03 救われたのはどちらか
どこか湿った空気を感じさせるその部屋にいたのは、ろうそく1本分の光でも充分に分かる程輝いている薄金色の髪と、真っ白で陶器のように滑らかな肌を持った、天使のように美しい少女。
神が丹精込めて作り上げたと言っても過言ではない程、その顔の造形は繊細に整っており、少女がそこにいるだけで、じめじめとした地下室がまるで聖域のように侵しがたい雰囲気をまとう。
そんな美しい少女が、寝台から起き上がった姿勢で、開いた扉の先にいるライオネル達に視線を向けている。
様々な修羅場を潜り抜けてきた騎士達も、時間が止まったかのように、ただただその美しい存在に見とれていた。
そんな中で、一番初めに正気に戻ったのはライオネルだった。
「……これは、どういうことかな、領主殿。……何故こんな地下深くにこのような幼い少女が閉じ込められている?」
胸に湧き上がる怒りに任せて発したその声は、狭い地下室に恐ろしいほど低く響いた。
「ひっ!わ、わたしは、何も、何も関係ない!ただ、命じられるがままに地下室に入れていただけで……」
軍事大国エルディーダ帝国において師団長にまで上り詰めた男の殺気を一身に受けた領主は、体を大きく震わせ意識を失いそうな程怯えきっていた。
そして、この部屋には、殺気を向けられた領主並みに怯えている人間がもう一人いた。
(やばいやばいやばいやばい。何かヤバイの来た。てかこの怖くて黒い人どっからどう見てもラスボスだろ。もしかして魔王?魔法もまだ一度も成功したことないのに、いきなりラスボスってどういうことだよ。そんなラノベあったか!?やばいよリアル異世界。リアル怖い。この人顔怖すぎるし。てか後ろにいるライオンみたいな人も顔怖い。何か知らない人がいっぱいいるし。みんな顔怖い。無理)
人間恐怖が極まると、涙も叫び声も出ないらしい。
ベッドから体を起こした状態で、ミティリアはあまりの恐怖に、目を見開いたまま氷のように固まっていた。
「誰に命じられた」
ミティリアが恐慌状態に陥っているとは知らずに、厳しく詰問するライオネルに、領主が必死に反論する。
「あ、あなた方には、他国の人間であるあなた方には、関係のないお話でございます。どうぞお引き取りください」
「確かに我らはこの国の人間ではないが、たとえ他国といえどもこのような非道な行いを許すわけにはいかない!我が国と同様に、貴国でも監禁は重罪だったはずだが。」
領主の屋敷の地下深くに閉じ込められた美しい少女。
初めは少女の見目の良さから、領主の慰みものとして、監禁されているのかと考えた。
しかし、誰かに命じられたということは、この少女を閉じ込めている目的は違うところにあるのだろう。
この領主の様子からも、誰かの命を受けていたことは間違いないようだ。
監禁は許されることではないが、領主に良いように扱われていなかったのであれば、それだけがまだ救いだろう。
「ひぃっ……だが、私は命じられて…」
「往生際が悪いな。だから誰に命じられたかと尋ねているだろう」
眼光鋭く問い詰めるライオネルに怯えながらも、領主は口を開こうとしない。
その様子をベッドの上で固まったまま見ていたミティリアは、未だ状況を理解出来ずにいた。
(黒い人すごく怒ってるよー。あの怒られてるおっさん一体何やらかしたんだよ。とりあえず謝っとけ。まじで。あれは怒らせたらだめなやつだ。怒った顔怖すぎるから、お願いだから謝って!……ってこっち来た!嘘だろ。黒い魔王がこっちに来るー!)
何も答えない領主を部下に引き渡し、部屋のベッドに座ってこちらをじっとみつめている少女に事情を聞くべく、ライオネルは足を進めた。
「お嬢さん。大丈夫ですか?」
初めて聞くライオネルの優しげな声に、部下の男達は信じられないものを見たかのように、呆然とする。
(怖い。知らない人怖い。いつものおばちゃんは入り口のところにいるけど、なぜか中に入ってこないし。こんな怖い人無理。俺に話しかけてるけど、何て言ってるかさっぱり言葉分かんない。で、でも、愛想良くしとかないと、あのおっさんみたいに怒られちゃうかも。いや、怒られるだけならまだしも、下手したら殺されるんじゃ…………えと、えと、とりあえず俺はあなたに逆らいませんよーって笑わなきゃ)
目の前に迫った男に向かって、ミティリアは出来る限りの愛想笑いを浮かべた。
その微笑みを目にしたライオネルは息を呑む。
なんと美しい微笑みなのか。
女性からも子供からも怖がられている自分に、怯えることなくこんなに綺麗な笑顔を与えてくれる人がいるなんて。
内心猛獣に遭遇した小動物並みに怯えられているとは思いもしないライオネルは、生まれて初めて心の奥底から沸き上がる温かい何かに、少しの戸惑いと、抑えきれない喜びを感じた。
美しくも柔らかな頬笑みを浮かべたまま、こちらを見つめてくる少女の瞳は、ライオネル達が求めてやまない鮮やかな緑と同じ色をしていた。
「君は……何故自分がここに閉じ込められていたのか、そしてその首謀者が誰か知っているか?」
心臓を力いっぱい鷲掴みにされているよう、それでいて優しく包み込まれているような、そんな不思議な感覚に戸惑いつつも、かろうじて状況を忘れずにいたこの男は、今一番必要な問いを投げかける。
「……?」
しかし、少女は不思議そうに首を傾げるだけで、答えようとはしない。
「何故、ここにいるか分かるか?」
少し質問を簡単にしてみるが、相変わらず反応はない。
(さ、さ、さ、さっきから、何を言ってるんだろうこの黒い魔王様は。さっぱり分かんない。顔怖くて、声も怖くて、とにかく存在が怖いことしか分かんない。……やっぱり異世界って言語スキル必須だ。どうせおばちゃん以外と会うこともないから、言葉とかもういっかなーなんて考えてた昨日までの甘すぎる俺まじでバカ……とりあえず困った時は笑顔だ。自己主張の欠片もなく、ひたすら控え目な印象を相手に与える究極の愛想笑いを繰り出すんだ俺)
恐怖に口元が引きつりそうになりながらも、必死に作った笑顔は、その整った造形によって見る者に良い印象しか与えず、ライオネルや他の騎士達は見とれてしまう。
しかし、ふわふわと笑ったままこちらを見ている少女が、一向に質問に答えないことに違和感を感じる。
「この少女は口が聞けぬのか?」
これもお前らのせいか。
そんな思いを込めて後ろを振り返り、領主の男と侍女を睨み付ける。
「いえ、あの…」
もごもごと意味のない言葉を口の中で繰り返す領主に、腕を拘束していた騎士の男が苛立ったように力を強める。
「はっきり言わんか!師団長がお尋ねになっているだろう」
「ひっ……」
締めあげられた腕の痛みに小さく悲鳴を上げた領主の前に、侍女が青ざめた表情で観念したように進み出た。
「口が……口が、聞けぬわけではありません。耳も聞こえています。ただ、ごく簡単な言葉しか知らぬので、騎士様のおっしゃることが分からないのでしょう」
「……言葉が、分からない?」
目の前の少女は、見たところ13、4歳といったところだろうか。
いや、よくよく観察してみれば、白いネグリジェの胸元を押し上げる膨らみからすると、もしかしたらもう少し上かもしれない。
そう一瞬のうちに無表情の下で考察したライオネルは、無垢な乙女相手に何を不埒なことを考えているのだと、自らの頭を思い切り殴りつけたい衝動にかられた。
だがそんな自責の念も、侍女の次の言葉ではじけ飛ぶ。
「この者……ミティリアと申しますが、この者は、物心付く前からこの部屋で生活をしており、食事などの世話は私一人で行っておりました。私以外の人間と顔を合わせるのは、今日が初めてです……領主様とも会ったことがありません。今まで誰も言葉を教える人間がおりませんでしたので、言葉が分からないのです」
時間が止まったように、誰も身動きを取れなかった。
物心付く前からこんな劣悪な環境に追いやられ、言葉を学ぶ機会すら奪われるなんて。
「……なんと、残酷なことを」
窓がなく、外の光は一切入らない薄暗くじめじめした地下室。
幼子の時から一人きりでこんな場所に閉じ込められるなど、普通であれば気が狂っても不思議でもなんでもない。
ミティリアという少女が、こちらに向かってにこにこと笑いかけてくれていることが奇跡のように感じる。
その様子からは、誰かに対する恨みや怒りは微塵も感じられない。
どうしてこのように劣悪な環境にも関わらず、ここまで綺麗な心でいられたのか。
(あれ?なんかいきなり皆黙り込んだけど……魔王を俺から引き離す為に、おばちゃんが気を引いてくれたんだよな?そのせいでおばちゃんは魔王とその配下達にすげー睨まれて、怒られてるし。ごめんなおばちゃん。俺の為にあんな恐ろしい魔王に逆らってくれて……ただ怯えてご機嫌とりの愛想笑い浮かべてる俺とは心の鍛え方が違う。本物の勇者はあんただよおばちゃん!)
ミティリアの心が決して綺麗なものではなく、ただの残念な子だと気付く人間は恐ろしいことにどこにもいなかった。
「改めて聞くが、貴様ら何のためにこの少女……ミティリア嬢を監禁したのか?」
「……あるお方から命令されたのです。この屋敷の地下室に、生かさず殺さずの状態で閉じ込めておけと。私たちはこの者がどこの生まれで、なぜ閉じ込められなければならなかったかも知りませぬ。私はただ、命じられるがままに、この者に食事を運んでいただけですから」
領主は侍女がミティリアの出自を隠すことに疑問を感じたが、ただの少女を監禁していたのと一国の姫を監禁していたのでは、話が全く変わってくる。
すでにミティリアは見つかってしまったのだから、下手に口を開くより、このまま侍女に任せた方が自分の保身にも繋がると考え、口をつぐんだ。
「そのあるお方とは誰だ?」
「知りませぬ」
「ぬけぬけと…首謀者ではないとしても、貴様らの行いは到底許されることではない」
この期に及んで、首謀者の名前を口にしない侍女に苛立ちを覚え、これは詳しく詰問しなければと、領主と侍女に向かって歩みを進めたライオネルを止めたのは、小鳥のさえずりのように、かすかな小さな声。
「あいあとー」
耳をくすぐる柔らかく甘い声に、部屋にいた全ての人間が、初めて声を発したミティリアを凝視する。
何を言っているのかはさっぱり分からなかったが、その真剣な表情から、どうしても伝えたいことがあるということだけは分かった。
「何と言ったんだ?」
とりあえずミティリアに聞き返す。
「あいあとー」
さっぱり分からない。
だが、その緑色をした大きな瞳が侍女に向いていることで、侍女に向かって話しかけていることは明白だ。
「お、恐らく、『ありがとう』と言っております。食事の受け渡しの中で、簡単な挨拶やお礼の言葉だけは私の見よう見まねで覚えたようで…でも、なぜ今お礼など……」
言われてみれば、確かに『ありがとう』で間違いないだろう。
発音はかなり怪しいが、聞き取れないわけでもない。
しかし、この侍女が言うように、なぜ自分を閉じ込めていた人間にお礼を言うのか。
「あいあとー」
これしか知らないとばかりに、ただ『ありがとう』を繰り返す。
(おばちゃん顔から血の気が引いてるや。やっぱり魔王には勝てないよな。迫力が全然違うし、配下もいっぱい連れてきてるしな……俺の異世界人生もここまでか。でも、おばちゃんの男気は忘れない。まじで感謝しかないよ。いくらお礼を言っても足りないくらいだ。俺はきっと魔王を倒しにくる将来有望な勇者だってばれていて、自分達の脅威になる前に殺しておこうってことで、この魔王様にもうすぐ始末されるだろうけど、たくさんご飯運んでくれて、最後は俺のこと守ろうとしてくれたんだ。何も返せなくて申し訳ないけど、お礼ぐらい言わせてくれ。この魔王様、せめておばちゃんの命だけでも助けてくれないかな)
「あいあとー」
再びミティリアの口から零れた感謝の言葉に、ライオネルは信じられないと目を瞠る。
「……君は、君をこんな目に遭わせた人間を、許すというのか?…なんということだ」
理解しがたい、理解できない。
自分を害した相手に、お礼の言葉を告げるなんて。
だけど、その整った顔を柔らかく緩め、惜しみなく送られる感謝の言葉に、嘘偽りは見当たらない。
「……君は優しすぎるようだ」
ミティリアの深い優しさに胸が締め付けられるように痛む。
長い間虐げてきた相手さえ許してしまう、奇跡のような存在にライオネルは初めて出会った。
本来であれば、この領主と侍女、そしてこの二人にミティリアの監禁を命じた首謀者の罪は罰する必要がある。
だが、それはサロメ王国の法によるものでなければならず、他国の人間であるライオネル達が口を出せるものでもない。
救い出したミティリアと共に、この二人の身柄をサロメ王国に渡し、監禁されていた状況を説明すれば自分達の為すべきことは終わりで、それが他国で犯罪行為に直面した際の正しい対応だ。
そしてもう二度とミティリアと会うこともなく、帰国の途に就く。
そして、この町がなぜこんなにも緑豊かなのか、その抱える秘密について改めて調査する。
そうしなければならない。
それは充分すぎるほど分かっているのに、どうしても納得いかない。
上司の葛藤に気付いたのか、ジェイドが顔を引きつらせながら近づいてくる。
「まさかとは思いますけど、師団長……おかしなこと考えてませんよね?」
「連れて帰る」
端的な言葉は、実に破壊力抜群だった。
「いやいやいやいや!さすがに他国ですし好き勝手やったらまずいですって!まあ屋敷には押し入っちゃいましたけど、それは犯罪行為を見つけたということでプラマイゼロってことで。でも、連れて帰っちゃうのはさすがにまずいですよ。これは他所の国の問題ですし、身柄をサロメ王国に引き渡して、この領主と侍女はこの国の法で罰を受けるべきでしょう」
至極まっとうなことを口にする己の副官に、そんなことは百も承知だと不機嫌そうに眉をひそめる。
「だが、この二人は、命令されてやったと口走っていた。この様子では首謀者の名前については簡単に口を割りそうにないが、この国の上層部にこの少女を監禁するよう命じた人間がいるということは間違いないだろう。我々のような他国の人間がこの国の上層部にいる犯人を捕まえることは容易くはない上に、このまま身柄を引き渡そうものなら、また元の木阿弥で同じ目に遭うかもしれない。エルディーダに連れて帰れば、その首謀者もおいそれと手は出せなくなる」
「だからって…」
ライオネルの懸念は、恐らく正しいだろう。
言葉に詰まるジェイドに、さらに畳みかける。
「ジェイド、お前は何のために騎士になったんだ。弱いものを助けるためではないのか」
「……もちろんそうですけど、それは自国の民を救いたいっていう気持ちからで、エルディーダ以外の国の人間まで守ってたら、身体がいくつあっても足りません…今回は見なかったことにしましょう」
「いや、連れて帰る」
聞き分けのない上司に、ジェイドは盛大に声を張り上げる。
「はぁ!?あんたいい年こいてなにぬかしてやがるんですか。猫の子拾ってくるのとはわけが違うんですよ?人です人。しかも他国の女の子!外交問題にでもなったらどうするんですか」
「だからといってこんな扱いを受けている少女を、また同じ目に遭うかもしれないというのに見捨てろというのか」
「そんな言い方ずるいですよ……」
触れたら壊れてしまいそうな細い肩。
この儚い少女を、また同じような目に遭わせるかもしれないと分かっていながら見捨てることが、どれだけ残酷なことなのか、考えずとも分かることだ。
こちらを潤んだ瞳でじっとみつめてくる少女を視界に入れてしまった瞬間、ジェイドはあっさりと白旗を上げた。
「……我が国にはどんな名目で連れ帰るんですか?」
「地下に閉じ込められていた少女を保護した」
「そのまんまじゃないですか」
「だが、実際これが一番納得のいく理由だ。犯人の姿は見当たらなかったが、そのまま放っておくことも出来ず、連れて帰ってきたとでも言えばいい。そして万が一こいつらが騒いで外交問題が生じたとしても、人道的見地から保護したとするならば、どちらに非があるかなんて一目瞭然だ。このまま連れて帰り、もしサロメ王国が何か言ってくるならば、こちらは人助けをしたまでだと言えばいい」
確かにその理由は、何一つ偽りのなき事実のみで構成されている。
「こいつらの身柄は?」
「ミティリアはどうやらその侍女を許したいらしい。こいつらがやっていたことは本来罰せられるべきだが、そのためには証拠としてミティリアの身柄までサロメ王国に渡す必要が出てくるからな。腸が煮えくり返る思いだが、今日のところはこいつらのことは放っておく」
領主達の行いには強い憤りを感じるが、ミティリアを連れて帰るためには致し方ないだろう。
「納得いかないですけど、この子の安全を考えると、きっとそれが一番良いんでしょうね。エルディーダに連れて帰れば、手出しもできないだろうし。でも、こいつら野放しにして大丈夫ですかね。いちゃもんつけて来たら少し面倒ですよ」
「国に泣きつくのは自らの首を絞めるようなものだから大人しくしてるだろう」
「……そうですね」
ため息をついたジェイドをしり目に、ライオネルはベッドに近づくと、少女を抱き上げた。
あまりの軽さと柔らかさに少し戸惑いながらも、それを表に出すことなく部屋の入口に向かって歩き出すと、領主の男がすれ違いざまに忌々しそうに声をかけてくる。
「貴様ら、他国でこんな勝手なことをして良いと思ってるのか!?」
「不満なら好きなだけ国に報告しろ。地下室で監禁していた娘をエルディーダ帝国に保護されたとな。果たして少女を監禁していた犯罪者の言うことを、エルディーダ帝国を敵に回してまで貴国が信じるかは謎だが」
話は終わりだとばかりに、腕に人間を一人抱えているとは到底思えない足取りで、地下室からの階段を上る。
(え、え、え、まって。ちょっと待って。どうなったの?俺どこに連れてかれるの?てかお姫様抱っこじゃん。他人様の体温なんて生まれて初めてだよー怖い。もう、泣きたい。魔王怖い。ぎゃっ!光が眩しい…目が、目が焼けそう!……なんか、もう限界かも…)
ライオネルの腕の中で、この世の終わりとばかりに顔を青ざめていたミティリアは、初めて感じる人のぬくもりと、初めて目にする外の眩しい光に恐慌状態に陥り、静かに意識を失った。
隣国の騎士達が去った後、領主は絶望したように固い地下室の床に力なく座り込む。
「ミティリア様をエルディーダ帝国の師団長に連れて行かれたなど失態にも程がある……メイリィ、お前のせいだぞ!」
「も、申し訳ございません。騎士様の姿に動揺してしまい…しかし、あの屋敷中を見て回らんばかりのご様子だと、ミティリア様の地下室が見つかるのも時間の問題だったかと。それに、幸いなことにミティリア様の素性は隠し通せましたので、最悪の事態は回避できました。エルディーダ帝国側から我が国に、『サロメ王国の姫が辺境の町の地下室で監禁されていたのを発見したがいかがされるか』などと報告でもされてみたら、実行犯である私たちの命はありません。王妃様が庇い立てしてくれる保証などどこにもありませんしね」
「くそっ……お前の言うことは一理ある。あの忌々しいエルディーダの犬どもは、ミティリア様を連れて帰るために私とお前を国に突き出すことはしなかった。つまり、俺たちが王妃様に報告しない限り、ミティリア様が連れて行かれたことは発覚しないということだ。今回のこと、監視を命じられた王妃様には何がなんでもは隠し通さなければ、今度は王妃様に始末される。いいか、メイリィ。ミティリア様が変わらずこの地下室にいると見せかけるんだ」
「ご安心ください。ミティリア様がこちらにいらっしゃってから、王妃様が直接様子を見に来られたことなど一度もありませんし、今後ミティリア様を王宮に呼び戻すつもりはないとおっしゃっていました。ミティリア様への不当な扱いが発覚することを恐れ、王妃様が付けた監視は領主様と私だけです。私達が上手く立ち回れば、ミティリア様の不在は明るみに出ることはないでしょう」
「そ、そうだな」
ミティリアの食事当番のおばちゃんこと侍女のメイリィは、領主の考えのなさを内心笑う。
いくら生まれてこの方監禁されていたとはいえ、一国の姫だ。
その不在をいつまでも隠し通せるはずなどない。
現在の王妃アンネによって事故にみせかけて殺された前王妃ミストリア。
そんな前王妃の命を受けて、素性を隠しアンネに仕えていたメイリィは、長い時間をかけて勝ち取ったアンネの信頼のおかげで、ミストリアの忘れ形見であるミティリアの監視役を任せられた。
自らの力不足でみすみす仕えるべき主を死なせてしまったばかりか、その娘であるミティリアが姫としてあるまじき不当な扱いを受けることを止められなかった。
そんな時、屋敷につめかけた隣国の騎士の姿を目にして、千載一遇のチャンスだと考えた。
王妃によって、この国で不遇の扱いを受け続けたミティリアを無事に外に逃がすまたとない機会。
咄嗟に食事を落とし、注目を浴びるとあからさまに不審な態度をとることで、地下室まで誘導することができた。
その後は、自らが考えたよりも上手くコトが運んだと言えるだろう。
自らがこの劣悪な環境から救うことはできなかったが、代わりにあの真っ直ぐで正義感に溢れた騎士達が救ってくれた。
人権侵害を厳しく取り締まり、難民保護にも力を入れているというエルディーダ帝国の帝国軍騎士である彼らならば、ミティリアを悪いようにはしないだろうし、たとえ姫という身分がなくとも、たとえどんな場所でも、薄暗く言葉も満足に教えてもらえず、いつ殺されるかもしれぬこの環境より遥かにましなはずだ。
この国にいるよりも、ミティリアは必ず幸せになれる。
ミティリアの不在をどれくらい隠し通せるかは分からないが、きっと王妃の命令を守ることが出来ず、さらには失態を隠蔽した自分とこの男は発覚した時に始末されるだろう。
やっと外の世界に出ることが出来たミティリアと、二度と会うことは叶わないだろうが、そんなことはあの儚くも心優しい姫が解放されたことに比べれば大したことではない。
どうか、あの優しすぎるお姫様のこれからの人生が、幸せに満ちたものであるようにと、静かに祈りを捧げた。