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2:心に染みが広がっていく

夏になりました。

しとしと静かに降り続ける雨を、真昼は祖父の膝に抱かれぼぅっと見ていた。

別に、雨が降っているからその日真昼が母の家に預けられなかったわけではなく。

雛菊からもらった紅い花もとうに枯れ、季節は春から夏へと移り変わり、妊娠していた紅白の腹はだいぶ大きくなり、そのこともあって真昼はしばらく、母の元に預けられることなく過ごしていた。

実家、とも呼ぶべき本条道場で過ごす日々はとても平和で安らいでいて、だけど少しだけ、雛菊と会わないことが寂しかった。


「真昼、じゃあこれはなんて読む?」


「ぅ・・・ちょ、ちょっと待ってね、おじいちゃん。真昼、これ読めるはずだから。」


祖父の膝の上、真昼に見やすいように開かれた絵本の一部を指し、祖父が問う。

指された箇所をじぃっと見やり、真昼は一所懸命自分の記憶の中を探す。

妹の紅姫や従兄の雛菊に比べ、真昼一人だけ文字の読み書きに遅れがある。

それもそうだ。

他の二人は真昼たちが母の家にいった日も勉強しているが、母の家にいるときの真昼は一人放置されているか、あの物置部屋にいるかの二択である。


「ミソカ先生。」


聞きなれた・・・よく通る声に、真昼と祖父は視線を向ける。

ミソカ、というのは祖父の名前だ。

視線の先には二人が予想したとおり、竹刀を片手に持ったままの暁の姿。

本条道場は、剣術の道場なのだ。


「呼宝、見なかった?」


端正な顔立ちを不機嫌そうに顰め、きょろきょろと忙しなく辺りを見回す。

彼の言う呼宝、というのは本条道場の門下生の一人である。

漆黒の髪と漆黒の瞳、それは暁とよく似たものだが、彼と暁に血縁関係なんてない。

彼、呼宝はさまざまな髪色目色の人間がいるこの場所で、悪魔と呼ばれている黒の色を持つ人間だった。


「呼宝、また稽古抜け出したのか?

どうせ適当なところで戻ってくるんだから、暁も放っておけばいいのに。」


そんな適当なことをいって、ミソカは真昼の頭にあごを乗せる。

きょとんと首をかしげていた真昼も話の全貌がつかめたのか、少しばかり身を乗り出し、暁に問いかける。


「あーちゃん、呼宝兄探すの手伝おうか?」


真昼の申し出に暁はふわりと笑みを浮かべ、真昼の白銀の髪を撫でる。

それはそっくりの顔立ちをした父とは対照的な色で。

だけど真昼を膝に抱いた父の父ではない祖父と同じ色だった。


「いいよ。いつもの隠れ場所探せば、どうせすぐに見つかるだろうし。」


優しい父の手に頭を撫でられ、真昼の彼につられ笑みを向ける。

そんな時、門の方から慌しい足音が聞こえた。


「暁っ!」


バタバタと慌しくやってきたのは雛菊の父親であり、紅白の弟である雛里だった。

同い年ということもあって昔から暁と雛里は仲がいい。

だけど二人とも子供がいるような年になったので、

このように雛里が駆け込んでくることなんてここ数年はなかった。

だけど暁は雛里が慌てて来た理由がわかっているかのように小さなため息を一つついて雛里を見やる。

そしてわざわざ、聞いたのだ。


「おはよう、雛里。朝っぱらから騒がしいけど何か用?」


多くの人を魅了するその美しい微笑みはまるで妙齢の姫君のように美しく。

だけど彼の纏う空気だけはいたいけな姫君のものでは決してなかった。

それはまるで、独り城に立て籠もる孤高の女王のように、暁はいつだって雛里にもミソカにも弱みを見せたりしなかった。


たとえ、たった一人と決めた人をなくしたときも。


平然とした暁の態度に、雛里は中性的な暁よりもさらに少女めいた顔立ちを辛そうに歪める。

長い付き合いから暁にはすでに自分の言いたいことがわかっていると雛里が気づいても、暁は雛里がそれを口に出すまで絶対にはぐらかそうとする。

自分からは、何も話さない。


「っ・・・ちょっと、面貸せ。」


なにか、あったんだろうか?

そんな疑問を抱きながら、真昼は雛里に腕をつかまれ歩いていく暁の姿を見送った。





















いきなり腕をつかまれ、俺は驚いて振り返る。

犯人は俺が予想したとおりの人で、彼女は俺を見て悪戯っ子のように笑う。

初夏の風が彼女の白銀の髪を揺らし、少しばかり眩しい太陽の光が彼女の髪をキラキラと染める。


「髪、太陽の下だといっそう綺麗ね。」


男の俺に綺麗などと言って、彼女は笑う。

俺なんかよりも、彼女のほうがずっとずっと綺麗なのに。

さんさんと降り注ぐ夏の太陽の下、白銀の髪をした彼女が同じ髪色の赤子を抱いて、優しげに笑う。

赤子は彼女の腕の中で安らかに眠り、彼女はそれを青の瞳を細めていとおしそうに見つめる。


誰よりも夏の太陽が似合う、愛しい人。




















暗い空から、静かに雨が降り注ぐ。

少年と呼ぶべき年を少し過ぎた年齢であろう彼は、その雨を避けることすらせず、

ただただその身に受けていた。

長い、癖のない漆黒の髪が雨に濡れて重たくなり、彼の身体にまとわりつく。

伏せられたその顔は張り付く長い髪と彼自身の影でその表情を窺うことすらできない。

ともすれば雨音に掻き消されてしまいそうなほど小さな声で、彼は呟く。

悲しげに、ありったけの切なさを籠めるかのように。


「空・・・。」


悲しげな彼の呟きは、闇のような色合いの空気に溶けて。

からっと晴れた夏の空のような笑顔の人は、彼の隣にもういなかった。


















その日も、雨が降っていた。

止むことのない雨を、真昼と暁は縁側に並んで座り、ぼうっと見ていた。

雛里が慌しく本条道場にやってきてから数日、あの雛里の様子からまさか妊娠中の母に何かあったのではないかと思いながらも、父にそのことを尋ねられずにいた。


暁は、紅白の話題を出すとひどく沈んだ表情を浮かべる。

それはまるで置いていかれた子供のように、辛いのを必死でこらえているように見えて、真昼はそれに気づいてからずっと、暁の前で紅白の話を控えることにした。

もっとも、真昼には父に話したくなるようなよい出来事など、母との間にはなかったけれど。


真昼は、父のことが好きだった。

それと同時に、母のことも好きだった。

例え母が真昼に優しく触れてくれることがなくても、いくら母に辛い仕打ちをされようとも。


「失礼いたします。」


静かな声に視線を向ければ、庭に母の家からの使いが立っていた。

至って一般的な武家の家である本条とは違い、母の実家である華瑠街の家は名家である。

当たり前のように家に使える人間がいて、その敷地は本条道場の何倍もある。

だからこうやって母の家からの使いが本条道場にやってくるのは極日常的なことで、でもその母の家からの使いがやってくるたびに、暁は端正な顔を不機嫌そうに浮かべる。


真昼の視界の端で漆黒の色が揺れ、真昼は青の瞳を瞬いた。

視線をあげると真昼の視界を塞ぐように立っていたのは、もちろん父である暁で。


「何か、用?」


きっといつものように、真昼や紅姫には決して向けることのない、氷のような笑みを浮かべているのだろう。

暁は、真昼や紅姫が雛里や雛菊、雛里の妻である華奈を除いた華瑠街の人間と関わることを、嫌がっているようだった。

止めはしないけれど、決して快く思ってはいない。

そんな気持ちの端々を、真昼は暁の些細な行動から感じ取っていた。


「紅白お嬢様が、先ほど男児を出産いたしましたことをご報告に参りました。

おめでとうございます、アキ姫様。」


華瑠街の離れでは、暁のことをアキ姫と呼ぶ。

そして紅白は暁の妻となり、子を産んでいても、以前変わらずにお嬢様と呼ばれていた。


暁は、アキという名前ではない。

そしてもちろん、姫君でもない。

だけど母は父のことを”アキ姫”と呼んだり、”暁様”と呼んだりする。

雛里は”暁”と呼ぶ。

ミソカも、”暁”と呼ぶ。


それでも紅白や紅白の父である真昼と雛菊の祖父は”アキ姫”と呼んだりするのだ。


「そう、わざわざありがとう。

後日、紅白嬢が落ち着かれた頃にでも真昼と紅姫をつれて顔を出すよ。」


形式的な祝いの言葉に言葉を返す父の声はあまりにも冷たく、真昼はなんだか不安になって思わず思わず父の着物の裾を握る。

それに気づいた暁はどこか悲しげな視線を真昼にちらと向けるも、すぐに使いの者へ視線を戻す。


「それではわたくしは、これにて失礼いたします。」


小さく頭を下げ去っていく姿を睨むように見ていた暁は、相手の姿が見えなくなったところでくるり真昼のほうに向き直り、すがりつくように真昼を抱きしめた。

暁は時々、すごく不安定になる。

それはまるで、悪夢から覚めたあとの幼子のように。

暁がそうなってしまうのは、決まって母が原因であって。


真昼は、父が好きだった。

それと同じように、自分に辛い仕打ちをする母のことも好きだった。

暁がよく、真昼の頭を撫でてくれる・・・それと同じ優しさを持って、幼い真昼がさらに幼かった頃、優しく母が抱き上げ、自分に笑いかけてくれた・・・そんな記憶が、真昼にはあったから。

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