前編
ここターンマリ国では、二ヶ月程前に国王夫婦が外交と言う建前の外遊に出掛け、王太子が政務を執り行っていた。
妻である王太子妃が第一子を懐妊していることもあり、彼は一層政務に精を出していた。
その甲斐もあってか、祖父の代で傾きかけた国はそれ以前よりも遥かに富み、近隣諸国にも戦の気配がなく、平和に過ごせている。
そんな順風満帆な彼も、中々上手くいかず、滞っている心配事に日々、頭を悩ませていた。
何かと言うと、四つ下で十五になる妹の第一王女アリシアが不名誉な噂を立てられ、未だに嫁ぎ先が決まらないことであった。
両親が外遊に出る際、素敵な相手を見つけて来ると言って旅立ったが、正直、お花畑な頭をしている両親には全く期待していなかった。
その考えは予想通りで、両親からの手紙に書かれていた嫁ぎ先は、どこそこの国のハレムだとか、後妻の口ばかりであった。
これでは、妹が不憫でならない。と、思っていたところ、隣国であるフンワーリ国の王太子から手紙が届いた。
そこには、弟である第二王子の嫁を捜しているのだが、良い相手はいないかということが書かれていた。
この第二王子にも多少の問題はあるのだが、他の相手よりは余っ程マシだと考えた王太子は、早速、妹に話すことにした。
「失礼します。お呼びでしょうか?」
王太子の執務室に入って来たアリシアは、兄のいる机の前で立ち止まった。
「また、部屋に閉じ篭って本ばかり読んでいたのか?」
書類を置いて、彼女を見た彼はそう声を掛けた。
「あら? いけませんか?」
「たまにはお茶会にでも出掛けたらどうだ? 公務の時くらいしか、外出していないだろう?」
「何故、休みの時にまで、やりたくもないことをして過ごさなければならないのですか? お茶会などただの苦行ではありませんか」
彼女の言い分に、彼は苦笑し、肩を竦める。
「フッ。母上は楽しそうにしていたのだが、な」
「母上は母上。私は私です。兄上だって、私の噂は知っておりますでしょうに」
「確か、男に色目を使って誑かし、部屋で情事に耽っているというものだったか?」
「そうです。全くのデマなのに。この見た目が心底嫌になります」
そう言って、彼女は顔を顰めた。
「お前は、傾国の美女と言われた前王妃に生き写しらしいからな。だが、妖艶な見た目と違ってお前は初心で健気なのに。皆、全く見る目がないよな」
優しい眼差しを彼女に注ぐ彼の主張に、照れた彼女の頬がほんのり赤く染まる。
「お兄様のは、随分と身内びいきが入っている気がしますが」
「そんなことはない。だが、噂を払拭する為にもお茶会に参加したらどうだ? 部屋にばかり閉じ篭っているから、下世話な噂が出回るのではないか?」
「フン。あの人達は、私が外に出ようが出まいが、同じように噂しますよ。それならば、好きなことをして過ごしたいと思うのは当たり前でしょう? 言いたい人には好きなだけ言わせておけば良いのです。その行いが、自分を貶めていると気付かない愚かな者達なのですから。そんな者達と係わり合いになるだけ時間の無駄です」
鼻を鳴らして、そう答える彼女に、半ば諦めの境地で彼は諭す。
「やれやれ。本当に口が達者だな。気持ちは分かるが、愚かな者達も残念ながらこの国の国民なんだ。『馬鹿な子程可愛い』と、いうじゃないか。出来る限りは、こちらから、可愛い国民にも歩み寄ってくれ。話せば、多少は相手のことを理解出来るかもしれないだろう?」
「はぁ。理解したいとも思いませんが、分かりました。たまには顔を出すようにします」
彼女は仕方ないとばかりに息を吐いた。
それに呆れた彼も溜め息を零す。
「はぁ。溜め息を吐きたいのはこっちだよ。まったく。それで、お前は自分の将来のことをどう考えている?」
「将来ですか? それは、『結婚』というふうに捉えて宜しいでしょうか?」
「それも含めてだ」
彼女は一瞬、考えるそぶりを見せた後、直に答えた。
「国内では特に縁を結んで関係を強化する必要のある家はありませんし、お父様とお母様が訪れている国のハレムへ入るか、どこぞの後妻か、いかず後家、それか修道院へ行くかでしょうか?」
「夢がないな。別に好きな者がいれば、国内で嫁いでも良いんだぞ?」
「あら。国内で私と年が釣り合う貴族は皆、既婚者か婚約者がいる者ばかりではありませんか。それに、特に好きな者もおりませんし、フンワーリ国の男爵令嬢のように略奪する趣味もありません。あと、やもめの後妻も嫌です」
アリシアはそう言って、ぷいと顔を背ける。
「はぁ、そうか」
その後に続いた、「それなら、これはちょうど良いかもしれないな」という言葉は、残念ながら彼女には届かなかった。
「お前に縁談が来た」
「ふーん。また、キモ公爵からではないでしょうね? それとも、昨年奥様を亡くしたゲスイ侯爵かしら?」
「お前……」
自身を卑下する妹に、彼は何ともいえない気持ちになる。
「お兄様。私も自分の見た目や噂の帰結は、しっかりと把握しております。それに私と釣り合う身分を考えると、国内では他に考えられません」
「はぁ。お前が男だったら、心強い右腕となったのになぁ……」
彼女の聡明さを改めて感じ、彼はついついぼやいてしまった。
「女だからと家に押し込めようとする慣習の方に問題があると私は思っておりますが、お兄様はそれを変える気はありませんのね?」
「そう、だな」
彼女の剣幕に、彼は思わずたじろいだ。
それでも肯定した彼に、彼女は落胆する。
「フン。お兄様にはガッカリですわ」
「そうは言うけどな、愛しい妻を衆人に晒したくないのは男達皆の合意だと思うぞ。特にこの国の民には古代の龍の血が連綿と流れているからな。番を片時も離したくないという者が大半だ。結婚前の行儀見習いや番を失った者などは別にして、女性が男に交じって働くなど、とてもとても無理な話だな」
「はぁ。そうですわね。特に私のような容姿の者が近くにいては、きっと仕事にはなりませんでしょうね」
「その通りだ」
「分かっておりますわ。嫁ぐことでしか王女としての義務を果たせないことなど」
悲し気に話す彼女にかける言葉が見つからず、彼はその名を切な気に呼ぶ。
「アリシア……」
「そうそう、それでお相手はどなたですか?」
しんみりした空気を吹き飛ばすように、彼女はそう発した。
それに、彼は直に答える。
「ああ。フンワーリ国の第二王子だ」
「というと、婚約破棄騒動を起こして、勘当され、辺境へと追放された、あの元王子ですか?」
「うーん、その王子だが、実際は噂と少し違うぞ」
「そうなのですか?」
「ああ。婚約破棄騒動を起こして、当時の婚約者との婚約を破棄したのは事実だが、勘当はされていない。どうやら、懇意にしていた男爵令嬢に唆されたとして、鍛え直されることになり、辺境の軍へと配属されたそうだ。それから、真面目に責務を全うし、国境で凶悪な盗賊団を捕らえたことから、恩赦を賜り、この度、王城へと帰還されることとなったそうだ」
「それで、結婚相手を探しているのですか?」
「そういうことだ。歳は俺の一つ上で二十歳だ」
「何故、私なのでしょうか? 若くて身分もおありになるのですから、モテモテでしょうに」
「それはな、過去の騒動の所為で、国内の貴族の中で嫁ぎたいという者は見つからなかったそうだ」
「なるほど。それで、身分が釣り合い、不本意な噂の所為で婚約者が中々出来ない私に白羽の矢が立ったと」
「そうなるな」
「私は別に構いませんよ。それがこの国の為になるのなら」
「お前ならそう言ってくれると思っていたよ。これで、フンワーリ国の王太子に恩を売れる」
「それなら良かったです」
「ああ。かの国の王太子は弟にとても甘いらしい。勘当を免れたのも彼の働きのおかげだと聞く。彼は中々の出来物だから、義理の妹になるお前のことも粗雑には扱うまい。安心して嫁げば良い」
「はい。お兄様」
アリシアは一礼し、王太子の前を辞した。
それから半年後、外遊からツヤツヤとした顔の両親が戻り、更に一月後、王太子夫妻に第一子となる王子が生まれた。
更に、王妃の妊娠が発覚し、アリシアの婚姻も決まった国内はお祝いムード一色に染まった。
そんなこんなで、王妃の出産を見届けるまで結婚を先延ばしにしたアリシアは、元気な妹を抱いた一週間後、婚礼道具と一緒にフンワーリ国へと旅立って行った。
政略結婚の為、あまり期待していなかったアリシアだったが、兄のいう通りフンワーリ国では、とても歓迎され、特に王太子夫妻には細やかに世話を焼かれた。
自身の外見や噂のことを心配していた彼女は、あまりの歓迎振りに戸惑うくらいであった。
式が済むまでは王城で過ごすことになり、最初は戸惑ったものの、徐々に慣れ、身内となる皇帝夫妻や王太子の三人の子供達などとも親交を深めた。
ただ、肝心の花婿は、常に余所余所しい態度で、二人の距離は一向に縮まらなかった。
アリシアとの婚姻に伴い、第二王子、デイヴィッドはターンマリ国との国境近くに領地を賜り、公爵に叙された。
式が済めば、そちらの公館へと移ることになる。
色々な準備や公爵夫人として覚えることも多く、他人行儀な彼の様子に不安を感じて、流石の彼女もマリッジブルーになっていた。
数日後、結婚式は恙無く執り行われ、披露宴を終えて、初夜となった。
侍女達に磨き上げられ、初夜に相応しい衣を纏ったアリシアは、落ち着かない様子で、ベッドに腰掛け、花婿の訪れを待っていた。
暫くすると、花婿が現れ、彼女の横に腰掛けた。
それから、彼女の方を向き、一考した後、こう言った。
「悪いが、私はあなたを抱くつもりはない」と。
一瞬固まった彼女だったが、直に思考を働かせ問いかけた。
「白い結婚ということですか?」
「ああ」
悪びれた様子もなく頷く彼に、色々と溜まっていた彼女はキレた。
「あなたは、そうやって私からも逃げるのですね?」
目が据わり、静かに怒りを込めて、地を這うような低音で言った彼女の言葉に、彼は眉を顰める。
「何?」
「あなたの過去のことは大体聞いております」
「チッ。兄上か、余計なことを……」
彼は舌打ちをして、彼女から顔を背けた。
「あのようなことがあっては、女嫌いになっても仕方がないと思います」
「だったら」
「あなたは、女が皆あの者と同じだとお考えですか?」
「それは……」
「あなた様の元婚約者であったアメリア様は、とても清廉潔白な方でした。あなた様の心が離れていこうとも、懸命に王子妃となる為の勉学に勤しんでおられました。あなたの兄嫁であらせられる王太子妃ソフィア様はどうでしょうか? あなたの母である王妃様は? お二人とも国の為ご家族の為に一心に邁進しておられるとお見受けしました。そのような気高い女性もお厭いになられるのですか?」
「……」
「あなたを傷つけた令嬢は、庇護欲をそそるとても儚気な見た目だったとか。その見た目にコロッと騙され、キツイ見た目であった心のお優しいアメリア様を遠ざけられたとお聞きしました。そんなあなた様は、私のことも見た目で判断されますか? 噂のように私のことを妖婦だと謗りますか?」
「そんなことはない!」
「ならば、私のことをちゃんと見てはくれませんか。私の外見や噂ではなく、中身を。王女としてだけではなく、一人の人間として、作られた上辺ではなく本当の私と言う存在を。私も、ちゃんとあなたに向き合います。だから、紙面上だけではなく、ちゃんとあなたの妻にしてはいただけませんか?」
「アリシア王女……」
「どうか、王女ではなくあなたの妻として、アリーと呼んではいただけませんか?」
「……アリー。本当に良いのか?」
「怖がらないで下さい。私はあなたを裏切りません。もちろん、あなたが裏切らない限りはという注釈は付きますが。二人で温かい家庭を作りましょう?」
「ああ。分かったよ。ありがとう、アリー。私のことはデイヴと呼んでくれ」
彼女の真摯な姿勢と必死な説得に、元々純情であった彼は結局、ほだされた。
「デイヴ」
彼女は照れたように頬を染め、上目遣いに呼び掛けた。
「クッ。君はもう少し自分の容姿を気にした方がいい」
「どういう意味ですか?」
そう言って、彼女は首を傾げる。
「はぁ。君は男からしたら魅力的すぎるんだ。その上、そんな煽るような格好をして、可愛いことを言われたら……。俺が今どれだけの理性を掻き集めて、欲と戦っているか……」
彼は手で両目を覆い、冷静になるように努めた。
だが、その努力を無駄にするようなことを彼女は言い出す。
「その、今日は初夜なのですから、この格好は仕方がないかと……。それに、我慢しなくても、覚悟は出来ていますので」
「君は……。そんなに煽って、どうなっても知らないよ」
「煽ってなんて……。お願いです。初めてなので優しく……して……」
最後の方の言葉は、唇を奪われて口の中へ消えていった。
彼女はそのまま、ベッドに沈められ、翌朝、気を失うまで貪られた。