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06 深刻な相互理解不足について

 アリアードを発った頃には高い位置にあった太陽も、エルディーダ帝国に足を踏み入れた頃には傾き始め、野営地と決めた小さな湖の近くに着いた頃には、すっかり姿を隠していた。



 薄暗い中、パチパチと音を立てながら燃える枯れ木の炎を囲みながら、テキパキと慣れた様子で夜営の準備に取り掛かる男たちは、湖の近くに立つ一際大きな木の根元に広げられた敷物の上にちょこんと座りこんだ小さな少女が気になって仕方ない様子で、少女の隣に鬼上司がいると分かっていても、ちらちらと視線を送ってしまう。



「かわいい……」



 即席の寝床と雨風をしのぐ為の天蓋を張りながら、横目でミティリアを気にしていた一人の男が無意識のうちに呟く。

 その隣で、夕食として干したミル肉を頬張っていた同僚の男が、同じくミティリアに目をやりながら、感嘆のため息をついた。 



「可愛いって言うか、あんな綺麗な子初めて見たよ……王都にいる貴族のご令嬢達みたいに過保護な親に蝶よ花よと大事に育てられた訳じゃないのに、あの金色の髪も真っ白な肌も、本当に綺麗だ」



 健全な若い男としては、自己紹介なり会話なりをして、少しでもあの美少女とお近づきになりたいところだが、どうやらミティリアという少女は言葉が分からないらしく、さらにはその隣にピタリと守護者と化した師団長が張り付いているせいで、声をかけることさえ難しい状態だった。





 そんな熱いものが混ざった視線を受けている張本人はというと、ライオネルから夕食として渡されたミルの干し肉を手に、完全に動きを止めていた。



(何か……魔王りゃい様から臭い肉らしきものを渡されたけど。え、どゆこと?意味が分かんない。意図が分かんない。……何この臭い肉。いやがらせ……じゃないよね。魔王様も周りの配下?の人たちも、普通に食べてるから、きっと食べ物だよね?俺にもご飯としてくれたんだよね?殺す相手にエサを与えるってどんな罠?……俺のこと太らせて食べるつもりなのかな……でもこの世界に生まれて初めてのお肉っぽいものだし、お腹すいたし、食べていいっていうならもう臭くても食べちゃうけどさ……)



 疑心や恐怖よりも食欲が勝った結果、恐る恐る初めて見る余り美味しそうとは思えない干し肉らしきものを口元へと運ぶと、カプっと端の方へ小さく噛みつく。



「うぇ……」



 次の瞬間意味のないうめき声が口から零れ落ちた。



(かたい!くさい!歯が折れるし、噛み切れたとしてもこのまずさは飲み込める気がしないよこれ……どうして皆さん平気なの!?)



 あまりの動揺に、今この時まで必死に視界から排除していた、横でミティリアと同じものをそうとは思えないほど簡単に咀嚼しているライオネルに視線を向ける。



「ん?どうしたミティリア。遠慮せずに食べろ」



 軍の携帯食として一般的なミルの干し肉は、エルディード帝国内の市場などでも売られており、ある程度長期間保存のきくことなどから市民の間でもそれなりに人気のあるものだ。

 一般市民も含めて誰もが日常的に口にしているそれを、まさかミティリアが噛み切れないなどとは思いもせず、食べようとしない少女を不思議そうに眺める。



(この堅くて大きい肉を3口で食べちゃったよこの人。普通に食べてるけど、不味くないのかな?あのいつも食べてた味が薄いっていうか最早何の味もしないスープを食べてた頃からちょっと思ってたけど、もしかしてこの世界のご飯って美味しくないのかな?)



 気付いてしまった最悪の可能性に、全身から力が抜けてしまう。



(普段の食べ物がこれなら、ケーキなんて、スイーツなんて一生食べれないのかな。それならもうあの暗い部屋に返して欲しいなぁ。あそこでごろごろしながらたまに魔法の訓練してたあの理想的な生活に戻りたい……いや、諦めるのはまだ早い。どうせ魔王様に殺されるなら、その前に一度でいいから美味しいものを食べてみせる!とりあえずこの肉は魔王様にご返却申し上げよう)



「りゃい……んっ」



 口から肉を離すと、おもむろにライオネルに向かって干し肉を差し出す。



「……もしや、俺にくれるというのか?」


「んっ……」



 どこか困惑した様子でなかなかミティリアの差し出す肉を受け取らないライオネルの手に無理やり押し付ける。



「ミティリア……なぜ君はそこまで人に優しいんだ。君だってお腹がすいているだろう?自分が持ってるものを誰かにあげてしまえば困るのは君なんだ。……そんな様子だといつか悪い奴に騙されてしまうぞ」



 そう言っている本人が一番悪い顔をしていることに、突っ込みを入れる勇気のある人間はどこにもいなかった。

 ただ、二人のやり取りは常に注視されており、図体の大きなライオネルがあれだけの量の食事で満足するはずがないと思ったらしい少女が、自らに与えられた食事を躊躇せずに渡してしまったことに、誰もが驚いていた。



「どうやったら、あんな悲惨な状況でこんな優しい子が育つんだよ」



 ミティリアが閉じ込められていた地下室を目撃しているジェイドはそう呟いて小さなため息を吐く。

 初めは外交問題から連れて帰ることに反対していたが、ここまで健気な様子を見せられると、おめおめとサロメ王国に差し出さなくて良かったと、通常であれば決して許されない己の上司の独断を褒め称えたくなる。



 あの子はもっと幸せになるべきだ。

 そしてそれはライオネルが己の力の全てを使ってでも必ず叶えるだろう。



「ほんといい男に拾われたよ、ミティリアちゃんは」







 ライオネルに地下室から連れ出されたことを決して幸運とも嬉しいとも思っていないミティリアはというと、お腹が訴える空腹に一つの決意をする。



(よし。魔王様に臭いお肉も返せたし、何か食べるもの探そう。目の前に湖あるし、魚とかいないのかな。青魚でも白魚でもなんでもいいから、ムニエルとか贅沢言わないから、あのキャンプファイアーみたいな火で炙ったら焼き魚くらいにはなるだろうし)



 おもむろに立ち上がると、おぼつかない足取りで近くに存在していた湖に向かう。



「ミティリア?」



 突然立ち上がったミティリアを不思議そうに眺めていたライオネルだが、ぼんやりと湖の淵に立って水面を見つめるその様子にどこか不安を覚え、駆け寄る。



「君は靴を履いていないのだから、どこか行きたいところがあれば俺が連れて行く」



 言葉を理解していないとは分かっていても、耳から言葉に慣れてくれたらと思い、つい話しかけてしまう。

 ちらりとライオネルを見つめた後に、再び湖に視線を向けるミティリアのその瞳は、何かを切望しているような、それでいて何かを諦めているような、悲しげなものだった。



「そうか……物心つく頃からあの地下室にいたのなら、湖を見るのは初めてか。それどころか青い空も、太陽も、森や木さえ君は見たことがなかったのだろうな。これからはたくさんのものをミティリアに見せてやりたいな。……だが、この湖も昨年に比べて大分水量が減ってきた。周りの森も、枯れ始めている。雨が降らぬわけでもないのに、なぜこのようなことに……」




 厳しい顔つきで、現状を憂うライオネルを尻目に、ミティリアはおもむろにしゃがみこむと、湖に手を入れた。




(冷たっ。暗いから魚がいるかさえ分かんないなぁ。魚釣り上げる道具もないし、中に入って動く魚を手づかみできる自信もないし、やっぱり無理か)



 魚を手に入れるとの決意から諦めるまでの時間が異様に短いが、これは仕方ないと心の中で言い訳をする。



(大体さぁ、魚ってお店で買うものだし、釣りなんてアグレッシブなアウトドア前世ひきこもり友達ゼロの俺に経験なんてあるはずないし。……あ、悲しくなってきた)



 小さな小さなため息を一つ零して、諦めたように立ち上がる。



「どうした?」



 消え入りそうなため息をついたミティリアを見て、心配そうに声をかけるライオネルに向かって、思わず首を横に振る。




(魔王様。だめだ俺。魚1匹捕まえることもできないし、美味しいもの食べれそうにないし、敵の魔王に弱音吐くなんて未来の偉大なる魔法使いとしては失格だけど、でも、でも、お腹すいたよー)




 あまりの空腹に、大きな緑の瞳はじわりと滲みはじめ、ポロリと大粒の涙がその真っ白な頬を伝った。




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