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12 好きこそものの上手なれとは限らない

 閉じた瞼越しに、未だ慣れることのない明るい光を感じる。

ふわふわとした感触を背中に感じ、違和感に意識がはっきりとしてきた。



 コンコン



 部屋をノックする音に、パチリと瞳を開け、体をおもむろに起こした。

 真っ白の壁紙に、大きなベッド。美しい意匠の鏡台。

 ミティリアが住んでいた暗く湿った部屋とはまるで違う部屋。



(あ……俺、昨日ご飯食べた後の記憶がないや……寝ちゃったのかな。敵地で油断して寝るなんて、もう二度と目覚めなくてもおかしくない事案だよ。どこの世界に魔王城でラスボス前にして寝落ちしちゃう勇者がいるんだよ。どこも痛くないから、血は吸われてないみたいだな……あれ、今誰かノックした?)



 ガチャ

 


 開いたドアの向こうに立っていたのは、キッチリとしたメイド服姿の女。



「失礼いたします、ミティリアお嬢様。間もなく朝食のお時間ですから、支度をお手伝いいたします」



 抑揚のない声で一本調子に話す様子は、少し冷たい印象を受ける。

 地味な茶色の髪を頭頂部近くで一つにまとめているメイド服姿の女は、ミティリアが今まで見た女性の中で一番若かった。



(……お、女の人だ……しかも、若い)



 そう理解すると共に、ガタガタと体が震えだす。



「ミティリアお嬢様……?」



 尋常ではないミティリアの様子に、無表情だったメイドが慌てて駆け寄る。



(こっちきたー!やめてやめて、無理無理無理無理。若い人ってだけでも無理なのに、若い女の人なんて、別次元の存在だよ。コミュ障のひきこもりにとって一番怖いのは、悪人面のデカイ男でもなく、生き血をすするちょっと年のいった女王様でもなく、若い女の人なんだよ!あいつら笑いながら平気で人のこと馬鹿にして貶めてくるからな。体への危害より、精神的な危害の方が治りにくいんだからな)



ベッド脇までメイドが近づいてくると、ますますミティリアは恐慌状態へと陥る。



(体の震え止まらないっ……若い女の人に比べれば、命の危険感じても、凶悪面のりゃい様の方がましだ。女王様だってりゃい様にくっついてれば、襲って来なかったし。りゃい様がいれば、誰も寄ってこないのかな?りゃい様!俺の最強の盾!どこー?)



「りゃい、りゃい?」



 小さく震えながら、不安そうにか細い声でライオネルを探すその姿は、どこからどう見ても一途に好きな人を思う健気な美少女だった。



「……ラ、ライオネル様を、お呼びして、参ります」



 切れ切れの言葉で、何とかそう口にしたメイドは、足早に部屋を出た。



 アイゼンバーグ侯爵家において、メイド歴7年を誇るエイダ・コベナントは、中堅所の有望株である。

 ゆくゆくはメイド長への就任も期待されている優秀なメイドとして、後進の育成も任されている程だ。

 そんな彼女は本日非常に大事なミッションを任されていた。

 なんと、アイゼンバーグ侯爵家次男ライオネル様の、未来のお嫁様のお世話である。


 いつまで経っても浮いた噂一つない次男を、家族はもちろんのこと、侯爵家に仕える使用人達も気にしていた。

 確かにその顔や雰囲気はどこぞの犯罪組織のボスかという程恐ろしいもので、長年勤めている使用人ですら油断すると竦み上がってしまうのだから、女性が怖がる気持ちも分かる。

 それでもライオネルはアイゼンバーグ家の大事な大事なご子息様なのだ。

 

 使用人一同、若様の幸福をお祈りし続けて早幾年。

 昨日ライオネルは腕の中に大変見目麗しい少女を抱えて、侯爵家へと帰ってきた。


 ライオネルの気持ちがミティリアへ向いていることが発覚するやいなや、メイド長の大号令により、『ライオネル様のお嫁様おもてなし部隊』がすぐさま結成された。

 客間を美少女に相応しい部屋へと整え、美少女に相応しい服を大急ぎで用意した上に、専属メイドとして当主の信頼も厚い勤続7年中堅メイドのエイダが選抜されたのだ。

 そこには、この美少女を決して逃すまいという使用人一同の執念がにじみ出ていた。


 エイダは自分の仕事にプライドを持っている。

 そのため、ライオネルの相手が例えどんな人間だろうが、気持ちよく過ごしてもらう自信はあった。

 しかしそれは自惚れだったようだ。

 絶対に泣かせてはいけない相手を、泣かせてしまった。

 いくらエイダに非がなくとも、主人を泣かせるなど言語道断なのだから、今後は絶対に泣かせないように、細心の注意を払わなければ。

 とりあえず、朝はしばらくライオネルに起こしてもらうように頼んでみよう。

 昨日の様子を見る限り、恐らく喜んで引き受けるはずだ。

 

 そんな反省は置いておいて。

 なんだ、あの存在は。



「……か、かわいい」



 閉めたドアに背中を預け、必死に深呼吸を繰り返すエイダは、致命的なほど小さく可愛いものに弱かった。



「いけない。急いでライオネル様をお呼びしなくては」



 ライオネルを恋しがって泣いてしまうような、なんとも可愛く健気な新しい主人のために、一刻も早く行動しなければと、メイド歴7年のプライドにかけて緩んだ表情を引き締めた。











「どうだ、新婚生活は?」



 投げかけたからかい混じりの言葉に対して、眉ひとつ動かさない男を見て、ジークフリートはつまらなそうにため息を吐く。


「俺とミティリアは結婚している訳ではありませんよ、陛下」



「そんなことは知っている。だが、惚れてる女を家に連れて帰ったんだ、何かあるかと思うだろう」



 明け透けな物言いは、ジークフリートがライオネルに気を許している証拠だとも言えるが、女の影が一つもなかった幼馴染をここぞとばかりにからかってやろう、という魂胆が見え隠れしている。



「俺から離れたがらないもので、本日家を出るのにも苦労しました。とでも言えば満足ですか」



「……そんなにお前に懐いているのか、あの娘は」



 この強面に懐くだなんて、その少女はよっぽど肝が据わっているのだろう。

 それとも、酷い境遇から救ってくれた人間への刷り込みか。


 少女がライオネルに対して抱いている感情については、はっきりとしたことはまだ分からないが、この男に関しては昨日の様子を見る限り初恋真っ最中のはず。

 それなのに、昨日とは打って変わって今日はいやに冷静な態度ではないか。

 やはりライオネルは恋をしても変わらないのだと、ホッとしたような残念なような二律背反の気持ちが湧き上がる。



 上司としては、恋にうつつを抜かすようでは困る。

 幼馴染としては、恋をして馬鹿になるこいつを見てみたい。



「懐いて……くれているんですかね。でも俺がいないと不安になってしまうのは間違いないようです。夕食後にすぐに眠ってしまったので、昨夜は客間に寝かせておいたのですが、朝になって俺の姿が見えなくて震えて泣いているとメイドが知らせてきましたから」



 訂正する。

 全く冷静ではなく、全力で荒ぶっていた。

 表情が変わらないだけで、のろけてやがる。

 困ったなみたいな口調で、相談しているように見せかけて、これは自慢している。



 ミティリアは確かに震えて泣いていた。

 しかし、それは部屋にやってきた見知らぬ若い女のメイドに怯えていたせいだ。

 それを知らない人々の間で、ミティリアはライオネルが大好きだという多大なる誤解がもはや確定事項となりつつある。



「……そうか、あの娘がそんなにお前にべったりなら、よく登城出来たな」



 先程まで表情一つ変えなかったライオネルが、少し不機嫌そうに眉間にシワを寄せた。



「……どういうわけか、父が傍にいれば比較的落ち着いているので、今は両親が面倒をみてます」



「は……?アイゼンバーグ侯爵が……?あの鬼の元帥が少女のお守りだと?」



 ライオネルほどではないものの、ミティリアは何故かディートハルトにも親しみを覚えているようだった。

 それに比べて、アリーシャのことは母上とは呼ぶものの、あまり近寄ろうとはしないため、密かに落ち込んでいるように見えた。


 ミティリアとしては、ライオネルという名の盾がどこかへ行ってしまったので、女王様に襲われないように必死にゴリラを新しい盾にしているに過ぎない。



「……まあ、嫁と両親が上手くいっているようなら良かった。それで本題のアリアードのことだが……その前にお前らが使用した野営地で気になることが起こった」



「野営地、というとあの湖がある?」



ミティリアが「好き」だと言ってくれた、神聖な場所だとライオネルの記憶に深く刻み込まれている。



「ああ。お前らがもたらした情報を確認するために、取り急ぎ俺の子飼いの奴らをアリアードへ送り込んだが、途中の野営地であり得ない光景を目撃したらしくてな……」



「あり得ない、とは?俺たちが訪れた時は、特に変わったところは感じられませんでした。ああ、湖の水量は以前と比べてさらに下がったようでしたが」



ジークフリートの言葉の意図を測りかね、続きを促す。



「それだ」


「それ?」



 湖の水量の減少など、悲しいことに今となっては珍しいことでもなんでもない。

 一体それがどうしたというのだろう。



「湖の水位が上昇していたようだ。それも以前の豊富だった頃と同じ位に。これまで減ることはあっても、増えることなど一度もなかった。お前らの調査でアリアードの自然が豊かなままということも分かった。これらの場所に何かこの世界の荒廃を止めるための糸口があるかもしれない」



 ジークフリートの言葉は予想もしないものだった。

 アリアードだけでなく、あの野営地の湖にも、何かが起こっているというのか。

 一か所のみの奇跡であれば、偶然という言葉で片づけられたかもしれない。

 しかし、他の場所でも同じような現象があるとしたら、それはもはや必然だ。



「アリアードや、あの湖の他にも、どこかで同じような兆しのある場所があるかもしれない。環境調査はこれまで定期的に行っているが、再度力を入れて行っていく。お前も嫁をもらって浮かれているところ悪いが、これから忙しくなるぞ」



 そう言ったジークフリートの顔には、隠しきれない喜びが浮かんでいる。

 皇帝に即位してから10年。

 日々荒廃していく国の状況に、子供の頃のような無邪気な顔をすっかり見せなくなったジークフリート。

 そんな幼馴染が、やっと見つけた一筋の光明に、堪え切れず笑っている。


 ジークフリートの笑顔を見ているライオネルもきっと同じ表情で笑っているだろう。

 もしかしたら、我々にはまだ出来ることがあるのかもしれない。

 民を救うことが出来るのかもしれない。


 ミティリアと出会ってから、喜ぶべきことばかり起こる。

 幸せが雨のように降ってくる。

 ミティリアはライオネルにとって、幸運の女神かもしれない。








そんなライオネルの幸運の女神といえば、昼食の皿を目の前に絶望していた。



(どうして……どうして…………どうして、俺の皿にだけ肉がないんだ……)



 朝食の時にあれ?とは思った。

 昨夜は皆と同じメニューだったのに、朝はミティリアの皿にのみ、ローストビーフのような肉の薄切りが乗っていなかったから。

 見た目からして、その肉はとても柔らかそうで、非常に食べたかったが、お情けで食事を与えられているだろう身で文句など言えるはずがない。

 そもそも文句の言葉も知らないが。



 朝食だけ仲間はずれかと思ったが、昼食でも同じことが起こった。

 再びミティリアの皿にだけ、肉が乗っていなかったのだ。

 いやがらせか。昨日生き血要員の分際で、レバーを残したことが悪かったのか。



(…………ペットのゴリラにだって食べさせてるのに、女王様はレバーを残した我儘な生き血要員に肉を与えない方針に決めたんだな)



 向かいに座っているゴリラをじろりと睨みつけてしまう。

 本人は睨んでいるつもりでも、相手からするとただ見つめられているようにしか思えないのは、その容姿のおかげだろう。

 思いがけず自分に懐いてくれているミティリアに、ディートハルトの機嫌は天井知らずに上昇中だ。



(いいよ、いいよ、肉なんか。大好きだけど、ステーキ大好きだけど、それよりもケーキの方が何倍も好きだもんねー!俺に味の薄いスープとパンしかくれないなら、ケーキを自分で作ってやる!こんだけ大きな城なんだし、厨房だって広いよね?材料が捨てるくらい転がってるかもしれない。女王様の目を盗んで、後で厨房に行こう。そんでもって、とびっきり美味しいケーキを作って、ゴリラが羨ましがろうが、女王様が跪こうが、絶対食べさせてやんないもんね!)



機嫌良く肉を口にするゴリラを睨みつけながら、味が薄すぎるスープを飲み干す。



(そんでもってケーキを…………ケーキ、ん?そういや何も考えずに食べてたけど、ケーキってそもそも何から出来てるんだろう……ショートケーキは苺とあと小麦粉……?あれ、他に何がいるんだろう。というか、そもそも苺ってこの世界にもあるの?……えーと、ショートケーキは置いといて、俺はチーズケーキも大好きだ。うん。チーズケーキにチーズが入っていることは間違いない。他には何が必要なんだろう?…………ま、まずは初心者向けのプリンからだ。プリンは作ったことあるもんねー。ふふん。プリンはプリンの素に牛乳を注げば作れたはず!あれ、こっちの世界にプリンの素ってあるのかな?)



そもそも料理さえ作ったことのないダメ人間が、ケーキなどという高尚な食べ物をイチから作れるはずがなかった。

ミティリアのスイーツへの道は大変険しいものかもしれない。






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