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妄想論

なろうはクックパッド

作者: とびうお君

 なろうにある小説の分析とはちとずれると思う。私が正しく理解して欲しいとして一筆書くのは価値についてである。なろうの小説でランキング上位に来る小説の価値とは何か?それがクックパッドの料理だとなる。多くの人はそれにミシュランなどの三ツ星レストランなどの料理を期待するだろう。


 小説の芸術=文学とはそういうものだから。例え文学と言われなくてもリアリズムのしっかりしたアカデミー賞などを取る映画の原作の様な話を期待するだろう。それは間違っている。なろうのランキングはクックパッドの料理が旨かったってランキングに他ならない。


 ライトノベル=なろうテンプレと呼ばれるものは小説なのか?これは小説だとストレートに答える。どこが?となるとクックパッドに紹介された料理もミシュランなどで紹介される店で出される料理も同じ美味しいと言う感情を喚起するもので違いが無いから。じゃ分けることなんて出来ないじゃないか?料理ではないと差別を受ける言われない。ただそれだけの事で、区別する自体は悪い事じゃないから。違うものだと書く時になろうエッセイの多くは侮蔑的でさげすむ言葉を付け加える。馬鹿な、食事をして美味しいと言う感情が喚起される同様の物じゃないかと、ならば違うものとして差別される言われない。


 じゃ一体どこに差があるのか?こんなもの料理じゃないと言う批判は正しくは無い。ただしきちんと差はある。それは認めても良いんだ。価値の置く場所が違うんだ。クックパッドの料理の価値は最終的に作った料理が美味しいと感じる受け手の主観の中にあってもその本質を削りだすと豊富なレシピ集にある。


 これでどうだろうか?なろうの多数作られる似たような作品にすごく似てないか?どれもこれも似たような料理だが、それぞれにレシピ集を出した人の個性的な小さな差がある。それらの集合こそがクックパッドの価値なのでは無いか?同様になろうもそれこそが価値と成る。クックパッドでは創る人が家庭の平凡な人である事が当たり前の事になる。それについて料理に影響した時クックパッドの価値が下がるのだろうか?


 否、それについては重要じゃない。ある程度それなりに創る技量があればそれで良い。大事なのはレシピ集が作り出す小さな料理の差異にある。それを楽しむ事になる。何故クックパッドには豊富な料理が掲載されてるのか?少数の飛びぬけた料理があれば良いのでは無いか?違うそれは多くの家庭で料理を食べる人が飽きるからだ。彼彼女らはさらに旨い料理を求めるのではない。さらに小さな差異でも良いから違う料理を食べたいのだ。


 それは似たようなものばかりのテンプレとは異なるのでは?それは違う。テンプレは似ている、だがすべて小さな差異で違うものだ。価値そのものがより独創的なものを生む出すため作品数が広がってるわけじゃないからだ。これがクックパッドと似てるんだ。クックパッドではカレーやラーメンが始めて作られるような斬新さを誰も期待し無い。そしてクックパッドにそれで批判する人はごく少数だろう。誰もそんなもの期待しちゃいないんだ。そこそこ旨いけど違うものが食べたい。こういう欲求に答えている。実験的で斬新な料理なんて求めてない。


 料理そのものに価値を置くとどうしても、料理人の腕が関わってくる。なろうテンプレが稚拙だと思ってる人の批判はまさにこれと似てるんだ。なろうテンプレに期待してるのは、豊富なクックパッドのレシピ集であり料理人腕は下手じゃなければそれで良い程度。料理そのものの腕よりレシピ集を生み出す頭に期待してるんだ。


 これがプロットとアイデアになる。コレを直接見て面白いか?苦しいだろう。だから料理と言う形でしか提供されない。それが小説だ。だが価値そのものはレシピ集を豊富に作り出す投稿者にある。形として小説りょうりとしてしかプロットとアイデアの価値は堪能できないから。その他の小説は、料理そのものを味合うことに価値があるからどれも落とせない価値になる。だが、ライトノベルはレシピ集を作り出す部分の価値の比重がものすごく高い、それゆえに文章は良いに越したことはないが絶対の価値にならない。


 じゃ独創的な料理のレシピに価値があるのか?だからそれはクックパッドだとなる。クックパッドで斬新な料理への期待があっても、それがなければ不満になるか?それは無い。ましてそれを批判として多くの人に賛同を求めるなど極少数のクレーマーしかいない。どこにでもクレーマーはいるので多分居るだろう。しかし、なろうはそういったクレーマーの存在がばか者として認識されない。何故か?それは価値がしっかりと受け手側で共有されて無いから。だから私はこうして書いてる。


 別に価値を感覚的に理解しろと書いてるわけじゃない。ただ理性的に自分がどんだけアホな事をしてるか?を知って欲しいんだ。どうようにクックパッドの料理を持ってミシュランの店で採用してもらおうと動く輩にもやめておけと忠告をしている。私はどちらかの味方ではない。私はアホな争いを繰り広げる争いそのものを憎んでいる。馬鹿すぎるが笑うことが出来ないから。お互いの価値に接点がない事が分かれば多分この不毛な争いは終わり、エッセイに書かれる創作の話の質が上がってくれるのではないか?と期待して今回のエッセイを書いてる。


 これは今まで書いてきたことを分かりやすくしただけで、焼き直しに他ならない。ただ人に伝える事が不十分で、全く改善されないアホエッセイを見て反省してこのような文章を書く事にした。


 全く同じ小説が量産されてるわけじゃない。それは逆になろうの小説の価値と真逆のものになる。1つの最高の作品を何度も何度も読み返す。そういった行為はなろうの大半の小説と真逆の価値になる。どうして違ったものを求めるのに同じようなものなのか?それは同じような小説の差異を楽しむ事に価値を理解して無いから。全く同じものなら、別の作品じゃなくて1つの作品だけを読めば良い。それはなろうテンプレとは真逆の方向性を持った作品になる。それこそが文学、小説の芸術性の堪能であろう。


 ハイファンタジーが人気が有るわけじゃない。ハイファンタジーだけが別のものだと思って良い。クックパッドとミシュランの価値が相容れないだけだ。不人気ジャンルででライトノベルとして今受ける手法を作家が誰も知らないだけだ。


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