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PIANO 短編集

PIANO 御坂 琥珀編

作者: 天音 神珀

 居場所、というものを知ったのは、何時からだったのだろう。

 案外、最近なのかもしれない。誰かにこの声を必要とされて、ようやく自分の居場所を見つけた。

 でも、最近は誰か、ではなくなってしまった。ただ一人、あの少女だけに必要とされたかった。

 大それた望みなのだろうか。

 夜寝る前に思い出すのは、決まって彼女の声――歌だ。


『この世で一番大好きな君へ 最期にこの歌を』


「贈ります………か」


 琥珀は、そっと呟いた。

 3600秒。それが、この歌の名だ。

 彼女が、よく口ずさむ歌。初めて聴いた彼女の歌。

 彼はその歌が好きだった。


「………レイ………もしも………この気持ちを伝えたら」


 君は、困った顔をするのかな。

 最期の言葉は呑み込んだ。

 困惑するに決まっているだろう。琥珀が彼女と出逢ったのは、ちょっと前の話だ。

 そんな男に告白されても、困るだけだろう。

 ……彼女は琥珀を知らなかったのだから。


「……歌い手なんて、下手に手を出すべきじゃなかったかな」


 苦い笑みを浮かべ、琥珀は軽く吐息を零す。

 歌い手を始めて、後悔したことはなかった。インターネット上で人気が出始めると尚更楽しくなって、歌い手を始めて良かった、と何度も思ったものだ。

 初めて居場所が出来た、そう思えた。だから、こんなことを考えたのは初めてだった。

 歌い手なんてものにならなければ、きっと居場所を見つけるのは難しかっただろう。でも、こんなに苦しい思いを知らなくて済んだ筈だ。


『綺麗な歌ですね』


 無邪気に笑った。

 琥珀のことを知らなかったのに、何の躊躇いもなく笑いかけて。


「………君は………残酷だね…………それに…………」


 危うすぎる。

 彼女はたった一人で、全てを抱え込もうとする。悩みなんてない、とでも言うかのように笑って、でも危ういほどにその心は不安定だ。


「…………君の傍で、隣で、君を守りたい。………なんて。……僕には、遠すぎる夢かな?」


 答えはない。彼女はここにいないのだから。

 琥珀の呟きを聴くのは、静かに揺れる木々たちだけ。


「………まったく。何をしているんですー? そんなところで」


 のほほんとした、穏やかな声が頭上から降ってくる。


「……(はる)?」

「課題、終わったんですかー?」


 天音(あまね) 悠。この大学の中で一番懇意にしている友人だ。

 とは言え、知り合ったのはつい1年前。

 ここ、久須美(くずみ)医科大学には、特待生という枠が一席だけあった。両親に負担を掛けたくなかった琥珀は、その枠を目指して勉強した。

 特待生として入学できれば、入学金や授業料などが無償となる。つまるところ、金銭面で負担を背負うことはなくなるのだ。

 高校では、勉強に一番精を出した。特待生として入学するために。

 だが、結局琥珀は特待生の枠に入ることは叶わなかった。琥珀は主席を取ることが出来なかったのだ。

 その特待生の枠を取ったのが彼、悠だった。それを知り、悠とはよく話すようになった。

 実際、話も合った。色んなものが良く似ていた。

 が、彼は遊ぶと言うことをちっとも知らなかったらしい――1日の殆どを勉強に費やしていると聞いた時には耳を疑った。勉強以外にしていることと言えば、風呂や食事、睡眠などと言った、生きていくために必要最低限な行為のみ。はっきり言えば、彼は狂人の如く勉強だけをしていたのだった。

 そこで、高校の頃から始めていた音楽活動――つまり歌い手を彼にも勧めたのだ。

 インターネット上で自分たちの歌っているものを公開する。実名を伏せ、歌を公開する。それが歌い手というものだったのだが――どうやらこの2人組は、想像以上に人気を博したようで、ライブなども開かれることになったり、ただのお遊びとは言い難い状況になっていた。

 ともかく、そんなつながりを持つ悠だが――一点、少々悩ましいところもあったりする。

 ………両親を持たないのだ。

 何らかの事故で家族を全て失ったらしいが、それが原因で彼は彼の母方の叔母に引き取られたらしい。

 彼はそれが申し訳ないと言う。無理もない。本当の子供でもないのに引き取ってくれて、更にちゃんと養ってもらっているのだから。

 その上、叔母には伴侶がいないという。つまるところ一人で彼を養っているのだ。

 それが女性の身にとってどれほどの負担なのか。軽々しく理解できるなどと言えるものではないだろう。

 悠の心にとって、それが少なからず翳りを落としているのは確かだった。


「………課題は終わったよ。つい昨日」

「意外ですー。まだ終わってないのかと」

「僕がそんなにのろまだって思うわけ?」

「んー」


 そこで悩むと言うことは、否定はしないと言うことか。


「自信あるよ。今回のレポート。教授に聞いてみようか? どっちの方が出来がいいですかって」

「あはは。それじゃあ私には勝ち目がなさそうですねぇ」


 今回はそんなに自信ないんですよねぇ、私。そう告げる彼の瞳は、どこか空虚だ。

 彼の瞳は出逢った頃から変わらなかった。

 どこか空虚。何も映さない、ガラスのような眼。どこまでも透き通っているかのようで、だが深すぎて奥が見えない。淀んでいるかのように虚ろだ。

 その理由を、琥珀は知らない。知る必要のあることではないと思った。知って欲しいと思えば、彼はきっと自分に話してくれる。告げようとしないということは、知って欲しくないのだろう。なら、わざわざ傷跡をえぐるかのような真似はしたくない。


 (…………そう言えば………彼女も悩みを打ち明けようとはしないけれど、虚ろな瞳じゃあないな)


 不意に浮かんできたのは、屈託もなく笑いかけてくるあの少女。


『私、琥珀さんの歌が好きです』


 にっこりと笑ったまま告げられた言葉。

 綺麗に澄んだ瞳。無邪気に笑う唇。美しい声。

 あれらはまるで、儚すぎる硝子細工のように――見る者、聞く者を捕えて放さない。

 どこまでも魅せられ、惹き込まれる。

 …………なのに。

 あの美しく儚げな少女は――壊れようとしている。

 あんな美しい少女が壊れてしまうのは、耐え難い。

 歌声を好きだと言ってくれた。この声を綺麗と言ってくれた。また……一緒に歌いたいと言ってくれた。

 ………それさえも、叶わないと言うのか。


「………レイさんのことですかー?」


 悠が訊ねてきた。それにはっと顔を上げると、悠は眉を顰めた。


「……私のせいですね。彼女がああなってしまったのは………」

「………悠のせいじゃないでしょ」

「……いいえ、私の不注意です。そのせいで彼女は、……」


 悠は目を伏せた。俯けた顔は影に隠れてしまい、表情が見えない。肩が震えていた。


「……目覚めるよ、レイは。約束したんだ。もう一度歌おうって。あの丘で、『3600秒』を……一緒に歌おうって。………約束したんだ………」


 根拠のない希望は、残酷だ。深く淀みきった泉の中に手を伸ばすかのような、そんな感覚を覚える。

 自分に言い聞かせるかのような……あるいは神に願うかのような小さな呟きを聞くと悠は黙り込む。

 やがて、顔を上げて、琥珀に微笑みかける。


「そうですね、ハク。きっと彼女は戻ってきてくれます。信じましょう、未来を」


 そう囁く彼の瞳には――どこか剣呑な光が宿っていた。

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