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Through the Grassland - 04

 空に向かって腰辺りの高さまで伸びた草と、薄紫の花の高原を超えると、低い背と、中くらいの背の草を生やした大地が現れた。それはカノンを見つけた電車の付近の大地に良く似ていた。

 その頃にはもう四方は暗闇に包まれていた。ただ、五方目――空――は満天の星空と、妖しく朧に光る月で幾分か明るかった。都会はもちろん、故郷の桔梗町と比べても、星と月の闇とのコントラストを随分感じることができた。

 風景がほとんど変わらないため、俺はどれくらいか進んだか、そしてどの方角に進んだかさえも分かっていないのだが、かなりの距離を歩いたはずだ。今日はもう十分進んだし、アリスも俺も疲れているからということで、緑に覆われた大地に野宿をすることになった。もう足は棒のようになっていたので、俺はほっと胸を撫で下ろした。

 一方、カノンはというと、彼女は痛みを感じないのと同様に、疲れも感じないらしい。だから実際は休息を取らなくても良いという。疲労が身に溜まる俺にとって、そのことは少し羨ましく思われた。

「それじゃあ、今日はここで野宿ですわ! 草のベッドで、お月様に見守られながら、お休みということですわね」

「けど、大丈夫なのかよ……こんなところで……。野生動物とか危ない人たちに襲われたりはしないのか……」

 初めての野宿ということで、幾分か不安が募ってくる。

「大丈夫ですわ、なるべく低めの土地を選んでいますし、なにより結界を張っておきますから」

「結界ってそんな簡単にできるものなのか……。本当に便利だな……結界って……」

「ええ、当然ですわ。防衛術関連なら絶対の自信がありますもの」

 俺はそのことを聞き、素直に納得した。アストラルによる防御やカウンター、そして強力な結界。俺は今日、アリスによる多種多様で強力な防衛術を見てきた。だから、アリスの言うことは真実だろう。

「それから、カノンさん」

 暗闇の中にいるもう一人の少女に呼びかける。月の光が彼女を照らし出していた。

「……なんですか、アリスさん」

「ええっとですね、ちょっと真面目な話になるんですが……」

 あのアリスが少し言いにくそうにうんうんと唸っている。これはよほど重大なことなのだろうか。

「アリスさん……隠さずに、お願いします……!」

 覚悟ができているのだろうか、カノンはいつもより力強く言ってみせた。

「よろしいですか……? 卒倒しないでくださいまし……。いや、カノンさんなら貧血を起こすといったことは無いですね……。……実はカノンさんのその身体、永遠のものなんてことはないんです……。気づいていましたか……?」

 カノンははっとし、息を呑んだ。俺も驚いてしまった。

「……嘘じゃないんですか……。ボクの身体にナイフが刺そうが、弓が射さろうが、平気だし、疲れも感じられない。今の自分の「死」なんて想像できません。本当……なんですか……」

 確かに、死体の死というものは想像し辛かった。

「ええ、あなたは所詮死体、すなわち人間の肉体なのですわ。火あぶりにされれば、灰になってしまいますわ」

 日本では死体を処理するために、高温の炎で炙る。すると人間の肉体は灰になってしまう。原型を留めない。たとえカノンでも肉体の完全抹消が起これば、死んでしまうことになるだろう。

「そして……何よりあなたの身体は新陳代謝を行っていないんですのよ。これがどういう意味か分かりますよね?」

「……肉体が徐々に腐ってるってこと……? 今、こうして話している間にも……」

 憂いを帯びた表情で、驚きを隠し切れずにカノンは言った。俺はその様子が忍びなかった。

「そう、ですからあなたの身体は時間が経つにつれ、醜く変化し、最後には腐り落ちる運命なのですわ…………」

「………………」

 またしても涙を流すような表情をした。だが体からは液体が流れない。俺はカノンに同情する。

「けど、安心してくださいませ。私が今日作った軟膏を毎日身体に丹念に塗りこめば、その美しい外見を保つことができるはずですのよ」

 アリスは家からずっと両手に抱えて持ってきた容器をカノンに手渡す。するとパッとカノンの表情が明るくなった。自分に着実に迫る死を回避することができて、悲しみが喜びへと一気に昇華したのだろう。

 この軟膏をここまで持ってきた理由はそういうことだったのか。アリスには何もかもお見通しってことだ。

「では、早速塗りこんでくださいませ。あ……恥ずかしかったら、私たちから見えないところでどうぞごゆっくり……」

 アリスはその点をしっかりと学習している様子だ。カノンも今の身体が別人だとは言え、そして俺が今女の子の姿をしているとはいえ、男の魂である俺に身体を晒すことが恥ずかしいのは当然だ。

「本当に何から何までありがとうございます、アリスさん……」

「どういたしまして、ですわ。まあ、私も早く真守に魂の解放をしてもらいたいですし、仲間が死んでゆくことは忍び難いですからね。あまり気にしないでくださいまし」

 カノンはアリスから手渡された瓶を胸に抱き、アリスに軽く会釈をして、俺から離れた。カノンは白い服を着ているためか、姿は月の明かりで確認できるが、大掴みにしか彼女のことを認識できなかった。顔があって、白い服を着込んでいることくらいしかわからない。

 こちらから大分離れた位置にいるカノンは突如口を開いた。

「真守くん……。あまりこっち見ないでね……」

「あ、あ、ごめん! カノン!」

ぼーっとしてカノンをじっと見つめていた自分に気づき、百八十度逆を向く。

「あ、カノンさん! 後ろもしっかりと塗ってくださいませ! もしうまく塗れなかったら、そこだけ私が塗ってさし上げますわっ!」

 その向きのままアリスが口に出した。

「……わかりました」


「それではカノンさんが塗り終わるまでに、夜食を頂きましょうか。カノンさんは食物を食べても、食べなくても何ら変わりはないわけですし、今のうちに食事を済ませてしまいましょう」

 アリスは草原の上に尻を着き、体育座りの姿勢を取る。そして小屋の釜戸の上から持ってきた林檎をポケットから出し、それを口に含む。あまりジューシーではない林檎だった。

「はあ……」

 俺はふとため息をついた。昨日までは、家に帰ればおいしい料理が待っていた。だが今は、暗闇の中で質素な果実を口に含むだけだ。そのギャップが辛かった。

「真守、どうかしましたか」

「いや、いきなりこんな生活になっちゃったからさ、まだ慣れないんだよ」

「まあ、まだこちらにやってきて一日と経っていませんからね、それも無理はありませんわ。けど、明日の街は本当に賑やかで大きいですから、きっと真守やカノンさんを飽きさせはしませんよ」

 ふふと笑うアリス。

 その言葉を聞いて、俺の目からは涙が零れた。本当に、本当に、アリスと一緒になれてよかった。こんなにも親切で、こんなにも強くて、こんなにも頼れるアリス。本当に不幸中の幸いだったと思う。涙は口の中へと入っていった。塩辛い味だった。

「アリス。ちょっと横になっていいか?」

 俺は流れる涙を左手で塞き止めて、彼女に言った。

「ええ、大丈夫ですわ。お疲れですか……?」

 俺は腰を大地に倒して、さらに足を伸ばす。今度は空に輝く月と星だけが目に入ってきた。朧に見えた月は、涙のせいで、さらにぼやけて見えた。

「うん。疲れちゃったよ。今までの自分と比べると、歩幅も小さいし、体力もないから歩くのが大変だった」

「ええ、そうですね。分かりますわ。私も真守が感じる感覚を共有していますから」

 星屑の海。朧月。そして闇。それ以外は何も見えない、まるでプラネタリウムのような幻想的な世界。だが、これは本物、作り物ではない。……いや、この世界は本当に本物なのだろうか。一見すると中世ヨーロッパのような雰囲気の世界だ。教会があって、魔女狩りというものがあって、奢侈品の販売がある。

 だが、この世界には魔法がある。魔女狩りは歴史上存在した。しかし、魔女なんてものは教会によって作られたスケープゴートのはずだ。魔女なんてものは本当は存在しないはずだ。

 とは言うものの、アリスの存在が今ここにある。こいつは魔女だ。実際に魔法を使ってみせたりする。想像した魔法よりはあまり派手ではないが、不思議な力で俺を何度も守ってくれた……。

 この世界は実は俺が夢で見てる世界ではないのだろうか。今日眠りにつけば、いつもの世界が戻ってくるだとか。それとも本当に異世界に俺は存在しているのだろうか。その答えは誰も知らない。いや、誰かはそれを知っている。そしてその答えを夢であろうが、異世界であろうが俺たちに伝授してくれるはずだ。

 上空に広がる星屑の海に、光を放ちながら高速で動く物体が見えた。流れ星だ。子供の頃は流れ星に願いをかければ、本当に願いが叶うと信じていた。だが、今、もう高校生となった自分はそんなオカルト的なことなど信じなくはなかった。昨日までは。

 今の自分は藁にもすがる思いで、その流れ星に願いを掛けようとする。

「流れ星が出ている間じゃないと、願いは叶わない。」

 だとか

「三度願いを掛けなければ効果はない。」

 とか一般には言われているが、そんなことは今の俺にとって関係なかった。今はただ、流れ星に、いや星屑の海に、全てを空から覗いているように思える星空に、自分の望みを、たった一つの願いを、一回だけでいいから、聞いてもらうだけなのだ。

「みんな揃って、元の世界に戻れますように……!」

「……ふふ、願い事ですか、真守」

 アリスが俺のことをまるで子供のように扱い、言った。

「うん……そう。子供っぽいと思われるかもしれないけど、今の俺はこうするしかないんだ」

「バカになんかしてませんわよ。きっとどの世界の人も、星に対してはある種の特別な力を感じてしまうんでしょうね」

 そう言うとアリスは両手の指を胸元で絡ませ、天を仰ぐ。

「私はあなた方の幸福を祈りますわ」

 アリスとそんな会話をしていると、後ろから草が踏みつけられる柔らかい音がした。

「真守くん、アリスさん。……全身に塗り終わったよ……」

 カノンだ。カノンからは草原の匂いと良く似た、深緑の香りがした。カノンは仰向けになっている俺のところにやってきて、そのまま俺の横に臥した。彼女も俺が見つめる星屑の海を見つめる。

「すごく、綺麗な星空だね……」

「うん……」

「……お二人とも何か良い雰囲気ですわね。カノンさんは大丈夫かもしれませんが、私と真守はそろそろ眠る時間ですわね。もう今日は結界を張って寝ることに致しましょうか。明日も早いですしね」

 そう言うと、臥していた俺の身体が立ち上がり、左のポケットから木製の棒を取り出した。大地に大きめの円を描き、さらにその円の中に五芒星を描いた。上空に広がる星と同じ、そして桔梗の花と同じ形の五芒星だ。

 するとアリスが描いた結界は、暗黒の中で蛍光塗料を塗ったようにボーッと妖しく煌いた。アストラルをここから感じることができた。

「これで大丈夫ですわ。この中にいれば、外部からの攻撃や進入から自由でいられますわよ」

 カノンと俺はアリスの描いた結界の中へと入る。違和感などは特になく、外よりかはソフトで暖かな感覚を受けた。俺がほっと一息つくと、すぐにあくびが出た。それも無理はないだろう。

 今日という日を振り返ってみる。ありえないことが連続して起きたのだ。自分が自分でなくなって、魔法というものが存在して、自分の死体を客観的に見つめて、カノンは死者で、結界は俺たちを守ってくれた。本当に夢のような出来事だ。……本当に夢なのかもしれない。夢であるとうれしい。けどアリスとは離れ離れになりたくないなんていうジレンマを抱えていた。いずれ俺にはチャンスが巡ってくるはずだ。お別れはきっとその時だろう。そのように思いたかった。

 俺は結界の中で、緑の葉ををベッド代わりにし、横になる。カノンも俺の隣に横たわった。カノンは本当に睡眠を必要としないのだろうかと疑問に思った。

 お互いに顔は正反対の方向を向いていた。それはやはり顔を見交わすと恥ずかしくなり、お互いにドキドキして眠れなくなってしまうからだろう。けど幼馴染で、ずっと一緒にいたはずなのに、今は二人とも女の子なのに恥ずかしいのはどうしてなのだろうか。カノンと俺の間には隔たりがまだあるのだろうか……。

「真守くん、おやすみ……」

「カノンもな……」

 お休みの挨拶をし、俺は睡魔に襲われながらも、ついつい考え事をしてしまった。

 アリスは明日にはノルゼニア王国を超え、この辺りでは一番大きな国であるノノキア王国に着くと言っていた。そしてノノキア王国に入れば、すぐに大きな街であるアッシア街に着くと言っていた。大きな街なのだ、おそらくいろんな情報がそこには飛び交っているはずだし、アリスの友人もいるのだ。そこで真帆、芽瑠ちゃん、恵斗、律子センパイの情報も入手できるはずだ。きっと明日には誰か、また一人、仲間が増えるはずだ。

 ところでその仲間たちは一体今どこで何をしているんだろうか。みんなどこかの家の中のベッドでぐっすりと眠りについているのだろうか。それとも……。そして魔女狩りの危険には晒されていないだろうか。アリスによってある程度の安心を保障されているはずの自分よりも、今どこにいるか分からない仲間たちの方が心配になってきた。

 そんな中でアリスの声が結界内に響いた。 

「真守……? 起きてますよね……?」

「……アリス? 何……?」

 カノンに聞こえないような小さな声で、その問いかけに返答する。

「今、テレパスで真守だけに話しかけていますの……。とりあえず、明日到着するノノキア王国は確かに大きくて、様々な商品が飛び交う賑やかなところですわ……。けど、その分魔女である私が発見される可能性も増えてきますの……。その件で魔女について、お昼ごろに話しそびれたことを言わなくてはなりませんの。返事は声に出さなくて良いので、まあ聞くだけ聞いてくださいね……」

 俺は相槌を打った。

「……魔女が何故迫害を受けるのか。その第三の理由は魔女は淫乱であると信じられているからなのですわ。実際に魔女は悪魔と契約する際に、彼らと愛し合います。ですが、一般に信じられている乱れた交わりなどは致しませんわ。実際に魔女は貞潔を守り、聖女と同じく質素倹約に身を捧げますの。それはもちろん私も同じです。真守もその目で見ましたよね。ちなみに私の母は貧困と絶望の繰り返ししか訪れない生活に嫌気が差して、神を捨て、悪魔を信じ、魔女になったのですが。きっとその行為が一番の迫害の理由なんでしょうね。神を捨てるのは確かにこの世界においては許されない行為ですもの。さらにアストラルはその子供にも伝わりますわ。ですから魔女アリスは今ここにいるんですの。そのことは頭の中に留めて置いてくださいまし……」

 そう言い終わると、アリスはこれ以上何も発言しなくなった。

 俺はアリスの出生の秘密が分かり、今まで以上にアリスに近づけた気がした。こんなにも魂は近づいているが、それらの相互作用はほとんど無いに等しかった。アリスは俺を魔法で何度も助けてくれたが、俺は何も出来なかった。だから、アリスが俺にまた一つ知識を俺に与えてくれることで、俺の心は弾んだ。

 もう寝なきゃ、明日に支障が出る。

 俺は天井の星と月をもう一度眺め、瞳を閉じた。

 目を覚ませば、もとの世界にいるのかもしれない……。

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