04 騎士達の動揺
エルディーダ帝国軍の中でも特に選りすぐりの実力者が皇帝より拝命する職が騎士である。
一般の軍人とは一線を画すその存在は、誰もが強靭な肉体と鍛え上げられた精神力を持つエリート中のエリートと言っても過言ではない。
そんな彼らは、普段から冷静沈着であるよう訓練に訓練を重ねてきており、どんな状況でも動揺することなく自らを律する心構えを持ち合わせていると自負していた。
しかし、そんな自信は目の前の光景にもろくも崩れ去る。
領主の屋敷から出てくる我らが偉大なるアイゼンバーグ師団長。
少し……いやかなり……………いやものすごく、怖くて厳しい人物で、師団長の顔を見れば泣く子も土下座すると噂されているような人だが、軍に所属する人間は皆師団長の類いまれなる強さや軍をまとめ上げるカリスマ性、そしてその高潔なる精神を尊敬していた。
その腕に気を失った美しい少女を抱き上げている様子を目撃するまでは。
暴力的な空気を纏う巨体の真黒な肉食獣が、小さく可憐で触れれば崩れ落ちそうな少女を、離すまいと抱きしめている。
肉食獣の後ろから出てくる副官のジェイドや、一緒に領主邸へ突入していった同僚たちの顔色は悪い。
少女に意識はないようだ。
いまこの瞬間。
そこにいた全員の心の声は間違いなく一致していた。
……こ、この人ついにやりやがった!
騎士の矜持がどうした。
誇りがなんだ。
俺たちは全力で動揺している。
「あ、あ、あの!師団長……その少女は……?」
そう切り出した大変勇気のある騎士3年目グレン・カーマイルに誰もが心の中で拍手を送った。
その顔色が青を通り越して土色になりつつあることには目をつぶろう。
「ああ。エルディーダ帝国に連れて帰る」
「は?」
腕の中の少女に目を向け、眩しげに目を細める師団長。
その姿に騎士達が思い浮かべたのは、略奪してきた獲物を満足気に見やる極悪な山賊の姿だった。
自分達の上司はついに向こう側へと足を踏み入れてしまったのだ。
犯罪は顔だけだと思っていたのに……。
「すぐに帰還する。この町については、現状について皇帝にご報告後改めて調査を行う」
「あー、アイゼンバーグ師団長。多分こいつら何か勘違いしてますよ」
あまりに顔色の悪い部下達を気の毒に思ったのか、自らも沈んだ表情をしていた副官のジェイドが声をかける。
「勘違い?」
訝しげに部下達の顔を見回すその眼光が鋭すぎて、余計に凶悪な誘拐犯としか見えないことは、不幸としか言いようがないだろう。
「この少女はこの領主の屋敷で監禁されていた。それも長年に渡って。それを我らがアイゼンバーグ師団長がお救い申し上げ、安全なる我が国にて保護すると判断されただけだ。決して誘拐したわけでも、浚ってきたわけでも奪ってきたわけでも無いからな!そこに犯罪の臭いなんて無い。無いったら無い!」
副官が必死に言えば言うほどどこか信用できないのは何故だろう。
いや、今はそんなことよりも。
「監禁……ですか」
師団長の腕の中にいる少女は、眠っているのか気を失っているのかは分からないが、相当辛い状況に置かれていたらしい。
まじまじと濡れ衣を着せかけた師団長の腕の中にいる少女の様子を眺めると、その造形の美しさに息を飲む。
自分達の上司が行ってしまった犯罪に気を取られていて気付かなかったが、真っ白な肌はなめらかで、思わず触れてみたいという思いが自然と湧きあがる。
きらきらと太陽に輝く金色の髪は、監禁されていたとは思えないほど艶やかで、とても美しい。
とにかく全てが極上としか言いようがない。
「あの、良ければその少女を運ぶ役割は俺が代りましょうか?」
念の為に言っておくが、騎士3年目グレン・カーマイルに下心はない。
ただ、雲の上とも言うべき師団長に、手間をかけさせてはいけないという心からの忠誠心がそうさせただけだった。
しかし、彼の美しい忠誠心は、その対象である師団長自身から凍るような鋭い眼光でアダとして返ってきた。
「俺が連れて行く。お前らは指一本触れるな」
そう口にすると、スタスタと自らの愛馬に向かって歩みを進める上司の姿に対応できたのは、長い付き合いの副官であるジェイドだけだった。
青い顔で固まっているグレンの肩を優しく労わるように叩く。
「気にするな。どうやらあの子のこと相当気に入っちゃったみたいだ……あの子師団長のこと見ても一切怯えることなく、それどころかすっごく可愛く笑ったんだよ」
「え……」
あの顔に怯えなかっただと?
あの人1人どころか100人は殺してそうな顔を見て?
唖然としたグレンの表情に、ジェイドも部下が言わんとする言葉が分かると頷く。
「長い付き合いの俺でさえあの凶悪面は心臓に悪いっていうのに、あんな若いお嬢さんにふわふわと笑いかけてもらうことなんてなかっただろうから、ああ見えて浮かれてるんだよ」
「師団長が、浮かれてる……」
もう何も聞きたくない。
たとえ存在自体が怖くても、硬派でかっこいい憧れの上司なのだ。
若い女の子に微笑みかけられて浮かれてるなんて、信じられないし信じたくない。
「まあ、あの子もどうやらかなり大変な目に遭ってたみたいだから、余計に師団長の庇護欲が天井ぶち破ってる状態なんだろう。温かく見守ってやろうぜ」
物心つくころから一度も外に出されること無く、言葉すら知らない少女。
その少女を抱き上げている男は、顔は怖いかもしれないが、頼りになることにかけてはエルディーダ帝国においても右に出る者はいない。
彼に保護されたことは、少女にとってはきっと幸運だっただろう。
「どちらにしろ、この町が他と違って豊かだという話が事実だと分かったからには、国に帰って上に報告して、今後の動きを考える必要があるからな。急いで帰るに越したことはない。師団長に後れを取らないように帰国するぞ」
今回大きな収穫があった。
国を、この世界を、救うかもしれない手がかりが見つかったのだ。
そのついでに、一人の不幸な少女を保護するくらいはかわいいおまけだろう。
馬に乗り上げ、前に抱えた少女を決して落とさないようにがっしりと拘束する上司の姿に、どうしても犯罪の臭いが消えないことに、少し頬を引きつらせてしまう自分は、きっとまだまだ修行が足りないのだろう。