104話 不味い昼食と楽しい談笑
「……あんまり美味しくなくないか、これ」
「おー、ハズレだな。ハハッ」
キョウノと一緒に店に入った俺は、運ばれてきた麺料理を咀嚼しながら首を傾げる。
俺はそんなに好き嫌いがないし大抵のものは美味しく食べる方なのだが、この料理の微妙さには思わずキョウノに苦言を呈さずにはいられなかった。
「なあ、美味い店を紹介してくれるって大見得切ってこれかよ」
「いや〜悪い悪い。見たことない店が開いてたもんだからついつい気になっちゃってな。いや微妙だなこりゃ!」
「新規開拓は一人の時にしろよ」
アーケード街のメインストリートから一本入り込んだ路地にある大衆料理店だ。入り口に花が飾られていたのは新規オープンだからだろう。
店が看板メニューとして掲げていたカレービーフンを注文したのだが、雑に茹でられたぼそついたビーフン麺の上に、特にこだわりを感じない家カレーじみた安っぽいルーが雑に掛けられた一品だ。
申し訳程度に添えられている茹でチンゲンサイは別にそれほど馴染んでないし、なぜか具としてさつま揚げみたいな練り物が入っているのが余計に雑な家カレーっぽさを増強している。カレーに練り物はあんまり合わないよ。
麺にルーが少なめでいまいち絡みきらないのを箸でかき混ぜながら、キョウノが眉をしかめて軽く唸る。
「夏休みに婆ちゃん家で茹で残しのソーメンに余り物のカレーぶっかけたって味だなぁこりゃ。俺、婆ちゃんっ子だったんだよ結構。アリヤお前は?」
「親交のある親戚はいなかったなぁ。祖父母は顔も知らないよ」
「マジ? んで家族全員死んじゃってんだっけ?」
「そうそう」
「へえー、寂しい生活してたのな」
卓上に置いてあった赤いスパイスをさらさらと振りかけながら、キョウノは俺の境遇に軽いコメントを残す。
これぐらいのスタンスで来てくれるのは正直助かる。やたら同情を露わにされたり(地雷踏んじゃったかな)みたいな顔をされるのは反応に困るものだ。
境遇の話なんて雑談の種ぐらいに扱ってくれれば構わない。
「じゃアリヤお前、爺ちゃんの歯が悪いから水気多めで炊かれてべちゃべちゃでまずいご飯とか、ちょっとボケ始めた婆ちゃんが出してくれた料理が傷んでて腹壊したりとかの経験ないわけか」
「どっちもあんまり良い思い出じゃなくないか」
「こういうのはエピソードだエピソード。その時は微妙な気持ちになっても後々思い起こせば良い思い出なんだよ。いやあ、爺ちゃんの横でそんなに興味ない甲子園見ながらアイス食った記憶が懐かしいぜ」
情感たっぷりにそう語りながら、キョウノは大量の調味料を混ぜて強引に味変したカレービーフンの最後の一口をかきこんだ。
俺もそれに倣いつつ、何の気なしに彼へと問いかける。
「キョウノの家族は生きてんの?」
「爺ちゃん婆ちゃんに両親と兄二人、全員ばっちり健在だったぜ。こっちに来てからは知らねえけどさ」
「ふーん。だったら帰りたいって思うことはないのか?」
「ないな」
思ったより速く、思ったより強い口調で返事が返ってきた。
朗らかな表情がベースのこの男にしては珍しく、素の生っぽい感情が垣間見えた気がして俺は少しだけ驚く。
もう一つ問いを投げる。
「キョウノって礎世界でも魔法の勉強してたんだろ。それってよくあることなのか? 俺、魔法を大真面目に研究してる連中がいるなんて全然知らなかったんだけど」
「どうかな、俺も総数は知らねーわ。まあ珍しいんじゃねえ? 俺の場合は親がやってたからな」
「親が?」
「おう。俺の親父は東京の大学でそこそこなの売れた民俗学者やってて、お袋も著名な考古学者だった。けどその実態は色々な角度からの魔法研究にご執心のオカルト夫妻だったってわけよ。俺はその理論をスパルタで叩き込まれて育ったってわけ」
「ははあ」
「ついでに両親とも家事にはカケラも興味示さなかったから祖父母に面倒見てもらってたってわけよ。ま、俺は俺で変な家庭環境だよなー」
「へえ……それはそれで大変そうだな」
「だろ?」
語った内容もだが、両親について話す時の口調からはどこか忌々しげに吐き捨てるような色を感じた。
彼が帰りたくないと断言するのはその辺りに原因があるのかもしれない。
俺はついでに情報収集がてら、さらに質問を重ねてみる。
「他の七面會はどうなの? アブラとかカラスとかさ、あの辺も親がやってたのか」
「あー、どうなんだろうな。礎世界にいた頃から親交があったわけじゃねえし、あっちのことはお互いに話さない不文律みたいなのがあってさ。よく知らねえわ」
皿に微妙に残ったカレービーフンを箸でつつきながら、俺は疑問を口にする。
「親交なかったのか? 向こうで集まって一斉に転移してきたって話じゃなかったっけ?」
「俺たちを集めたのはカラスさ。いきなりメールが来たんだよ、魔の道を志す君へとかいって。興味半分でノコノコ顔出してみりゃあいつらが七人揃ってて、転移だの異世界だのの説明を受けて軽い気持ちで承諾したらそのままパンドラ入りさ。ま、後悔してねえけどな」
「カラスが集めたのか……」
七面會の中でも、カラスはとりわけ実力が高そうだし何かを知っている様子もある。
どこかで一度交戦せずに話を聞きたいけど、どうすればいいだろう。
キョウノ、それかアブラに仲介を頼む? いや、身構えさせたくない。準備の時間を与えずに街中でバッタリ顔を合わせていきなり質問をするぐらい突発的じゃないと向こうの都合で情報を伏せられてしまいそうだ。
だけどそんな都合の良いシチュエーションをどうやって作ればいい? 悩ましい……と、俺はふと顔を上げる。
「ああ、ごめんキョウノ。俺ばっかり質問して。なんか話があるんじゃないのか?」
「話? いや、別にねえけど」
「だって会いに来たのはそっちだろ?」
「ダチの顔見に来ちゃ悪いかよ。お前礎世界ではあんまり友達いなかったんだっけ? 用がなくても飯食ったりするのが友達ってもんだぜ」
「そ、そういうもんか……」
「おう、そういうもんだ。同じ日本人って同郷のよしみもあるし、俺はなんか気に入ってんのよお前のこと」
どうやらキョウノは本当に何の用事もないらしい。どこで用件を持ち出してくるかと少し身構えていただけに、特に何も様子に拍子抜けしてしまう。
ただ、そう言われると悪い気はしないもんだ。
俺はキョウノから情報収集を引き出そうとするのをやめて、とりとめもない雑談へと話を切り替えた。
七面會も学園も血の門の話もせず、この近辺のキョウノのオススメの店の話、キョウノが昨日見た映画の話、パンドラのプロ野球の話と話題は転々とする。
「じゃあ20もあるのか、パンドラの野球チームって」
「おう、日本より多いぜ。MLBほどじゃないけどな。あとレベルがアホみたいに高えの」
「ああ……学生野球には一回混ざったよ。170キロ越え投げてた」
「プロは250キロ投げるのとかいるぜ。二年に一人ぐらいライナー取り損ねて死者が出んだよ」
「ええ……見たくないけどな、そんなの」
「いやいや面白えんだって。躍動感マジすげえから」
そんな話をしているうちに、時刻は三時に近付いていた。
居座るために追加で注文していたアイスティーの氷はすっかり溶けて、淡い茶色の水がグラスの底に溜まっている。
そこでキョウノは店内の壁時計に目を向けて、「おっやべえ」と呟いた。
「三時になったら俺行くわ。仕事の用事あってさ」
「すぐ出なくて大丈夫なのか?」
「約束は三時半だから大丈夫大丈夫。楽しかったぜ」
「ああ、俺も。また時間あったら食事に誘っていいか?」
「おう、俺からも誘うわ。あ、最後になんか聞いときたいこととかねえ? 答えられる範囲で答えるぜー」
「ん」
頭がすっかり情報収集モードではなくなっていたので、いざそう言われると詰まってしまう。
答えられる範囲で、と言っているので七面會について聞いても大した情報はくれないだろう。
キョウノとは個人的に友人でも、七面會と俺は未だに監視をつけられている程度には危うい関係性だ。
じゃあ何を聞く? 少し考えてから、俺は思いついたことを口にしてみる。
「質問っていうか……素直にアドバイスが欲しいんだけど」
「おう、何よ。恋愛相談か?」
「違えよ。今独立を考えてるんだけどさ、その……どう思う? 率直に。やっていけると思う?」
「あん? 要領得ないな。何の独立だよ。仕事の?」
「ええと……」
キョウノの反応は至極もっともだ。
時間もないので、俺はかいつまんで最低限の情報だけを話す。
まとまった金が入って名前も売れてきたから独立を考えてる。メンバーはエクセリアと学園から二人アテがある。事務所の家賃は見てきた……と、学園の内部事情は伏せつつそんな具合で。
それを聞いて、キョウノは微妙に冴えない顔をしてみせる。
「独立ねえ?」
「無理かな? 俺、バイトもしたことないからよくわからなくて」
「いや、別に無理じゃねえと思うよ。“血の門潰し”ってちょっと話題になってるし依頼はあるんじゃね。学園からも仕事回るだろうし」
「じゃあイケるかな」
「うーん」
無理じゃないとは言いつつも、キョウノの反応はやっぱり歯切れが悪い。
何か問題点があるのか?
「はっきり言ってくれよ。右も左もわかんなくてさ」
「一個だけ気になったのがさ、荒事請け負うわけだろ?」
「いや、荒事だけとは限らないけど……でもまあ、そういうのに巻き込まれる可能性はあるかな」
「だったらお前、この家賃の見積もりはアホだろ。平和に書類扱うような仕事じゃねえんだ。恨みを買ったり襲撃される可能性があるんだぜ? こんな普通のセキュリティのとこじゃ毎日爆弾投げ込まれるって」
「あっ、そうか」
「それに諸経費の見積もりも甘ぇわ。ちょっと待ちな、えーとお客様アンケートの紙でいいか。これと、これと、これとこれとこれと……」
キョウノはアンケート用紙の横に立ててあったボールペンで、事務所運営に必要な諸経費をさらさらと書き連ねていく。
俺が考えてもなかったような色々な雑費や保険、水道やら光熱費に細かい税金まで。経費で落とす部分まで考えて、キョウノは全てを書き連ねた紙をパチンと指で弾いて渡してきた。
「諸々で1600万は飛ぶって考えといた方がいいぜ」
「お、俺の全財産の八割が……!? 高すぎないか!?」
「この街で安全を買おうとすると高いんだよ。お前一人なら別にテロかまされても死なないだろうけどさ、仲間雇おうとしてんだろ? だったらロケットランチャー撃ち込まれても大丈夫な程度には防犯も重視しねえと」
「ま、マジか……」
「あくまでザッとした見積もりだからな、後でもっと詳しいコンサルとかに見積もってもらって比較しとけよ。そのために紙に残したんだからな」
どんなに高く見積もっても所持金半分は残るだろ。そんな雑な腹づもりだった俺は、思わぬ額を提示されて頭を抱えたくなる。
キョウノが示してくれたのはあくまで最低限の費用だ。実際仕事を始めてみれば、ここに想定外の出費が上乗せされてくるかもしれない。
もしトラブルがあったり何かしらコケたら給料も払えなくなるんじゃないかこれ。
そもそも経営面のノウハウも何もないのにやっていけるのか? そんな雑な感じで大丈夫か?
俺が腕組みをしながら唸っていると、キョウノが俺の肩を叩きながら席を立った。
「じゃ、俺は行くわ。ワリカンのつもりだったけど大変そうだし奢ってやるよ。まずかったしな」
「あ、ああ。相談乗ってくれてありがとな」
「いや、またいつでも聞けよ。まあ最悪食いっぱぐれたら俺んとこで雇ってやるからさ。ははっ」
他人事の気安さでそう言い残しつつ、片手を挙げてキョウノは去っていった。
正直なとこ独立には結構ノリ気だったのだが、ここに来てちょっと及び腰になってしまう。
どうしたもんか。
腕組みをしながら店を出た俺は、異様に力強い手に肩を掴まれる。
「うおっ!?」
敵か!? 俺は手を振り解いて身構えようとするが、手首で払おうとしてもその手はまるでびくともしない。まるで岩みたいな存在感だ!
慌てた俺は武装鮮血を発動させようとするが、寸前、背後の人影が穏やかな低音で語りかけてきた。
「落ち着け、藤間。敵意はない」
「あんた誰だ! って……あ、騎士団の」
肩をロックされているので首と視線だけを無理やり横向けて後ろを見れば、そこに立っていたのはつい昨日共闘したばかりの深層六騎、フッコだった。
かなり満身創痍に見えたのにもう出歩いている。頑丈すぎないか? それに一体何の用で?
俺がそんな疑問を抱いていると、フッコは太い指ですっと一方を指さした。
「少し、話がしたい。そうだな……そこの店に入らないか」
指されたのは俺が今出たばかりのカレービーフンの店だ。そこはまずいんだって。
苦虫を噛み潰すべきか苦笑するべきか。どんな表情をすればいいかわからない俺は、とりあえず無難な愛想笑いを浮かべながら口を開く。
「ええと、別の店でなら……」




