02 運命が動き出す
その日、サロメ王国の外れに位置する田舎町アリアードに嵐が訪れた。
激しい蹄の音と共に現れたのは、このような田舎ではとてもお目にかかれない、上質な騎士服を身にまとった一団。
騎士服の胸の部分に刻まれたエンブレムが、サロメ王国の隣に位置する軍事帝国エルディーダのものだと気付くと、自国の軍でさえ目にしたことのなかった人々は、恐慌状態に陥った。
こんな田舎町に数は20名に満たないとはいえ、他国の騎士が突然訪れたのだから、彼らの反応も致し方ないのかもしれない。
まるで怪物に出会ったかのように逃げ惑う人々に、眉をひそめたのはこの一団を率いている男だった。
そんな不機嫌そうな男に、副官の男が苦笑いで話しかける
「アイゼンバーグ師団長、俺たちそんなに悪人面してますかね……皆さんもの凄い速さで逃げて行きましたけど」
アイゼンバーグと呼ばれた男は、夜の闇のように黒い髪を後ろに撫でつけており、その精悍な顔立ちと体格の良さも相まって、見る者に大変威圧感を与える。
目つきが鋭いせいで、容姿が整っていることがむしろ悪い方に影響している珍しいパターンに陥っている。
つまり、副官を務めるこの男が言うように、悪人面であることは間違いない。
当の副官の男も、大きな身体に派手な金髪が肉食獣を連想させ、おせじにも善人面とはいえないが、笑顔を浮かべると愛嬌があり、この上司に比べればまだ可愛い方だ。
「ここまで怯えられるといっそのこと本当に侵略するべきなのか悩むところだな」
長い付き合いの部下から見ても、本気か嘘か分からないことを真顔で呟く上司に顔を引きつらせると、金髪の男は遠くを見つめるようにして、誰もいなくなった町の入り口を眺める。
「……縁起でもないこと言わないでくださいよ。それにしても、サロメ王国からこの町の調査の許可は下りてるんですよね?どうしてここまで警戒されるんですかね」
正当な手続きを踏んでの訪問にも関わらず、こんな扱いは納得いかないと、眉間に皺を寄せる。
「サロメ王国が、友好国である我が国からの申し出を断るはずがないし、今回の調査の名目は、我が国がどこの国相手にも行っているただの環境調査だ。よって、外交担当の大臣から許可はすんなり下りたらしいが、平和な町のようだから、軍人などには余程縁がないのだろう」
軍人が怖いのであって、顔が怖いわけではないはずだ。
そう自分に言い聞かせる男は、自らの容姿を少々気にしているようだ。
今まで出会った子供が皆、百発百中泣いて許しを乞うのだから、気にするなと言う方が無理な話だ。
調査は森や川などを実際見て回ることが主なものなので、すぐに住民たちから話を聞けなくても大して困りはしないだろう。
もし何か気になることがあれば、怯えていようが、泣かれようが、問答無用で聞き出せばいいだけのことだと、非道なことをごくごく自然に腹の中で考えているその顔は間違いなく女子供が泣いて許しを乞う悪人面だった。
「……今回はいつもみたいに空振りじゃなければ良いですけど。毎回毎回期待しては落とされるの繰り返しですから」
思わずといったように一人の騎士が呟いた言葉に、この場にいる誰もが胸中で賛同する。
弱音を吐きたくはないが、自国や他国を問わず、緑や水に関する有益な情報が寄せられる度に調査のため現地へと駆けつけては、落胆させられている彼らからすれば、こうも成果が出ないのであれば、世界に迫る滅びを止める手立てなどないのではとさえ思えてしまうのだ。
そういった士気の低下が、現在帝国軍内部に広がりつつある。
本来であれば、師団長という帝国軍において元帥に次ぐ地位にいるため、このような調査団に加わることはないのだが、この帝国軍を覆い始めた、諦めや虚無感を払拭し、軍の士気を鼓舞するために、今回師団長自らが指揮をとることとなった。
「さあな。だが我々が諦めるわけにはいかないことは間違いない。とりあえず、俺はこの町を治めている領主の所へ挨拶に行ってくる。お前たちはこの町の周辺を手分けして見て回れ。ジェイド、お前も俺と一緒に来い」
部下たちに簡潔に指示を出すと、肉食獣を思わせる金髪の副官ジェイドを従えて、凶悪面の師団長は町の入り口からも確認できる、一際大きな屋敷に向かって馬を進めた。
田舎町には似つかわしくない、大きな屋敷。
その入り口をジェイドが数度叩くと、すぐにドアは開いた。
中から顔を出したのは、陰鬱な雰囲気をまとった顔色の悪い中年の男。
「……エルディーダ帝国の騎士様でいらっしゃいますか」
中肉中背のこれといって特徴のない男の、あまりに覇気のない様子に少々面食らいながら、ジェイドは頷く。
「ええ。サロメ王国の方からお聞き及びかと思いますが、今回こちらの町を調査するために、エルディーダ帝国から派遣されたジェイド・ケイオス中佐と申します。こちらは、ライオネル・アイゼンバーグ師団長です」
ジェイドの言葉に、ただでさえ顔色が悪かった男の顔がさらに青ざめる。
「し、師団長ですか?な、なぜそんな偉い方が、この町の調査に……エルディーダ帝国が様々な国に対して行っているただの環境調査だと王宮の者からは聞いているのですが…」
まさか師団長などという大物が訪れるとは思ってもいなかったのだろう。
真っ青な表情と震える声は気の毒なほどだが、ライオネルとジェイドはその焦りや戸惑いを隠しきれない表情に少し違和感を覚える。
これではまるでやましいことでもあると言っているようなものだ。
「領主にご挨拶に伺ったのだが、取り次ぎをお願いできるか」
様子のおかしい男をつぶさに観察しながら、ライオネルが早速本題に入ると、対応に出た中年の男が、驚くべきことを口にする。
「わ、私が、この町の領主でございます」
ついには冷や汗まで流し始めた男に、さらに疑惑は募る。
領主自らドアを開け客の対応にあたることなど、普通であればあり得ない状況だ。
余程の人手不足なのか、それとも何かやましいことがあって、下手に使用人からこちら側へそれが漏れることを警戒でもしているのか。
どう考えてもキナ臭い。
「それは大変失礼した」
「いいえ!とんでもない!このように何もない田舎町でございますが、どうぞお好きなところをご自由にご覧ください」
ライオネルの謝罪に勢いよく首を左右に振った領主は、強引に話を切り上げ、二人を屋敷の外に送り出した。
「お茶も振る舞ってもらえずに、玄関先で追い返されちゃいましたね。あれ絶対何か隠してますよ」
訝しげな表情で、領主の屋敷を眺めるジェイドに、ライオネルも頷きを返す。
「あそこまで分かりやすいと、あれで領主が務まるのかとむしろ心配になるな。…それとも余程まずいことを隠しているのか」
「まぁ、他国のことなので、たとえあの領主が税金をちょろまかしてたりとか悪事を働いていても、俺たちには何の関係もないですけど」
そんな理由であれほどまでにライオネル達を警戒するだろうか。
どこか釈然としないまま、とりあえず調査に向かった者達との合流をはかることにした。
「師団長、この町の自然は驚く程豊かです。この町の周辺の森も牧草地も緑で溢れており、川や湖の水量も豊富でした。家畜に与える餌までたっぷり貯えてあり、まるでこの一帯だけ、何かに守られているかのように、自然の陰りは見られません。かつて……かつて、我が国にもこのように美しい風景があったことを思い出しました」
そう言って切なげに目を細める男に、その場にいた全ての人間が、変貌しつつある祖国の情景を思い浮かべ憂鬱そうに俯いた。
「他の者も同じ意見か?」
「はい。我々が向かった先には、一面に広がったトムトム畑がありました。数え切れないほどたくさんの実をつけており、まさかあんな光景を再び目にすることができるなんて……」
トムトムと呼ばれる植物は、こぶし大の実をつけ、その実はあらゆる料理に応用でき、含まれる栄養も豊富なため、人々から大変重宝されている。
また、気温などの環境にあまり左右されることなく育つため、国や地域を問わず広く栽培されている。
かつては1つのトムトムの苗から、実が20個も30個も収穫出来ていたが、現在では良くて2~3個という有様だ。
「畑で水やりをしていた男に、どんな秘策を使ったのだと尋ねたのですが、怯えながらも、特に変わったことは何もしておらず、昔から変わらない育て方をしていると答えました。その男の表情や目の動き、そして声の抑揚からも嘘をついているようには見えませんでした」
異国の騎士服を身にまとった見知らぬ大男に険しい形相で詰め寄られた哀れなアリアードの住民その1は、この日から1週間悪夢にうなされることとなった。
「一体この小さな田舎町にどんな秘密があるっていうんだ……サロメ王国は、未だにこの町だけが自然豊かなままだと気付いていないようだが」
サロメ王国がこの町の様子を知っているのであれば、決して調査団の派遣を許可などしなかっただろう。
もし自然の崩壊を止める手段を、この町で見つけることが出来るのであれば、その情報を武器に各国と有利な条件で取引を行い、この小さな国が莫大な力を手にすることだって夢ではないのだから。
いまこの世界でより価値が高まっているのは、金でも銀でも宝石でもなく、この豊かな自然だ。
エルディーダ帝国であれば、自国内に張り巡らせた情報網により、このような有力な情報の取りこぼしなどあり得ないが、国と称するには少々おこがましい行政機能しか有しないサロメ王国なら、あり得ない話でもない。
だが、そのおかげでライオネル達は、滅びから世界を救えるかもしれない一筋の光を見つけることが出来たのだ。
何故この何の変哲もない田舎町だけ、無事なのか。
世界には同じような条件の町など数え切れないほどあるのに。
他の土地と一体何が違うというのか。
その理由はまだライオネル達には分からなかった。
しかし、自分たちが血眼になって求めていた滅びへの解決策が、この町に潜んでいるかもしれないと、誰もが希望に胸を躍らせた。
「一度国へ戻り、皇帝にこの件をご報告した上で、改めて専門家も含めた大規模な調査団の派遣を行うべきだが、この町が特別な場所だと分かると、やはりあの領主の様子が気になるな」
ライオネルの頭に浮かんだのは、あの明らかに隠し事をしていたであろう領主の姿。
「確かにあの不審な様子は気になりますね」
「もしかしたら、あの男が隠している何かが、我々の求めているものかもしれない」
ライオネルの言葉に、共に領主の様子を見ていたジェイドも同じ意見だと頷く。
「帰国する前にもう一度屋敷に行ってみるか……」
先程とは異なり、大人数で再度訪ねてきたライオネル達に、領主は相変わらずこの世の終わりと言わんばかりに真っ青な顔をしている。
「とりあえず今回の調査は無事終わったので、そのご報告に」
「それは、わざわざご丁寧にありがとうございます」
ライオネルの言葉に、ほっと息を吐いた領主は、次の言葉で息を止めた。
「領主殿は、何か隠し事をされてますね」
ライオネルをひたすら見つめ返すだけで、すぐに反応を返せない時点で、領主が隠し事をしていることは明白だが、さらに畳み掛ける。
「何か我々に知られてはまずいことでも?」
「そ、そんなことはありません!」
「先程こちらにお邪魔した際、領主殿は好きなところを自由に見ても構わないと言われていたが、この屋敷の中も見て構わないか?」
その言葉にさらに顔色が変わった領主を見て、隠し事が屋敷の中にあることを確信した。
もう少し問い詰めようと口を開いたとき、大きな音が辺りに響く。
ガシャン
何かが割れた音に、皆がその方向へ視線を向けると、そこには床に落ちたスープと食器の残骸、そしてこちらを凝視する中年の侍女がいた。
玄関先に詰めかけた騎士達を見て、食事の入った食器を床に落としたらしい侍女は、落とした食事に目を向けることなく、顔を青ざめさせると、きびすを返して屋敷の奥へと駆けていく。
「追え!」
「はい!」
ライオネルの声をきっかけに、騎士達は領主の横をすり抜け、逃げ出した侍女の後を追いかける。
「メイリィめ、何をしているんだ」
隣国の騎士達の登場に動揺したらしい侍女の行動は領主にとっては最悪のものだった。
盛大に舌打ちをして、屋敷に足を踏み入れたジェイド達を追いかけようとした領主の腕を、ライオネルが掴む。
「やはり領主殿には隠し事があるようだ」
口角のみを上げてニヤリと笑った目の前の男の顔は、それはそれは大層凶悪なものだった。
無駄な抵抗をする領主の腕を苦もなく掴んだまま、ジェイド達が駆けていった後を追うと、どうやら地下に続く階段に向かったらしい。
その階段を下りた先にある頑丈な鍵のついているドアの前に、件の侍女とジェイド達がいた。
掴んでいる領主の腕が、激しく震え出す。
間違いない。
このドアの向こうに、何かがある。
「ここを開けてもらおうか」
威圧的に命令するジェイドに、侍女はガタガタと震えながら、鍵を取り出した。
「メイリィ!自分が何をしようとしているか分かっているのか!?」
ライオネルに腕を拘束されながらも怒鳴り声を上げた領主に、侍女はビクリと反応したが、既に鍵はジェイドの手に渡ってしまい、鍵穴は回されようとしていた。
「いくらエルディーダ帝国軍の師団長とはいえ、人の屋敷を好き勝手に荒らして良いはずがない!」
負け惜しみとしか思えないその言葉に、怯む者は誰ひとりとしていなかった。
ガチャ
鍵穴が回り、重い扉をゆっくりと開くと。
その先にあったのは、薄暗い闇と信じがたい光景だった。