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08 一筋の光明は誰がためのものか

 その朗報が皇帝にもたらされたのは、エルディーダ帝国領土であるシリルの森が枯れ始めたという悲報を受けた直後のことだった。



「アイゼンバーグが戻ったか」



 豪華や豪勢とはとても呼べない、質実剛健を絵に描いたような無機質で実用的な執務室には、エルディーダ帝国16代皇帝の、ジークフリート・マルケス・エルディーダの姿があった。



 一度目にすれば決して忘れることのない燃えるような深紅の髪。

 軍事帝国の頂きに座る人間とは思いがたい人形のように整った綺麗な面差し。

 しかしその体は厳しい鍛錬により鍛え上げられ、引き締まっている。

 一見すると皇帝というより騎士といった方がしっくりくるが、その理知的で厳しい眼差しは一介の騎士に宿ることのない帝王のものだ。



 若干20歳で王位を継ぎ、10年。

 破滅の足音に世界が混乱の渦にある中、その優れた手腕で広大な領地を誇るエルディーダ帝国を守り続けている名君と名高き皇帝陛下だ。しかしながら、日々舞い込む各地における森や泉などの枯渇の知らせに、その秀麗な顔は常に厳しい表情を讃えている。

 威厳が出たといえば聞こえは良いが、深く刻まれた眉間のシワが取れなくなってきたことが、この若き皇帝陛下の密かな悩みだということは、誰も知らない。



「師団長が……早急に陛下に報告したい旨があるとのことですが、宜しいでしょうか」



 目を通していた書類から顔を上げ、宰相であるマーク・トリニティ侯爵を見返す。平凡な茶色の髪に、人の良さそうな穏やかな顔立ち。

 その柔らかな雰囲気に騙されがちだが、頭脳明晰で国のためならばありとあらゆるものを切り捨てることを厭わない冷酷な面も持ち合わせる男だ。

 そんな常に冷静沈着な男が、どこか動揺したような、少し顔色が悪いような、とにかく常にない様子を滲ませている。



「……確かあいつはサロメ王国のアリアードへ調査に行っていたな。帰還したばかりで報告とは、朗報なら嬉しいのだが……お前の様子を見ると良いことはなさそうだな。分かった、通せ」



 ジークフリートの許可を得たマークが、執務室のドアを開けると、部屋の前で待機をしていたであろう大柄な男が皇帝の執務室へと足を踏み入れた。



 ジークフリートは、国内外から稀代の名君と誉れ高き若き皇帝である。

 別に自称しているわけではなく、ジークフリートの皇帝としての働きぶりを評価した民や国外の人間がそう呼んでいるのだが、それでもその期待に応えようと、この10年間努力を惜しまなかった。

 腹に一物も二物も抱えてる高位貴族の狸じじいと渡り合う時も、妖艶な美しさで皇帝を籠絡せんとからみついてくる美女を相手にしても、意地でも動揺の一つとして見せなかった。

 いついかなる時も冷静に物事に対処できる、皇帝として相応しい人間に成長出来ているのだと自惚れではなく誇っていた。



 そんな誇りが今この瞬間吹き飛んだ。

 それはもう木っ端微塵に砕け散った。

 大きく目を見開き、口をパクパクとまるで池にいる魚のように開閉し、思わずと言った体でドアから入ってきた男を指さす。



 それは、腹心の部下であり、幼い頃から遊び相手として王宮に招いていた幼馴染であり、腹を割って話すことが出来る数少ない友でもある、ライオネル・アイゼンバーグに間違いなかった。




 それだけなら何の問題もない。

 宰相からの知らせを受けて自らが招き入れたのだから、入ってくるのはライオネル以外ではありえないのだから。



 その腕の中に見ず知らずの少女さえいなければ。



「お、おま、お前、つ、つい……ついにっ……」



 キラキラと輝く金色の豊かな髪の毛。

 シミ一つなく透き通る白い肌。

 目を閉じていても分かる、その繊細なまでに美しい造形。

 ジークフリートが今まで相手をしたどんな美女よりも美しい儚げな少女が、ライオネルの腕の中で気を失ったように眠っている。


 焦って言葉が出ない皇帝陛下を尻目に、美少女を腕に抱いたまま、ライオネルは口を開いた。



「サロメ王国のアリアードにおける調査にて、我が国にとって大変有力な情報を手に入れました。かの町では、世界的に進む水や緑の枯渇が一切見られず、食物や家畜等も潤沢で……」



 何事もなく、それこそ腕の中の少女の存在など無かったことのように報告を行うライオネルに、ジークフリートもマークも驚けば良いのか喜べば良いのか全く頭が働かない。

 エルディーダ帝国の頭脳と言っても過言ではない二人が揃ってこの体たらくである。

 それだけライオネルに気を失った美少女という組み合わせが心臓に悪いということだ。

 この執務室に来るまでに、ライオネルとその腕の中の少女を目にしたせいで、一体何人の再起不能者が出たのか、考えるだけで恐ろしい。



「ま、誠か。いや、その報告は大変喜ばしく、少しでも救いの糸口が見つかるのであれば、続きをすぐにでも聞きたいのだが……先にお前の腕の中にいる者について尋ねても良いか?喜ばしいはずの報告が全く頭に入ってこない」



 まさかどこからか浚ってきたのか。

 いや、まさかな。

 仕事一筋で、帝国に忠誠を誓うまさしく忠臣と呼ぶべきアイゼンバーグ師団長ともあろう者が、そんな年端もいかない少女を浚うなど。

 いくら顔が怖いせいで女性が寄ってこないといっても、実家は高位の貴族であるアイゼンバーグ侯爵家だ。実家に頼めば嫁なんて簡単に繕ってくれるはずだ。

 そんな、成人しているか微妙な少女を、あ、でも胸が結構あるから、成人年齢は超えているのか?



 ジークフリートのよこしまな、だが男としては当たり前の視線がその少女の胸元にちらりと向かった瞬間。

 ギロリと音がしそうな程鋭い眼差しが飛んできた。



「アイゼンバーグ、いやライオネル。それは主君に向ける目ではないだろう」



 背筋にヒヤリとしたものが走ったおかげで、ジークフリートは少し冷静さを取り戻した。



「では、ミティリアの胸にいやらしい視線を送るのはお止め下さい。宰相殿もですよ」



 どうやら宰相であるマークも皇帝と同じ行動をとっていたようだ。視線を送ると、いつも穏やかなその顔が心なしか青ざめている。



「ミティリア、というのがその少女の名か?」



「はい。アリアードの領主館の地下において、監禁されているのを発見し、救出致しました」



「……監禁だと?」



 あまりに不穏な言葉だ。

 ライオネルの腕の中で安心したように眠りに着く美しい少女とはかけ離れた言葉。

 だが、それよりも。



「その監禁されていた少女が、なぜ、お前の腕の中にいるんだ」



「連れて帰ってきました」



 他国の少女を。

 勝手に。

 エルディーダ帝国の師団長が。

 浚ってきた。



「お前は戦争をしたいのか?」



 エルディーダ帝国がサロメ王国を潰すことは容易いだろう。

 ライオネルが指揮をとれば、一月とかからずかの国を落とす自信はある。

 だが、戦争を仕掛けた場合、サロメ王国を挟んだ魔法大国ウィルヘルムの動きも気になってくる。


 水や緑を求めて、戦争を起こそうと画策している国も散見されるが、少なくともジークフリートに自ら戦争を起こす気は無かった。

 いつだって戦争の一番の被害者は民だ。

 ただでさえ疲弊しはじめている民を苦しめることは、この国の王として、決して許すことは出来ない。

 それを、誰よりも分かっているのが、師団長であるライオネルのはずだ。



「いえ、戦争を起こすつもりは決してありません。ミティリアを監禁していたのは、アリアードの領主でした。その男の言葉から、さらに上の人間の命令があったようです。サロメ王国に引き渡すことで、再びこの少女が同じ目に遭うことは自明の理です。それに、我々はアリアードの領主によって地下に監禁されていた少女を保護しただけです。もし相手方が何を言ってこようが、言い逃れはいくらでもできるでしょう」



 捲し立てるように言い募るライオネルがどこか必死に見えて、ジークフリートは、おやと思う。

 確かに監禁はサロメ王国においても重罪だったはずだ。

 それを救出して保護したのであれば、大きな問題にはならないだろう。

 サロメ王国は表向きは友好国であるし、大国であるエルディード帝国の機嫌を損ねるようなことはしないだろう。



 そんなことよりなにより。



「お前、惚れたのか?」



 腕の中の少女を誰にも奪われまいと、抱きしめている様子は、ジークフリートに一つの答えを導き出させた。



「なっ!?いや、俺は、そんな……」



 あからさまに動揺する男は、精悍な顔を瞬時に真っ赤に染めると、見たことの無いほど動揺してみせた。

 視線の先で、マークがそんな初めて見るライオネルの様子に驚いたように目を見開いている。



「そうか、そうか。ふーん、なるほどな。それじゃあ、皇帝としてではなく、友として、お前の遅すぎる初恋を応援しないわけにはいかないな」



 30を超えた男の照れた顔など、本来であれば見たくもないが、それがあのライオネル・アイゼンバーグであれば別の話だ。

 仕事一筋で、浮いた話など一つもなく、ただひたすら国に忠誠を誓い、その忠誠に違うことなき働きをしてきた男。

 そんな忠実な部下兼、幼馴染兼、友の幸せを叶えることくらい出来なくて、幾千幾万の民を幸せになど出来るはずがない。



「分かった。そのミティリアだったか?その子については我が国での保護を認めよう。サロメ王国が何か言ってきても、我が国の騎士が監禁されていた被害者を保護しただけだと突っぱねる。ただな、身元が分からぬものを王宮に置く訳にはいかぬから、その者はアイゼンバーグ侯爵家預かりとする。嫁にするならどこかの貴族の養子にでもしろ。協力するぞ」



「嫁だなんて、そんな、まだ……」



 訂正しよう。

 30を超えた男がもじもじした様子は、いくら幼馴染であろうが気持ちが悪い。

 特に、ライオネルのように体格が大変良い男の照れた様子は見ていられない。

 マークが気持ち悪そうに顔を歪めているのが良い証拠だ。



「そういえば、何故ミティリア嬢は眠っているんだ?まだ監禁のダメージが残っているのか?」



「道中、気を失いそれから一度も目覚めないのです。監禁されていた環境は悪く、言葉を教える者もいなかったため、言葉をほとんど話すことが出来ない程です。恐らく助けられたことで安心したのでしょう。脈や呼吸は安定していますから、じきに目覚めるはずです」



 安心ではなく、締め上げられたことによる恐怖によって気を失ったのだが、ここにその真実を知る者はいない。



「そうか……それは、辛かっただろう。話せずとも構わない。落ちついたらもう一度連れて参れ」



「はい。ありがとうございます、陛下」



「では改めて、アリアードについて報告してくれ」



 とりあえず腕の中の少女の件は理解出来たため、ようやく先程から気になっていたアリアードの報告を心おきなく聞くことができる。

 動揺のあまり、あまり頭に入ってこなかったが、どうやら待ちに待った朗報があるようだ。



 少女の置かれた環境や監禁されていた理由などは気になるが、それは今後調べて行けば良いことだ。

 もしライオネルに相応しくない人間だと分かれば、その時に処分すれば良いだけなのだから。





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