん?」と手を振りながら歩いてくるのは人ごみでも目立つ桜色の髪。燃がこっちへ歩いてきているのだ。しめた!
「あ、燃さーん! こっち! ここ頼みます!」
「は? え、ちょっ待」
「よし、逃げよう」
「あの人に任せていい感じ? だったらもう少し話そうよ」
俺とエクセリアはシエナが手招きする方向へと走って逃げる。
エクセリアのことを知ってるらしいこの子とはもう少し話しておきたい。
逃げながら振り向くと、激怒した管理人に詰め寄られている燃の姿がちらりと見えた。
「あんたが責任者か!? どうしてくれるんだこの有様!」
「ちょっ、ちょいちょいちょい待って!? おじさん顔近っ! 私は関係な……いや関係あるけど、でもこれは知らんって言うか……いやでもあの子ら支払い能力ないし……え、嘘、これまさか私が払うん? 経費で落ちるよね? あの、領収書って切れます……?」
まあこれはジェスチャーと口の動きだけで予想したアテレコだけど、たぶん大体そんなことを言っている。
(すまん燃さん。まあ昨日は騙し討ちみたいなことされたしこれでチャラってことで……)
・
それから5分ほど移動しただろうか。
都会的な街並みを抜けて、大きな道がいくつも交わる交差点を渡って、電車の高架下を抜けたところでシエナが足を止めた。
「歩かせちゃってごめんね。怪我は大丈夫?」
「大丈夫だよ。我ながら結構頑丈みたいでさ」
本当だ。シュラから何度も落下攻撃を受けてボロボロにされたのが嘘だったみたいに痛みが減ってきている。
自動治癒だの身体強化だのとシュラが言っていたが、俺にはその手の能力が備わっているのだろうか? まだよくわからない。
ここまで会話を交わしながら歩いてきたが、シエナは俺より一つ年下の19歳らしい。まあ学生だと言うんだからそんなものだろう。
シエナが立ち止まったのは、なにやら鉄のフェンスに囲まれた鉄塔の前だった。電波塔みたいな施設だろうか。
「この上、街を広く見渡せて景色いいんだ。入ろうか」
「なに? 入っていいのか! 面白そうだな、早く早く!」
エクセリアは乗り気ではしゃいでいるが、俺はシエナの行動に面食らってしまう。
フェンスを封鎖した鎖を閉じている錠前をつかむと、なにやらガチャガチャといじり始めたのだ。
「え、入るって勝手に? そんな泥棒みたいなことして大丈夫なのか」
「あ、心配しないで。ここは大丈夫だからさ。えーっと……ここをこうして……」
オブジェ弁償問題で気が小さくなっている俺は、シエナが鍵をいじる音で気が気じゃない。
通りがかった誰かに見咎められたらと思うと……その時、背後で大きな声が上がった。
「ああーっ!!!」
「!?」
管理者とかに見つかった!? また怒られ案件か!?
俺はなんなら先制で土下座をしてやろうと覚悟を決めて振り向いたのだが、声の主は俺のイメージとまるで違った。
女の子だ。ふわっとした印象のスカートスタイルの少女がこちらへ走ってきている。
そして俺とエクセリアをスルーすると、がばっと勢いよくシエナに抱きついた。
「うぐっ」
「もう! シエナちゃん! フラッと一人でいなくなっちゃって、心配したんだから!」
「あはは、ごめんねユーリカ。ちょっと人助けを……」
「またそんなこと……!」
そこでユーリカと呼ばれた彼女が声を止めた。
やっと気付いたという風にエクセリアを見て、次に俺を見たところで視線に微かな険しさが宿り、「男の人……」と小さく呟く。
「ええと、どうも……」
「どうも……。シエナちゃん、この人たちは……?」
「うん、マーケットの方で騒ぎがあったでしょ。あれに巻き込まれてたから助けたんだ。ああ、悪い人たちじゃないよ」
「そう、シエナちゃんがそう言うなら……」
そこでようやくユーリカはにこりと笑ったが、どこか社交辞令的だ。
目の奥には隠せない警戒心が色濃く灯っている。
つんつんと俺の脇腹をつついて、エクセリアが珍しく小声でひそひそと耳打ちしてきた。
(なあ、こいつちょっと怖くないか)
(……まあ、色々あるんだよ。多分)
カチャン。と音がして錠が開き、シエナがフェンスを開けて鉄塔の階段へと足をかけながら手招きする。
「よし、上に行こっか。ユーリカ、あと10……いや、5分だけならいいよね?」
「もう、仕方ないなあ。二人とも、足下に気を付けてくださいね」
シエナを先頭に、ユーリカに気遣われながら塔を登る。
金属製で隙間があるタイプの屋外階段をカツン、カツンと登る最中、時折強い風が吹いて体のバランスを崩しそうになる。
やっぱり階段ってのは疲れるな、なんてことを考えながら足を動かしていると、不意に振り返ったシエナが問いかけてくる。
「さっきの人さ、星影騎士団の燃だよね」
「そうだけど、知ってるのか」
「彼女、けっこう有名人だからね」
そこで、俺たちは塔の高台に辿り着いた。
「こっちに来て」とシエナに招かれていくと、そこからはパノラマで大都市を見渡すことができる。
そして俺は、これまでの人生で一度も見たことのない光景を目にして息を呑んだ。
「なんだ、あれ……!?」
高い建物に囲まれた街中にいたせいで、地上からは見えなかった。
俺が目の当たりにしたのは、空を貫いて光る巨大な塔。いや違う。人工建造物の規則的な構造とは違い、もっと歪で……あれは何だ?
「あれは世界骨」
「せかいぼね?」
「そう。星影騎士団の拠点だよ」
そうだ、言われてみればまるで骨だ。縦に長く伸びたそれから、背骨みたいに等間隔で横へと枝分かれしている。
その時、世界骨がひときわ強く光輝き、骨から街へと光の雨が降る。
緑みを帯びてキラキラと、骨から注ぐ光のしずく。見ようによっては禍々しくも見えるのだが、この街の人々にとってはそうではないらしい。
塔から見下ろした人々は光を見上げ、世界骨の方向へと向かって深々と礼拝をしているのだ。
「星影騎士団は宗教組織。この都市で許された宗教は星影騎士団だけ」
そう呟いたシエナは骨に頭を下げることなく、「私は無神論者だけどさ」と言い添える。
「アリヤは転移者だよね」
「えっ、どうしてわかったんだ!?」
「あはは、この街に住んでて世界骨を知らないなんてありえないからね」
「な、なるほど……」
「……地球から来た君にはまだわからないだろうけど、この都市の人々からはたくさんの物が奪われてる。宗教もそうだし、学校も」
「学校も?」
聞き返した俺に、シエナは寂しそうな顔で首を縦に振った。
「パンドラでは子供は大人たちにとって都合の良い労働力。搾取の対象なんだ。君は知らなかったみたいだけど、学生ってのはこの街では絶滅危惧種でさ」
彼女はコートの内側から一枚のビラを手渡してくる。
そこには“学園自治連合”の文字が記されていた。
「この街に唯一残された最後の学校、大人たちと戦うための最後の砦。それが学園自治連合。私はそこでリーダーをやってるんだ」
ペンを手に取ったシエナは、俺に渡したビラへ自分の連絡先をすらすらと書き加える。
「もし君たちが自由を望むなら、私たちのところに来るといいよ。君たちなら年齢も学生だし、すぐにでも受け入れられる。もちろん無理にとは言わないけどさ」
「……“学園自治連合”か」
「ゆっくり考えて。いつでも歓迎するよ」
「シエナちゃん、そろそろ……」
「ああ、うん」
ユーリカに服の裾を引っ張られて、シエナは腕時計で時間を確かめてから俺たちに背を向けた。
「じゃあ、今日はこれで」と言いながら階段を降りかけたところで、立ち止まって一言を付け加える。
「そうそう、燃には気を付けて。あれは一筋縄ではいかない人だよ」
そう言い残して、シエナとユーリカは塔を降りていった。




