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瀬名さん、のろけちゃいました

「住職になります」


 書店内の全員が、


「え!」


と同時に声を上げた。


「北海道に帰ります」

「佐渡さんて北海道出身だったの?」

「はい」

「実家がお寺?」

「いえ」

「え、じゃあどうして?」

「住職を募集してたんです。後継者がいないお寺で。まあしばらくは師匠の下について修行ですけど」

「いや、でも、正直困るよ」


 社長は佐渡さんを極めて優秀な社員と評価している。一般的な営業職ではどうか分からないけれども、この限定的でマイナーな分野の学術書に関しては業界トップの営業マンと断言してよいだろう。それほどにマイナーな学者たちのウケが良かった。社長はストレートに慰留した。


「もし佐渡さんが望むのなら、将来的に経営に携わってもらうことも考えるよ」

「借り入れは?」

「え?」

「社長。加古田先生から貰った試算表見ましたけど、長期借入金、1,200万円のままじゃないですか」

「ああ・・・」


 加古田先生とは、顧問税理士のことだ。この規模の本屋で1,200万円の借金て、でかいな。何に使ったんだ。


「創業時の改装資金で700万円と、為替差損の穴埋めと、後は諸々ですね。前四半期の試算表でも1,200万円でしたよ。返済、進んでないんですか?」

「条件変更した。3月まで、返済完全ストップしてもらってる」

「やっぱりそうですか」


 ”条件変更”を後でネットで調べると、借金の返済方法を銀行に頼むことで、一般的には、”もう少し待ってくれ”ってお願いすることとあった。佐渡さんは声のトーンを変えずに社長と語る。


「うちの会社の経営状況も踏まえて出した結論です。自己都合の退職ですから当然退職金も雇用契約通りの算定になるって分かってます。やめるまでの1か月間、当然、引継も通常業務もきちんとやります」

「分かった・・・佐渡さん、今まで本当にありがとう」

「いえ、私こそ」



 その日の夜、もう1人の正社員の野田さんが佐渡さんを飲みに誘い、僕もご一緒した。佐渡さんと野田さんのエリアだということで、吉祥寺のジャズバーに連れて行って貰った。


「佐渡さん、結婚するの?」

「いや、まだですよ」


 野田さんは結婚してる。


”僕の奥さん、見せてあげるよ”


と言って、会社のビルの下で待ち合わせていた奥さんを紹介してもらったことがある。ものすごい美人だった。


「僕も野田さんみたいな奥さん、捕まえられたらなあ」


 佐渡さんがすーっ、とタバコの煙を吐きながら中空を見上げると野田さんが笑った。


「住職でしょ。安定してるじゃない。結婚したがる女性は多いと思うよ」

「いや、厳しいんですよ、経営は」

「経営、か」

「現実、檀家さんはどんどん減ってますから。子供は他所に行っちゃって、最後に残った老夫婦の片割れも施設に入ったらそれまでですし。あとはカット割りだけ年金口座から引き落として」

「大変だなあ」

「勝手に家に上がってお参りする訳にもいかないですし。仏壇は放置、ですよ」

「それでもやっぱり決めたんだ」

「ええ。私の大学での研究は原始仏教でしたから。サラリーマンよりは研究を続けやすい環境ですよ」

「なるほどねえ」

「野田さんだって研究者目指してたんでしょ?」

「うん。でも、実際きついでしょ。マイナーな世界だと思ってたら、どうしてどうして。営業回ったら、すさまじい人口密度で割り込む隙間なんかないもんなあ」


 僕は2人の会話を右耳で聴き、左でサキソフォンとピアノの男女2人の生演奏を聴く。興味がサキソフォンに向きかけた時、唐突に訊かれた。


「気根くんはまだ結婚とか現実味ないでしょ」


 野田さんの問いに答えるつもりも無かったけれども、つい口が動いた。


「いえ。”結婚まで行きたい?”って、彼女から言われました」

「おお! 彼女、いたんだ!?」

「リア充だなあ」

「”結婚まで行きたい?”って、逆プロポーズじゃない」

「いや、そこまでの意味じゃないと思うんですけど」


 僕がそう言うと、佐渡さんが反論する。


「いや、その彼女は真面目だよ。で、返事は?」

「とりあえず、料理の公開テストをしました」

「何、それ?」


 おおざっぱに女子寮で行われた、瀬名さんがホストの昼食会を説明する。


「気根くんって、もてるんだね」


 佐渡さんが、お愛想で言ってくれたけれども、僕は瞬時に否定した。


「いえ。僕が人生の中でまともにしゃべれた女子って、彼女だけですから」


 今度はお愛想でなく、佐渡さんは真顔で言った。


「みんな、それができないんだよ」

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