中編
−−更に月日は流れて、フレデリックは二十二歳、シャーロットは十六歳となった。
これまで二人は、年に数回、ターンマリ国で式典がある時などしか、会う事が叶わなかったが、手紙や贈り物の遣り取りを通して、愛を育んでいた。
そして、半年後にやっと、待望の婚姻を迎える予定であった。
だが、それを目前にして事件は起こった。
王妃は、フレデリックを退け、自身の子を王太子にすべく常にその機会を窺って、色々としかけていたが、この頃は更に焦っていた。
フレデリックとシャーロットが婚姻してしまえば、ターンマリ国が正面切って、彼を擁護し、今まで以上に近づきにくくなる。
それに、下手をすれば、外交問題までに発展してしまう。
だが、第二王子、エリックの社交界デビューが二人の婚姻よりも先にあった。
出来ることなら、その時に息子が王の跡を継ぐのだと、大衆に知らしめたかった。
その為、それまでに何としてでもフレデリックを亡き者としようとしたが、上手くいかず、更にフレデリックの警戒が強まり、手出し出来なくなっていた。
王妃は焦燥に駆られながらも、息子のデビューの日までに葬るのは難しいと冷静に考え、何時もとは警備体制が異なるその日ならば、相手に隙が出来るかもしれないと、その日に賭ける事にした。
デビューの夜会で、未だ婚約者が決まっておらず、見目麗しいエリックは様々なご令嬢達に囲まれていた。
そして、婚約者がおり、相変わらずでっぷりした王太子であるフレデリックに擦り寄る者は殆どいなかった。
今回の夜会がエリックのデビューである為、招待者も王妃が厳選しており、フレデリックの派閥の者達が極端に少ないのも当然のことと言えた。
とは言え、フレデリックもそれを悲観するようなことはなかった。
寧ろ、放っておいてもらえる方が、楽でいいとさえ思っていた。
だが、主役であるエリックは、放っておいてはくれなかった。
多くの取り巻きを侍らせて、下卑た笑みを浮かべながら、フレデリックの許へやって来て、実に楽しそうに、兄を見下し、貶めるようなことを言い出した。
「これは兄上。ご機嫌麗しく……は、なさそうですね? 綺麗な花達を邪険にするような出で立ちをしてお出ででは、誰も付いて来ぬのでは有りませんか? それでは、この国をまとめ上げるのは困難でしょう? 身体もお辛いでしょうし、御無理なさらずに、離宮で休まれたら如何ですか? ご心配なさらなくても、私と弟が父上を支えて行きますから大丈夫ですよ」
王太子を蔑ろにする自身の母を見て育った弟達は、母と同じように兄を蔑むようになっていた。
エリックに媚を売りたい令嬢たちも、それに乗っかった。
「王女様もお可哀想ですこと。このような、醜い方を伴侶にされなければいけないなんて……」
「シャーロット王女は、姉のアリシア王女にも劣らぬたいそうな美女とのこと、エリック様とお並びになられたなら、大層お似合いでしょう」
「本当に。シャーロット王女も王太子の地位もエリック様にこそ相応しいわ」
「ねぇ」
クスクスと扇で顔を隠して、令嬢達が嘲笑う。
彼女達を見て、天使のようなシャーロットとは随分違うなと、フレデリックは思った。
「まあまあ、君達。それ位にしておきなさい。幾ら大らかな兄上でも怒ってしまうかもしれないだろう?」
「殿下がそう仰せなら」
「ええ」
「エリック様。あちらでお話ししましょう?」
「ああ。さあ、行こう」
フッと嘲笑して、エリックは去って行った。
弟達の態度に特に思うこともなかったフレデリックであったが、部屋に帰ると、どっと一気に疲労を感じた。
その為、いつもならば注意して行っていた事を疎かにしてしまい、つい、どかっとソファーに身を預けてしまった。
その瞬間に、チクリとした痛みを感じ、直に立ち上がる。
座った場所を確認すると、針が刺さっていた。
−−これは!
「くっ」
フレデリックは、そのまま床に倒れた。
−−トントン
「殿下。スチュアートです。失礼しますよ」
水を持って入って来た従者は、床に倒れている彼を見つけ、慌てて駆け寄った。
「殿下!? 如何されたのですか?」
「はぁ、スチュ、アー、ト。落ち、着け。はぁ、はぁ。毒、だ」
「毒!? 直に解毒剤を!」
「待て! はぁ、大事には、するな。良い、な? はぁ、はぁ」
「分かりました……」
フレデリックの意識は、そこで途切れた。
* * *
−−ターンマリ国、王城。
その内奥にある王族専用の談話室で、シャーロットと王太子の第二子であるロバートは、お茶をしながら談笑していた。
話の切れ間にお茶を飲み、次は何を話そうかとシャーロットが考えていたところ、真剣な表情をしたロバートが、彼女の目を真っ直ぐに見詰めて来た。
急に雰囲気が変わった彼を不思議に思い、彼女は問い掛ける。
「どうしたの? ロビン」
その問い掛けに、彼は一瞬口籠ったが、思い詰めたような表情をして口を開いた。
「ねえ、チャーリー。本当にユール国の王太子と結婚してしまうの?」
切羽詰まった様子の彼に、何事かと思った彼女は、その言葉を聞いて拍子抜けする。
そして、当然とばかりにきっぱりと答えた。
「ええ、もちろん。彼は私の番だもの」
それを聞いた彼は、傷付き、泣きそうな顔になった。
「なんで? なんでチャーリーは僕の番じゃないの?」
「何言っているの? どのみちこの国では三親等内の血族の結婚は禁止されているわ」
彼女は、困り顔で正論を述べた。
「そんなの関係ないよ。それに僕は、あんなに丸々と太っていて、自己管理も出来ない頼りない男は認めないよ! ねえ、僕と結婚してよ!」
彼は駄駄っ児のように、彼女に縋り付いた。
愛しい婚約者に対する彼の暴言に、彼女の目が吊り上がる。
「何ですって!」
そこへ、ロバートの兄、ギルバートがやって来て、二人の間に入った。
「ロビン。無理を言って、叔母上を困らせるな」
邪魔をされたロバートは、兄を睨み付け、捨て台詞を吐く。
「そんなこと言って、兄上だって、本当はチャーリーのことが好きなくせに!」
「ロビン!」
ロバートは、引き止める兄を振り切って、部屋を出て行った。
「叔母上、申し訳ありません」
ギルバートは、ばつが悪そうな様子で、シャーロットに頭を下げた。
「やめてちょうだい。ギルが悪い訳ではないわ」
「ですが……」
「ロビンの気持ちを否定する訳ではないけれど、私の番は間違いなくフレッドなの。だから、ロビンにもきっと別に番が居るはずなのよ。まだ出会えていないだけで。だって、ギルだって、出会えたでしょう?」
「ええ。ロビンが言ったように叔母上の事を思っていたのは本当です。初恋でした。けれど、幸いにも私は番に出会う事が出来ました。きっと、ロビンもその時が来れば、初恋にも終わりを告げる事が出来るでしょう」
二人は、ロバートが出て行った扉へと視線を向けた。
そこへ、シャーロット付きの女官が駆け込んで来た。
「シャーロット様! 大変です! フレデリック王太子殿下が!」
「どうしたの?」
「大臣からの密書で、王太子殿下が毒針を刺されて、倒れられたと……」
「嘘!?」
シャーロットは、目を見開き呆然とする。
女官は、彼女に心配そうな目を向けながらも、用件を続けて話す。
「それと、かの国の王妃様から王宛に届いた書状に、王太子殿下との婚約を解消し、新たに第二王子と婚約を結ばないか書かれていたそうで……」
シャーロットはそのあんまりな内容に、直に正気に戻って動き出した。
「まぁ! なんてこと! 直に、ユール国へ向かうわ!」
その後、両親からの許可が下りず、頼りになる兄夫婦は外交に出ていた為、シャーロットは直にフレデリックの許へ行く事が出来なかった。
気ばかりが急いて、どうしようもなかったが、フレデリックが徐々に回復しているとの報を受け、少しばかり落ち着きを取り戻す。
結局、兄夫婦が戻り両親を説得してくれて、やっと渡航の許可が下りた。
彼女がユール国へと旅立てたのは、二週間後の事だった。
* * *
「シャーロット様! お待ち下さい!」
案内の声を無視して、シャーロットは、ユール国の王宮の廊下を急ぎ足で進んでいた。
以前に、フレデリックを見舞った時の事を思い出しながら、彼の寝室を目指す。
目的の部屋へと辿り着くと、彼女はノックもせずにドアを開けた。
「フレッド!」
突然、部屋に飛び込んで来たシャーロットに、フレデリックは瞠目する。
「チャーリー!? どうして、ここに?」
「フレッドが毒で倒れたと、大臣から連絡を受けて、居ても立ってもいられなくて……」
彼女の必死な様子に、彼の頬は緩み、蕩けそうな甘い表情を浮かべた。
「そうか。来てくれて嬉しいよ」
「フレッドが思ったよりも元気そうで良かった。でも、前に会った時よりも随分と窶れてしまったわ」
「そうかも知れないな……」
「それで、どういう事なの?」
彼女は、彼に詰め寄った。
「今回は、猛毒を使われたが、小さな針に付着していて量が少なかったのと、耐性があったおかげで大事には至らなかったが、そうでなければ、即死だった」
「良かった……」
彼の説明に、彼女は立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んだ。
彼は、そんな彼女の髪を梳くように、頭を撫でる。
「ごめん。心配かけて……。あの日は、弟のデビューの夜会で私室の方の警備が甘くなっていた。それでも鍵は三重に掛けていたんだけれど、潜入されて、毒針を至る所に仕掛けられていた」
「もう! どれだけ心配したか……。それで、犯人は? 捕まったの?」
「残念ながら、今回も針を仕掛けた侍女は捕らえる事が出来たけれど、黒幕までは行き着いていない。まぁ、王妃の手の者だとは思うけどね」
「そう……」
彼女はそう言いながら、以前会った時の半分くらいの身体になったように見えるフレデリックを心配そうに眺めて、別の事を考えていた。
「ねぇ、後半年で、婚姻だと言うのに、それまでに元に戻るかしら?」
突然変わった話題に、彼は目をぱちくりと瞬かせ、答える。
「前の方が良かったのかい?」
「だって、ただでさえ格好良いのに、痩せてしまったらもっとモテてしまうでしょう? それが嫌なの」
「チャーリー……」
「呆れた? 私は、嫉妬深いのよ。こんな私は嫌い?」
「捨てないで」とでも言うように、潤んだ瞳で見る彼女に胸が一杯になり、彼は満面の笑みを浮かべた。
「いや。嬉しいよ。そんな風に思っていてくれたなんて……。君のことが好き過ぎて、君には負担なんじゃないかと思っていたんだ。けど……」
「けど?」
「私が思っているよりも、君は私のことを愛してくれていたようだ」
「そうよ。ずっとずっと愛しているわ。誰の目にも触れさせたくないくらいに」
「私も、君のことを閉じ込めてしまいたい程に愛しているよ」
そう言って彼は、彼女の手を引き、自分の腕の中に閉じ込めた。
暫く、互いの存在を感じ合っていた二人は、名残惜しそうにしながらも、腕を緩め、身体を離した。
彼女は立ち上がり、口元に弧を描いて、彼を見る。
その顔に、ゾクッとし、彼は身震いした。
「チャー、リー?」
「さて、貴方を苦しめた者達に制裁を加えましょうか」
「えっ!?」
「貴方が甘い分、私が厳しくするわ。先ずは、貴方のご両親と兄弟にはご退場願いましょうか? 私達の快適な新婚生活の為にも、ね?」
笑顔でそう念を押す彼女から、絶対に逆らってはいけない威圧感を感じ、彼はコクコクと首を縦に振る。
「君が望むなら、そうしよう」