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Through the Grassland - 02

 小屋を出発し、アリスと俺は、アリスが聞いた轟きの方向へと向かうことになった。

 アリス曰く、その方向は北らしいが、風景は最初に散雑に生えていた夏草の草原から、俺のくるぶし辺りの高さのまでしか伸びていない草の原っぱに変わることしかなく、方角という実感を掴みづらかった。

 俺はアリスと意思を合わせ、その草原をひたすら歩いていた。歩幅は小さく、いつもの感覚と比べてしまうと、これは凄く遅いペースだ。ただ、それには歩幅の小ささ以外にも、ずっとアリスと俺がそれぞれのことについて喋っていたという理由があった。俺は昨日までの自分や仲間について、そしてアリスは俺にこの世界のことについて教えてくれた。

 自分のことについては、日本という国の桔梗町という場所で生活をしていたということ。桔梗町は海と森が、手を延ばせば届く、田舎の町だということ。田舎とはいえ、この世界よりはずっと発展していて、高性能な機械が至る場所で動いていること。電力というものを利用して、夜でも月や火の助けを借りることなしに、昼間と同じくらいの明るさを手に入れることができること。星の形をした桔梗の花がその町のシンボルであること。そして俺は桔梗高校という学校に通っていたということ。昨日は生徒会という学校の組織で話し合いをし、その日は帰りが遅くなったということ。帰りに乗った電車がトンネルを抜けると、突如光に包まれ俺は意識を失ったということ。

 それから、アリスと俺が探して行くであろう、俺の大切な仲間を紹介した。

 俺の幼馴染であり、物静かな、ふわふわのショートヘアーと少々憂いた瞳がトレードマークの黒羽カノン。一人称がボクというのも少し不思議である。

 俺の妹で、長めの髪を後ろで束ねている、超がつくほどの元気娘、篠原真帆。

 その親友の、綺麗に整えられた波を打つ、腰まで伸びた長い髪がお嬢様らしい気品を放っている清水芽瑠。

 俺の友達で、問題を起こすことが多いが、本当はいい奴である、発明好きの明智恵斗。髪は男にしてはちょっと長かった気がする。

 そして、紫苑高校三年、大柄の体格で、凛とした眼と腰まで伸びたストレートの髪が印象的な、剣術を得意とする香月律子。

 俺を含め計六人がこの世界にいるはずだと、彼女には伝えた。魂が肉体から飛び出ている今、なぜ髪型などの容姿をアリスに教えたかというと、それは魂は必ず自分と似通った雰囲気を持つ肉体を選ぶかららしい。例えば、律子センパイを例に挙げると、この世界ではロングストレートの髪と、凛とした眼を持つ、剣術を得意とした女性の肉体へと、彼女の魂は吸い寄せられるのだという。

 では、なぜ男の俺が、アリスという自分とは全く似通うところのない少女の肉体の中にいるのだろうか。当然そのことは疑問に思われる。

 アリスが言うには、それは男性の肉体は魂を反映しているので、外部から魂が進入しにくいという。一方女性の肉体は魂を反映していない。だから抜け出た魂は初めは男性の肉体を求めるが、それが不可能になるとわかると、仕様がなく魂の弱い女性の身体へと進入するのだという。で、そのたまたまが、俺の場合はアリスだったのだ。

 それから彼女に、小屋に着く前に襲われかけたことを話した。これを聞くや、アリスは「もしかすると……」と言うだけで、俺には何も教えてはくれなかった。

 一方アリスからは、魔法について、魔女について、魔女狩りについてを聞かされた。

 アリスが使用した魔法について。彼女はアストラルと呼ばれる、魔女だけが持つ不思議な力を持っている。アストラルは魔女の力の源である。アストラルは基本的には魔女の身体の中に溜まってゆく。身体の中のアストラルを外部へと取り出し、強力なイメージ力でそれを一気に炎・水・風・雷などへと転化させることが、俺たちの言ういわゆる魔法らしい。例えば水の場合は、外部の空気の中に含まれる水の核となる要素を中心に、アストラルと結合させるイメージをするらしい。

 ちなみに俺を助けてくれたあの柔らかい羽毛のような感覚の魔法や小屋の周囲を覆っていたのは、防衛術というのだとか。防衛術では常に術者の身体や一定の場所にアストラルを展開することで、外部からの衝撃を弱めることができるのだという。

 そして魔法使いすぎると、体中のアストラルが切れて、魔法を使うことができなくなる。これはゲームの中のマジックパワーを想起させた。

 ちなみに俺はアリスに、箒で空を飛ぶことはできないのか、ワープをして目的地に一気にたどりつくことはできないのかと尋ねてみた。彼女の答えは共にノーだった。前者は魔女であることが外部に簡単に分かってしまうから。後者は空間を操る魔法は、時間を操る魔法と同じく、最上級の魔法で、大量のアストラルを消費してしまうし、アリスには扱えないという理由だだった。魔法というと、なんでもありが当然だと思っていた俺は拍子抜けしてしまった。実際には魔女は質素倹約に献身するのが良いとされているらしい。だから、アストラルの節約は魔女にとって日常的に課された暗黙の了解なのだとか。

 また魔女についてもアリスは語った。この世界では聖女が崇拝され、魔女が糾弾されるという。そして魔女狩りも頻繁に行われているのだとか。ただ、多くの犠牲者は実際には魔女ではない普通の人間で、ほとんどが冤罪だというのだ。それに多くの町では、魔女だと噂されると、確実に教会――事実上の魔女糾弾施設――へと送られるらしい。俺はそれを聞いて震え上がった。今の俺は魔女なのだ。噂をされれば、魔女裁判に掛けられ、そこで魔女だと分かってしまう。

 なぜこれほどまでに魔女は糾弾されているのかについても、アリスは教えてくれた。一つに魔女が五十年前から広がった大規模な伝染病をばら撒いただとか、寒冷な気候による作物不作を呼び起こしたのは魔女だとか、戦争が絶えないのは魔女の責任だなどの噂を流されていること。第二に魔女は体内から毒を発生させ、人を殺したり、黒魔術で人を呪うことができると信じられていること。もちろんこれらは嘘だ。そして第三の理由は……。

「あ、あれだ! 見えてきたぞ!」

 小さな歩幅でずっと懸命に歩いていると、ついに目的地が見てきた。互いのことを語るのを中断し、俺はその金属の塊と化した、電車を指差した。その場所は周囲の土地より低く、遠くからでは、その金属の塊を見ることができなかったのだ。電車のガラスは粉々に砕け、草原に力なく横たわっており、その光景が俺を悲しくさせた。昨日まで動いて、俺たちを運んでいたはずの電車が、死んでいたのだから。さらにその死は、中にいるかもしれない俺たちの肉体の崩壊を想起させたのだ。

 自分や仲間の壊れた身体を見ることは辛い。だが、まだそう決まったわけではない。不思議な力で肉体が保護されているかもしれない。一パーセントでも可能性があれば、俺はその場所へと進んで行くだろう。

 今までのゆっくりとしたペースから、俺は少しピッチを上げて、電車への歩みを続ける。

「けど、あの金属の塊凄いですわね……。……真守は本当にあの金属に乗ってやって来たのですか……?」

 かなりの知識量を持つ、魔女のアリスが驚くのは無理もない。この世界にやってきて初めて感じるのだが、二十世紀の科学・工学は本当に先進的なものである。この世界――どのような世界かははっきりと分からないが、まだ電灯もない世界――の人物が、あの巨大な物質が存在し、しかもそれが乗り物で、魔法というものを使わず、電力と言うもので高速で動くと知ったら驚くだろう。

「うん。で、あの中に俺か仲間の身体があるはずなんだよな……」

「ええ、分かりましたわ。けど、巨大な物体がいきなり緑の大地に衝突したのですから、もう誰かがあの存在に気づいているかもしれません……。それが一般人ならばいいのですが……」

「教会の連中だと厄介ってことか」

「はい。そうですの。それでは急ぎましょうか」

 そうアリスが言う。アリスと俺は心を一つにして、ただの金属の塊と化した電車に向かって、早歩きの速度をさらに上げ、走り出す。下り坂でスピードが加速してゆく。距離にして五百メートルくらいだろうか。ものの数分でそこにたどり着いてしまうだろう。

 そして数秒間走り続けると人影が見えてきた。今までは茂みの後ろに隠れていて見えなかったのだ。

「真守、ストップですわ!」

「おう!」

 二人の息が合い、俺は動きを停止させることに成功した。電車の慣性の法則のように、前へとすっころぶことはなかった。その人影に見つからないように、俺は草原のところどころに生えていた茂みの後ろへと身を隠した。息が上がっていたので、呼吸を整えようと俺は新鮮な空気を吸った。首より上の生命活動は俺の役割だ。

 この世界の空気は澄んでいた。それは俺たちの故郷の桔梗町と比べてもずっと。確かに桔梗町の空気は都会と比べるとおいしかった。それを俺は毎日体感していた。だが、今の空気はそれ以上のものだった。

 呼吸が元に戻り、俺は先ほどの人影に目を凝らす。

 一人……二人……三人だ。二人の人影が残りの一人を取り囲んでいたように見える。

 そして三人目――取り囲まれている人物――の姿が見えた瞬間だった。俺の、アリスの胸に痛みがほとばしる。焼けるような痛みだった。まるで胸に焼印を捺されたような感覚。俺は初めはその感覚に耐え切れず、くらっと倒れそうになった。だがそれを堪え、俺は自分の胸を見つめる。

 胸から光がほとばしり、その光は薄い洋服を突き破り煌いていた。その模様は桔梗高校の校章と同じ星の形。桔梗の花の形と同じだった。

「一体これは……何なのですの……?」

 俺は左手でアリスの胸を押さえながら、前を覗いた。

 あの三人目の額から光がほとばしっていた。そしてその光も星型の模様をしていた。桔梗の花をかたどった模様。それも俺たちの高校、桔梗高校の校章に他ならなかった。

 その輝きは俺の頭の中にある一つのイメージを焼き付けた。カノン。彼女はカノンではないのかというイメージ。遠くて、姿を確認できないのだが、その光からはカノンのイメージを感じることができたのだ。

「もしかして……カノン……?」

 まだ太陽が高く昇っている時間帯にもかかわらず、その光の存在感はただならなかった。俺の胸もカノンと思しき人物の額と同じように煌いていて、向こう側からこちらの存在が分かってしまう危険性があった。だがそれは茂みの後ろに隠れることと、胸を草原に押し付ける匍匐の姿勢をとることで回避できた。そっと茂みから前を覗くと、他の二人はその少女の額に輝く紋章に気をとられているようであった。

 カノンに、仲間に一歩でも近づきたい。

 俺の身体は無意識のうちに起き上がり、彼女のほうへと走り出していた。

「……ちょっと! どうしたんですか、いきなり!」

 アリスが突然の俺の行動に困惑して言う。

「俺の仲間が俺を呼んでいるような気がするんだ!」

 坂道を加速してゆく身体。そしてそれと同時に明らかになってゆく光の主。

 全身を黒で身にまとった肉体。その黒から覗かせる白い肌。癖のかかった柔らかそうな髪の毛。茶色に染まった髪の色。そして憂いた瞳。

 間違いない。あれは髪の色の違いなどはあるが、俺にとってあの少女はカノンにしかえなかった。アリスも言っていた、「魂は自分に似通った肉体を選ぶ」と。それに額に輝く星。あれは彼女がカノンであることの根拠に違いない。

 カノンだ。そう思うと、俺はゆっくりと歩いてなんかいられないのだ。早くカノンに会いたい。会って、今の当惑の気持ちを共有したい。もうカノンとの距離はあまりないだろう。ただそれは見知らぬ男二人に接近するという危険性を伴った行為だ。

「もう、隠れても無駄ですわね……。残りの二人はもしかしたら魔女狩りを使命とする教会の手先なのかもしれないのですが、うまくやってみますわ」

「頼むよ、アリス! けど、突然で悪かったな!」

「ええ。気にしないでくださいまし!」

 もう三人は、坂道を下り向かってくる少女に気を取られていたのか、こっちをじろじろ見ていた。無論、視線は胸の光に集中していた。

 そのときには、男の手にはナイフが握られており、その刃先はカノンと思しき少女の手首に触れるか触れないかといった状況だった。俺にはそれが理解できなかった。何でこんなことになっているんだろうか。とにかく止めさせないといけない。

「やめろっ!」

「そこまでですわっ!」

 二人の声がハーモニーする。二人の男は共に片方の唇を不自然に吊り上げていた。一方カノンと思しき少女は胸の煌きを見て、驚きを隠せない表情になっていた。彼女にも俺が篠原真守であるということが分かるのだろうか。

 俺は一歩、また一歩踏み出し、カノンの隣へと進む。たとえ男の手にあるナイフで攻撃されようが、俺にはアリスの防衛術があるのだから、おそらく大丈夫だろう。案の外、二人の男は突然の俺の行動に呆気に取られたようで、俺の行動を止めはしなかった。

「もう大丈夫……、カノン……だよな……? 信じられないかもしれないけど、俺は真守だ。こんな小さな身体してるけどさ……」

「……真守くん……!? 本当に真守くん……!?」

 そう言い、カノンは、俺よりもずっと背丈の高いカノンは、俺を抱擁した。その表情はどこか悲しげで、身体は冷ややかな気をまとっていた。

「カノン……。一体何があったんだ……? 俺がここに来るまでの間に……」

 抱きしめあったまま、俺はカノンの耳元に囁く。

「………………」

 だが、カノンは黙っていた。俺は二人の男が恐怖を植えつけたのだとすぐに断定し、カノンとの抱擁を解いた。そして二人の男をキッと睨みつけた。

「一体、カノン……この女の子に何をしたんだ……?」

 怒りに身を委ねる。ルビーの目が吊り上げ、怖い表情を作ったつもりだった。

「怖いよ、お嬢ちゃん。子供は可愛くしないとダメだよ」

「そうそう。それに俺たちはこの娘を魔女じゃないかどうかを調べようとしただけさ。いつの間にかこの世界に来ただとか変なことを言い出すし、それに額には悪魔との契約印と思われる印があった。魔女は涙を流さないとの話だから、ダメージの少ない手首を傷つけて、反応を見ようとしただけさ」

 そうだったのか……。教会の連中は鬼畜極まりないと感じた。カノンが傷つけられるのは許せなかった。睨みつけることで相手を威嚇をしようとした。これがこの小さな身体で俺ができる精一杯のことだった。

「けどなあ、いきなり小さな女の子が飛び出してきたから驚いたが、こいつは胸に悪魔の契約印を持ってるぜ……! このガキと娘二人を魔女として教会に送りつければ、金はたんまり手に入るし、俺の地位も上がるってことだよな……!」

「そういうことだな、ここで殺しはしないが、二人まとめて眠ってもらうぜ……!」

 すると二人の男は共に右手に大きな棍棒を持つ。この男たちが思い切りそれを振り下ろせば、この小さな身体なんかいとも簡単に、骨まで粉砕し、俺は再び命を失ってしまうだろう。

「残念だなっ! 涙を調べるまでもない、お前たちはそれぞれ額と胸に悪魔の契約印を持ってるという、確実な魔女としての証拠があるから、ここで眠ってもらうぜっ!」

 二人のうち大柄な――今の自分から見れば共に大柄だが、その中でも特に大柄な――男は横から俺の身体を狙ってきた。このままだと、確実に肩の辺りにヒットし、やられてしまう。この強力な一撃でも、防衛術は本当に俺を守ってくれるのだろうか。恐怖が俺の身体を棍棒から遠ざけようとする。

「真守……。少し怖いかもしれませんが、落ち着いてくださいまし。これから先は、私の行動を邪魔することのないようにお願いしますわ……!」

 反射的に後ろへ倒れようとした身体を元の姿勢へと保ち、俺は返した。

「あ、ああ! 分かってる! 大丈夫、俺はアリスを信じてる!」

「ふふ。ありがとうございますわ。」

 俺は迫り来る恐怖に負けることなく、自分自身の身体の動きを停止させ、全てをアリスに委ねる。その瞬間、アリスの左肩に迫っていた棍棒が、ついに身体と衝突する。だが、魔女アリスの力が発動した。予想通り、柔らかな感覚が俺の身体を包み、攻撃を防いだ。痛みは感じられなかった。

 その様子を見た男は、唇を突き出して、こちらを眺めていたが、しばらくするとにんまりと口元が笑う。そして、背中に背負っていた大剣を引き抜いた。太陽光が銀色に反射していた。その反射光が一瞬俺の目をくらませた。

 良く研がれた剣。俺はあの剣が俺の肉はもちろん、骨まで引き裂き、上半身と下半身がバラバラに分離し、血を流しながら息絶える姿を想像した。アリスのアストラルを引き裂き、その刃が身体まで届くような悪寒がしたのだ。

 だが、アリスはただ「私を信じてくださいまし」と言うだけだった。

「はははっ! さすがは魔女と言うことだな、優しくしてやろうかと思ったが、そうは行かないみたいだな……。お前たちは魔女確定、神に背く罪深い存在なのだから、やはりここで死んで償ってもらうことにする!」

 男が大剣を頭の上に振り上げる。そしてアリスの頭を目掛け、それを力強く振り下ろした。

 それに対し、アリスは両腕をピンと男に向け伸ばし、小さな両手で三角形を作った。アリスを覆うアストラルが彼女の両手に集まってゆくのが分かる。

「アストラルプロテクションっ!」

 男の大剣が彼女の三角形に触れたかと思うと、その男は後ろに五メートルほど吹っ飛んだ。両手に持っていた大剣は彼の腕から、力なく重力に任せ落ちていった。後ろにいたもう一人の男も巻き添えになった。二人とも、背中から緑のクッションへと衝突した。アリスはあれだけの衝撃をものともせず、不動だった。そよ風が緑の草原に吹いた。

「……すごい……!」

 刃が自分の身に襲い掛かるのは正直言って怖い以外の何物でもなかったが、初めて見る防御以外のアリスを目の前で直視し、俺は正直驚いた。

「真守くん……すごい……!」

 カノンも口を両手に覆い、驚きを隠せないようだった。

「ただ、相手の力を利用しただけですの。これならアストラルの消費も少なめですし、便利なのですわ。魔女たるもの質素・倹約に生きるべきですからね。さてと……」

 そう言うと、アリスは吹っ飛んだ男が落とした大剣を拾い、男の方へと歩き出す。剣は子供のアリスにとっては重かった。カノンはただその様子を見るだけであった。

 男の前に立つと、アリスは二人を見下して言った。

「あなたたち、教会の回し者ですわよね……?」

 非人間的で、冷酷な、どこか悪魔のようなアリスだった。その、俺が初めて知るアリスに俺自身、身がすくんでしまった。

「あ、あああ、そうだ、いやそうです。俺たちはノルゼニア王国中央教会に今朝起こった轟音の原因を調べろと命令されて、ここにやってきて、ちょうどあの白い服の女の子がいたので、質問したら、訳の分からない事言うし、なにか悪魔的な要素を感じ取ったから、魔女だと思い連行しようとしただけなのです。はい」

 二人の男は怖じ気づいて、愛想笑いを浮かべ、仰向けのまま後退した。アリスはその男が動くのに合わせ、一歩、また一歩踏み出す。やはり両手の大剣が重く感じられた。

「なんで、逃げるんですの?」

「いや、その、あの、ごめんさい……。ははは」

「私はどうしてあなた方が逃げるのかを聞いているんですの。ふふ、もういいですわ、所詮は教会の捨て駒、私を喰らおうとしたあなたの剣で潔く死んでもらいますわ。当然の報いですわ……」

 そう言うと、アリスは両手で剣を頭の上へと振り上げる。まだ幼い身体なので、少しばかり身体がプルプルと震えていた。そして、そのまま重力に任せ、勢い良く大剣を振り下ろした……。

「生きる価値なんて、あなた方にはありませんわ! 適当な口実で魔女を糾弾して、許せませんの! 魔女の気持ちにもなってくださいましっ!」

「ダメだっ! アリス!」

 俺は腕を重力とは逆の方向へと動かそうとする。アリスが男に向かって大剣を振り下ろす力は、重力の助けがあり、もの凄まじかった。正直、この剣を止められるとは思っていなかった。

 ……剣は止まった。男の顔の上方、十センチほどで。剣先から視線を延ばし、男の顔を見ると、目を瞑り、いたるところから冷や汗が流れ出ていた。俺は胸をなでおろし、安堵の息を漏らす。

「なんでですのっ! なんで私の邪魔をするんですのっ!!」

 アリスの言葉には明白に怒りの念が含まれていた。

「だって、人を殺すことはいけないことじゃないかっ!」

 そのはずだ。俺は子供の頃からその常識を知っていたし、今になるまで、もちろん守ってきた。

「甘いんですわ、真守は……。私たち魔女は生きるために彼らを殺さなければいけませんのよ……」

「生きるために殺すだって……?」

「ええ。それには正当な理由がありますの。この者たちには間違いなく私たちの顔を覚えられている。もし生きて帰ったら、教会本部にこのことが伝わり、私たちは魔女として全国に指名手配されるでしょう? そしたら街でお買い物もできません。新しいお洋服を買うことができません。食べ物も裏市でしか購入できなくなりますわ! そうしたら私、それにあなたも表の世界から完全に抹消されてしまうのですよ! その立場が解かりますか、真守……? そんなの、そんなの、私は耐えられませんわっ!」

 アリスが力強く発言するのに、俺は心を打たれた。

 確かに生きるためには多少の犠牲が付きものかもしれない。それに魔女として全国に指名手配されたら、俺の身にも危険が及ぶということだ……。俺の目的は安全にもとの世界に帰ること。実際、この世界は俺とは何にも接点がないのだから、人が一人二人死のうが関係ないじゃないか……。それに、殺人を犯すのは俺じゃない、アリスだ。魔女は生きるために、口封じのため、人間を殺すのだ。

「お、俺たちなら、きょ、教会に今日のことを漏らすとかはしねぇ! だから、お助けを……!」

 二人の男は俺の目をじっと見つめ、許しを乞う。だが、俺の決断はもう確固たるものだった。

「アリス、ごめんな……。死というものに俺はいたずらに振り回されていただけなのかもしれない……。俺たちが無事でいられることが、やっぱ最優先だよな……! 多少の犠牲が出たとしても、俺は……安全が欲しい」

「……ふふふふふ。ありがとうございますわ。それで良いんですよ、真守。この世の中は弱肉強食。口では何とでも言えますし、こいつらを逃して私たちの生命に危険が及ぶなんてバカ過ぎて笑えませんよね……。……では、口封じの為に死んでもらいますわ!」

 いつもの明るい声色だった。俺の良く知るアリスだった。だが、言っていることは非常に黒かった。そのギャップに畏怖の念を抱いた。

 アリスはもう一度、大剣を振り上げ、そして男の頭目掛けそれを振り下ろす。

 柔らかな肉を裂き、硬い骨までをも破壊する剣。暗めの赤が切り口からどっと噴出した。そして赤に染まった剣を精一杯の力でもう一度振り上げ、すぐさまもう一人に下ろす。先ほどと同じ感触だった。返り血は全て、アストラルで防がれた。人なんて簡単に死んでしまうんだなと考えた。実際に自分も一度死んだことになるはずであるし。

 本当に一瞬の出来事。俺、いや俺ではない、アリスが二人の人間の命を奪い去る。こいつは小さくて、まだまだ子供と見える。だがその本性は猫を被った、悪魔に取りつかれた冷徹な魔女なのだ……。

 アリスは両手に握っていた大剣を手から離し、肉塊の上にそれを落とした。ドスリという音がした。

「……さてと、これでひと安心ですわねー」

 俺の良く知るアリス、明るくて、幼さを残した彼女の声だ。俺はしきりに降りかかってきた緊張から解放され、気が緩み、一息ついた。

「安心してられませんわよ、真守! これからが真の目的ですのよ。電車内に入り、あなたの肉体が無事か調べますわ。さあ、カノンさんも行きますわよ!」

 アリスはくるりと半回転し、カノンのほうを向く。俺が、アリスが殺人を犯したことをどう彼女は思っているのだろうか? その答えを俺はカノンの表情や行動から汲み出そうとしたが、彼女は無表情のままその場に立っているだけだった。そして、ゆったりと一歩ずつこちらへ近づいてくる。

 これから俺たちは自分の姿を客観的に見ることになるのだろう。ただただ肉体の無事を祈る。

 俺たちは横に倒れた電車めざし、再び草原を歩いてゆく。車輪をこちらに向けているので、外から内部を容易には見ることができなかった。進入して、直接確認するしかないのだ。

 

 切断された電車の連結部分から車内に入ると、すぐに二人の人影が最奥に見えた。電灯は全て粉砕していたが、車両が横に倒れているので、天井の壊れた窓から射光が差し込んで、その光が肉体を照らし出していた。その身体はいつものように目にする、制服に身を包んだカノンと俺だった。カノンはいつものセーラー服と紺のスカート、俺はいつもの白いワイシャツと黒のズボンだった。案の外、至る所に傷を負った電車とは対照的に、その身体は綺麗だった。ガラスの傷も全くなかった。どうしてそうなっているのか疑問に思われた。

 カノンと俺はすぐさま自分たちへと近づく。歩くたびに、床に散らばった粉砕した窓ガラスが軋んだ。

「それにしても、本当にあなたたちの世界の技術って凄いのですね……。内部はこの世界では目にすることもない造りで、さっぱり理解できませんわ……」

 アリスが独り言を漏らした。

 俺たちは自分たちの肉体の前に立ち、その身体を凝視した。それらは眠ったまま魂が抜けたような、安らかな表情をしていた。

 やはり目の前のカノンと、俺の隣にいるカノンは似ていた。カノンは今の自分の姿を、鏡や水溜りなどですでに目にしているのだろうか。また、自分の姿をこうして外から見るということは、幽体離脱のように思えた。それもあながち間違ってはいないが。

 各々が自身の身体に触れる。俺の身体は、アリスの、今の俺の肉体より僅かに冷たかった。もちろん生命活動はしていなかった。

 視覚で自分の肉体の無事を確認し、触覚で自分の魂が目の前の身体から、アリスの肉体へと移ってしまったんだと確信する。では元通りにするにはどうしたらよいのか。

「アリス。俺らの魂をこの身体に戻すにはどうしたらいいんだ……?」

「……んー、分かりませんわ。……ごめんなさいませ。何かできるかと思ったのですが、何も案が思い浮かびませんわ。とりあえず、今はこの死体……と言っては失礼ですね……、この肉体を私のお家に運びますの。この場所に置いたままだと、教会の連中が勝手に火葬するかもしれませんし、魂を失った肉体は腐ってしまいますから、そのケアもしなければいけませんしね。では、真守、カノンさん、行きますわよ!」

 俺はアリスの幼い身体で、彼女の二倍以上大きな自分の肉体を運ぼうとするが、なかなか動かなかった。普通に持ち上げようとすることは不可能だったし、引っ張ると床に広がるガラスの破片が肉体を傷つけてしまうだろう。元の身体とあまりサイズが変わらないカノンに助けてもらおうか……。俺はそう考えた。

 だが、アリスは俺とは別の提案を出した。

「しょうがないですわね。アストラルを使って、この肉体を動かしましょう。カノンさんの手を煩わせるわけにもいきませんし……。アストラルは幾分か消費してしまいますが、仕様がないでしょう。」

「アストラルってそんなことにも使えるのか……」

 素直に感心し、俺は口をぽかんと開ける。

「できれば倹約を貫かなければいけないのですが、あなたたちの肉体の方が大切ですからね。それに私の肩も凝ってしまいますが……」

 アリスが、子供っぽくないことを言う。すると、柔らかく温かな感覚のアストラルがカノンと俺の少し冷えた肉体を包んだ。そのままアリスは不思議な力で二人を浮遊させる。地面から大体三十センチほど浮いていた。二人で合計約百キロはあるだろうが、アストラルを発する俺の身体は重さなどを全く感じなかった。

「さて、よろしいですか?」

「おう!」

 俺は草原の出口に向かい歩を進める。ガラスの割れる音がした。そのガラスの音は一人分しか聞こえなかった。振り返ると、カノンはまださっきまで肉体があった場所にいて、突っ立っていた。その顔は光が射す、壊れた天井の窓を見ていた。

「どうした、カノン? 早く行こうぜ」

 するとカノンはこっちをじっと見てくる。何かが俺に付いているのだろうか。そして凝視しながらカノンは言う。

「うん。けど一つ聞いていい? ……あの、その左の腕輪から聞こえる、やけにお嬢様っぽい声は何なの……? 真守くんとは別の誰かなの?」

 そうか。俺はまだカノンにアリスのことを喋ってはいなかったんだっけか。カノンがそう思うのも無理はないことだ。俺が今の状況を受け入れ、当然のことだと思っていただけなのだ。

 俺は彼女に向かって笑みを飛ばした。そして、足が再びガラスの音を立てた。今度は二人分のガラス音がした。

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