中編
一月程経ったある日の王妃とのお茶会で、アイリスは彼女に心を見透かされているかのようなことを言われ、驚いた。
「あの子とはどう? 上手くいっているかしら?」
「は、い……」
王妃の質問に、アイリスは顔に薄らと笑みを貼付けて、弱々しく肯定する。
「無理しなくて良いのよ? 一緒にいると疲れるでしょう?」
「そのようなことは……」
「我が子ながら、あの作り物めいた顔を見ていると、苦いものが込み上げて来るのよ。そうしてしまったのが、私達だと思い知らされてね」
「王妃様……」
「でも、貴方が来てから少し変わったように思うの。表情が以前よりも柔らかくなったと言うか、だらしなくなったと言うか」
「そうでしょうか?」
「ふふ。貴方の前だと、格好をつけているのかしら? 兎に角、貴方は無理せず、あの子と接してくれれば良いから。ずっと緊張していると疲れるでしょう? あの子の前だと緊張するようなら、せめて私には、本当の母親に接するように接してちょうだい。私は、息子ばっかりで娘が居ないから、貴方が娘になってくれたら嬉しいわ」
王妃はそう言って、花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。
「お気遣い、ありがとうございます」
「ふふ。追い追いで良いけれど、もっと砕けた言葉で話してくれると嬉しいわ」
「はい……」
その後も和やかな雰囲気で歓談し、先に席を立った王妃を見送ったアイリスの許に、招かれざる客が遣って来た。
「流石、噂の王女の娘ね。彼を誑かして、私から奪おうとするなんて!」
そう言って、迫って来る女に、アイリスは驚き、身動きが取れなかった。
「なっ!?」
アイリスの前まで来た女は、彼女を叩き付けようとして腕を振り上げた。
「彼が優しいからって、調子に乗らないで!」
アイリスは、迫り来る衝撃に備えて、ギュッと目を閉じた。
だが、衝撃が来ることは無く、代わりに怒気を孕んだ地を這うような声が聞こえ、目を開けた。
「何をしている!?」
「殿下……」
アイリスは、女の腕を掴んで振り払ったナーシサスの姿を瞳に映し、呟いた。
彼は、彼女を安心させるように微笑んだ後、鋭い視線を女へと向ける。
「キツイ嬢。貴方は王子妃教育を受けている筈では? 何故こちらに?」
「ナーシサス様。私のことは、『ロザリー』と御呼び下さいと、何度も申しておりますのに……」
ロザリーは、媚びるような甘えた声でナーシサスに話し掛けた。
ナーシサスは、眉をひそめた後、溜め息を吐く。
「何度も私の名を呼ぶことを、止めるように言った筈だが、貴方という人は、相変わらず人の話を聞かないな」
「それよりも、ナーシサス様。その無礼な女を追い出して下さいませ!」
「馬鹿なことを……。ここから去るのは、貴方の方だ」
ロザリーに呆れ返ったナーシサスは、護衛に彼女を摘み出すように指示した。
「なっ!? 何故ですか? さては、この女に唆されたのですね? よくも、ナーシサス様を! この醜女が!」
護衛に摘み出されそうになったロザリーは、それを躱して再びアイリスを打とうとした。
振り上げたロザリーの手を掴んだナーシサスは、護衛の方へと彼女を放る。
「何を言っている? 遂に目までおかしくなったか? 誰がどう見ても、醜女はお前の方であろう?」
そう言って、ナーシサスはロザリーを鼻で笑った。
「何故?」
護衛に拘束されたロザリーは、ナーシサスがどうしてそんなことを言うのか全く理解出来なかった。
「自らの努力を怠り、ただ与えられただけの地位を笠に着て、弱者を虐げる。その心根が醜いと言っている」
「なっ!? どうして、そんなこと言うの? その女に、唆されたのね! 待っていて、必ず貴方の目を覚ましてあげるわ!」
ロザリーは、護衛に引っ張られて部屋から連れ出された。
その間ずっと、アイリスを睨み付けていた。
ロザリーが去った後も扉の方を見続けているアイリスに、ナーシサスは情け無い顔をして、謝罪する。
「すまない。彼女には何度も、私との婚約は解消されていて、今は叔父上の婚約者だと言っているのだが、話が全く通じないのだ」
「まぁ。叔父上と言われると、カータイ卿ですか?」
彼の言葉にアイリスは目を見開き、彼へと視線を向けた。
彼は、彼女と目が合いホッとする。
「ああ」
「彼は確か、奥様がいらっしゃったのでは?」
「奥方は、ご子息を出産された時に身体を壊して、亡くなられたんだ」
「そうでしたか」
「彼女が私との婚約を解消した後、彼女の身分と性格が災いして、中々新たな相手が見つからなかった。二つ下の弟は、婿入り先が決まっていたし、一番下の弟や叔父上の子では、生まれたばかりで年が離れ過ぎているし、他の公爵家や侯爵家は彼女を忌諱していた。それに伯爵以下では納得出来ないと彼女の父親がごねてね。仕方なく、奥方が亡くなったばかりの叔父にその役目が与えられたのさ」
「まぁ」
「もちろん、叔父上も嫌がったんだけどね。一つだけ、条件を出して、婚約者となることを引き受けたんだ」
「それは?」
「彼女が二十歳となるまでに、王子妃教育を修了することが出来たら、その時は結婚すると、そう言ったんだ」
「では、彼女がまだご結婚されていないと言うことは……」
「ああ。まだ、修了していないと言うことだ。こちらも、無駄なお金をかけたくないからね。後一年で、修了出来なければ、彼女は公爵家の領地に幽閉されるか、修道院へ行くことになるだろう」
「そうですか……」
「仕方がないんだよ。彼女は、自分に都合の良いことしか考えない。周りのことなど如何でも良いと思っている。そんな考え方では、王家に入れることは出来ないし、まともな貴族なら、人を蔑み虐げるばかりで施すことを考えない彼女を迎え入れたりはしないだろう」
そう言ったナーシサスの顔には、疲れが見えた。
この時初めて、アイリスはナーシサスも同じ人間であったのだと感慨深く思った。
−−翌日、アイリスの許に小さな客人が訪れた。
「お前か? 兄上の婚約者と言うのは」
「貴方様は?」
「フン。俺は、ローワンだ。お前が兄上に相応しいか、俺が見極めてやる!」
腕を組み、胸を反らせて偉そうに言う幼い少年の姿に、アイリスは笑みを零す。
「まぁ。お兄様思いですのね」
「当然だ。兄上はスゴいんだぞ! 美しくて、格好良くて、頭が良くて、そして、スゴく強いんだ! 剣で戦っても、自らに傷一つ付けたことが無いんだぞ!」
「そうなんですか? それは、スゴいですね……」
−−きっと、美しい自分に傷など付けてなるものか、とでも思っているんだろうなぁ……。
アイリスは、心の中でそんなことを考えていた。
「そうだろう? それに、忙しいのに俺や従兄弟のウィルとも遊んでくれて、とっても優しいんだ!」
「そうなのですか?」
「うん! 邪魔者にされている叔母上のことだって」
「おやおや、兄上を籠絡したら今度は、弟を虜にする気か?」
突然、話に割り込んで来た者がいて、アイリスもローワンも驚愕する。
いつの間に部屋に入って来ていたのか、二人は話し掛けられるまで全く気付かなかった。
「何を!?」
「オリバー兄上!」
「噂の王女さまの娘は、母親と同じ妖婦だったか」
初対面である筈のオリバーに侮辱されたアイリスは、頭に血が上り、この国に来て初めて怒った。
「何て失礼なの! お母様を悪く言うことは例え王子でも許さない!」
「おー、恐。それで、どうするつもりだ? その美貌で俺のことも誘惑するか?」
オリバーは、意地の悪い顔をして挑発し、更に彼女の怒りを煽った。
今しがた部屋へと遣って来たナーシサスは、弟の言葉を聞き、怒りを露にする。
「オリバー! 口を閉じろ。それ以上彼女を侮辱するようなら、お前と言えども生かしてはおかない」
ナーシサスから発せられる怒気にあてられたオリバーは、顔を青くし直ぐに弁解する。
「兄上。冗談だよ。兄上に相応しい相手か、王女がどんな人間か確かめたかっただけだ」
「例えそうだとしても、先程の暴言は見過ごせないな。彼女に謝罪しろ」
「兄上……」
オリバーは縋るような目を兄に向けたが、彼の目は冷ややかだった。
怒気は幾分治まったが、今度は冷気が漂って来て、オリバーは鳥肌が立ち、身体が震え出した。
「分かったよ。先程は言い過ぎた。すまない」
「いえ……」
飼い主に叱られた犬のようなオリバーの謝罪に、アイリスの気は幾分晴れたが、完全に怒りは治まらず、素っ気無い返事をした。
「オリバー。それから、ローワン。心配してくれるのは嬉しいが、彼女は身分や外見で寄って来るような女達とは違う。私が惚れて、それに応えてくれた大切な女性なんだ。だから、お前達にも姉として、彼女を大切にしてもらいたい」
「ナーシサス殿下……」
ナーシサスの真摯な言葉に、アイリスの心から怒りは消え、別の感情でざわめいた。
「分かったよ、兄上」
弟達は兄の真剣な思いに従い、そう言って、すごすごと部屋から出て行った。
「弟達がすまなかった」
「いえ」
ナーシサスの謝罪に、アイリスは困ったように笑った。
彼は一つ息を吐いてから、彼女に懇願するような視線を向ける。
「実は、君に会ってもらいたい人がいるんだ。君ならば、ねじ曲がってしまった彼女の心を変えることが出来るかもしれない」
「彼女?」
そう言いながら、彼女は自身の眉間に皺が寄るのを感じていた。
その表情に、彼は彼女の勘違いを悟り、焦り出す。
「いや、多分今君が考えているような人ではない。兎に角、会ってもらえば分かる」
そう言って、連れて来られた部屋で、一人の女性がお茶を飲んで待っていた。
「お待たせいたしました、叔母上」
「そんなに待っていないから気にしないで、ナーシサス。その方が、貴方の?」
「ええ。愛しの婚約者、アイリスです」
ナーシサスはそう言って、アイリスの腰に手を遣って、彼女を引き寄せた。
「アイリス様、私、ナーシサスの叔母で、王の妹のイザベラと申します。どうぞよろしく」
イザベラはそう言って、フワリと微笑んだ。
アイリスは、彼との近過ぎる距離に少し動揺しながらも、イザベラに笑顔で挨拶をする。
「イザベラ様。初めまして、アイリスと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「さぁ、二人とも座って」
イザベラの催促に答えて、アイリスが動こうとしたところで、ナーシサスが口を開く。
「残念ながら、私は父上に呼ばれていて直に行かなければいけないんだ。申し訳ないけれど、二人でゆっくりお茶をして欲しい」
ナーシサスは、名残惜しそうにアイリスの腰から手を離し、その額に口付ける。
彼女は顔を真っ赤にして、頷いた。
その様子を微笑ましく見ていたイザベラは、溜め息まじりに話す。
「仕様がないわね。私では、大したおもてなしも出来ないけれど、構わないかしら?」
「ええ。イザベラ様とご一緒出来て光栄です」
アイリスは、そう言って慌てて席に着いた。
「それでは叔母上、アイリスのことを頼みましたよ」
「はいはい」
イザベラは、さっさと行けと言わんばかりに手を振る。
ナーシサスは、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
「どう? 少しは、この国にも慣れたかしら?」
「はい。皆様のお気遣いのお陰で、快適に過ごさせていただいております」
イザベラのざっくばらんな態度に、アイリスの肩からも力が抜け、楽に話すことが出来た。
「そう。それなら、良かったわ。ナーシサスのことはどう思っているのかしら? 先程の遣り取りでは、ナーシサスの方が一方的に貴方に惚れているように見えたのだけれど」
イザベラは、ニヤリとした意地の悪い表情を浮かべて、そんなことを聞く。
「……ナーシサス殿下のことは尊敬しておりますし、素敵な方だとは思います」
アイリスは何と答えたら良いか迷いながらも、素直な気持ちを話した。
「そう。まだ、恋愛までは育っていないのね。……まあ、こればっかりは自然に任せるしかないし、私が口を出すことでもないけれど」
イザベラの言葉に、アイリスは困ったように曖昧に微笑んだ。
「ただ、ナーシサスは、私が知っている男の中では一番まともよ。だから、安心しておススメするわ」
イザベラは、前王が王妃付きの侍女に手を出して、生ませた子であった。
母親である侍女は、王妃への裏切りとも呼べる行為に罪の意識に苛まれ、彼女を生んだ後、姿を眩ませた。
その後、母親の主人であった王妃に育てられた彼女は、父である王や年の離れた兄妹達に持て余されることになる。
そんな環境で育った為に、男嫌いな毒舌家になった。
「彼奴に似なくて本当に良かったわ」
「彼奴?」
「私の父親とか言う男よ。彼奴はサイテー。逆らえない女、しかも娘程年の離れた侍女を無理矢理手込めにして、子供を作り、その子供を放置とか。腐ってる」
「兄も早く、邪魔な妹を修道院にでも入れるなり、どこぞへ嫁にやるなりすれば良いのに、腫れ物に触るかのように扱いやがって」
「はぁ」
「貴方だって、こんな邪魔者がいる王宮に嫁に来るなんて嫌でしょう?」
「いえ。ただ、ご苦労なされたんだなとそう思いました」
アイリスの正直な言葉に、イザベラは「フン」と、鼻を鳴らした。