S級クエストバスター
エバン・フリストリーは冒険者としてギルドに登録して3年が経つ。初々しかったあの頃とは違い、良い意味でも悪い意味でも擦れてしまった頃である。
ギルドでは冒険者にはそれぞれランク付けされており、一番下からE、D、C、B、Aとなり、最高ランクがSとなる。エバンはD級である。3年目にしてD級は悪くもないが良くもない。普通よりも少し悪いくらいだろう。3年目くらいになるとC級に上がってもおかしくはない。特別秀でている者はB級になっている者もいる。そういう奴は大抵A級へと上がると相場は決まっている。
何故なら称号持ちの可能性が高いからだ。称号とは神から与えられる祝福と呼ばれている。称号は大抵生まれ持ったものだ。魔法使いという称号を持つものは魔力の量が通常より多かったり、剣士という称号を持つ者は剣の扱いが上手かったりと絶対的に称号に合わせて能力が秀でているのだ。才能という奴だ。称号は努力の末に手に入れることも出来るが、大抵が生まれつきというのがこの世界の常識だ。それに称号を持っている者の方が追加称号を得ることが多い。というか実際そうだ。0から1になった者は限りなく少ないが1から2に増えた者は思った以上に多い。当然といえる。称号があるからこそ努力のしがいがあるのだから。
エバンは当然称号など持っていない。持っていたらとっくにC級だっただろう。
エバンの同期の魔法使いにギルドで一番と言われるパーティに所属している者がいる。当然、S級で称号持ちである。エバンが知っている限りでは生まれつき二つ持っていた。今では三つとか四つとかに増えているという噂がある。また幼馴染も冒険者ではないがジャーナリストで活躍してかなりの地位を得ている。今ではカメラ片手にS級パーティと共に同行することも出来ると自慢された。それらを除いてもエバンの同期はC級やB級などに昇級している。エバンは正直かなり焦っていた。婚期を逃した女冒険者の気持ちに似ているかもしれない。
エバンはこのミードシルクでもかなり目立つ建物の中へ入った。ミードシルクのギルドだ。
ギルドに入るとエバンはギルド内が少しざわついていることに気づいた。ふと、人が集まっている所を見ると納得する。S級クエストバスターパーティ、スレアードがいる為だった。S級パーティにカメラを持ったマスコミが殺到している。S級クエストバスターはメディアにとってはかなり重要な存在だ。魔族、そして、魔物という存在するこの世界で武力を持つ冒険者をまとめるギルドは強大な権力を持っている。商人がこぞって支援しており莫大な報酬を上級バスターに配当している故に冒険者という職業は死と隣り合わせにありながら人気が高い。また魔族、魔物を倒す存在として多くの人間が注目しているが故にメディアの関心が必然的に高くなるのだ。エバンも新聞や雑誌などで冒険者に憧れ、莫大な報酬を夢見て、人気者になり、可愛い女の子にちやほやされることを夢見て冒険者となった。現実はそううまくはいかなかったが。
ふと、S級パーティの一人の赤髪の魔法使いと目が合う。勝気な赤い瞳が特徴的な女だ。黒いローブを纏っており、ローブの隙間からは少し派手だが今時流行ってそうな白のヒラヒラのついたブラウスに青いミニスカートを履いている。
エバンの同期である。魔法使いはすぐに視線を逸らして無視をしてくる。エバンはなんとも言えない気持ちになる。同期の魔法使いになぜかエバンは目の敵にされていた。昔はそうでもなかったのだが、いつからかあんな態度に変わってしまった。
「よぉ、エバン。今日は遅かったな」
同じD級の同期のマイケルだ。当然、称号は持っていない。短髪茶髪のタレ目が印象的な男だ。体つきはエバンと変わらない中肉中背。少しエバンより背が高いくらいだ。
「少し寝坊した。しかし、大賑わいだな」
エバンはS級パーティと群がるメディアを見ながら言う。
「まぁ、S級クエストをクリアしたばかりだからな。火竜を倒したって話らしいぜ」
火竜。魔族が手懐けた最悪な魔物だ。こいつのせいで多くの村が被害にあった。討伐をS級クエストに指定されていた。それを成し遂げたというならばこのメディアの騒ぎようはわかる。最近、新聞や雑誌を見ていなかった。ギルド職員以外と話もしてなかったので、出遅れた感が半端ない。これでもエバンはS級パーティ、スレアードのファンの一人である。ファンになったキッカケは同期の魔法使いが居たからだ。同期の活躍には当然嫉妬もしているが自慢でもあるのだ。昔は同じパーティを組んだこともあるんだぞと酒の席では自慢したこともある。
「誰がとどめをさしたんだ?」
エバンの問いにマイケルはニヤけながら、
「アリサじゃねーよ。残念だったな」
そう言ってくる。エバンは言葉に詰まる。マイケルはエバンが赤髪魔法使いアリサ・フライの大ファンであることは知っている。
マイケルからとどめを刺したのはリーダーであるニコラスだと判明した。エバンはそれでも嬉しかった。アリサの次にニコラスをエバンはリスペクトしているのだ。一番はアリサであるが。
エバンはマイケルと別れて受付へと向かう。受付にはエバンより少し年上の綺麗な受付嬢が居た。いつもはそれなりに行列が出来る程人気の高い受付なのだが、今日はメディアがいる為か空いていた。
「フリストリーさんの今日のクエストはD級でいえばこちらになりますね」
三つ程D級クエストを紹介される。二つはここから結構離れた場所にあるクエストだ。低級魔物討伐クエストでパーティ必須となっている。もう一つは薬草採取だ。
「パーティ必須か……」
「難しいですか?」
エバンは基本ソロである。臨時にパーティを組むことはあるが、基本一人でクエストを受けることが多い。エバンが昇級できない理由の一つでもある。
パーティを組むのが嫌なわけではないが、これといって秀でたものがないエバンは臨時パーティでも気まずい思いをすることが多いのだ。そんなエバンが常時パーティなんて組めるわけもなく、結果ソロのクエストを受けることが多い。
「えっと、因みにこの二つのクエストって何人入っています?」
「両方とも三人入っていますね。こちらが前衛希望、こちらが後衛希望です」
ダメだとエバンは諦める。基本パーティは三人か、四人、もしくは五人で組むものだ。人数が多いほど報酬が減る。そして、当然、後から入ってくる方が募集基準が高くなる。エバンの場合、一人目か二人目辺りでない限り、応募しても断られる可能性が高い。せめて、同期が居たらお情けで一緒に組んでくれるのだが、マイケルはソロクエストと言っていたし、他の同期は姿が見えない。素直に諦めるほかないだろう。
「ソロクエストとなりますとこちらになりますね」
そして、残ったのが薬草採取のクエストだ。隣街のアークウェイの森で薬草採取。薬草採取なんてE級クエストだ。しかも、隣街という時点でおかしい。明らかに地雷だ。だからこそ、こんな簡単なクエストにも関わらず誰も受けていないのだ。
「こちらのクエストはかなりお得となっていますよ。内容は薬草採取ではありますが報酬はD級クエストと同等です。ソロを希望するなら断然こちらのクエストをお勧めします」
いきなり受付嬢が饒舌になっていた。さっきまで事務的だったのに関わらず、今は営業スマイル全開だ。
エバンは迷わず、
「E級クエストってありますか? その中で一番報酬の高いソロクエストを受けようと思います」
そうクエストを拒否した。
しかし、受付嬢も諦めないのか。
「E級クエストでは同じ薬草採取がありますが、しかし、報酬は格段と下がります。隣街へ移動となりますが、断然、このD級クエスト薬草採取をお勧めします。報酬を見て頂ければわかりますが、ほらこんなに違います。絶対こちらがお勧めです」
受付嬢はズズとD級クエストの紙をエバンの方へ押し出してくる。そして、エバンの要求したE級クエストの紙を窓越しにエバンが絶対届かないようにカウンターの奥へと追いやる。
「俺としてはそっちのE級クエストが気になるんです……けど」
エバンは窓口から手を突っ込んでE級クエストの紙を取ろうとする。
「フリストリーさん、窓口に手を突っ込まないでください。警備員を呼びますよ。セクハラで訴えますよ」
伸ばしたエバンの手を掴んで必死にE級クエストの紙を取らせないようにする受付嬢。
結局、エバンは諦めることにした。まず手が届かないし、何度言ってもE級クエストを見せてくれる気配が無い。この受付嬢は人気が高いのでセクハラで訴えられると色々と危険だ。明らかに理不尽な気もするが、他の職員も見て見ぬ振りをしている時点でこの横暴な対応を黙認しているのだろう。ギルド側はなにがなんでもこのクエストを処理したいようだ。
「それで、なんで薬草採取っていうE級クエストがD級になっているんですか?」
「受けてくれるんですか? 受けてくれるんですね」
受付嬢の顔がキラキラと輝いていた。それは安堵の表情だ。やっと厄介ごとから解放されるという顔だった。
なぜこの受付嬢の受付に人が並んでいない理由をエバンは理解した。メディアの所為だと思っていたが、明らかにこのクエストの所為だ。
「受けるかどうかは別としてですね。なんでかって話を」
「お願いします。フリストリーさん、受けてください」
受付嬢に涙目で懇願されてしまった。エバンは言葉に詰まる。明らかに地雷だ。この対応を見れば当然だ。受けてはいけない絶対受けてはならない。
「わかりました」
「ありがとうございます!」
なにをやっているのか。エバンは受付嬢に手を握られた。いつもなら嬉しいはずが、今は全く嬉しくなかった。
受けてしまった以上は仕方ない。エバンはなぜD級クエストなのか尋ねた。受けた以上は話さないといけないと思ったのか受付嬢は言いにくそうに話し出す。
「この薬草採取の場所なんですが、B級クエストと被っているんですよね」
「えっと……つまり」
「はい。大型の魔物が出る可能性があります」
ようやく納得した。薬草採取クエストなんて楽なクエストが隣街までたらい回しされ挙句、D級クエストになってしまった理由。
当初はアークウェイでE級クエストで依頼されたのだろう。しかし、B級クエストと場所が被ってしまい、D級へと昇級。それでも依頼を受けてくれる冒険者が見つからず、C級へ昇級とはならず、こちらへ回ってきた。それはそうだろう。薬草採取でC級クエストの報酬を支払うのは依頼人からすると無理な話だ。たらい回しにされた依頼は当然訳ありだと皆が察知して敬遠した。
受付嬢は申し訳なさそうな顔をしていたので苦笑いを返しておく。そんな顔するくらいなら最初から強引に勧めてくるなと言いたい。受けてしまったものは仕方ない。受付嬢から詳細の情報を得てから受付から離れ、広場の長椅子に座った。
「はぁ」
思わずため息が出る。なぜ自分がこんな貧乏くじを引かなければならないのかと憂鬱になっていると、声をかけられる。
「そこの冒険者さん、なにため息をついてるんですか?」
声のする方を見ると、そこには栗色のショートカットヘアーの少女が立っていた。茶色のズボンに、白のカッターに薄緑の上着を着ていた。首にはカメラの紐がかけられていて、両手には高級そうなカメラを持っていた。
パシリと写真を撮られる。
「撮るなよ」
「一枚無駄にしてしまった。これから一杯撮らないといけないのに」
「だったら撮るなよ」
嫌味を言ってきた少女にイラっとする。少女はエバンのすぐ隣に座る。
この少女はエバンの幼馴染である。名前はエイミー・ブラック。記者という称号を持っている。夢はS級クエストバスターと結婚すること。その為に一流のジャーナリストになってS級クエストバスターのお近づきになるのが目標らしい。その目標は最近達成されたらしいが。S級クエストバスターパーティの同行を許され独占取材することが出来たと自慢されたのだ。実際、この新聞を見てみると確かにエイミーの名前が載ったS級クエストバスターパーティの独占記事が載っていた。最近、エイミーの名前の記事がかなり載っている。任されているところも注目されるようなところばかりになっている。
「それで何のクエストを受けるんですか?」
「……別になんだっていいだろ」
薬草採取なんてこいつの前では恥ずかしくて言えたものではない。
「取材なんだからちゃんと答えてよ」
からかうようにエイミーはそう言ってくる。絶対記事にはしないくせによく言う。
「……薬草採取」
「え? よく聞こえません」
「薬草採取だよ!」
エバンはヤケクソになってそう言った。聞こえないフリまでしやがって。
エイミーはニヤニヤと笑いながら、
「知ってましたー。フレディさん困ってたのに、さっき機嫌良さそうだったし」
エバンはイライラを必死に抑える。どうやらエイミーはたらい回しになっているクエストの存在を知っていたようだ。
「それにフレディさんと手を握ってたし。いやらしい」
エイミーは若干軽蔑したような目でエバンを見てくる。
「あのな……あれは向こうが勝手に。それにあんな貧乏くじ引かされたんじゃ全然嬉しくない」
エバンは脱力するようにそう答えた。エバンの表情はやるせない顔になっているだろう。そんなエバンの顔を見たエイミーは「ふーん」と頷いた後、
「本当かな〜」
嬉しそうにニヤニヤと問いかけてくる。
エバンは鬱陶しくなり「本当だ」と言ってエイミーから顔を逸らす。エバンをからかえなかったエイミーの不満そうな「ちぇっー」という声を聞いてしばらく沈黙する。
「てか、なんでお前がここにいるんだよ」
沈黙を破ったのはエバンだった。
「それ聞く? スレアードの取材に決まってるでしょ」
呆れた顔でエイミーがそう言う。それはエバンもわかっている。だから、なぜあのメディアの集まりにおらずこんな広場でしかも何の役にもならないD級クエストバスターの隣になんかにいるのか疑問だったのだ。
「行かなくていいのかよ。取材」
エバンはそう言うと、エイミーはむっとした顔になり、
「言われなくても行きますよーだ」
と立ち上がる。そして、
「誰かさんにはもっと名声上げてほしいよね、D級バスターさん」
と、べーっと舌を出し嫌味を言ってスレアードの元へ去っていった。
エバンは腹が立ったが言い返せなかった。幼馴染特権で独占取材させてねと言われる度に心苦しい思いをしているのだから。
エバンはギルドを後にして、自宅へと戻ることにした。
薬草採取だけならば大した装備は必要ないかもしれないが、大型の魔物が出ると聞いた以上、それなりの準備をしておいた方が無難だろう。とりあえず疲労回復用のポーションと止血用の清潔な布、また傷口を塞ぐ軟膏をリュックに入れる。軟膏はあまり使用したくはない。ポーションとは違い、高級な素材が使われ即効で傷口を塞ぐ為、かなり高額だったのだ。エバンの半年分の稼ぎに相当する。冒険者にとってこの軟膏は必須だ。動けない傷が出来た時、待っているのは死だ。その死を防ぐ為にこの軟膏が重要になるのだ。実際、パーティを組んだ場合、軟膏だけは絶対に個人使用以外は認めないことになっている。常時パーティでもかなりシビアだと聞いたことがある。もし盗んだり、勝手に使用した場合、二度とパーティを組めなくなる可能性が高い。実際、何人もの冒険者が冒険者をやめざる追えない状況になったところを見たことがある。低級バスターでは軟膏は絶対的存在だ。高級バスターだと魔法で傷を塞いだりして別らしいが。
準備を終えると馬車の手続きをする為、ミードシルクの入り口へと向かう。
門の近くでは馬車の貸し出す場所があり、エバンはそこでアークウェイ行きの荷馬車を探す。個人で馬車を頼むとそれなりに高額になるので荷馬車でついでに運ぶというサービスの方を選ぶ。冒険者だと言えば料金が多少引かれることもある。今は冒険者の利用者も多いので引かれないことのが多いが。
アークウェイ行きの荷馬車の商人に頼み、了承を得る。商品があるので壊さないように気をつけてほしいと言われる。それは当然だ。盗んだりするなんてもっともだ。壊した場合は弁償すれば問題無いが、盗めば二度と荷馬車を利用できなくなる。ギルドもだ。行商人が冒険者を荷馬車に乗せるのはギルドという信用があるからだ。でなければ荒くれ者の多い冒険者を乗せるわけがない。当然、盗みを働いた場合、警察に捕まり留置所に送り、出てきてもギルドからは追放されて二度と冒険者になることが出来ない。そうなると稼ぐ術がなくなり結果、また犯罪を犯すしかなくなる。最近は見直されて元犯罪者でもギルド登録できるようにはなってきてはいる。ただし、制限はされるらしいが。
荷馬車に乗り、快適とは言えない旅をしてアークウェイに到着する。
エバンはとりあえず依頼人のポーション屋を確認することにした。アークウェイはミードシルクよりも小さな街だ。ギルドの大きさから考えてもそうだ。だから、すぐにポーション屋を見つけることが出来た。ポーション屋に入って依頼を確認するべきなのかもしれないが、依頼内容を見る限りでは詳細的なものはないように思える。森に入り薬草を採取する。それだけだ。採取場所は結構奥になると予想する。近くならアークウェイの冒険者も受けていただろう。
エバンはポーション屋を後にして森の中へと入ることにする。魔物の存在は十分注意しつつ、薬草を探す。薬草採取なんてやりつくしたが、最初の頃は雑草と見分けがつかず苦労したものだ。今では間違うことはないが、報酬的に割りに合わないので積極的にやろうとは思わない。D級の報酬なら逆に多すぎるぐらいなのだが。
二時間くらいだろうか。薬草入れるカゴの中もたいぶ溜まってきた。依頼内容の規定より多く取れているだろう。少し多めに取るのは品質が悪かった場合の対策だ。そろそろ採取を終えて戻ることにする。
依頼人のいるポーション屋に着くと、中へと入る。中は様々なポーションが棚に並んでおり、受付には老婆が座っていた。依頼人はこの人だろう。
「ミードシルクの冒険者の者です。クエスト依頼を達成したのでこちらに参りました」
エバンは受付の老婆にそう言って近づく。そして、籠をカウンターに置き、クエストの依頼書を見せる。
「あんたが引受人かい。確かにあたしが頼んだ依頼だね。ちょっと確認させてもらうよ」
老婆はそう言って籠を漁り始める。しばらくした後だった。
「ちょっとあんた、ネグミ草が入ってないけどどこにあるんだね」
「ネグミ草? 俺は薬草だけとギルドから聞いてましたけど。ほら、依頼書にも」
老婆の言葉にエバンはそう答えて依頼書を見せる。老婆は依頼書を引っ手繰ると依頼書を確認する。
「どういうことだね、あたしはネグミ草も頼んだはずだよ」
「と、言われても。俺はこの依頼書をもらって受けただけですから」
手違いという奴だろう。何度も発行し直した所為で依頼内容が抜けてしまったのかもしれない。
「これじゃ、クエストクリアの証明はできないよ」
「え……困りますよ」
こんなところまで来て二時間も使って薬草採取して報酬無しは洒落にならない。
「こっちだって困るさね。E級クエストで依頼出来るものをD級クエストで依頼することになったんだからね。報酬分はしっかり働いてもらわないと割りに合わないよ」
確かに老婆の意見はもっともだ。これはギルド側の手違いだ。たらい回しにした結果だろう。このまま拗れて報酬無しは困るのでエバンは再度森へ行ってネグミ草を手に入れよう。戻ったらギルドに抗議してやろう。いつもならエバンも目くじら立てることはしないが、今回は向こうが半ば強制的に受けさせたクエストだ。こっちに言い分がある。めい一杯ゴネて追加報酬を頂いてやる。
「わかりました。再度、ネグミ草を取りに行きます。ただ先に昼食を取りたいので森へ入るのは昼過ぎてからになります」
「採取してくれるんならなんでもいいさね。でも、なるべく早くしてほしいね。こっちもかなり待たされているから。それと、忠告しておくけど、暗くなる前に済ました方が無難だよ。聞いてると思うけど今は森に大型の魔物がいるからね」
「ええ、知っています。ご忠告ありがとうございます」
礼を言ってエバンはポーション屋を後にした。
二度手間になるが仕方ない。とりあえず酒場か飯屋に行って昼食を取ろう。ここからならば酒屋の方が近いので酒屋へ行くことにする。
酒屋でカウンター席でエバンは軽い昼食を頼み、食事を済ます。
「ミードシルクの方ですか?」
店の主人がそう尋ねてきた。
なぜわかったのだろうかと思ったら、エバンのギルドマークの布バッチをつけていることに思い出した。
布バッチにはギルドマークと階級が載っている。エバンのにはDという文字が描かれている。
「はい、こちらで依頼を受けまして。ちょっと森の方へ」
「森ですか。今は少し危険だと聞いていますよ」
エバンの話を聞いて主人がこちらを見て言ってくる。
「大型の魔物が出るって話ですよね」
「知っているんですね」
どうやら心配してくれたようだ。良い主人だなとエバンは思う。
「良かったです。知らないままだと危険ですからね。死人が出てるみたいですから」
「死人が出ているんですか?」
それはエバンも初耳だった。
「ええ、一つの冒険者パーティが全滅したという話ですよ。だから、ミードシルクのS級クエストバスターを雇ったという話ですが、そちらでは噂になっていませんか?」
主人はそう尋ねてくる。S級クエストバスターといえばスレアードの事だろう。アリサたちもこっちに来るのか。
「俺の耳には入っていませんでしたね」
一つのパーティが全滅。そんな危険な魔物が居る森にまた戻らなければならないとは億劫になる。
「そうですか。今日、S級クエストバスターが来るとの噂ですので、彼らが仕事を終えた後の方が安全だと思いますよ」
主人はそうエバンに忠告してくれる。本当に良い主人だと思う。またこちらに来る機会があったら贔屓にさせてもらおう。
「そうしたいのは山々ですけど、期限は今日中なんですよね。それに暗くなると流石に支障が出ますし」
「そうですか。ならくれぐれも気をつけて」
「ありがとうございます」
エバンは礼を言う。
食事を済まそうとした時、扉が開く。新たな客が入ってきたようだ。それだけなら珍しくもないが、急に酒場が騒がしくなる。エバンは気になり入ってきた客の方を見た。そして、目を見開く。
噂をすればなんとやら。S級クエストバスターパーティ、スレアードが酒場に入ってきたのだ。当然、リーダーのニコラスとエバンの同期の魔法使いであるアリサ・フライも居る。スレアードは空いたテーブル席に着く。
女店員たちがきゃぴきゃぴと騒ぎながら注文を伺いに行っている。さらにはサインすら求める始末だ。アークウェイの冒険者たちもスレアードのことを知っているのか大きな注目を集めていた。
エバンは少し気まずくなる。エバンはスレアードの大ファンではあるし、女店員と一緒にサインを求めたい気持ちもある。だが、アリサに好かれていないのも自覚している。だから、あまり顔を合わせたくない。エバンは食事を済ますと主人に礼を言って酒場からこっそり出ようとする。顔は俯いてコソコソと扉へと向かう。皆、スレアードに注目しているし、スレアードもいちいち他の客なんて気にしないだろう。
「エバン・フリストリー?」
ビクッとエバンは立ち止まる。
このまますぐに出れば良かったのになぜか足が動かない。
椅子の引く音が聞こえて、こっちに歩いてくる足音が聞こえる。
「やっぱりエバンじゃない」
顔を上げるとそこには赤髪の魔法使いが居た。勝気な赤い瞳に釣り下がった不満そうな口元。怒っているがつい人目を引くような綺麗な顔立ちだ。黒いローブを纏い、ローブの下には軽装の鎧を着ていた。下も鼠色のズボンを履いている。さっき見たような可愛らしい服装ではなかった。やはりあの姿はメディア、スポンサー用だったのだろう。
エバンはとっさに何も答えることができない。
「なんでD級のあんたがこんなところにいるの?」
アリサは不審そうな顔でこっちを見てくる。
皆の注目が集まってエバンは緊張してくるのが分かった。
「えっと、こっちに依頼があったんだよ」
早く話を切り上げてこの場から逃げ出したい。
「ふーん、見た限り相変わらずのぼっちみたいね」
あざ笑うようにエバンを見て、
「て事は討伐ってことじゃないんでしょうけど、なんの依頼よ」
じっとアリサは見てくる。いつも無視なのにヤケに絡んで来る。
答えたくない。答えるときっとバカにされるから。
しかし、アリサは答えるまで逃す気がないのかエバンの返答を待っている。
「……薬草採取」
エバンはそう答える。
「薬草採取?」
気を抜けたような声を出すアリサ。予想外の返答だったらしい。
「ぷっ……あんたD級にもなってまだ薬草採取なんてしているわけ?」
アリサはおかしいのかそう嘲笑う。
正直、顔が熱くなる。怒りもあるが、恥ずかしいという気持ちが強い。
アリサには知られたくなかった。
「アリサ、やめろ。皆見てるぞ」
間に入ってくるのは金髪の青年だった。剣士なのか腰には高級そうな剣をつけている。また鎧を装備していた。
スレアードのリーダーニコラスだ。整った容姿で男のエバンすら見惚れてしまうほどの美青年だ。
「すまない」
「あ、いえ」
S級クエストバスターのニコラスがエバンに頭を下げてくる。思わずエバンは手を振って大丈夫であることを示す。
「えっと、エバンくんだったね」
まさかニコラスがエバンの名前を知っているとは思わず感激する。
ふと、ニコラスの背後のパーティが見える。大柄な男のカルロスと小柄で前衛のイヴ。そして、後衛のドロシーがいた。カルロスは何故かこっちを睨んでおり、ドロシーはニヤニヤとした顔でこっちを見ていた。イヴは興味なさそうに水を飲んでいる。
「は、はい」
「無礼を謝罪するよ。アリサも顔見知りがいて気になっただけだから気を悪くしないで欲しい」
「はい」
ニコラスにそう言われるとエバンは何も言えなかった。
アリサは不満げにこちらから視線を逸らしている。
「じゃあ、すみません。依頼があるので」
「うん、気をつけて」
ニコラスは笑顔でそうエバンを送り出してくれる。エバンは感激しながら酒場を出た。
ニコラス様最高。
エバンはさっさとクエストをクリアして帰ろうと、森の中へ向かう。森には大型の魔物、しかも死人が出た。十分に警戒しながら薬草採取をしなければならない。
先ほどは警戒はしていたものの、気を許せている部分もあったが、今は完全に気を張っている。
草木の揺れる音や野鳥の声がヤケに大きく聞こえた。
魔物に警戒するばかりで薬草を探すのに集中出来ない。
エバンは深呼吸する。大丈夫だ。大型の魔物に遭遇しても戦わず逃げれば問題ない。逃げることに専念すれば逃げ切ることはできるはずだ。S級クエストバスターパーティ、スレアードも動き出しているはずだし、そこまで心配する必要もない。
それに魔物は森から出ることは滅多にない。出て人里に降りた場合、大抵冒険者たちに駆除されるからだ。アークウェイにも小さいながらもギルドが存在し、冒険者もそれなりに居る。数で押せばA級に近いB級の魔物でも倒すことができる。
薬草はなかなか見つからない。更に奥へ行かなければいけないのかもしれない。
木々の隙間は闇が広がっている。そこから大型の魔物が現れる妄想にかられるが、振り払う。
膝まで生えた雑草を踏み荒らしながら先へと進む。
木々のない広場に出る。そして、そこにエバンの目的のものを見つけた。
薬草が広場一杯に生えている場所だった。
「やった」
高揚とした気分でエバンは薬草を採取する。
危険は伴うが、これでD級クエストの報酬を得ることができるのだからボロいクエストだ。大型の魔物様様だ。
それにクエストの内容以上の量を取ることが出来た。クエスト以外で売却すればそれなりの金額になるだろう。
エバンはうきうきな気持ちにで薬草採取に励んでいた時だった。
「きゃああああああ」
森の奥から悲鳴が聞こえた。女の悲鳴だ。エバンは最初魔物の雄叫びかと思ったが、明らかに人間の声だった。
森の中に民間人が入ったのか。エバンは舌打ちをする。アークウェイのギルドはなにをやっているのか。立ち入り禁止を伝えておくべきだろう。それにスレアードものんびり酒場に来るよりもさっさと魔物を退治するべきだろうと憤りを覚える。
エバンはどうするか葛藤する。このままエバンが向かったところでなにができるとは思えない。B級クエストの大型の魔物を倒す術をエバンは持っていない。しかし、このまま逃げるのも目覚めが悪い。震える体を鞭を打ちゆっくりと奥へと進む。
助けられるならば助けるつもりだ。しかし、無理なら逃げるつもりだった。こんな危険な時に森に入るのが悪い。
奥に進むと人影を発見する。そして、エバンは驚愕する。
「な、なんで」
そこに倒れていたのは血だらけのS級バスターだった。そこにはエバンがよく知る赤髪の魔法使いも倒れている。
そんな中、一人立っている存在が居た。異様な姿。圧倒的存在感。黒のローブに浅黒いの肌、頭には角が生え、鋭い赤い瞳が怪しく光っている。魔族だ。
魔族の手には短剣が握られている。ただの短剣ではない。まるで三日月のような形をした刀身が黒の不気味なものだった。
魔族はゆっくりとこちらに視線を寄越す。そして、目があった。
「ひっ」
エバンは全身に鳥肌が立つのがわかった。
後退りする。なんでこんなところに魔族が。大型の魔物ではなかったのか。頭が真っ白になる。ただ一つだけわかるのは逃げないといけないということ。逃げないとどうなるのか。どうなるのかなんて分かりきっている。
S級クエストバスターが血だらけで倒れている。D級のエバンが逆立ちしても敵わない彼らがたった一人の魔族によって全滅させられている。その事実が敵対した場合のエバンの未来の光景が明らかになっている。
逃げないと死ぬ。
エバンは踵を返して走り出す。草が足に絡まろうが、枝が腕に引っかかり切り傷が出来ようが関係ない。
とにかく逃げなければならない。
出来るだけ遠くに、もっと奥に離れる為に足を動かす。
日差しが差し込む先が見える。もうすぐこの森を抜けられる。
そう思うと棒になりかけた足が早くなった。
森を抜けられると思った時だった。
エバンは全身をなにかに打つけて尻餅をつく。何かに顔面を強打した強烈な鼻の痛みに戸惑いつつ、手で自身を拒んだ場所に手を伸ばす。そこには壁が出来ていた。ガラスのように透き通った壁。エバンは必死に壁を叩くがビクともしない。
草木を踏みしめる音が聞こえる。エバンは血の気が引く。ゆっくりと振り返ると、そこにはエバンよりも背が高く二メートルくらいある男が立っていた。
黒いローブに浅黒い肌、魔族の特徴である角が二本生えている。真っ赤な鋭い目がエバンを捉えている。その威圧感にエバンは恐怖で尻餅をつく。身体が思うように動かない。エバンは諦めの境地に居た。殺される。そう思った。脳裏にカメラを持った少女と赤髪の魔法使いの姿が浮かぶ。こんなことなら言っておけば良かった。覚悟を決めて目を瞑った時だった。
「D級か」
エバンは目を開ける。魔族はそう見下すように嗤っていた。魔族の赤い瞳はエバンの紋章バッチを捉えていた。
「すぐ死んでも面白くない」
魔族はエバンに語りかける。
「ゲームをしよう」
嗜虐の籠った笑みで魔族は提案してくる。
「ゲ、ゲーム?」
エバンは震える声で返す。この魔族はなにをしようというのか。エバンには理解出来なかった。
魔族は持っていた三日月の形をした刀身が真っ黒の短剣を投げて寄越す。短剣はエバンのすぐ近くの地面に刺さった。
「そうだ。鬼ごっこをしよう。今から1分時間を与えてやるからこの場から逃げろ。この広い森の中で5分間逃げ切ればお前の勝ち。見逃してやろう。だが、お前が死ねばお前の負けだ。シンプルだろう。またそこにある短剣は魔剣だが、その剣で私を殺すことが出来てもお前の勝ちだ。不可能であろうがな」
魔族は無様に尻餅をついているエバンを嘲笑しながらそう告げた。
エバンは震える足を拳で叩き恐怖を打ち消す。
そして、立ち上がると走り出す。当然目指す先はアークウェイだ。アークウェイに逃げることが出来ればギルドが存在する。当然冒険者が何十人と居る。彼らが居ればこの魔族とも対抗出来るかもしれない。そう希望と抱いて森の外へと脱出しようとした時だった。
またも全身を強打する。まるで見えない壁にぶつかったような衝撃。エバンは手でその透明な壁を確かめる。先程もエバンの行く先を塞いだものと同じだ。
魔族の嘲笑が背後から響く。やはりあの魔族の仕業であるとエバンは理解する。
「街に逃げることは当然禁止だ。森の中で無様に逃げ回るといい」
魔族は嗤いながらエバンを絶望に叩き落とす。
逃げられない。奴の言う通り5分間逃げ切るしかない。身体全身に脂汗が吹き出ているのがわかる。
恐怖で頭がおかしくなりそうだ。こんなクエスト受けるんじゃなかった。今更ながら後悔している。
「いいのか? もう時間は数え始めているぞ」
魔族はエバンの嗜虐の籠った目で見て告げた。
エバンはそこでハッとなり、走り出そうとする。その時、魔族が放った短剣が目に入った。
エバンはその短剣を引き抜くと森の奥へと走り出す。
なるべく遠くに、この魔族に少しでも離れる為にエバンは必死に足を動かした。
何を目的としているわけでもなくただただ森の奥へ目指す。
既に1分は過ぎているだろう。約束を守っているのならば動き出していることになる。
エバンは焦燥に駆られて乳酸が溜まってもたつきそうになる足に鞭を打つ。
ここで捕まれば間違いなく殺される。エバンの脳裏にはS級バスターたちの悲惨な状況が浮かび上がる。
息が切れた。足が木の根っこに引っかかり、地面に倒れそうになるがなんとか体勢を整える。
これ以上逃げるのは無理だ。1分とはいえかなり最初の場所から引き離した。この広い森の中でエバンを見つけるのは困難のはずだ。動き回って見つかるより、身を隠して嵐が過ぎさる方が得策かもしれない。
エバンは巨大な木を盾にして少し休息する。心臓がバクバクと鼓動している。一向に緊張が治らない。5分逃げ切ればエバンの勝ちだと言っていた。今は2分、もしくは3分くらいは経っているかもしれない。正確な時間が分からないのがもどかしい。時計を持って来れば良かったと後悔する。だが、ここに隠れていれば後3分はどうにかなるはずだ。この広い森で探し回る方が難しい。
エバンのそんな楽観的な考えを打ち壊すように草が踏みしめるような音が聞こえる。
エバンは困惑する。なぜこんな広い森でピンポイントにエバンの居場所へと向かってくるのか。
それでもここに身を隠していればどうにかなるはずだ。エバンは両手を口元に持って行き息を殺す。
「いいのか? 逃げなくて」
エバンは血の気が引く。魔族はエバンの居場所が分かっているのだ。
エバンは考えることを放棄して走り出す。とにかく魔族から距離を取る為だけに前へ進む。
先程まで足が痛いという感覚があったのに今はアドレナリンが出ているのかなにも感じない。
ただ必死に時間が過ぎるのを祈って疾走する。
どう逃げたかわからないが、エバンは元の場所へ戻っていた。
S級バスターは血だらけになっており、生きているのか死んでいるのかも分からない。
尊敬していたニコラスも頭から血を流している。そして、エバンと同期で元同じパーティーを組んでいた赤髪の少女もうつ伏せに倒れている。
逃げきれなければエバンも彼らと同じようになるだろう。
全身に怖気が走り、すぐに逃げようとした時だった。
「ま……って」
倒れていたアリサが顔を上げながら声を振り絞っていた。
生きていたのか。エバンは嬉しさが込み上げる。
エバンはアリサの元に駆け寄った。大丈夫かと声をかけようとした時、
「こ……れ」
アリサは小瓶を渡してくる。中には透明の液体が入っていた。
「え? これは」
いきなり差し出された小瓶にエバンは戸惑う。
「あいつ……に……ぶつけて」
そう言ってアリサは震える手でエバンに小瓶を差し出す。
エバンはそれを受け取ると、アリサは力が抜けたように小瓶から手を離し意識を失う。
「おい! アリサ!」
エバンはそう声をかけるが、アリサは返事をすることはなかった。
「余裕だな、D級」
拡散するような声が森の奥から聞こえる。
エバンは追われていることを思い出したように走り出す。既に身体はボロボロだった。呼吸も乱れて、足ももたついている。このまま追いつかれるのも時間の問題だ。今は何分なのか。後どれくらい逃げ切ればいいのか。
「鬼ごっこはおしまいだ」
背後からそんな声が聞こえた。
全身に鳥肌が立つのがわかる。振り返ると魔族が嘲笑うようにこちらを見ていた。
魔族は右手を前に突き出して迫ってくる。エバンは咄嗟に短剣でガードするも、勢いを殺せず吹き飛ばされる。体勢を崩したがなんとか立ち上がると、エバンは踵を返して逃げ出す。
勝てるわけがない。S級を倒した魔族にD級がどうやっても戦えるわけがない。
「いいぞ、最後まで足掻け」
魔族は嬉しそうにこちらへと歩いてくる。
残り1分は過ぎているはずだ。こんなにも時間が長く感じるなんて始めてだ。死にたくない。死にたくない。エバンは無様に必死に逃げる。
残り十数秒。もう逃げきれたはずだ。ここまでくれば逃げきれた。
そう思った刹那、地面から青紫の手がエバンの足を掴んだ。
「え? な、なんだよ、これ!」
その手はエバンを逃さないようにしていた。
魔族は嗤いながらこちらへと向かってくる。そして、エバンに追いついた。
「実に惜しかったな」
魔族は恐怖に染まるエバンの顔を見ながら嗜虐に告げる。
「残り20秒だ」
魔族はエバンの首を掴む。そして、持ち上げてくる。
息が苦しい。意識を失いそうになる。徐々に手の力が強くなり、エバンの首を握りつぶそうとした。
エバンは苦痛の叫びをあげながら、先程魔法使いの女に貰った小瓶を魔族の頭に叩きつける。
液体は魔族の頭に降りかかった。
「ぐぁああ!」
魔族は悲鳴を上げる。魔族の頭から煙が出ていた。顔は焼け爛れている。
「この人間風情がっ!」
魔族はこちらを激昂して睨みつけ、エバンを殺しにかかる。
エバンは動揺しながらも持っていた魔剣で魔族の腹部を刺し貫く。
魔族は苦痛の表情を浮かべるが、右手でエバンの肩を掴み握り潰してくる。
「あぁぐああああ!」
エバンの左肩が骨ごと潰されている事に悲鳴を上げる。
殺される。エバンは死を覚悟した時だった。
魔剣からまるで植物のツルが生えるように魔族を拘束していく。
「糞っ、この私が、こんな人間、しかもD級なんかにーー」
魔族は植物のツルに覆われて全身を巻き付かれて絞め殺された。
エバンは荒い息でその光景を見つめる。魔族が死んだ。助かったのだと実感した。
その後、エバンは街へと戻りS級バスターたちのことを報告。すぐに救護班が向かい、治療を受けることとなった。幸いにも死亡者はいないとの事。エバンは安堵した。エバンも左肩を完全に破壊されている為、治療を受けることとなった。砕けた骨は魔法によって元に戻された。後遺症は残らずに済みそうだ。医者からはしばらくは治療に専念しなければ腕が動かなくなると忠告されたので、長期療養の為、冒険者稼業は今は中断するしかない。そして、魔族の遺体はギルドによって回収された。
魔法で肩の骨を直してもらった頃、ギルドから報せが届いた。
どうやらエバンは表彰されるらしい。D級でありながらS級クエストの魔族を倒したことで昇級するとのことだ。なぜか特別ランクという見たこともない前置きもあったが気にしないことにする。
医者からは表彰に出ることの許可は貰えた。もっともあまり乗り気ではなかったが、ギルドの要請だからか渋々許可したようだ。
エバンは病院で支度を整えるとギルドへ向かった。
普段あまり着ないような高級な見栄え重視の装備に着替えた。勿論、レンタルである。一応、フードを被っておく。スレアードなどを見ていると報道陣に囲まれて窮屈そうにしている所を何度も見ているからだ。今回の主役は自分であるとエバンは十分理解している。少しだけ自意識過剰かもしれないが。
エバンの想像通りギルドには報道陣が集まっており、そこにはエバンの幼馴染のジャーナリストのエイミーもそこに居た。エイミーはエバンに気づくと手を上げてくる。そして、カメラを両手で持ちパシリと写真を撮る。
エバンも軽く手を上げてギルドの中へ向かう。D級のエバンなど他の報道陣は気にもしたこともないだろうから、素通り出来た。他の冒険者も魔族を倒したという事で興味があるのか、今日の表彰式に結構来ていた。
何度か知り合いに目が合うが、表彰式の混乱にならないように気を使ってか声はかけてこなかった。
ギルド職員はエバンを見つけると、ギルドの奥へ行くよう促してきた。
エバンはギルド職員に従い、ギルドの奥の部屋へと入る。そこにはギルド長がおり、エバンを歓迎していた。ギルド長によるとギルド長から昇級式として表彰を受けるとの事。その後、取材陣の質問を受けることになると告げられた。
エバンは緊張しながらも表彰台の上に上がる。そして、ギルド長から賞状を受け取り、C級に昇級した事を告げられた。
そして、取材陣の質問を受け付ける。その場には幼馴染のエイミーも居た。
「では、これからお時間ありますか、もう少し詳しく聞かせて貰いたいのですが?」
会見を終えた後、そうマスコミが声をかけてきた。
他の取材陣もエバンに声をかけたそうにしていたのでエバンは冷や汗をかく。
そんな中、エイミーも声をかけようとしていたが周りに押されて後ろに追いやられていた。
「すみません。先約があったので」
エバンはそう言って掻き分けてエイミーの所へ行く。
エイミーは驚いた顔をしていた。どういう事? って顔をしていた。
「お前が言ったんだろ。独占取材させろって」
エバンがそう言うとエイミーは戸惑った顔をした後、俯いて「バカ」と呟いた。
受付嬢からエバンはS級クエストの報酬を受け取る。
全額受け取っていいのかと疑問に思い問うと、スレアードからエバンに全て渡して欲しいとの事だ。本来、依頼を受けていないので報酬を受け取ることは難しいのだが、今回は特別だと言われた。
またあの短剣ーー魔剣はギルドが預かることとなった。
エバンとしてもあのような危険な魔剣持ちたくなかったのでほっとした。
エバンは報酬を受け取り、ギルドを後にしようとした。
その時、入り口で壁に寄りかかるように待つ魔法使いの女に気づいた。
エバンは少しだけ緊張しながら、入り口を通り過ぎようとした時だった。
「認めたわけじゃないから」
エバンが横に来た時、そう赤髪の魔法使いが告げる。視線は床に向いていたが、悔しそうな顔をしていた。
「それはわかってる」
エバンは肯定する。今回は運が良かった。エバンの実力ではないことは自分自身が一番わかっていた。
「運が良かっただけだって」
エバンが素直にそう言うと、アリサは顔を上げて意外そうに驚いた顔をしていた。エバンがS級のスリアードが倒せなかった魔族を倒して有頂天になっていると思っていたのかもしれない。
エバンもそれで天狗になる程、馬鹿ではない。魔族が油断していた事。魔剣が一撃必殺の能力を秘めていた事。そして、なにより、
「アリサがくれたあの液体のお陰でなんとかなった。ありがとう」
あれが無ければ魔剣で一撃を与えることなど不可能だっただろう。
エバンの礼にアリサは戸惑ったような顔をしたがすぐに面白くなさそうに顔をしかめてその場を去っていく。
リハビリの間にこの報酬が尽きることもないであろうが、いつなにがあるか分からない職だ。
腕が治った後はまた新たなクエストを受けよう。
エバンは少し笑って病院へと戻る為にギルドを後にした。