105話 亡き父の足跡
これは一体なんの時間だ?
キョウノと別れた直後に深層六騎のフッコと出くわした俺は、彼が少し話せるかと言うので誘いに乗る。
一応知らない顔じゃない。紅血楼では臨時の共闘とはいえ死線を共に潜ったわけで、しかも壁役を買って出てくれたわけだから少しばかり親近感のようなものは抱いていた。
だがそれを踏まえても、今の状況はよくわからない。
落ち着いて話せる個室、飲み物がある、周りに会話を聞かれない。
そんな条件を踏まえて彼が入店したのは、そこら中にあるようなチェーンのカラオケボックスだった。
昼間のフリータイムで一人600クレジットのドリンクバー付き。相場はよくわからないけど、まあ安いんじゃないか?
いやいや、値段はどうでもいいのだ。問題は、俺はどうしてこの星影騎士団の大男とL字ソファーに座っているんだという点だ。
「…………」
「…………」
えっ、なんだこの時間。
フッコは俺を誘っておきながら何も話さないし、俺は俺で向こうから話を振ってくると思っていたもんだから出方に困る。
彼は室内に入っても襟を立てた黒いコートを脱がずにいるもんだから口元が見えずに表情がわからない。
いや、そもそも表情が乏しく見える。それでいて肌が浅黒くてかつ大柄なものだから、狭いカラオケルーム内だと圧がすごい。
しかも彼は何を話すでもなく俺を凝視してくるのだ。この人は何がしたいんだ? まさか殺そうってんじゃないとは思う……思いたいけど。
「……ええと……あの、昨日の戦いでは助かりました」
「ああ……」
「怪我、大丈夫ですか?」
「…………支障はない」
「そ、そうですか」
会話が弾まない! もう少し反応してくれ!
なんだ? 歌でも歌った方がいいのか? 俺はデンモク的な端末に手を伸ばしかけるが、何を歌えばいいテンションかもわからないのでやめておく。
落ち着いた曲を歌うのも意味不明だし、黙りこくっている大男のそばで一人でテンションを上げても虚しいし悲しいだけだ。
俺はドリンクバーで注いだメロンソーダを一口飲んで、緊張から来る喉の乾きを紛らわす。
……甘っ。メロンソーダは普段あんまり飲まないけど、こんなに甘ったるかったっけ? と、そんなことを考えた瞬間、フッコの両手が俺へと伸びた。
「!?」
「…………」
反応が遅れて声も出せずにただ息を飲んだ俺の顔面を、両側からフッコの厚い掌が挟み込んできた。異様な力の指が俺の顔をロックして、左右に捻ることも引いて抜けることもできない。
フッコはそのまま俺の顔をさらに凝視してくる。な、なんだ? 本当に何のつもりだ!? わざわざ個室に誘い込んでこの行動、まさかこいつホモか!?
「は、離してくれ!!!」
俺が渾身の声で叫んだのと同時に、フッコがようやく自発的に口を開いた。
「そうか、藤間はこんな顔をしていたのか」
「触るな! 掴むなって! くそっ、攻撃するぞ!?」
「む……」
これでもかと声を上げたところで、ようやく気付いたといった様子でフッコが俺から手を離した。
俺は弾かれたように立ち上がり、狭い室内で一歩だけ後ずさる。
「怯えさせてしまったか」
「あ、当たり前だろ……! 一体なんのつもりで」
「私はフッコ。かねてより、お前に興味があった」
興味があったなんて言われるといよいよ恐ろしい。
相手が深層六騎だろうが知るもんか。指先に魔力を通わせて、いつでも武装鮮血を発動できるようにイメージしつつ身構える。
そんな俺の様子を見てフッコは小さめの瞳を少し見開き、右の掌を突き出して制止するような仕草を見せる。
「誤解を招く言い方だった。正確には藤間或也、お前自身に興味があるわけではない」
「はあ? 意味がわからない……俺以外の何に興味があって俺の顔をガン見するんだ」
「『異日』という本は読んだか?」
「……?」
まるで関係のない本の話を持ち出されて、いよいよ俺は顔をしかめる。
どうも何を考えているのか分かりにくい男だとは思っていたけどここまでとは。燃さんが同僚を悪し様に言っていたのが少しわかる気がする。
堅物のブリークハイドになんだか威圧的なマイロン、そしてこの意思疎通しにくいフッコと来た。
深層六騎の残り二人がどんな人物かは知らないが、今のところ酷いもんだ。
うんざりとしつつ、俺は一応首を横に振る。
「いや、読んでないけど。学園自治連合のミトマがあんたに勧められてその本を買ったってのは聞いたよ」
「ミトマ……ああ、シエナ・クラウンの友人か。彼女は良い買い物をした」
「で? その本がなんだっていうんだ」
「著者を知っているか」
「……」
ああもう。俺は別に気の短い方じゃないが、こっちが質問をしているのにそれに答えずに質問をされるのはイライラするものだ。
ただでさえ会話のレスポンスが悪い上にヤバい印象のこの男にそれをされたんじゃ俺も流石に顔をしかめてしまう。
「著者はレールマン。有名な作家だったけどこれ書いて自殺。内容の大部分は都市伝説とか滅亡の予言だかを書き殴ったようなヨタ話だけど一部マジネタあり。そういう感じなんだろ、読んだわけじゃないけどネットで調べて大体知ってる。さあ答えたぞ。今度こそ俺の質問に答えてくれ、別の話をしてはぐらかすのもあんたから質問をするのもなしだ。俺とその本に何の関係がある!」
「著者はレールマンではない」
「は?」
「レールマンは名義を貸した。彼は発狂して自殺したわけではなく、真実に触れたことで秘密裏に消されたのだ」
「いや、何を……」
「10冊、初版より前に試し刷りされた異日が存在している。その本には共著という形でもう一人の作家名が記されていた。リョーゴ・トーマと」
「良悟・藤間? 俺の父親と同じ名前だけど……」
「不躾な態度を取ってしまった非礼を詫びる。私はリョーゴ・トーマの愛好家だ。顔貌を知らぬ憧れの作家の面影を子息のお前に見ようと、柄にもなく高揚してしまった」
フッコは膝に手を当て、俺に向けて頭を下げる。
その声色に真摯な謝罪の色を感じて、俺は彼に害意がなかったことをとりあえず理解する。
確かに父さん、藤間良悟はオカルト作家だった。異日みたいな与太話ばかりをまとめたような本を書いていた三流作家だ。いかにも書きそうと言えば書きそうかもしれない。
だが、その本を父さんが書いたはずはない。
「待ってくれありえない。姉さんや母さんならともかく父さんはずっと礎世界で俺と暮らしてたんだ。父さんが殺されたのは三年前……異日の出版日は?」
「七年前だ」
「だったら、悪いけど別人ですよ。殺された父さんが転移したと考えたって年数が合わない。父さんは在宅で仕事をしてたから俺はほとんど毎日顔を合わせてたし」
俺が口にした言葉は確かな事実だ。
著者と父さんが別人だということを疑いようもなく裏付ける記憶……だと思うのだが、それでもフッコは確信めいた目で俺を見てくるのをやめない。
彼は立ち上がり、用件は終わったとばかりにカラオケルームのドアノブに手をかけた。
「藤間或也。リョーゴ・トーマの名が記された異日を探すといい。お前が知るべきことが書いてある」
「ま、待ってくれ。探せなんて言われたって10冊しかない本なんて……フッコさん、あんたは持ってないのか? 持ってるなら言い値で買うけど」
「私も探している。……もし手に入れば、お前にも声を掛けよう」
「助かります」
そう言い残して、フッコはカラオケから去っていった。
彼が注いできたまま口を付けず、ぬるくなったコーヒーがテーブルに残されている。俺のメロンソーダもすっかり炭酸が抜けて、ただの甘い緑汁だ。
あの男は結局何を根拠に俺の父さんが著者だと言ったんだ?
わからない。わからないが、俺の胸にも確信めいた予感が宿っている。
フッコはきっと正しい。書いたのはきっと父さんだ。時系列で考えればありえないのに、父さんが関わっているという気がしてならない。
“異日”の捜索が、俺のやるべきことの中に一つ加わった。




