11 とりあえずアゴを鍛えましょう
ミティリアは目の前に並んでいる皿のうちの一つに、視線を吸い寄せられた。
(パンだ……パンとかこの世界にあったんだ。ごろごろ野菜の味無しスープばっか食べてたから、カルチャーショックだ。タダメシ食らいの分際で食事のメニューに文句なんか付けれる訳無いけど、食べてる俺が飽きてたくらいだから、作ってるおばちゃんも絶対飽きてたよな。この世界ではパンとか高度な食べ物発明されてない説を信じて何とか諦めてたのに。超高度文明社会じゃん。というか、生き血要員の俺なんかにご飯食べさせていいのかな。太らせて血肉を貪るつもりとか?)
「……久々に家で食事をとりますが、やはり侯爵領の収穫にもかなり影響が出始めているようですね」
アイゼンバーグ侯爵家の所領は、王都から馬車で3日はかかる辺境の地。
現在はライオネルの兄であるシーザーが治めているが、主な産業は広大で肥沃な土地を活かした農業と畜産業だ。
農作物の収穫に影響が出始めているとはいえ、領地から食糧を運ばせれば他の領より豊かな食生活を送ることが出来るはず。
それにもかかわらず、目の前の食事は、ライオネルが子供の頃に口にしていたものに比べると、かなり質素なものへと様変わりしていた。
品数、量共に明らかに目減りしている。
帝国の防衛を担う騎士団は体が資本であるため、皇帝の肝入りで食事は今のところ以前と変わらず充実したものが提供されている。
そのせいで余計に落差を感じてしまう。
高位貴族であるアイゼンバーグ侯爵家の食事がここまで質素ということは、いよいよ世界は危険水域に足を踏み入れ始めたのか。
「他の貴族の家では恐らくもっと豪勢な食事をとっているはずよ。だけどこの人が、民が収穫量の減少で苦労しているのに、自分達だけ贅沢なものを口にするなど許されない。必要な分だけで構わないって言うから。それに私たちももう年だから、そんなにたくさんは食べられないわ」
「……そうですか」
「それでも民よりは随分贅沢な食事だ。お前には物足りないだろうがな」
親子三人の深刻そうな会話をもちろん理解など一切していないミティリアは、控え目に音を鳴らし空腹を訴えるお腹と一人闘っていた。
(何かぺらぺら三人でしゃべってるけど、折角の料理が冷めちゃいますよー?もう食べてもいいかな?というか、どうしてテーブルにゴリラさんが一緒に座ってるの?女王様はペットと一緒に食事とっちゃう系のお姉さまなのかな)
「それにしても本当に不思議だわ。雨だって昔と変わらず降っているのに、井戸は枯れるし、川は干上がる。ついには農作物の収穫量まで格段に下がってきた。……一体何が原因なのかしら」
アリアードという現状を打破する突破口となるかもしれない町を見つけたが、この件はまだ機密事項だ。
例え親であろうが、易々と教える訳にはいかないため、ライオネルは母の憂い顔を見返すことしか出来ない。
「……まるで神が私たちに怒っているみたいだわ」
「アリーシャ、そんなおとぎ話のような空想は止めなさい」
ディートハルトの嗜める声もどこか力がない。
気が遠くなるほど遥か昔に、実際にいたかどうかも分からない神が何を怒るというのか。
神殿は頑なにその存在を崇めており、民の間にも広く信仰されているが、祈りを捧げても止まらない近年の自然の枯渇によって、人々の信仰心も薄れ始めている。
このまま荒廃が進めば、そう遠くない未来において、資源や食糧の奪い合いのために戦争が起こる。
何千何万の罪なき民が、飢えと戦で命を散らすだろう。
「……神殿の影響力が急速に低下し、国のことにあれこれ口出しして来なくなったのは助かっているんですが。ああ、すまないミティリア。久しぶりに二人に会ったものだから、つい話が横道にそれてしまった。待たせたな、遠慮なく食べなさい」
ライオネルが食事をとるように促したことだけは理解出来たミティリアが、小さく頷いて、早速スープを口にした。
(女王様が口にするスープってどんな味がするんだろ…………ああああああああやっぱ味薄いじゃんんんん!えーここ魔王様のお城だよね?女王様、仮にも一国の王様なんだから、料理作る専門の人雇ってるよね?なんで、おばちゃんの味付けと一緒なの!?おふくろの味ならぬおばちゃんの味ってやつ?この味付けは万国共通なの?この世界の人はみんな高血圧なわけ?塩分過剰摂取したら駄目な呪いにでもかかってんのかよ!)
スープを飲む手を止めて、気を取り直すと次にパンへと手を伸ばす。
そのまま噛みつこうとしたが、一向に噛み切ることが出来なかった干し肉の悪夢がふと頭を過り、指で小さく千切ることにした。
(焼き立てだから千切れるけど、これ時間が経つと絶対硬くなるパターンだよな。カチカチのコチコチで噛み切れないくらいに。味は……まあパンだな。これって何をオカズにパン食べれば良いんだろう。味の薄いスープは以ての外だし、こっちの皿に乗ってるテカテカした謎の物体かな……ってこれレバーだ。あ、無理。俺内臓系一切受け付けません。昔っからレバーだけは無理なんです。ということは、おかず無しでこのパンか。時間を追うごとに、カチコチしてきたけど。結局スープが一番マシな気がしてきたや。味薄いけど)
スープや小さく千切ったパンを、小さな口にゆっくりと運ぶその姿は、とても教養がない人間には見えない。
言葉を教えてもらうことも出来ずに、暗く湿った地下室に閉じ込められていたということは、少々品の無い食事の仕方になっても致し方ない。
むしろ普通であればそうなるはずだ。
それを承知で、一家の主であるディートハルトはミティリアが食事を共に出来るよう手配した。
分からないのであれば、教えればいい。
ただそれだけのことだと。
ライオネルやアリーシャも、もしマナーに反した食べ方をしても、決して軽蔑などしないし、むしろ一から教えてやるつもりだった。
それがどうだろう。
厳格なテーブルマナーが問われるような、晩餐会などに出るには少しつたない仕草だが、貴族の普段の食事の場などであれば、ミティリアは充分許容範囲だ。
美しい容姿に、その身から自然と溢れ出る気品。
「ライオネル。その娘は、平民ではないかもしれぬぞ」
ディートハルトの言葉は、重く響いた。
ライオネルやアリーシャの頭にも同じ考えが過る。
「生まれながらにして持ち合わせている気品というものは、どんな育ち方をしてもその身から溢れ出るものだ。もし隣国の貴族の出自であれば、面倒なことになるぞ」
「俺がどうにかしてみせます。侯爵家にはご迷惑をおかけしません」
たとえ、ミティリアがどのような出自の人間であろうと、非道な行いを受けていたのは間違いようのない事実。
あんな目にあわせた人間達に返すつもりは毛頭ないし、ミティリアは自分が守ると誓った。
誰にも渡しはしない。
確固たる決意を秘めたその顔は、とても頼もしく精悍で。
ディートハルトはそんな息子の様子に、小さくため息を吐くと、呆れたように口を開く。
「迷惑をかけるなと言っているわけではない。覚悟はあるのかと問うておるのだ」
「もちろんです。ミティリアは、俺みたいな男に笑いかけて、頼ってくれる。……それに、俺のことを好きだと言ってくれた。どんな敵からも、困難からも守ってやりたい。こんな気持ち初めてなんです」
「まあ」
アリーシャが嬉しそうに歓声を上げる。
ライオネルに懐いているようだが、まさかミティリアの方から好きだと告白していたとは思わなかった。
つたないあの口調とあの愛らしい顔で「好き」だなんて言われたら、それは陥落しなければ男じゃない。
「安心しろ、一度受け入れると決めた者を面倒だからと打ち捨てたりはせん。私たちもこの娘を守るために協力は惜しまん。だから何かあれば遠慮なく言え」
「父上」
幼い頃から厳しいばかりだと思っていた父の思わぬ言葉にライオネルの胸が暖かくなる。
その時、食べる手がすっかり止まっていたミティリアが、こてんと首を傾げて口を開いた。
「ちーえ?」
「…………ミティリア、まさか今父上と呼んだのか?」
「ちーう?」
(りゃい様がゴリラさんの名前さっきから呼んでるっぽいけど、これであってるのかな?俺も名前呼びたいなーやっぱりモフモフと話す夢は叶えたいから、とりあえずゴリラで練習するか。ゴリラとかあんま興味ないけど)
あまり美味しくなかった食事への興味を失くしたミティリアの意識は、次に興味のあるモフモフへと移ったようだ。
「父上、だよミティリア」
「ちーうえ!」
キラキラした笑顔で「父上」などと呼ばれたディートハルトが、落ちないはずはない。
アリーシャが産んだ子供は息子二人。男児を二人も産んでくれた妻には大変感謝している。
だが、欲を言えば娘も欲しかった。
誰にも言ったことのない、最早忘れかけていたその願望が、叶った瞬間だった。
「あなたばっかりずるいわ!ミティリアちゃん、母上よ。は・は・う・え」
自らの顔を指さしながら、必死に母上と呼ばせようとするアリーシャ。
到底子供に好かれそうもない、無愛想な夫に予想外にも先を越され、不満に思っているようだ。
「はあえー?」
「母上」
「はーうえ?」
「そう!母上よミティリアちゃん!私はあなたの母上なのよ。だから遠慮なく、存分に甘えてね」
(女王様ってこっちの言葉では、はーうえっていうんだ。よしよし、順調に言葉を覚えてきたぞ!殺されないためにも、ちゃんと女王様って呼ばないとな。女王様って呼んで、人畜無害な愛想笑いを駆使して媚びてれば、りゃい様を盾にしなくても、なんとか生き残れるかもしれない!)
控え目に嬉しそうにほほ笑むミティリアに、そんなにも自分達の名前を呼ぶことが出来て嬉しいのかと、庇護欲が湧き上がってくる。
「ミティリアが知る人間は、食事を運ぶ歳を召したメイド一人だけでした。父上や母上と出会えて本当に嬉しいのでしょう」
追い打ちをかけるような、ライオネルの言葉に夫婦二人は顔を見合わせて破顔した。
「ちーうえ、はーうえ、りゃい!」
一人ひとり顔を見ながら、名前を呼ぶミティリアのなんと可愛いことか。
(ゴリラ、女王様、りゃい様)
当たっているのはライオネルだけということを知っている者は、不幸なことに誰もいない。
「ミティリア、スープとパンしか口にしていないが、ミルの肝臓は食べないのか?栄養も豊富だし美味しいぞ」
レバーを指さし勧めてくるライオネルに、ふるふると首を横に振るミティリア。
(すいません。まじで内臓は無理です。良かったらりゃい様に差し上げます)
すっと皿をライオネルの方へと寄せるミティリア。
「そういえば、ミルの干し肉も一旦口にはしたが、結局俺に譲って食べなかったな……もしかして動物の肉が苦手なのか?」
「あら、そうなの?それじゃあこれからミティリアちゃんのお食事からお肉は外す様に言いましょう」
この場でレバー以外の硬くないお肉は大好きだと伝えるだけの語彙力さえあれば、今後ミティリアの食事のみ肉が抜かれるという悲劇は防げたであろう。




