魔法の練習
「ふんっ!」
コリスは身体中に力を入れて、自分の周りに結界を張るイメージをした。水色の毛並が逆立つ。
すると、ボオッとした薄い半透明な膜がコリスの身体を覆った。
「そうだ、その調子だ。そのままの状態を維持するんだ」
グローリアがそう指導する。コリスは言われた通り結界を維持しようとさらに身体に力を入れるが、集中力が途切れてパンッと結界がはじけてしまった。
「あーあ・・・」
コリスが悔しそうに宙を見た。もう少しで結界が完成しそうだったのに。
「おしかったな・・・。だが、ずいぶん上手くなったぞ」
グローリアは関心したように言うが、コリスはため息を吐いた。
「もう少しだったんです。でも、まだまだ魔力の使い方が分からなくて・・・」
「どの猫も最初はそうだ。こうやって練習していく内に使い方が段々と分かってくる。焦るな」
「はい」
コリスはその言葉に気持ちを引き上げると、また結界作りへとのめり込んでいった。
黒猫のグローリアとコリスは家の庭で結界を作る練習をしていた。猫の部族の子猫が、一番最初に覚える魔法は「結界」である。つまり、自分の身を守ることからまず始めるのだ。そのため、コリスは先ほどから頑張って結界を作る練習をしていた。
「ふんぬっ!」
「あまり力みすぎるな。力の加減が分からなくなるぞ」
庭の周りにはグローリアが作った大きな結界が張られており、その中でコリスは結界の練習をしていた。
それは、まだ魔力の加減が分からないコリスが誤って魔法を暴走させる可能性があったからだ。まだ子猫のコリスだが、持っている魔力の量はかなり多い。一度、魔法が暴走するとこの家が吹き飛びかねないほどの威力を持っているのだ。魔法の練習は危険が伴うため、グローリアはかなり慎重だった。
ボウッとコリスの身体をまた結界が包みこむ。だがそれは、さっきみたいにすぐはじけることなく保ち続ける。
グローリアは感嘆した。まだ結界の練習を初めて数十分である。これほど早く結界を作れるようになるとはグローリアも思っていなかったのだ。普通は、何時間もかかるというのに。
そのままコリスは1分ほど結界を維持し続け、疲れたように結界を解いた。
「ハァッ! ハァッ・・・!」
息でも止めていたかのようにコリスは苦しそうだった。毛並の魔力を使うには体力がいるのだ。まだ子猫のコリスは体力がほとんどないので、グローリアはここで今日は止めにしようと思った。
「コリス、今日はもう終いだ。魔法の練習はまた明日やろう。ゆっくり休め」
「ええ!? ぼ、僕もう少し練習したいです! やっと作れるようになってきたのに・・・!」
ようやくコツがつかめてきたのに、コリスはここで止めたくなかった。それを聞いてグローリアは冷静にたしなめた。
「コリス、今日は魔力を初めて使ったんだ。あまり無理をすると身体によくない」
「でも・・・!」
まだぐずるコリスを、グローリアは鋭い目で見た。
「気持ちは分からんでもないが、これは命にも関わることだ。疲れた状態で魔法を使い、その魔法が暴れでもしたらどうなる? コリス、お前もただではすまんぞ」
「でも・・・」
コリスはなおも渋る。だが、魔法が暴走したら一体どうなってしまうのか、想像しただけでも怖くなった。
「結界の魔法から始めるのは、その魔法のリスクが一番少ないからだ。ただ身体の周りを魔法で覆うだけだからな。だが、それでも魔力を過度に注ぎすぎた結界が破裂すれば人間が吹っ飛ぶくらいの威力はある」
「・・・!!」コリスは絶句した。
「大きな力だ、我々が持っているのは。だから、魔法は慎重に扱う必要があるんだ。例えちょっとした体調不良でも、魔者は戦うのをやめる。分かったか? コリス」
「はい・・・分かりました」
コリスはシュンと耳を垂れた。グローリアは立ち上がると、コリスの元へ行ってコリスの頭を優しくなめた。
「まあ明日も魔法は練習できる。コリス、お前はとても優秀だ。よく出来ていたぞ」
グローリアはそういって微笑む。コリスはそれを聞いて、恥ずかしそうにはにかんだ。
「ところでグローリア、僕っていつになったら『攻撃魔法』を使えるようになるんですか?」
グローリアとコリスが家に戻ったあと、コリスは気になっていたことを訊ねた。
「ん? ああ、結界の魔法が作れるようになったらな」
「え! そんなすぐに!?」
意外と早く練習できると聞いてコリスはビックリ仰天した。嬉しすぎて「早く結界が作れるようになりたいー!」と思わず叫んだ。
「まあ、待て待て。結界の魔法は大切だから、あと一ヶ月くらいは次には行けんぞ」
「ええー!」
コリスはガーンと口をへの字にした。なんだか毎回こんなパターンなような気がする・・・とコリスは思う。
*・*・*・*・*
それから、コリスは毎日こつこつと結界の練習をしていった。
そして、最初に練習をした日から何日か過ぎたそんなある日、家のドアがドンドンと叩かれ誰かが訪ねてきたことを知らせた。
ちょうどコリスたちはお昼の缶詰――シーリーが帰って来ないので、毎日缶詰だった――を食べていたためグローリアとコリスは目を合わせた。
「あ、もしかしてシーリー!?」
パッと目を輝かせるコリス。正直、缶詰はもう飽きてコリスは温かいものがとても食べたかった。
「いや、だったらノックはして来ないだろう。おかしいな、ちょっとコリスはそこにいて隠れてろ」
「は、はい」
グローリアの只ならぬ様子に、コリスは緊張しながらイスの下に潜り込んだ。
「なにかあったらすぐに結界で身を守れ」
「・・・・はい」
コリスは不安げにこくりと頷いた。
コリスが見守る中、グローリアは玄関へ行くと「誰だ」とドアの向こうに問いかける。
「俺だ、俺俺。ちょっと開けてくれ」
「!?」
コリスは聞き覚えのあるその声にビックリした。グローリアも顔をしかめて「面倒なのが来た・・・」とつぶやくと、ドアをガチャリと開ける。
「よお! 元気だったか?」
にこやかに入ってきたのは、パートナーだった。グローリアの返事も待たずにドカドカと入ってくると、イスの下にいるコリスに目を止めた。
「なにやってんだお前? 隠れんぼか?」
「えーと・・・」
戸惑うコリスをしゃがんで覗き込んだパートナーに、グローリアが「お前に怯えてるんだ。何しに来たんだお前は」と呆れた顔で、先ほど座っていたイスにまた腰かけた。
「チッチッチッ、こっちこい。今日はお前にも用事があるからよ」
「え? ぼ、僕に?」
舌を鳴らしておびき寄せようとするパートナーに、コリスは戸惑いながら聞き返した。
「ああ、だからそこから出て、テーブルに上がってこい」
コリスは恐る恐るイスから這い出てると、言われた通りテーブルの上に登った。
「ん? お前らコレ食べてたのか?」
食べかけの缶詰を見て、パートナーがコリスに同情の目を向ける。コリスは気まずそうに前足をもじもじした。
「さっさと要件を言え」
心底いやそうにグローリアがそう促すと、我が物顔でイスに座ったパートナーは真剣な顔で話を切り出した。
「俺と部族を説得しに回れ」
「なんだと?」
グローリアは眉をひそめて聞き返す。コリスは目を見開いて身体が緊張したようにこわばった。
「お前ら一体いつになったら約束を果たすつもりだ? まさか、忘れたとか言うんじゃねえだろうな」
パートナーはイラついたように犬耳をかく。
約束というのは、以前パートナーがグローリアに「竜の部族に勝つためにはすべての部族を猫の部族がまとめる必要があるため、部族を説得しに回る」というものだった。だが、グローリアはエンブラン国に溜まった雨水のことやコリスの修行でそれどころではなかったため、グローリアはまだ動けずにいた。
「今は無理だ。弟子の修行がまだ終わっていない」
グローリアが淡々とそう言うと、パートナーはますますイラついたようにガリガリと耳をかいてチラリとコリスを見た。
コリスはその視線にビクッとする。
「お前・・・修行ってのはいつ終わる?」
「え・・・えっと、に、20年後です・・・」
「はあ!? 20年!? 無理無理! そのころにゃ、世界終わってるっての!」
「えっ! す、すいません・・・」
コリスはパートナーが怖くてなぜか謝った。
「あーーー」イライラして椅子をガタガタさせるパートナー。
コリスはそんなパートナーからさっと離れてグローリアのすぐそばに避難する。
「・・・そういえば、お前に訊きたいことがある」
グローリアが何かを考えているパートナーに向かっていった。
「ああ? なんだよ。俺に告白でもすんのか?」
せせら笑いながら言うパートナーにコリスはぎょっとする。グローリアは無視しながら、
「猫の部族の呪いのことだ。お前も知っているんじゃないのか? 竜の部族を封印する“鍵”のことを」
コリスは目を見開いた。クーのことだ!とコリスは直感する。
それまでガタガタいわせていた椅子がピタッと止んだ。パートナーが恐ろしいほど鋭い瞳をグローリアに向ける。
「なぜそれを知ってる?」
「クーという猫が今それを持っている。私が訊きたいのは、あの鍵で竜を封印したあと猫は一体どうなるのか、ということだ。お前なら知っているのだろう?」
パートナーはそれを聞いて目をそらすと、何かを思い出すかのように目線をさまよわせた。
コリスは緊張してごくりと唾を飲んだ。
「・・・・ああ、知っている。あれは当時、多くの部族の長が決めたことだったからな。お前らにはかわいそうなことをした」
なぜか悲しそうな顔で弱弱しく笑うパートナーは、まるで自分を責めているかのようだった。グローリアはそんなパートナーの変化を不可解に思いながら、
「なぜ犬のお前がそんな顔をする?」
「だから俺は犬じゃねえって。ああいうやつらと一緒にすんな! ・・・俺はずっとお前らと一緒だったんだ。なぜ俺がこうしてまで猫の部族にかかわるのか分かるか? 何より俺が猫の部族に縁があったからだ」
「縁・・・?」
コリスは興味を引かれた。
「まっ、それは置いといて、封印した後のことだったな? 実は俺も詳しくは知らねえんだよ」
はぐらかすと、パートナーはあっけらかんとのたまった。
「なんだと?」
「ええっー!」
コリスは絶望して叫んだ。パートナーさえ知らないのだったら、それこそ誰も分からないのではとコリスは思う。
それはグローリアも同じだった。
「ならクーは死ぬというのか?」
「いや・・・死なないとは思うが、なんせ数千年前の話しだろ? さすがの俺も覚えてねえんだよ」
「・・・・」
グローリアも同じ経験が、しかもつい最近あったので何も言い返せなかった。
「だが、蛇の部族の長なら知ってるかもな」
「蛇の部族だと? なぜだ」
急に出てきた「蛇の部族」に一体なにが関係しているのだろう、とコリスとグローリアは首をかしげる。
「おいお前、蛇の部族の長がどういうやつか知ってるか?」
パートナーがコリスを見下ろしてそう尋ねた。コリスはふるふると首を振る。
蛇の部族といえば、コリスたちがいるエンブラン国の隣――北東にあり、巨大な樹海に囲まれたジュラ国という国に住んでいる部族のことだ。蛇の部族はめったにほかの部族と交流しないため、コリスもあまり良く知らない部族だった。
だが、蛇の部族は魚の部族のように固いウロコで覆われた肌と、蛇のようなするどい眼を持っているとコリスは聞いたことがある。
「蛇の部族の長は、竜の部族を封印した時からずーっと生きてるんだぜ。知らなかったか?」
ニッと笑ったパートナーのその言葉に、コリスは目をまん丸くした。
「え! フォークスよりも長生きしてるんですか!?」
コリスの中で一番長生きしているのはグローリアの師匠のフォークスだったため、それより長生きしている蛇と聞いてめちゃくちゃビックリした。
「確かに長生きだとは聞いていたが・・・それほどとは思わなかった。本当なのか?」
「お前なあ、生き証人の俺がそう言うんだぜ? 本当に決まってるだろ」
呆れたようにパートナーが言うと、グローリアは「そうか・・・」と素直に納得する。
「えっ、それじゃあその蛇が呪いについて知ってるんですか?」
「ああ、絶対知ってる。なんせ、お前ら猫の部族にその呪いをかけた“張本人”だからな」




