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瀬名さん、海が見えますよ

夏休みと同時に僕と瀬名さんは北へ向かった。

瀬名さんの実家の『あった』地へと行くのだ。


「はい。冷凍みかん」

「あ。ありがとうございます」


う。沁みる・・・


多分梅雨明けしたんだろうなと思われる暑い日差しの中、電車の中で読むためのマンガと文庫の小説を八重洲ブックセンターで買い込み、そのまま東京駅から新幹線に乗り込んだ。

高速快適日本が世界に誇るインフラである新幹線の乗車時間は端まで行ったところで数時間だけれども、トランプをするでもない僕と瀬名さんは冷凍みかんで涼をとりながら用意した本を読んだ。


僕がページを繰りながら一緒にのぞき込んで一冊ずつ。


なんとなく買ったマンガは瀬名さんの趣味。

音楽に関するエッセイ的な短編集で、女性漫画家の作品なのだけれども線はくっきりとしたものが多い。年老いたジャズメンがボカロをカバーするエピソード、ローティーンの少女がピアノ国際コンクールで優勝した後にインディーロックバンドのキーボーディストとして場末のライブハウスで活動するエピソード、若き演歌歌手が歌に説得力を持たせるために所属事務所を辞めて介護施設での仕事を始めるエピソード etc・・・


「瀬名さん、海って見えないんですか?」

「残念だけど新幹線からは海は見えないわ。着くまで我慢してね」


午後早い時間に到着した。

改札をくぐり、駅のロータリーへ。


僕はとても感慨深い。

ここが瀬名さんの育った街。

彼女の小・中・高校時代の姿を想像する。

制服に身を包み自転車で髪をなびかせて通学する姿を。

駅伝部の練習で街中をランする姿を。


「気根くん。とりあえずお昼にしようか」

「はい。瀬名さんの通ったお店とか?」

「あのね、一応女子だから知ってるのスイーツのお店ばっかりなのよ。でも一軒だけ行きつけの食事系があるけど。ラーメン屋さん」

「へえ。なんか意外ですね、瀬名さんがラーメンなんて」

「まあ、ね。祖父母と父母と兄とわたしでことあるごとに、って言っても年3回くらい。法事とかやった後の家族だけの打ち上げでね」

「へえ。何系ラーメンですか?」

「え? さあ。ごく普通の中華そばで天かすが入っててね。高校を卒業するまでその熱々で天かすがスープと馴染んだサクトロッとした感じが好きで」

「じゃあ、そこ行きましょうよ」

「ええ。でも汗かくわよ」

「望むところです」


こうして駅前の大通りから小路に入ったところのいい具合に煤けたお店に入る。ラーメン屋というよりは定食・丼物もある食堂という感じだった。


店主だろう、割烹着の初老の男性が出迎えてくれた。


「いらっしゃい」

「ご無沙汰してます」

「ああ・・・瀬名さんとこの下の子かい。どうしてた?」

「ちょっと色々あって、まだ東京です。両親共自己破産したのはご存知でしょう?」

「あらかた聞いてるけど、大変だったねえ。まあ、ゆっくりしていきな。中華そばかい?」

「はい」

「お連れさんも?」

「はい。僕も同じで」

「ほいじゃ、ちょっと待ってね」


瀬名さんが出されたお冷やをごくっ、と喉を鳴らして飲んだ後、はあっ、とため息をついた。


「瀬名さん、地元じゃ顔が広いんですね」

「狭い街だからね。それに何代か前に東京からこっちに移って来た時も商売に失敗してだったから、また身上しんしょう潰したのかって随分噂になってたみたい」

「ご両親は?」

「前にも言ったけど離婚してそれぞれアパートで一人暮らし。実家のあった場所からは離れた街でね。当然2人の住まいも離れてる」

「今日はそこへ?」

「ううん。明日2人別々に呼び出してある。気根くん、悪いけど両親に会ってくれる?」

「もちろん」

「ごめんね。今更会ってどうこうなる人たちじゃないけど、一応自分の伴侶になるかもしれない人を見せない訳にはいかないでしょう」

「・・・こんな格好でよかったですか?」

「うん。夏だしTシャツで十分。両親もいい身なりするお金ないし」


そう言っているうちに中華そばがテーブルに運ばれてきた。


「あ。おいしいです。天かすが合う」

「そうでしょう。まあ、値段相応のクオリティーだけどね」

「聞こえてるよ」


チープな昼食だけれども本当においしかった。僕は瀬名さんに質問を続ける。


「それで今日はこれから?」

「一応『実家だった』家を見に行こうと思って。気根くんが嫌じゃなければ、だけど」

「僕も瀬名さんが育った場所を見てみたいです」


ラーメン屋を出て路線バスに乗り込んだ。30分ぐらいで着くという。


低床のコンパクトなタウンバスだ。ガラガラだったので、僕と瀬名さんは2人がけのシートに並んでではなく、1人ずつ腰掛けた。瀬名さんが前方のシート。僕はその後ろ。


「あれがわたしの通った中学」


ああ。

感慨深い。


中学校はまだ夏休みに入っておらず、セーラー服を着た女子生徒が校門の辺りに何人も歩いていた。

この純白と濃紺の制服を着ていた幼い瀬名さんを想像するとなんだか胸の辺りがくすぐったくなる。


「あれが高校の時にできた図書館、それから・・・」

「海だ!」


思わず僕は声を上げた。

僕の実家の街にも海はあるけれども、瀬名さんの街の海はそれよりも大らかで明るい感じがする。

少し驚いたのはもう海開きをしてて、おそらく短縮授業となった小学生や中学生たちが真っ黒になって泳いでいる風景だった。


「気根くん、水着持ってきた?」

「はい。もちろん」

「じゃ、明日か明後日、用事が終わったら泳ご?」

「はい」


この間ジムのプールで見たフルーツ柄の瀬名さんのワンピースの水着。


楽しみだ。


・・・・・・・・


「ここがわたしが育った家」


そう言って瀬名さんがまっすぐ見つめる庭の広い木造二階の一戸建てには『瀬名』ではない別の名前の表札が掲げられ、玄関先には三輪車が置かれていた。今の住人も三世代同居の家族だろうか。


「・・・結局買い手がなかなかつかなくてね。競売にかかったらしいわ」

「立派な家ですね」

「立ち止まってたら家の人が気持ち悪がるだろうから少し周りを歩くわ」


生垣もきちんと手入れされている。

その隙間から見える庭の花を指して瀬名さんがつぶやいた。


紫陽花アジサイってね、すごく繁殖力があってね。庭を荒らしてるとまるで木みたいにいかつくなってね」

「へえ・・・」

「高校の頃、祖母が亡くなった後ぐらいから隣の家にまではみ出て迷惑かけるようになってね。わたしがのこぎりで切って花ごと捨ててたわ」


まだ花をつけているその紫陽花アジサイの前で瀬名さんが立ち止まった。瀬名さんが話すような雑然さはなく、綺麗で可愛い花が咲いていた。


「やってらんない・・・」


わざと向こうを向いて掠れた声を出した瀬名さんのまつげが、濡れていた。


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