100話 銀の左腕
ピンポン。ピンポン。ピンポーン。
燃さんの部屋のチャイムを三度鳴らしたところで、インターホンから「はいはーい……」と気怠げな声が聞こえてきた。
「藤間です」と名乗ると、開いてるから勝手に入ってと返事。
眠そうな……いや、なんだか疲弊しているような声だ。義手を早く渡したくて来てしまったけど、夜の9時過ぎは女の人の訪れるには遅かっただろうか?
ともかく入れと言われたので部屋に入ってみたところで、俺は部屋の中の臭いにギョッとして声を漏らしてしまう。
「酒臭っ!?」
電気も点けずにテレビだけが点った薄暗い部屋の床に、酒の瓶や缶が散乱している。
元々サブカル趣味の収集物で埋まっているような部屋にさらにゴミを散乱させたもんだから、完全に足の踏み場がなくなっている状態だ。
物を足でどかしながらおっかなびっくり部屋の奥へと進んでいくと、ローテーブルの脇でぐったりとビール缶を手にしている燃さんの姿があった。
「……アリヤくん、役立たずな社会のゴミの部屋へようこそ〜」
「え、ええ……?」
「いやあ……片腕がないって思ってたよりアカンわ……」
彼女はそう言いながら、緩めな部屋着Tシャツの中身のない左袖をパタパタと揺らす。
「ほんとアカン……なーんもちゃんとできひん。お料理も掃除も洗濯もどれもダメ」
元々してなかったんじゃ? と疑問という喉まで上がってきたが、本気で落ち込んでいるようなので言わずに飲み込む。
「仕事もアカンのよ……片腕じゃあんまりちゃんと戦えへんし、戦えへんかったら深層六騎のままじゃいられへんやん? そしたら今のポジションから降りなアカンくなって、降りたらブリ坊とかが上司になるわけやん? え、ありえへん。あの|青瓢箪を上司にして敬語使うとか絶対嫌や〜! お給料も下がるし今さらOLとか絶対嫌やし私そもそも普通の会社で働ける性格してへんし絶対コンビニバイトとかやん!? 嫌ぁ〜!! コンビニでレジ打ってたら同僚と遭遇して気まずい空気になるんとか絶対嫌や〜!! ……ってこと考えてたら将来の見通しがあまりにも暗すぎてめっちゃ死にたくなってたんよ。どう? いたいけな燃さんが可哀想になってきたやろ」
「いや、まあ……想像力豊かだなって」
「反応、薄っ!! 鬼なん? 悪魔やろアリヤくん。はー引くわ〜。この鬼畜!」
よかった、思ったより元気そうだ。
俺が作り溜めていった惣菜のタッパーもテーブルの上で空になっているから、死にたくなったと言うわりにはしっかり食欲はあるらしい。
ただ目元が腫れぼったいし、涙を流したような跡もある。不安のせいか痛みのせいかはわからないが、落ち込んでいるのは確からしい。
ふとテレビを見るとドラマが流れている。深夜帯にやってるようななんだか安っぽい雰囲気のドラマだ。
俺がそれに目を向けているのに気付いて、燃さんはヘラヘラ笑いながら問いかけてきた。
「ねね、アリヤくん深夜ドラマとかって見る? あ、エッチいやつとかやないよ。アリヤくんすぐそういうの連想するんやからこのエロ」
「してませんって。あんまり見たことないかな」
「ああいう枠ってすっごい微妙なドラマが多いんやけど、その中でも売り出し中のアイドルやらちょっと落ち目の大御所俳優とかが主演で“この人がこんなコミカルな役を!” とか“こんなバイオレンスな役やっちゃってます〜!” 的な部分だけをウリにしてるようなのがあるやん。え、わからん? あるんよ」
酔っ払いのテンションでつらつらと喋りながら、彼女は左袖をゆらりと揺らす。
「はあ」
「でドラマとしての出来は大体お察しなんやけどね、燃さんああいうのわりと好きなんよ。行き当たりばったりの雑なプランに大勢の大人が振り回されてる感じがそこそこおもろいんよね。わからへん?」
「わかんないですね」
「はーアリヤくんまだまだガキやわ〜。あのクソっぷりはお酒飲みながら観るのにホンットちょうどええんよ。あとちょっと気持ちが救われる。あ〜この人らも落ち目やな。燃さんだけやないんやな〜ってほんわかした気持ちになれるんよ」
「深夜ドラマをそんな歪んだ見方してる人あんまりいないんじゃないですかね……」
「いいやん別にー」
俺はアルコール臭を匂わせながらクダを巻く酔っ払いに呆れつつ、テーブルの上から缶や瓶をざっとどかして、ジュラルミン製のアタッシュケースをそこに置く。
「これ、燃さんに」
「えーなになに? 一億くれるん?」
「開けてみてくださいよ」
「うわ、そのドヤ顔腹立つわ〜」
燃さんは軽口を叩きながら、泥酔しておぼつかない手でアタッシュケースをガチャガチャと開けた。
ニヤニヤしながら箱を開く彼女の目が、銀の義手を見た瞬間に驚きに大きく開かれる。
小さく息を飲む音がして、少しの間黙りこくって、それから燃さんは俺の顔をマジマジと見る。
「……義手?」
「色々あって、貰ってきました。めちゃくちゃ性能いいやつだから使ってみてください」
「えっ……待って、なに? なんなん。アリヤくん燃さんのこと好きすぎひん? 狙ってるん? 怖」
燃さんは右手を自分の肩にぎゅっと回して、俺から身を引くようなジェスチャーをする。
待て待て、そんなリアクションあるか!? 俺は逆に驚かされて、思わず早口で弁解してしまう。
「えっ!? ちょっ、いやいやいや! これはそんな意図じゃなくて! 俺のせいで燃さんの腕がなくなったから少しでも埋め合わせができたらと思って! 変な気はないです本当に! 本当、に……!?」
言い訳はそこまでで、俺は口をつぐむ。燃さんがくっくっと笑いを押し殺しているのが見えたのだ。
彼女は「うそうそ。嘘やって」と穏やかな声色で言いながら、残っている右腕を俺の背に回してきた。
「アリヤくん、血の門に行ってたんやろ。何しとんのかなーとは思ってたけど、私のために頑張ってくれてたんやね。ありがとう。嬉しいよ」
この人には珍しい素直な感謝の言葉を聞いて、俺の心は充足感に満たされる。
アルコール臭と女性特有の華やかな香り、彼女の柔らかな体温とが入り混ざって、俺はなんだか気恥ずかしさを覚えながら口を開く。
「……思ったより大変でした。俺もエクセリアも死にかけたし。でも、色々わかったこともあります。俺が戦わなきゃいけない敵のこととか」
「ふーん。ちょっと凛々しくなったんちゃう? そんなことないか。……って言うかアリヤくんさっきのやつさぁ、変な気はないってとこ強調しすぎちゃう? 必死に否定しすぎやろ燃さんのこと好きなくせに〜。シャイなん? 思春期?」
「うわっ」
泥酔に上機嫌が加わって、燃さんは俺を抱いたまま意図的にぐいぐいと胸を押し付けてくる。
性格はわりとクソ寄りで生活はズボラだが、顔とスタイルだけはいいのだこの人は。緩くダボっと着た部屋着の肩口がはだけてきたせいでかなり無防備な格好になっていて、俺はブザマにも動揺してしまう。
「ちょっ……やめ……」と呟いてみるが、正直どう対応すればいいのかわからない。
……と、玄関のドアが開く音がした。
「アリヤー。飲み物買ってきたー」
「あ、姫様」
エクセリアだ。マンションの一階の自販機で何を買うか迷っていたので、俺だけ先に上がってきていたのだ。
燃さんはエクセリアの姿を見た瞬間、「お、アリヤくん修羅場やん修羅場」と面白がるように呟く。当事者のくせに。
だが彼女の予想に反して、薄暗い部屋で俺に抱きつく燃さんの構図を見ても、エクセリアが嫉妬したり怒ったりすることはなかった。
その代わりに、エクセリアは「はんっ」と鼻先で笑う。
「抱きしめるぐらいなんだ。私はアリヤとキスしたぞ、燃!」
「はあ?」
「えっ?」
燃さんが眉をしかめ、俺もついでに首を傾げる。したっけ?
「何? アリヤくん姫様に手ぇ出したん? 姉に似た年下の女の子に? シスコンとロリコン併発してるん? 怖っわぁ〜!!」
「待て待て待て! 覚えがないぞ! え、してなくない!?」
「したではないか! 忘れたとは言わせないぞ、もっともっと感謝しろ!」
「ええ!? あ、血を飲ませてくれたあれか! 感謝してるけどキスか!? 人工呼吸みたいなもんだろ!?」
「あっふーん、そういう感じ? それは不可抗力やん。じゃあ燃さんの勝ちやね。もう血ぃ飲ませてあげたことあるし?」
今度は燃さんが鼻で笑い返した。
マウントを取り返されたエクセリアは、不機嫌そうにむくれて声を返す。
「……燃は子供っぽいな」
「そうなんよ姫様、世の大人はみんな子供が大人になったフリしてるだけ。大人なんてモノはどこにもいてへんのよ。はー、また気付きを与えてしまったわ」
「ああ言えばこう言う! おい、そろそろ離れろアリヤ!」
一気に騒々しくなった部屋の中で、俺はようやく燃さんの腕から逃れて電気を点ける。
ごちゃごちゃに散らかった部屋、ぎゃあぎゃあ騒ぐエクセリアと適当な言葉をまくしたてる燃さん。うるさいけど落ち着く光景だ。
片付けの算段を立てながら、俺はゆっくりと深呼吸を一つした。
ようやく今回の戦いに区切りが付いた。そんな心持ちになれたのだ。
そして深夜。
俺の前に、再び始まりの魔女が現れる。




