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01 滅びの足音と悲劇の少女

 この世界は緩やかに死へと向かっている。





 はじまりは些細なことだった。




 蕾が開くことなく花が一つ枯れ。

 自然の恵み豊かな森が一つ死んだ。


 辺境の村で井戸が一つ枯れ。

 豊富な水量を誇った川が一つ消えた。





 この世界における長い歴史から見るならば、森が死ぬことも、川が干上がることも決して珍しいことではない。

 しかし、その緩やかな枯渇は止まることなく進み続け。

 かつては美しい緑に溢れていた、いくつもの森や山が、わずか数年で水もなく植物も育たない不毛な地へと姿をかえると、人々はこの世界が確実に死へむかっていることに気がついた。




 原因不明のそれは国の大小を問わず、等しく忍び寄る滅びの足音。




 自然界のエネルギーを元素として発生させる魔法は、簡単なものであれば訓練さえ行えば誰もが使えるもので、人々の生活において必要不可欠なものだった。

 火をつける、湯を沸かすといった日常的な活動さえその魔法に頼っていた人々は、自然の減少と共に日に日に威力が弱まる魔法に恐怖した。




 まだ全ての水と緑が枯渇したわけではない。

 威力が弱まったとはいえ、魔法が使えないわけでもない。

 しかし、それは決して人々の慰めにはならない。



 育ちの悪い食物。

 段々と弱まっていく魔法。



 このまま自然の減少が続くのであれば、やがて飢えが人々を襲い、火ひとつ点けることに苦心する生活が訪れることは間違いなかった。




 各国が誇る優秀な研究者たちが、寝食をなげうって原因の追及に努めたが、水の枯渇を止めることはできなかった。

 幾人もの信心深き聖職者たちが、昼夜を問わず神に救いを求めたが、焦土と化した森が蘇ることはなかった。

 最強と謳われた魔法使いが、ありとあらゆる方法を試みたが、どうあがいても止まることのない己の魔法の弱体化に絶望した。




 緩やかに、だが確かに枯れていく自然を前に、残された緑や水を可能な限り自らのものにしようと各国の王たちが考えることは、施政者として当然のことだった。

 まだ争いにまでは発展しないものの、この均衡がいつ崩れても不思議ではないほど、国々の間には常に緊張が走るようになっていった。



















 世界一の軍事力を誇るエルディーダ帝国と、多くの優秀な魔法使いを有し魔法大国として君臨するウィルヘルム王国。

 この二つの大国に挟まれた小国がサロメ王国である。

 特にこれといった特産品も強みもない、ひたすら両隣にある大国のご機嫌を伺うだけの、国と称することさえ憚られる、小さな国。

 規模からすると、両国の地方領主が治める領地の方がよほど広大で豊かだといえる。




 そんな小さな国の、さらに外れの町アリアード。

 人間よりも放牧されている家畜の数の方が余程多い田舎町だが、何故かこの町は、世界的に等しく発生しているはずの自然の陰りが一切見られず、緑も水も大変豊かだった。

 情報が届きにくい田舎ということもあり、他所がそんな深刻な事態に陥っていることなど知ることもなく、住人達はのんびりと日々の生活を送っていた。

 そんな田舎町アリアードに、住民たちの小さなレンガ造りの家とは異なり、一軒だけ異彩を放つ大きな屋敷が存在していた。




 その屋敷の地階には狭い地下室があり、そこは通気孔はあるものの、外の様子を伺えるような窓はなく、頼りなく揺らめくロウソク一つが唯一の光だった。





「はぁ……」




 か細いため息をこぼしたのは、狭い地下室の半分近くを占めているベッドに横たわっている、華奢な少女。


 輝くような薄金色の長く真っ直ぐな髪と、深い緑色の瞳。

 シミ一つ、ホクロ一つ見当たらない滑らかな肌は、抜けるように真っ白で、思わず触れてしまいたくなるような美しさ。


 誰もが見とれずにはいられない美しい少女が、そこにはいた。

 驚くほど整った容姿は幼さを残しており、華奢な体形からも一見13歳ほどに見えるが、その胸を押し上げる意外なほど豊かな膨らみが、少女が見た目よりも大人であることを表している。


 この少女の悩ましげなため息を耳にした者がもし存在したのであれば、あらゆる手を尽くして、その憂いを晴らしたであろう。

 しかし、幸か不幸か現在この薄暗い地下室には、他の人間は誰もいなかった。








(あー、ケーキ食べたい。苺が乗ったショートケーキが食べたい。いや、贅沢は言うまい。この際チーズケーキでもチョコレートケーキでもいい。とにかく砂糖と人工甘味料たっぷりの甘いケーキが食べたい…)




 ベッドに横になり、沈んだ表情でぼんやりと石造りの天井のシミを眺めながら、いつか食べた甘く口の中でとろける素晴らしい食べ物の姿を思い浮かべていた少女は、名をミティリアという。

 見るものに必ず庇護欲を植え付けるであろう儚く美しい彼女の頭の中は煩悩に満ち溢れていた。

 いや、むしろ煩悩しかなかった。




(……塩辛いのも捨てがたいな。ポテチ…あの絶妙な塩加減と食感……じゅるり)




 思わず溢れてきたよだれを、シミ一つない小さな右手で億劫そうに拭う。

 その美しい緑色の目にはかつて記憶の彼方で味わったであろうパンチの効いた塩味の食べ物が浮かんでいる。





(ケーキもポテチも、夢のまた夢だよな。メイドの格好したおばちゃんが持ってきてくれる食事はごろごろした野菜が入った味の薄いスープみたいなのばっかだし。ケーキなんて出てきた試しがない。揚げ物さえみたことないから、ポテチなんて存在しないのかな……別にステーキが食べたいなんて我が儘言わないから、俺のモチベーションが上がるようなのが食べたい。ケーキとか。ケーキとか)




 この少女、見かけは極上だが、中身はただの残念なスイーツ男子だった。


 そう、ミティリアにはかつてここではない場所で男として生きていた記憶があった。




 コンコン




 相変わらず天井のシミを眺めながら、ミティリアがつらつらと意味のない思考を巡らせていると、地下室のドアがノックされた。




「……あい」




 ミティリアは、ノックに対する返事として教えられた単語を口にする。

 きっとあのかつての世界でいうと『はい』とか『どうぞ』とかそんな感じの意味なのだろう。

 教えてくれたメイド姿のおばちゃんは、以前ミティリアがこの単語を披露した際、発音に納得いかないのか、微妙な顔をしていたが、特に咎められることはなかったので、大きく間違ってはいないはずだ。

 ただ、この言語はミティリアには向いていない。

 舌の巻き方が向いていないったら向いていない。

 過去に何年間も学んだが全く身に付かなかった英語という言語に近いものを感じるほど向いていなかった。




 ガチャ




 鍵を開ける音がして、ドアが開くといつも通り食事のトレーを持ったメイド姿のおばちゃんが入ってくる。





「ミティリア様、お食事をお持ちしました。今日はトムトムとリージュのスープです」




 はっきりいって、このおばちゃんが話す言語はミティリアには難しすぎる。

 今だって、ミティリアは彼女の現在の名前である「ミティリア様」と、「食事」しか聞き取れなかった。



 メイド姿のおばちゃんが、自分に向かって「ミティリア様」と何度も話しかけるので、ミティリアは自分の現在の名前がそうであることを知った。

 物心つく頃にはこの部屋から一歩も出ることを許されず、訪ねてくるのは食事を持ったこのおばちゃんだけ。

 おばちゃんが食事を渡してくれる僅かな時間で、なんとか会話を続けて言葉を理解しようとするが、発音の複雑さに何を言っているのかさっぱり分からないし、真似をして言葉を話そうとしても舌が絡まってしまい、上手くいかない。

 最近ではどうせこのおばちゃん以外と会うこともないのだし、覚える必要性はないのではと、言葉の習得をほとんど投げ出している。


 本人は、もっとたっぷり時間をかけてちゃんと言葉を教えてもらえれば、あっという間に上達すると考えているようだが、いつまでたっても基本的な単語の発音さえ怪しいことを考えると、ミティリアがこの複雑な言語を理解するには教える側に多大な時間と労力が必要なように思えた。




「あいあとー」




 にっこり笑って知っている数少ないお礼の言葉を言う。

 愛想を良くしておかなければ、もしかしたら食事を貰えなくなるかもしれないという打算的な理由からだ。


 娯楽もなく、言葉も分からず、人と触れ合えるのは1日2回食事の時の僅かな時間のみ。

 普通の人間であれば、こんな薄暗く狭い部屋に長い間閉じ込められでもしたら、発狂しそうなものである。




 しかし、ミティリアは普通ではなかった。




 この世界に生を受ける前。

 ケーキだのポテチだのどうでもいい情報は覚えているくせに、かつての名前や容姿などは何故か全く思い出せない。

 しかしぼんやりとした記憶の中で、ミティリアが男で、現在と似たような生活を送っていたのは確かだ。

 つまりは、日がな一日中部屋に閉じ籠り、とんでもなく怠惰な生活に溺れていたのだ。

 記憶の中の自分は、高校生とよばれる学生で、本来であれば学校という場所に通わなければならないにも関わらず、とにかく引きこもっていた。

 顔も思い出せない親のすねをかじりまくっていた。

 まさに、ダメ人間だった。



 引きこもり万歳。

 人ととの触れ合いノーサンキュー。

 お菓子にジャンクな食べ物アイラブユー。




 理由はもう忘れてしまったが、とにかく深層心理に刻まれた、人怖いよー、外怖いよー、という感覚はミティリアにもバッチリ刷り込まれている。

 親の学校に行けオーラをかわしながらの引きこもり生活に幸せしか感じていなかったダメ人間にとっては、外に出て人に会わなくても文句も嫌味も言われることなく、ご飯にありつける現在の生活はそこまで悪いものではなかった。

 もし嫌味を言われたとしても、ミティリアの言語力では到底理解は出来ないであろうが。



 人見知りが極まっているミティリアは、初めはメイド姿のおばちゃんにも怯えてしまったが、何年も経つとさすがに慣れた。

 相手が人畜無害そうなおばちゃんということも慣れに貢献していることは間違いない。

 この食事当番が急に若い子にでも代わろうものなら、また初めから慣れていかなければならないので、是非ずっとこのおばちゃんを希望する。


 若い子なんて怖すぎる。

 一体過去の自分に何があったのか肝心なところは思い出せないが、とにかく若い子は絶対無理。

 お願いだから10代20代の人間は自分には近づかないで欲しいというのがミティリアの正直な気持ちだ。



 食事もあって、触れ合う相手は優しそうなおばちゃんだけ。

 こんな素晴らしい生活の中で、一つだけ不満があるとすれば、やはり娯楽の欠如だろうか。

 かつても部屋に閉じこもっていたといっても、あの頃はマンガやインターネットなど多くの娯楽が溢れており、退屈とは縁遠い生活だった。


 そんな娯楽の代わりに独学で魔法の練習をするのがミティリアの暇の潰し方だ。





 そう、魔法。

 なんと驚くべきことに、この世界には魔法が存在するのだ。




 おばちゃんがマッチでもライターでもなく、自らの右手と意味不明な言葉でろうそくに火を灯した時、心の底から歓喜した。



 かつてあんなに夢見ていた魔法。

 かつてあんなに練習しては一度も放つことができなかった魔法。

 それが現実のものとして存在することを知った時、幼いミティリアは思わずガッツポーズを決めた。



 魔法があるということは、ここはきっとミティリアがかつていた世界とは異なるのだろう。

 しかし、そんなことはどうでもよかった。

 だって以前も狭い部屋に一人きり。今回も狭い部屋に一人きり。

 そう、環境に大きな違いがないのであれば、夢にまで見た魔法が存在する世界の方が余程良い。



 言葉が通じない上に、僅かな時間しかこの部屋に滞在しないおばちゃんに魔法の教えを請うことはできなかったが、魔法が存在すると分かっただけで充分だ。

 うきうきしながら、おばちゃんを真似て火を出す練習をしているが、今だかつて成功したことはない。



 しかし、いつかこの手のひらから、激しく燃える炎が放たれると信じて疑わないミティリアは、ただひたすら見よう見まねで魔法を唱え続けている。




 ここまで成果が出なければ、普通は自分に才能がないのではという結論にたどり着くはずだが、ミティリアは少し頭が弱かった。


 来る日も来る日も飽きることなく練習を重ねているうちに、一体どれくらいの月日が経過したのか。  監禁といっても過言ではないこの部屋では、はっきりとした時の流れは分からないが、小さかった体がいつの間にか大人のそれに近づいているので、10年近くの時間は過ぎているだろう。


 どうやらかつてと性別が違うことにも途中で気付いたが、その驚きは一瞬だけで、男だった記憶も朧気なものなので、特に激しい違和感もなく、早々に諦めがついた。

 過去のミティリアにとって若い女性は恐怖の対象でしかなかったのだから、彼女が欲しいと考えたことすらなかった。

 だから、自らが女になったからといって、特に絶望することもないし、鏡一つないこの部屋では容姿を確認する術もない。

 自らが女だと感じるのはこの部屋に備えてある小さなお風呂に入る時くらいなので、大して気にならない。




 そんなことよりも魔法だ。




 自分がどのような理由でこの薄暗い部屋に閉じ込められているのか、事情を尋ねる言語力がなかなか身につかないために、おばちゃんに聞くことができないが、大体の想像はつくとミティリアは考えていた。




 部屋は狭いが、小さな洗面所と風呂まで備えた地下室があるなんて、相当お金持ちの家だと分析した。


 もしかしたらどこかの国のお城かもしれないと考えた。


 実際は小さな国のさらに田舎の町にある屋敷だったが、一度も外に出たことがないミティリアが知るはずもない。



 そんな推定お城の地下室に閉じ込められ、外に出しては貰えないが、きちんと1日2回届けられる食事からも分かる生かさず殺さずといった扱い。

 そして、このおばちゃんからたまに送られる、同情をはらんだ眼差し。




(……きっと、俺はもの凄い魔法の才能を持っていて、産まれてすぐその才能を察したどこかの大国に、辺境の村あたりから、無理矢理連れてこられたんだ。まさにファンタジーの世界だな……俺もしかして、勇者かなにかかもしれない。この国にピンチが訪れるような、有事の際の最終兵器なんだ…………やだやだやだ。外怖い。人怖い。おばちゃんにはやっと慣れてきたけど、それ以外の知らない人達と触れ合うなんて無理。世界を救えとか怖い。痛いの嫌。無理)




 最終兵器は誰にも見つかってはならない。

 だから自分は隠されているのだろう。

 そんなマンガかアニメの見すぎとしか思えない発想に、残念ながら突っ込む人間は誰もいなかった。



 勝手に己の事情を確信したミティリアは、いつか訪れるかもしれない有事の際になんとか逃げ出せるように、また自分自身が魔法に大きな憧れを抱いていたこともあり、ひたすら魔法の訓練を重ねている。



 誰かのために自らを犠牲にするなんて、そんな正義感や奉仕精神は持ち合わせていない。

 持っていればそもそも引きこもっていない。

 このまま、この国に何事も起こることなく、この部屋で一生を終えても別に構わない。

 魔法の訓練しか暇潰しはないけど、大好きなケーキもポテチもないけど、外に出るよりマシだ。




 自らがやがて炎や氷を自由自在に繰り出す最強の魔法使いになると信じて疑わず、たくさんの人に囲まれる勇者にされてしまうかもしれない未来に勝手に絶望し、暗い表情で俯くミティリアを、食事を持ってきたメイド姿のおばちゃんが辛そうに見つめる。





「ミティリア様……お辛いのですね。もうすぐ16歳になられるというのに、勉学の機会さえ奪われ、片言の言葉しか分からず、こんな王都から遠く離れた田舎町の狭くじめじめした地下室に閉じ込められて、とてもじゃないけどサロメ王国の姫様の扱いではないわ……いくら亡き前王妃の忘れ形見でその存在が厭わしいからといって、王妃様もこんな非道な扱いをして良いわけがない。監視の目さえなければ、私がもっと言葉を教えてさしあげられるのに……それなのに、こんな役立たずの私なんかに笑ってお礼を言って下さるなんて、容姿だけでなく内面も素晴らしい方だわ」





 お互いの考えが、絶望的に噛み合っていないことに気付くことなく、今日もまたいつも通りの1日が終わる。






 そのはずだった。









 サロメ王国に、緑も川の水量も豊富な町があるとの噂を聞き付けたエルディーダ帝国が、ここアリアードに帝国軍の一団を派遣するまでは。








 これは、滅びに瀕した世界をその類い稀なる緑の力と清らかなる精神により救ったと後世にまで語り継がれる奇跡の少女の物語である。







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