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瀬名さん、引きこもっちゃいそうです

「こんにちは。ただ今帰りました」

「おー、気根くん久しぶりだね」

「気根さーん。お疲れさまでーす」


実家から東京に戻ったその足で山見書店を訪れた。野田さんと僕のピンチヒッターとしてバイトに入っていた里見さんが出迎えてくれた。


「これ、お土産です」

「悪いねー。おっ、これまたお土産感満載の酒饅頭だね」

「皆さんでどうぞ。里見さん、留守中ありがとう」

「いーえ。で、気根さん、わたしもレギュラーでバイトすることになりました。引き続きお願いしまーす」

「あ、ほんと? こちらこそよろしく」

「社長が入院しちゃってね」


野田さんが疲れた顔でほっと溜息をつく。


「歳だからね。まあこの猛暑で疲れちゃったみたいで。過労で一週間ほど静養するだけだからひと安心だけど」

「大変でしたね。黒石さんは?」

「地方の大学へ営業」

「へえ!」

「都内の大学だけじゃやっぱり売上落ちててね。まずは黒石さんの母校に帰省がてらアタックしてもらってる」


たった二週間東京を離れてただけで色々あったんだな。に、しても・・・なんだかやたら汗が出るなあ・・・


「気根くん、暑いかい? クーラーの温度下げようか?」

「いえ・・・大丈夫です。なんだか寒気がして」

「寒気? 冷や汗かい、それ?」

「すみません・・・ちょっと失礼していいですか」


僕はそう言って目を閉じ、机の上に顔を伏せった。なんだか物憂い感じがする。


「気根くん、大丈夫かい? 里見さん、ちょっとタオル濡らしてきて。あと、冷蔵庫にあるアイスコーヒー持ってきて」


里見さんから濡れタオルを受け取り、おでこや首筋を冷やしてみた。

少しだけマシになった。


「すみません。もう帰ります」

「ちょっと待って。そんな状態で神保町から電車で帰るのは無理だよ。今、タクシー呼んであげるから」

「すみません・・・」


タクシーが来ると野田さんが財布から一万円札を取り出し、僕に渡そうとする。いいです、いいです、と何度かやりとりした後、それすら気だるくて僕はすみません、と結局受け取った。なんだかこの間母親が瀬名さんにお車代を渡したのと似てるな、と思った。


タクシーでアパートの自部屋にたどり着くと、僕はそのまま畳の上に仰向けでばったりと寝転んだ。今時四畳半だけれどもエアコンだけは一応付いている。けれどもそのリモコンを拾うことすら面倒なぐらいにただただ体がダルかった。


・・・・・・・・・・・・・


ヴッ、とスマホにLINEの着信が入る。けれども僕は一切見ていない。

瀬名さんからのものも多分相当の数になっていると思う。電話の着信も何度もあった。

けれども僕はどうしてかとにかく気だるくて、人と話す気力が湧かなかった。瀬名さんからの連絡をさえ疎ましく思った。こうなると大学徒歩30秒のこのアパートだけれども、作田も女子寮メンバーも全員帰省中なので誰とも会わなくて済むことがありがたくすら感じられた。

山見書店へ、『すみません、休ませてください』という一方的なメールを送ること以外、僕は何もせず、三日間部屋から一歩も出ずに過ごした。


4日目の朝。


ドアをノックする音がして目が覚めた。


「気根くん、瀬名だけど」


ああ・・・瀬名さんか・・・でも、なんだか、疲れたなあ・・・このまま寝てようかなあ・・・


「気根くん。起きてたら開けてくれない? 野田さんから聞いたわ。ほんとはすぐに来たかったんだけどシーズンだから全室満室でどうしても外せなくて・・・今日夜勤明けでようやく来れたのよ」


ああ・・・なんだかなあ・・・僕はどうしたんだろう。ちゃんとしたいのに、体が動かないよ・・・このまま引きこもりになるのかもなあ・・・


「気根くん! お願いだから」


瀬名さんは随分長いことドアの前で僕に呼びかけてくれてた。

でも、その内に静かになった。

そうだよな。これだけ無反応だったら帰っちゃうよな。当然だよな。


あれ?


意味もなく僕は泣いていた。


自分から反応しなかったのに。

自分から瀬名さんを無視したのに。

なのに、瀬名さんが行ってしまったらそれを全部棚に上げて悲しくなった。


僕はもう、ダメなのかな・・・


「気根くん!!」


窓が、ガララッ! とけたたましい音を立てて開かれた。

そして、閉めてあったカーテンも、ビーっ、と千切れんぐらいの勢いで開け放たれる。


サイケTシャツ、デニム、スニーカーのいつもの瀬名さんが、出窓を乗り越え、部屋の中に入って来るところだった。


「え・え!? 瀬名さん、ここ二階ですよ!?」


思わず飛び起きる僕に瀬名さんは汗だくで荒い息のまま答えた。


「気根くんの一大事にそんなの関係ないわ。土足でごめんね」


飛び込むように畳に降り立ち、それからスニーカーを脱いだ。


「気根くん。大丈夫?」

「いえ、瀬名さんが大丈夫ですか?」

「わたしは大丈夫。ボルダリングみたいに登ってきたから指先がちょっと千切れそうに痛いけど」


わあ・・・


「ねえ、気根くん。病院行こ? わたし付き添うよ」

「でも・・・」

「無理? 元気出ない?」

「はい・・・すごくだるいというか、億劫おっくうというか」

「キスしたら、元気出る?」

「えっ・・・」


瀬名さんが目を閉じた。


たった今制覇して来たアパートの壁との格闘で、額や首筋に小さな水滴がぷっ、と浮かんでいる。

何も考えられない。

僕も顔を近づける。

今まで見たことのない倍率と解像度で瀬名さんのアップが迫る。


僕も、目を閉じた。


ルルルルルル! ♪


「わ!」

「あ、ごめんね」


びっくりした。


瀬名さんのスマホに着信だ。

この緊張感の中、極めて冷静に通話を始める瀬名さん。


「はい、先程お電話した瀬名です・・・はい、はい。あ、そうですか。ありがとうございます」


電話を切り、ごく事務的に僕に告げる。


「気根くん、財布はいいわ。保険証だけ持って出掛ける準備して」

「はい?」

「都立病院に予約取れるかどうか訊いてたの。今から行って大丈夫だって。あと、何があってもいいようにわたし10万円下ろしてきたからお金も安心して」


僕が何も言わない内に瀬名さんはまた電話をかけてる。


「あ、タクシー1台お願いします。目印は大学です。はい・・・小型で大丈夫です」


・・・・・・・・・・・・


都内でも規模の大きい都立病院の患者総合支援センターで最初に回されたのは精神科だった。


先生が僕に質問する。


「それで、気分が落ち込んで何もやる気がしないと」

「あの・・・気分はとても沈んでるんですけど、やりたいことはあるんです。バイトも好きですし夏休みの大学の課題もどんな風にプレゼンしようかって楽しみで・・・ただ、どういうわけか体が疲れてしまってて・・・」


そう。やりたいことはある。

現にさっきだってキス寸前までいってたし。


「うーん。ひょっとしたら、と思うことがあるので、内科へ回ってください。確信はないですが、私の推測を引き継いでおきます」


なんだろ。

とにかく、僕らは次に内科へと回った。


「肝炎ですね。ウィルス性の」

「え」


僕と瀬名さんと2人揃って声を出した。


「おそらく赤ちゃんの時になんらかの経路で感染してキャリアになってたんでしょうね。自覚症状もないですし発症することも稀なんですが」


言われてみれば学外ゼミで無理して体調を崩し、瀬名さんに朝弁を作ってもらい始めたころから兆候はあったのかもしれない。


瀬名さんが先生に聞く。


「あの。治療方法は? それから結婚とか子供を作ったりとかで影響はあるんですか?」

「正直完治は難しいかもしれませんが、気根さんの場合は投薬での治療という方針になると思います。えーと、失礼ですが貴女は気根さんとのご結婚を考えておられる?」

「はい」

「そうですか。大丈夫ですよ。ワクチンで貴女への感染予防の方法はありますし、しっかりと対処すれば結婚生活に問題はありません」

「そうですか。よかった・・・」


瀬名さん・・・・


・・・・・・・・・・・・


「瀬名さん、さっきは危なかったですね」

「え? ああ・・・キスのこと? 気根くんさえ元気が出るならわたしは全然構わなかったんだけど・・・って赤ちゃんへの感染の問題ね」

「瀬名さん」

「なに?」

「瀬名さんは僕なんかのどこがいいんですか」


言ってしまった。

自分を卑下するわけじゃない。

でも、瀬名さんを見ていると、本当に意図がわからない。どうしてここまでしてくれるんだろう。


「そんなの、分からないわ」

「え」

「縁があるってことでいいんじゃない? 結婚式で『縁あってわたしたち結ばれました』とか、結構いいスピーチかも」


そう言って、ふふっ、と彼女が笑う真夏の昼下がり。

淡白で時折かわいらしく、そのコンビネーションがクールだ。


「ねえ、気根くん。まだ時間あるし暑いし、どこか涼しい所行かない?」

「涼しい所?」

「サンシャインのナンジャタウンでお化け屋敷やってるみたいよ」


ナンジャタウンって、クールなのかな。


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