狼と猫
激しい表現があるかと思います。ご注意ください。
昔々、それは太古より昔の物語――。
とある森の中に、一匹のオス狼がいた。彼は群れることもせず、伴侶も持っていない孤独な一匹狼であった。
いつもの様に腹を空かせていた一匹狼は、森の中で小さな生き物と出会う。その生き物は彼が知っている山猫より小さくまた首に奇妙な輪を付けていた。興味本位で近づいていくと、その小さな猫は全く逃げようともせず狼をじっと見つめている。狼は不思議だった。普通の動物なら自分より大きな生き物を見れば、たいていの動物は真っ先に逃げるだろうに。狼が匂いを嗅ごうと大きな鼻頭をぬっと近づけても、猫はきょとんとした目でそれを見ていた。
そのあまりにも無防備なようすに、狼は言い知れない感情が湧き上がる。
――こいつを食べれば多少の腹は膨れるだろう。
だが、狼はそうしなかった。あの一匹でいた愚かな猫に、孤独な自分を重ねたのかもしれない。狼が去ろうとすると、どうしてかあの小さな猫が後を追っかけてきた。狼は追っ払おうとはしなかった。この時、あの子猫を威嚇して追い払っていれば、今後、狼は命をかけてまで叶えようとした望みなど決して持たなかったのに。そして、その望みのせいでこの星を巻き込むことになることもなかったのに――。
子猫と狼はそれからずっと側にいた。子猫は狼が獲った肉を共に食べて生き延びていた。次第に、子猫は成長し、一匹の美しい猫へと姿を変える。共に過ごすうち、孤独だった心がいつの間にか満たされ狼は猫に恋に似た感情を持ってしまう。猫も、それは同じだった。二匹は言葉は通じなくとも、互いに共に生き続けようと思っていた。
そんな二匹の元へ、ひとりの人間がやってくる。身体から光を発し、穏やかな表情をしていたその人間は神様であった。神様は姿形が異なる二匹が、共にいることを不思議に思い近づいたのだった。
神様は狼と猫に問うた。なぜ共にいるのか? 違う姿で言葉も通じないものとなぜ共にいるのか?
狼は言った。姿形が例え一緒でも、共に暮せないものもいる。俺の場合は共に居たいと思ったものが、ただ姿形が違ったというだけのこと。
猫は言った。このものと共に生きたい。私を救ってくれた恩人。姿形が違う? そうかも知れない。でも、それが重要だったことなど今までない。
二匹は寄り添っていた。神様は二匹を哀れに思った。他の生き物より強く結びついているのに、言葉さえ通じないのは辛かろうと。
神様はその二匹の姿に心打たれた。そして、その狼と猫と同じように姿形は違えど共に暮らしているものは多くいた。神様はその生き物たちを巡り、一匹一匹の気持ちを聞いた。そして、それら生き物の願いを叶えた。
人間になりたいもの、動物になりたいもの――。
神様は人と動物が共に共存していくことを願っていたため、いたく感動し願いを叶えたのだ。
そして部族が生まれた。
狼と猫が互いに目を覚ますと、人間の姿形に似た狼と、模様は少し変わったものの姿形は猫のままの猫がいた。二匹は言葉が通じる喜びに酔いしれた。だが、相変わらず姿形は異なったまま。狼は猫を大切に抱きしめる。なぜ猫も人間の姿にならなかったのか? その疑問が次第に、狼の頭を支配するようになる。また、多くの猫の部族がそのことを嘆いた。
狼は納得のいかないまま、自然と集まって来た猫の部族と共に生き続ける。狼のほかに狼の部族はひとりもいなかった。相変わらず、狼は一匹狼のまま。
猫たちは人と共に暮らしたがった。猫の部族が元々、多く暮らしていたというエンブランという村へ行き、そこの人間たちへ共に住まわせてほしいと懇願する。その村はかつて、子猫だった猫が暮らしていた場所だった。人間たちは見たこともない生き物、つまり狼いがいはここに住まわせてもいいと言う。狼は追い出された。獣と人が混じったこの姿より、見慣れた姿(猫)の方が受け入れやすかったのだろうと狼は思う。そんな狼に、猫は故郷を捨て共についてきた。
行く先のない二匹。そんなある日、狼の耳に竜の部族の話が飛び込んでくる。大きな力を持った偉大な部族という話で、その力は神をも超えるのではとその者は言っていた。狼はひとりその部族へ会いに行き、猫の姿へ変えてほしいと竜へ願う。猫と共に、猫が生まれた故郷エンブランで住みたいと、狼は強く思っていた。例え、生まれた時の姿を捨てることになっても。
竜はそんな狼の気持ちを知り叶えてやろうという。しかし、前払いとして竜は狼をこき使い、狼は知らずの内に支配されていく・・・。
そして、狼は全ての部族を支配しようとする竜の言いなりとなり、多くの部族へスパイとして送り込まれる。そこで狼は多くの部族を騙し、一か所へ集めさせた。竜の部族は集められた部族たちへ言う。我々がひとつにしてやろうと。そして竜と全ての部族の戦いが始まった。
その壮絶な戦いを見て、狼は呆然とする。竜は狼に戦いのことは一切言わなかったため、狼は自らがやってきた過ちに気付く。
こんな争いをしたかったのではない。ただ、愛するものと共に生きたかっただけ・・・!
ふと隣を見ると、若草色の猫がいた。狼が愛してしまった、猫だ。名前をメリシャス。メリシャスは狼に言った。その表情はとても、とても悲しそうだった。
「――、あなたがそばに居なくて寂しかった・・・。でも、どうしてこんなことになっているの?」
「・・・・」
狼は絶句してなにも言えなかった。言えるはずもない。己の欲望を叶えるために動いた結果、多くの命を失うことになるなど。
「メリシャス、俺は過ちを犯した。俺は、多くを望み過ぎたんだ。メリシャスと共に居れるだけでいい、ただそれだけで良かったんだ・・・メリシャス」
狼は愛する猫を抱きしめた。森のやさしい香りがするメリシャスの毛並に顔を埋めると、とても安心した。
「俺は行くよ。竜を止めるために。メリシャス、君はここにいてくれ」
「ダメ。私も一緒にいく。やっと会えたのに、おいて行かないで・・・」
泣きそうな顔でメリシャスは訴える。狼はメリシャスを危険な戦場へ行かせたくなかった。
「私も戦える。大丈夫、――」
狼の名前を呼び、メリシャスは魔力を身体に纏う。その力は巨大で、狼は迷った。
「ずっと一緒って言ったでしょ? あなたが大好きよ、――」
メリシャスは狼にそう笑いかけると、狼は意を決して空へ飛んだ。竜は空に浮かんで戦っている。竜の攻撃を受けて、地上へ落ちて行く他の部族たちを見て狼は唇をかみしめた。
「ゼファイサス。もうやめろ、こんなことをしても無意味だ」
竜の部族の長である、ゼファイサスの所へ飛び狼は止めようとした。腕に抱いたメリシャスが身体を緊張させるのが分かる。狼は安心させるように、ぎゅっと腕に力を入れた。
鋭い角と鎧のような青い鱗を全身に身に纏ったゼファイサスは、狼をチラッと見てせせら笑った。
「無意味だと? 私たちがしていることが理解できないのか?」
「なにをしているというんだ? 俺を騙し、部族を騙し、そのうえで全てを支配して一体なにになる?」
すぐそばにいた他の竜の部族が、狼の背後に周り鋭くとがった爪を首につきつける。「殺されたいのか?」そう脅しの声が背後からした。メリシャスから唸り声がする。
「愚かな狼よ。その胸に抱く猫を愛したばかりに、周りが見えなくなったか? 私たちはお前の願いを叶えようとしているのだ」
「なに・・・?」
狼は驚愕した。ゼファイサスは笑い、そして一瞬だけ悲しんだ。
「姿形は重要か? 生まれも、育ちも、価値も重要か? 言葉は重要か?」
「なにを・・・・」
「お前は最初、どれも重要じゃないと言った。猫よ、そうだろう?」
狼ははっとした。メリシャスは元から、姿形が違っても良いと思っていたのだ。狼はそれを知らなかった。神様に形を人間に変えられ、狼は姿形に固執していった。それが、狼の過ちとなったのだ。
ゼファイサスは叫んだ。
「この世界はいずれ崩壊する。ひとつに成れない世界など、なにひとつ生まない。平和など生まれない!」
ピシャーン!!!
そのとたん、暗雲が一筋の雷を生み狼と猫を割った。
二匹は離れ、狼が手を伸ばし猫も手を伸ばした瞬間、背後にいた竜がメリシャスに爪を振り下ろす。
「やめろーーーーーーーーーーー!!!」
「――!!!」メリシャスは狼の名前を叫んで息絶えた。
「なぜ・・・・・・・なぜ殺した!!!!」
メリシャスを殺した竜に狼はありったけの力を込めて腕を振るう。竜は狼の腕をつかみ、止めた。
「お前もいずれ死ぬ。あの猫は先に行っただけだ」
「・・・・!!! 俺たちは、お前らのいうようにひとつになろうとしただけだ!! それを何故止めようとする!!!?」
「あの猫はそれを望んでいなかった。お前もそうだろう? お前は気づいたんだ、姿形は変わらなくとも共に生きていくことは出来ると。それが間違っているのだ」
「だから殺したというのか!!? お前らは非道だ!! 殺して良い理由など存在しない!!!」
「分からないのか? 生き物は戦いでしか分かち合えない。我々は、全ての生き物を等しく同じ姿にし、同じ言葉と思考、そして価値を与えようとしているのだ。そうすれば、争いはもう生まれない」
「今の戦いがそれを生むというのか!? 間違っている!! ならば死んだものはどうなる!!!? 残されたものは、永遠にお前らを恨み続けるぞ!!!」
狼は叫んだ。狼の心は嘆き悲しみ、生きる希望を失い始めていた。
だが、竜の思惑通りにはいかなかった。多くの部族が団結して竜をしりぞき始めたのだ。竜はうろたえた。
「なぜ刃向おうとする? 今の戦いこそが平和を生むというのに・・・!!!」
「お前は間違っている。平和のために戦う? それは憎しみを生み、負の連鎖を続けさせるだけだ。そしてお前は、その身勝手な価値観を多くの部族の同意を得ずに強行しようとしている。それこそが平和を生まない恐ろしい行為だ!!!!」
――神様は言った。人と動物が共存して生きて欲しいと。それが出来ないのであれば、この星はいらないのだと。




