笑う悪魔
古来より、人は文字に願いを込めて、大切なものを守る習慣がある。
おフダやお守りなどとして、今もそれは広く残っている。
家内安全、商売繁盛、安産祈願、合格祈願、悪霊退散、喧嘩上等、駐車禁止、五目炒飯。
後半はちょっと間違っているが、かつては今よりも強力な効果を持っていた。
文字の力によって、形だけではなく数々の奇跡を起こすことができたのである。
今となっては、その術を伝えるものは数少ない。
力ある文章を、力ある文字にする者を、人は書き手とよんだ。
「さあ、目を開けてみてください。大きな声を出さないようにしてくださいね。」
ハジメの言葉で、深見はゆっくりと目を開けた。
人は、本当に驚いた時には声を失うものだ、でも、さらに度肝を抜かれたら黙っていられるだろうか?
精神の崩壊を防ぐ為に、自然と叫び声が上がるのは、心のセーフティーロックともいえよう。
「セーフティーバーを下げるのは私の仕事」
これは、世界一有名なネズミがいる遊園地の、アトラクションで聞くことが出来る台詞だ。
しかしここでは、まったく関係がない。じゃあ言うな?・・・ごもっとも。
「ぎゃぁぁ、なんだこりゃ?!た、たすけて〜!!」
「はは、深見さん落ち着いてください。この子達には、害を及ぼす力はありませんよ。大声を出すと、もっとタチの悪いのが来てしまいますから、どうかおしずかに。」
深見の額には、一枚のおフダが貼り付けられていた。
近づいてよくよく見れば、隙間なく、細かい文字がびっしりと書き込まれているのが分かるだろう。
深見はハジメになだめられて、次第に平常心を取り戻していった。
最初警戒していた深見も、ハジメの不思議な雰囲気に、今ではすっかり気を許している。
深見はこのとき、その事にまったく疑問を抱かなかったが、後日友人にこう語っている。
「魔法使いっていると思うか?思わないよな?俺もいないと思う。でもな、悪魔はいるんだぜ。笑顔一つで警戒心をとかしちまうんだ。あとはもう、悪魔の言いなりさ。悪魔と契約した男の話しなんて、デッチ上げだと俺はおもうね。あの笑顔にやられたら、交渉なんてできっこない。思い出しただけで身の毛がよだつ、怖くてじゃないぜ。怖いんじゃなくてもう一度会いたくなっちまうんだ。悪魔ってのは、とびっきりいい男の姿で笑うんだ。」
深見にとって、この悪魔との出会いが、その後の人生を大きく変える事になったのは紛れもない事実であった。
それはまた、別のお話しとして、語られることもあるかもしれないし、ないかもしれない。
「深見さん、あの大きめの石が見えますか?あそこに書いてある呪文がこの子達を操っているんですよ。あなたが進むのにあわせてこの子達が動いて邪魔する仕掛けですね。幻覚効果もあるようです、これのせいで同じところをぐるぐる回っていたんですね。」
「呪文だと?それとこれと、どう関係があるっていうんだ。」
深見の言うこれとは、足元のコレである。
深見とハジメの足元には、くるぶしまで伸びるピンクの毛がまとわりついていた。
長い毛は、ハジメの指し示した石を中心に広がって、細かくうごめいている。
それはまさに、ピンクの絨毯。それも、長くて細い毛が編み上げられた逸品だ。
しかもこの色、目がチカチカするショッキングピンクには、高級感のかけらもない。
総合評価は、ゴミだ、粗大ゴミだ。「処分の際には印紙を忘れずに」であった。
「さて、この窮地を脱するにはどうするか。そうですね、あの文字を破壊するのも手ですけど、たいていこの手の罠にはオマケがついていますからね。文字を破壊した者に災いをって感じですね。試しにやってみますか?」
「災いだと?冗談じゃない!だいたい俺の質問に答えてないぞ、呪文ってなんなんだよ。」
「呪文は呪文ですよ。この家の住人が何者か、知らずに入ったんですか?」
「はあ?この家の住人は、魔法使いだとでも言うのかよ。」
「ちょっと違いますね、わかりやすく言うと、魔法使いのために呪文を書く人が住んでます。」
「はぁ?魔法使いなんているわけ無いだろ。本気で言ってるのか?」
「はは、居るわけ無いじゃないですか。例えですよ、言ったでしょ?分かりやすく言うとって。正確には、読み手です。呪文を読んで力を発現させる人のことです。」
「ますます分からん。呪文だの読み手だの、いったい何の話だ?」
ハジメは少し困ったように顔をしかめると、ポケットから1枚の紙を取り出した。
シワを伸ばして、深見へと差し出す。
「これが、呪文です。読んでみてください。」
深見は、渡された紙片に目を落とし、怒ったように言った。
「・・・黄色い綿毛?春の木漏れ日ってなんだよ。馬鹿にしてんのか?」
「それは、普通の人には理解できません。でも、読み手と呼ばれる人たちには読めるんです。そこからイメージした事に、精霊たちが反応するんですよ。では、やってみますね」
ハジメは、声に出して呪文を読み始めた。
単純な単語の組み合わせが、詩のように韻を踏んで繰り返されるさまは、読経する僧侶にも似ている。
やがて、ハジメの周りを黄色い光が漂い始めた。
それはしだいに光を増して、まばゆいばかりに輝きだす。
「こ、これは・・・、綺麗だ。」
「ここまでが、精霊の召還のくだりです。ここからが本番ですよ、よく見ていてくださいね。」
ハジメの声の調子が変わる。荒々しく叫ぶその言葉は、前半の分かりにくい言葉ではなく深見にもはっきりと分かる言葉だった。
聞き間違えようはずも無い、それはおそろしく簡単な命令、「ハカイセヨ」。
ハジメの口から、その言葉が発せられた瞬間、黄色い光はパリパリと音を立てて集まって、ハジメの指差す岩に向かって飛んでいった。
そして、とどろく轟音。爆発の衝撃で、大量の土砂が天高く舞い上がっていく。
後に残されたのは直径3メートルほどの大きな穴だった、岩は跡形も無く砕け散っている。
焦げ臭い匂いが鼻をつくのは、黒く焦げた穴の淵から立ち上る白い煙のせいだろう。
「さて、次は蔵へ侵入しましょう。どんな罠が仕掛けてあるのか、ワクワクしますね。」
「・・・・。」
「そうですか、深見さんもワクワクしますか。それじゃ、お先にどうぞ。この中には、お宝がたくさん詰まってるんですよ。」
ハジメは悪戯っぽい笑顔を浮かべて、深見をいざなった。
ピンクの絨毯が取り払われた、芝生の上をどんどん歩いていく。
「早くしないと、次のが来ますよ、災いってやつです。急いでください。」
深見は、大急ぎでハジメを追いかけた。
*
蔵といえば、土壁に瓦が乗っている、和風のものを思い浮かべるのが普通だろう。
重たくて分厚い扉がついていて、古い家などにある建物だ。
しかし、ここのは少し違っていた。
遠くから見たときはそう見えたが、近づいてみるとコンクリートで出来た近代的なものだと分かる。
少し離れたところに小さな小屋があって、太いパイプでつながっている。
「あれは、除湿装置です。中のものを湿気から守っているんですよ。」
「俺は倉になんか用は無いんだがな、母屋に入る予定だったんだ。」
「おやおや、欲が無いですね、母屋にある物なんてたかが知れてますよ。プロならリスクに見合った報酬を得るべきです。違いますか?」
どこから見ても高校生のハジメに、プロ意識を再確認させられる深見も深見だが、そう言って違和感を感じさせないハジメも普通ではない。
ハジメは深見の手を取って、蔵の扉へと触れさせる。
深見の手が扉の取っ手にかかり、扉がほんの少し動いた時、扉の隙間から突然、黒い塊が飛び出した。
「!!」
「深見さん、ファイト!呪文は扉の裏ですよ。開けないと解読ができません。がんばってください。」
黒い塊は、深見の体を這い登る。
足元から冷たいゼリーに包まれていく感じだ。
ゼリーに包まれた箇所から冷気が浸透して、感覚がなくなっていく。
深見は渾身の力を振り絞って扉を開けた。
「よし、思ったとおりだ。深見さん、疲れ様でした。」
ハジメは、扉の裏に張ってあったおフダの上に、もう一枚おフダを重ねた。
全身を覆いつくしていた黒いゼリーは、細かい粉になって舞い落ちて、深見の足元に小さな山を作った。
「・・・・・だましたな。」
「だますなんて人聞きの悪い、役割分担ですよ。僕が動けなくなったら、解除できないでしょ?」
深見は何か文句を言ったが、それは言葉にならず。
言った相手といえば、もうすでに蔵の中へ姿を消していた。
深見の全身に虚脱感が広がる。
深見は思った、俺死ぬよな?このままだと次死ぬよな?次死ななくても、その次は怪しいよな?
「深見さーん、早く来てください。お宝の山ですよ、早く、早くー。」
蔵の中からハジメの声がする。どこまでも拍子抜けする軽い口調だ。
深見は、ノソリと歩き出した。黒い粉に深見の足跡が残る。
深見はこの時初めて、自分が片方の靴を失っていることに気づいた。
振り返れば、ぽっかりと空いた地面の穴。そのすぐ近くに自分の靴が落ちている。
深見はそこに、靴と一緒に大事なものを置き忘れた気がした。
それは、平凡な日常だろうか、ごくまっとうな常識だろうか。
いずれにせよ、もう引き返すことはできない。
深いため息を一つ吐き出すと、深見は蔵の中へ入っていった。