前編
ターンマリ国の王太子夫妻に第一子が誕生したとの知らせを受けた隣国ユール国の外務大臣は、ユール国王からの書簡とお祝いの品を持って、直ぐさまお祝いに駆けつけた。
「この度は、誠におめでとうございます」
ターンマリ国王宮の謁見の間へと通された外務大臣は、ターンマリ国王と王太子へ向けてお祝いの言葉を述べた。
それに、王は頷き、王太子が言葉を返す。
「ありがとう。素晴らしい贈り物をあんなに頂いても良かったのかな?」
「ええ。それはもう。王太子様には、我が国の王の件でもお手を煩わせ、また、骨を折っていただき、大変、恐縮いたしております。そのご恩を少しでもお返し出来ますならば、これ以上のことはございません」
「はは。それにしても、困ったものだね。立派な跡継ぎがいると言うのに、『妖婦』と噂されている我が妹を後妻に望むとは……。亡くなった、貴方のご息女である王妃様も浮かばれますまい」
王太子は困った表情を浮かべていたが、大臣の思惑を探るかのように、その目の奥は鋭く光っていた。
大臣も同じように困った表情を浮かべて、何も企んだりしていませんよとの、意思表示をする。
「そのような……。王女様のことは、あくまでも噂でございましょう? 王女様にも素晴らしいご縁が見つかったと、お聞きいたしましたし。誠にお目出度いこと続きでございますね」
以前、アリシアの美貌を聞きつけたユール国の王から、ぜひ妃になって欲しいと縁談が来ていた。
だが、亡くなった王妃の子である王太子の身の危険や傾国と噂されるアリシアによる王の堕落を恐れた王妃の父の大臣が、それを受けないようにとの、嘆願書を直接ターンマリ国へと送って来た。
王に付くか大臣に付くか迷ったアリシアの兄は、丁度、フンワーリ国からも縁談が来たこともあり、王太子の祖父である大臣を支持することにした。
もちろん、アリシアは前妻の子を害するような性分ではなく、もしユール国に嫁いで、自身の子が生まれたとしても、しっかりと王太子を守り、立てていただろう。
だが、その場合、逆にアリシアが大臣に害される恐れもあり、やはりユール国よりフンワーリ国へ嫁いだ方が妹は幸せになれるだろうと、アリシアの兄は考えたのだった。
「いや、そうなのだ。これで一つ、肩の荷が下りた」
王太子は、大袈裟に肩を下げてみせ、更に大臣の出方を窺った。
「はは。……ところで、今回は未だ王妃様のご尊顔を拝させていただけていないのですが、如何されたのでしょうか?」
大臣は心配そうな表情を浮かべ、そう尋ねた。
それに王が、肩を竦めて答える。
「王妃は、少し体調を崩していて、な」
「それは、ご心配でございますね」
「いや、なに……」
大臣の定型的な返しに王が苦笑する。
王太子は祖母譲りの妖艶な笑みを浮かべて、少し近づくようにと大臣を手招く。
大臣は、その笑みに何故か鳥肌が立ち、身が竦んだが、自らを奮い立たせて、躊躇いがちに彼の傍へと寄った。
王太子は、媚びるような声音で大臣の耳元に囁く。
「ここだけの話にしていただきたいのですが、大臣を信用してお話いたしますね?」
王太子の男とは思えぬその蠱惑的な容姿と声、耳にかかる甘い息、その身から立ち上る香りにすっかり魅了されてしまった大臣は、その手を取って甲に口付ける。
「ありがとうございます。誓って、信用を裏切るような真似は決していたしません」
大臣のあまりに熱っぽい眼差しを受けて、王太子の口元が引きつる。
「まぁ、そこまでのことでもないのだが、母も妊娠したようなのだ」
「えっ!? さっ、左様に御座いましたか。それは益々もって、お目出度いですな。ハハハ……」
「ハハハ。まぁ、そう言うことだ」
王太子は、そう言って大臣に下がるように目配せした。
だが、大臣は下がらずに、躊躇いがちに口を開いた。
「あの……」
「何だ?」
「図々しいお願いですが、お聞きいただけませんでしょうか?」
「取り敢えず、話してみろ」
王は素っ気なく、そう言った。
「もし、王妃様がお生みになられた御子が王女様でありましたならば、我が国の王太子の妃として迎え入れさせてはいただけませんでしょうか?」
「何?」
王は眉根を寄せ、地を這うような声で問い返した。
その横で、一つ頷いた王太子が、自らの意見を言う。
「父上。悪くない縁組みだと思います」
「王太子!」
「聞いて下さい、父上。もし、生まれて来るのがアリシアのような王女であったとしたら? また、年頃になって苦労するかもしれません。それならば、今から相手を決めておくのは決して悪いことではないかと思います」
それに、王は腕を組んで唸る。
「うーむ」
「ましてや、お相手はユール国の王太子です。このまま問題がなければ、行く行くは王となられる御方。これ以上の縁談はございますまい」
「しかしな……」
乗り気な王太子に対し、王は不満顔で渋る。
王を説得しようと、大臣は言い連ねる。
「アリシア王女の件では大変失礼な事をいたしましたので、勝手な事ばかり申して、お怒りになられるのも当然にございます。また、今後の事での御懸念があるのもごもっともにございます」
「分かっておるではないか」
「それでも、孫を思う一人の祖父として、お願い申し上げます。今後、王が有力貴族から後妻を貰い、第二王子が生まれた場合、王太子の身が危うくなることでしょう。私はそれを一番、憂いております。それもあって、是非に、ターンマリ国の後ろ盾をお願いしたいのです」
「我が国の後ろ盾があれば、そう簡単には王太子を廃することは出来ぬようになる、か」
「そのように愚考いたします」
「ところで、その王太子はどのような御子なのだ?」
「そうですね……。何と申しますか、はぁ」
「何だ? そんなに濁す程、出来が良くないのか?」
「いえ。とんでもない。勉学の方は、優秀でございます。ただ……」
「ただ?」
「何と申しますか、その、とてものんびりとした御気性でして、決して愚鈍ではないのですが、少々大らか過ぎるのです」
「それは、何とも……」
「ええ。為政者は時として、厳しい沙汰も下さなければいけないものですが、今の王太子ではきっと、罰を与えずにお許しになってしまわれることでしょう」
「それは、今からならば修正可能ではないか? 確か、まだ五歳であったろう?」
「ええ。そうですね」
「まぁ、未だ王女が生まれると決まった訳ではないし、もし万一王女が生まれたら、王太子との婚約を考えるとしよう」
「そうですね」
そして、月が満ち、王妃は元気な女の子を出産した。
第二王女は、シャーロットと名付けられた。
六歳となっていたユール国の王太子、フレデリックは、祖父である大臣と一緒に、出産祝いと生まれたばかりのシャーロットに会う為にターンマリ国へとやって来た。
ちなみに、その後、フンワーリ国まで足を運んで、アリシアの結婚式に出席する予定である。
シャーロットに対面したフレデリックは、その、あまりの愛らしさに、一目でメロメロになった。
フレデリックは幸せそうな表情をしてシャーロットを慈しみ、シャーロットもキャッキャキャッキャと喜んでいる。
その様子を微笑ましく見ていた王や王太子は、何故かフレデリックをえらく気に入った王妃の勧めもあり、フレデリックとシャーロットの婚約を認める事にした。
それにフレデリックは大層喜び、この天使を自分が守らなければとの自覚が芽生え、少し精悍な顔つきをするようになった。
と、思っていたのだが……−−。
−−三年後。
ターンマリ国の王太子に第二子となる王子が生まれ、お祝いの為、三年振りに訪れたフレデリックは、再会したシャーロットの相変わらずの天使振りに相好を崩す。
締まりなく緩み切った、デレデレとだらしない顔をして、彼女を愛でる彼に、彼女は笑い、直に懐いた。
食事やお茶の時間になると、彼女は必ず彼の膝の上に座り、彼を餌付けした。
−−ある日のお茶の時間。
「フレッド。これ、たべて! はい、あーん」
彼は、クッキーを口に入れられた。
幸せそうに咀嚼し、飲み込む。
その顔を、彼女は満足そうな表情を浮かべて見つめる。
「チャーリー、ありがとう。これも美味しいよ」
「へへ。そう? つぎ、これ。はい、あーん」
と言った、具合であった。
彼が帰国してからは、彼女は、彼を喜ばせたくて、ことあるごとにお菓子や食料を送るようになった。
−−また、ある日のお茶の時間。
「シャーロット様。今日のおやつですよ」
一口サイズの柔らかくて甘い焼き菓子が、テーブルに並べられた。
彼女はそれをキラキラとした目で眺め、思いっきり香りを吸い込み、甘い香りを楽しんでから、一つ摘んで口へと運ぶ。
「わー。おいしい! フレッドにも!」
「畏まりました。フレデリック殿下にもお贈りいたしますね」
侍女達は、彼女の言いたい事を直ぐに理解し、実行に移す。
自分の言いたい事を分かってくれる彼女達に、更にご機嫌になった彼女は笑顔で元気よく返事をする。
「うん!」
その天使の笑みを受けた侍女達は、「シャーロット様、今日も天使!」と、目を輝かせた。
と言った、具合であった。
そして、彼も律儀に彼女からの贈り物を全て平らげていた。
彼は、彼女から勧められる食べ物を勧められるだけ食べた結果、いつの間にか肥満児へと変貌していった。
もちろん、身を守る為に剣術や乗馬などをして、身体を動かしてはいるのだが、それでも身体は丸いままだった。
もちろん顔も。
「こんなに太っていて、天使にきらわれないだろうか?」
「殿下……」
「ターンマリ国の王様も王太子様も、その王子様も皆、お美しい。そのようにきれいな方々ばかりに囲まれていて、私のことをいやにはならないだろうか?」
「殿下。心配には及びませんよ。ご自身ではお分かりになられないかもしれませんが、今の殿下は大変愛くるしい御容姿でいらっしゃいますよ。嫌うなんてとんでもない。どなたが見ても、お二人は相思相愛でございます」
「そうか?」
「はい」
乳母達に煽てられた彼は、結局、ダイエットはしなかった。
この年、ユール国の王は、デビューしたばかりの貴族の娘に一目惚れし、後妻に迎え入れた。
そして、翌年には第二王子が誕生した。
更にその二年後には、第三王子も生まれ、新たな王妃は、実子ではない王太子を疎ましがるようになった。
もちろん王や重臣達が見ている前では、王太子にも愛嬌を振りまいているが、一度居なくなれば、嫌みや罵倒は当たり前、見えない所を扇で殴ることや、足を引っかけ、突き飛ばすことも多々あった。
この頃は、王太子の食事に毒を盛られることも日常茶飯事となっていて、いつも黒幕まで辿り着くことは出来ず、実行犯をいくら捕らえても、それが止むことはなかった。
その為、シャーロットから送られて来る、厳重に包装されたお菓子や食料品だけ安心して口に運ぶことが出来ていた。
実は、彼女もそれを見越して彼に贈り物をしていた。
いや、それだけではなく、彼の身体を作るのは自分の選んだ物、手が入った物でなければ嫌だとの独占欲からの行いでもあったのだが、それが彼の命を救っていた。
彼女はそう言った理由で食料だけでなく、衣類や装飾品なども贈っていたりする。
彼女が毒の事を知ったのは、第三王子の誕生を祝うため、兄の王太子と一緒にユール国を訪れた時だった。
謁見の間にフレデリックが現れなかった為、どうしたのかと外務大臣に聞いたところ、彼が毒を盛られて寝込んでいると教えられた。
この時は、幸いにも苦みのある毒だった為、直に吐き出し、命に別状はなかったが、その後、高熱を出した。
直に彼の寝室へと向かった彼女は、熱にうなされて苦しむ彼の顔を見て、涙を流した。
「フレッド。だいじょうぶ?」
「ありがとう。私の天使。君が笑ってくれれば、私はいつでも元気になるよ」
「はやくおとなになって、わたしがフレッドをまもるわ!」
「ふふ。焦らなくて良いんだよ。でも、ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しいよ」
「フレッド……」