9話 vsテレポーター
「誰かーっ!!! 助けてくれ!!!」
俺は叫んだ。アクサダイレクトの堤真一よりも迫真の声で叫んだ。
恥も外聞もあったもんか。マーケット中に響けと念じながら、ズタボロに痛む全身に気合を入れて大声で。
鐘の音が聞こえて突然始まる『運命分岐点』。
この能力の肝は選択肢が提示されることもだが、何より落ち着いて考える猶予の時間が与えられることだと俺は思う。
なにせ今にも殺されそうなラッシュ攻撃を仕掛けられてる最中に、たっぷり引き延ばされた体感時間で頭を整理できるんだからありがたすぎる。
あくまで自分の思考だけだが、擬似的かつ小規模な時間停止と捉えてもいいかもしれない。タイミングはランダムだから依存できないけど。
とにかく、今やるべきことはこの仮面男を困らせることだ。もう一声!
「人殺しぃぃっ!!! げふっ!!?」
強制的にテレポートさせられての落下。今度は左半身から落ちて顔面と肩を強打した。
鼻血でも出てくれればいいのに仮面男はよっぽど人の落とし方に精通してるのか、内出血するだけで血が出ない。ふざけやがってこの陰湿ジャージ仮面!
「燃なら来ねぇよ」
「っ、なんだって……?」
吐き捨てるような仮面男の声に、俺は地面に転がったまま問い返す。
「どうせあのインチキ女が助けに来るのを期待して叫んだんだろうが。ダッセェな」
「……だったら、どうだって言うんだ?」
「あの女の探知魔法は立体の座標式だ。だから俺はテメーを身長の高さより上には飛ばさねえ。俺の魔法は魔素消費も少なくて目立ちにくい。テメーを縦にも横に大きく移動させないよう注意さえすりゃ、探知には引っかからねーんだよ」
「うぐっ!」
「ハッ、ザーコ」
スニーカーで腹を蹴られた。生唾とゲロは出ても血は出てくれない。
……やりたい放題してくれやがって、腹が立つ。
確かに燃が助けに来てくれる可能性も考えてはいた。だけど叫んだのはそれだけが理由じゃない。
俺が「人殺し」と大声を上げて周囲の人々の注目がこっちに集まった。争いに巻き込まれたくないと距離を開けて、俺とこいつを中心に遠巻きな輪ができている。
淡々とテレポート攻撃を連発してきてたこいつもそれを止めて声を発して蹴りつけてきた。
少なくとも、ひたすら落とされるだけの状況は変わったんだ。とにかく粘れ。警察がこの世界にいるかは知らないけど、時間を稼げば何かが、誰かが介入をしてくるはずなんだ。
そこで俺はハッとする。エクセリアはどこだ。
テレポート野郎相手に怒り狂って物を振り回してたのに、少し前からそれを見てない。まさか、この男とは別働で動いてた七面會の勢力に拐われたんじゃ……
「……?」
仰向けに寝転がる俺の顔に影が落ちた。空には雲ひとつないはずなのに、陽の光が遮られたのだ。
一体何が? その答えはすぐわかった。広場の大噴水の先端部に飾られていた前衛芸術めいた巨大オブジェが、ギギギと音を立ててこっちに傾いてきているのだ。
オブジェの根本にはどこから持ってきたのか、斧を振り上げては打ち付けるエクセリアがいる。目が合った。ウインクをしてくる。
(今助けてやるぞアリヤ!)
(いやいやいやいや待て待て待て待って!!!)
「アァ? ンだ、この音は……げっ!?」
「クソ仮面男がァ!! 潰れて往生せいやあ!!」
何トンもありそうな大オブジェが斜め45°くらいに傾いたところで、ようやく仮面男がそれに気付く。エクセリアが中指を立てる。お姫様がそういうのやめろよ。
男はイキり調子だった声色を慌てさせて、テレポートを発動させようと唇を動かす。そこへ倒れ込む巨大オブジェ!
「ひええっ……!」
思わず恐怖の悲鳴が口から漏れた。
倒れたオブジェの先端部、ちょうど三日月刀みたいな形状になった部分が俺の喉から横10センチで地面にめり込んでいる。こんなの下手すりゃギロチンだ。
全身の痛みも忘れて青ざめながら像から距離を取った俺は、斧を片手に喜びの舞いを踊るエクセリアに目を向ける。
「やってやったぞザマーミロ! バーカ! おーいアリヤ〜! この私がやったぞ!」
「……あとでお礼と文句言っとかないとな」
呟きながら周りを見回す。あいつは下敷きになったのか?
いや、そんな一筋縄でいく敵じゃなかったようだ。
黒ジャージに仮面の男は倒れたオブジェから少し離れた位置に立って、こちらに目を向けてきている。回避に成功したんだろう。
だが立ち方が少しおかしい。片方の肩に力が入っていないようだ。
(倒れてきた像にぶつかって怪我したのか。微妙に間に合わなかったんだな)
そんなことを考えながら身構える俺に、仮面男が声を向けてくる。
「……テメー、狙いやがったな」
「は?」
「大声を上げて人避けをして、スペースが空くのを見計らって像を倒させたってわけかよ」
「え、いや」
全然そういうわけじゃない。
大声は苦し紛れだし、オブジェ倒壊はエクセリアの暴走だ。
なのだがこいつは妙に勘違いをしているようで、大きく舌打ちを一つ。
「巻き込まれた人間は一人もいねえ。俺は片腕をケガ。計算通りってか? ふざけやがって……」
(否定しといた方がいいのか? いや、でもなあ)
少し迷ってから、策士っぽく表情を作ってみる。
「……だとしたら?」
「チッ」
なーにが、だとしたら? だ。
我ながらハッタリもいい加減にしろと言いたくなるが、今は勘違いでも利用できるなら利用しないと。
二度目の舌打ちをした男は首筋に手を当てて、「シュラだ」と言う。
「シュラ?」
「名前だよ、テメーが聞いたんだろうが。七面會のシュラだ」
やっぱり七面會だった。燃から聞かされた中にあった名前だ。
ようやく名乗ったシュラは怪我した腕を気怠げにゆすると、像が倒壊したことで騒ぎが大きくなっている周囲を見回しながら口を開く。
「今日はここまでだ……次は殺す」
「もう絡まないでくれよ、こっちは平和に過ごしたいだけだ」
「クソが。研究所から実験材料かっさらっといてフカしてんじゃねーよ」
背を向けながらそう言うと、シュラは指をパチンと弾き鳴らした。
「もっとも、テメーがその前にくたばりゃそれまでだけどな」
ズシン、と地面が揺れて、割れた路面から黒い煙が噴き上がった。
「うおおーっ!!」と駆け寄ってきたエクセリアがシュラめがけて斧を振り下ろすが、直撃する寸前に『短移』と声を残して彼はテレポートで姿を消した。
「チィッ! あのジャージ男どこへ消えたぁ!」
「今日はここまでだって。まあ信じずに警戒はしといた方がいいけど、怪我してたみたいだったよ」
「なにぃ〜? フン、そうか。ちょっとしたケガで撤退とは軟弱者め!」
いきりたちながらブンブンと斧を振り回すエクセリア。すっぽ抜けて飛んできそうで怖い。
いや、それより問題はこの黒い煙だ。まるで水道管が破裂して水が吹き出しているみたいに立ち昇る煙に、俺は見覚えがある。
昨夜の研究所で虚鬼だの装甲鬼だのから漂っていたのと同じ色だ。
「ってことは、つまり……」
「——ォ、ォ……ロォオオオオオオッ!!!!!」
「なにィィッ!!? 壊れた像が立ち上がっただと!?」
エクセリアが目を見開いて大声で叫ぶ。ナイスリアクションだ。
なんて言ってる場合じゃなく、倒れてへし曲がった鉄塊になっていたオブジェが黒い煙に包まれて動き出した。
元々前衛芸術だったのがひしゃげたせいで何を模していたのかもよくわからない形状になっているが、あちこちに飛び出た鉄の骨組みのせいでまるで巨大なクモのようにも見える。
これはあれだ、無機物が生命を得て動き出したんだとすれば、ゲームっ子的にはこう呼びたくなる。
「ゴーレムだ! ゴーレム!」
「はしゃぐなアリヤ! 名前なんぞどうでもいいわ! こいつ私に怒ってないか!? 斧で壊したからか!? なんとかしろぉ!」
「って言われても……! と、とりあえず俺の後ろに」
瞬間、翠緑の光が疾った。
俺とエクセリアがその現象を解釈する間もなく、目覚ましい輝きを放ちながら、俺たちとゴーレムとの間に割り込むように小さなビルほどの巨大な鎧が現れた。
白銀の甲冑、ヒロイックなフォルム。涼やかな少女の声が響き渡る。
「被害が出る前に潰そう。いくよ、『銀騎士』!」
真上からの一閃。
豪快に打ち下ろされた甲冑の拳が、今にも暴れようとしていたゴーレムの体を打ち砕いた。
凄まじい一撃に黒い煙は霧消して、ゴーレムは元の動かないオブジェへと戻る。
それと同時に白銀の甲冑も光になって消えて、上からひらりと少女が飛び降りてきた。
ボーイッシュな印象の彼女はコートをなびかせて、俺とエクセリアに春風みたいな笑顔を向ける。
「二人とも、大丈夫だったかな?」
「あ、ああ。一応。えーと……君は?」
「シエナ。シエナ・クラウン。学生だよ」
シエナとの出会いが、俺たちの運命を大きく左右することになる。




