子猫狩り
少しだけ、容姿に関する差別描写があります。苦手な方は申し訳ございませんが読まれない方がいいです。それを踏まえた上でご覧ください。
「ようやく終わりました~」
宿屋で朝食をとっていたコリスとグローリアは、ヘトヘトな様子で入ってきたシーリーを見た。コリスは久しぶりに見るシーリーに目を輝かせる。
「シーリー! おかえり!! もう家が元に戻ったの?」
あの雨の事件が解決してから、ちょうど一か月が経とうとしていた。その間、ずっとシーリーは水浸しになった家を掃除してくれていたようだった。
人間の姿のシーリーはちょっと暗い表情で答えた。
「はい。でも、ほとんど水に浸かっていたので家具がすべて台無しになっちゃいましたけど・・・。あ、グローリアの書斎は――」
ちょっと言いずらそうに口をつぐんだシーリーに、人の姿のグローリアは冷静な顔でうながした。
「書斎がどうした?」
「・・・実は、水のせいでかなりの物が散乱してまして、書斎の本もすべてダメになっていました。なので、それらを全部取り出して一応修復してみたのですが・・・。古いものが多かったので・・・」
「そうか。それで?」
「・・・すべて処分することにしました。なので、今の書斎には何も残っていません」
うなだれたシーリーを、グローリアは黙ったまま見つめていた。コリスは急に不安になって二人を交互に見る。
グローリアの書斎は、コリスが毎日グローリアと寝ていた部屋だった。そこには羊皮紙や大量の本棚が並び、他の掃除された部屋とは違ってかなりホコリが溜まった部屋だったのをコリスは覚えていた。
「・・・そうか。すまなかったな、シーリー。気にするな、あとはゆっくり休んでくれ」
「はい・・・」
そう言いながらもシーリーは申し訳なさそうだった。
「そんなに気にするな。私もそろそろ、あの部屋を手放さなければいけないと思っていたんだ」
そう言って微笑むグローリアに、シーリーも少し微笑み返すと、
「あの部屋は、私にとっても思い出深い部屋でしたので・・・。すみません、宿の部屋で少し休んでいます」
そう言うとシーリーはグローリアから部屋のカギをもらい、ふらふらと階段を登っていった。部屋は二階にあるのだ。
グローリアの書斎が跡形もなくなったことを聞き、コリスも悲しかった。コリスにとっては少ししか使わなかった部屋だが、他の部屋と比べて書斎には思い入れがあったのだ。初めて過ごした夜も、グローリアと語り合ったことも、初めて不思議な夢を見たのもあの部屋だった。
もう、あの羊皮紙で埋め尽くされ、古い本たちが場所を取り合うように本棚に並んでいた書斎を見ることはないんだ・・・。そう思うと、コリスは悲しくなる。
汚かった書斎を思い出していると、確か以前シーリーに「どうしてグローリアの書斎はあんなに汚いの?」と聞いた時、シーリーは「グローリアは、あのままが良いみたいなんです」と苦笑していたのを思い出す。
コリスはそれがいつも謎だった。どうしていつまでも掃除されなかったのか?結局、コリスが最後あの家を離れるまでグローリアの書斎はあのままだった。
「グローリア。あの、どうして書斎はずっと・・・その・・・」
コリスは思い切って聞いてみたものの、「汚い」とは言いにくそうだった。
グローリアはピンときたのか「ああ・・・」と言うと、ふっと苦笑いした。
「いやな、あの書斎は私にとっても思い出深い部屋だったんでな、ずっと掃除することが出来なかったんだ。あそこは、二番目の弟子が特に気に入っていた部屋だったからな・・・」
コリスはビックリした。グローリアの口から、初めて二番目の弟子の話を聞いたからだ。
グローリアは二番目の弟子が亡くなってから、書斎に手をくわえることをずっと躊躇していた。あの散らかった部屋を、弟子は何より愛していたからだ。もし、魂というものがあるのなら弟子があの世から遊びに来たときに書斎の様子が変わっていたら悲しむだろうと思ったのである。
グローリアに、四匹の弟子がいたことはコリスも知っていた。シーリーが三番目の弟子で、コリスは四番目の弟子。シーリーの前にあと二匹弟子がいたのだが、コリスの記憶だと確かその二匹は亡くなっていたはずだ。
コリスは興味を引かれながらも、こんなことも訊いても良いのかと迷う。コリスはその亡くなった二匹の弟子について何も知らなかった。どんな弟子だったのかも、なぜ亡くなったのかも・・・。
「あの、どんな猫だったんですか?」
コリスは迷った末、思い切って聞くことにした。今しか聞く機会はないかもしれないとも思ったからだ。
グローリアはきょとんとした顔でコリスを見ると、持っていた杯を置いて微笑んだ。
「二番目の弟子か? コリスからそういう質問を聞くのは初めてだな」
本当はもっと早く聞きたかったのだが、なんとなくコリスは聞けないでいたのだ。しかし、グローリアはコリスが予想していたよりもあっさりと教えてくれたのでコリスは拍子抜けしてしまった。
「可愛らしい顔立ちをしたオス猫でなあ、ヨルクという名前だったんだ。誰よりも猫の気持ちが分かる優しい子で、いつも明るくてな。私はヨルクがいてくれたおかげで、毎日が本当に楽しかった・・・。だが、ヨルクは一つ悩みを抱えていたんだ」
「悩み?」じっと聞いていたコリスは首をかしげた。
「毛色だ。ヨルクの両親は、猫の部族でな。二匹はとても美しい毛並をした猫だったんで、みんなどんな美しい毛色を持った子どもが生まれるのか気になっていたんだ。だが、その子ども――ヨルク――はひどく汚い色を持って生まれてきた」
コリスはぎょっとした。
「一体どんな色だったんですか?」
「全体的に濁った色でな。緑が一番多かったんだが、他にも様々な色が混じっていてどの色も美しいとは言えなかった。その毛並のせいか、猫の部族は気味悪がってな。ヨルクは私に引き取られるまで、満足に外も歩けなかったんだ」
コリスはそれを聞いて胸が痛くなった。同じく、外に出れなかったクーを思い出したからだ。クーの場合は毛色ではなく背中にある模様のせいだったが。
「そうだったんですか・・・。でも、ヨルクさんはいつも明るかったんですよね? すごいなあ・・・」
コリスは笑顔のヨルクを思い浮かべ、尊敬するように言った。
グローリアは優しく微笑むと頷いた。
「ああ・・・、ヨルクはどんな猫よりも強く心の美しい猫だったよ。私やフェルー、エンドラの三匹にとってはね」
「フェルー? エンドラ?」コリスは訊き返した。
「ヨルクの両親だ。二匹もヨルクを本当に愛していた。子どもが出来にくい部族だからな、長い時をかけてやっと生まれた息子だったんだ」
「・・・・・」
コリスは、そんな決して楽な人生ではなかったヨルクがどうして亡くなってしまったのか訊けないでいた。クーのことも、ヨルクのことも、本当に世の中は理不尽なことばかりだとコリスは思う。
コリスの暗い表情を見て勘付いたのか、グローリアが逆に尋ねてきた。
「なぜヨルクが死んだのか、気になるか?」
「えっ! えっと・・・」コリスは口をつぐむ。
そして、口には出さない代わりにコクンと頷いて見せた。
「ヨルクと私が、修行のために家の庭へ出ている時だったんだ。その日は素晴らしく天気がよくてな、外で修行しようとヨルクが提案し、それに私も賛成してしまった。そして・・・私が目を離した隙にヨルクは敵に殺されてしまった」
「・・・!」コリスは絶句した。
なんで? どうしてヨルクが? 一体どうやって――?
コリスが半分パニックになっていると、グローリアが続けた。その表情はひどく暗かった。
「敵が一体どこの部族の者なのかは分からなかったが、その日はヨルク以外にも何匹もの子猫が殺されてしまった。抵抗できない子猫ばかりが狙われたこともあり、その事件は『子猫狩り』などと呼ばれている。大方、猫の部族を恨んでいた部族が大人は強すぎて殺せないために、弱い子どもを狙ったんだろう」
コリスはそれを聞いて恐怖で縮こまった。
グローリアは自分が近くにいたのにも関わらず、大切な弟子を守れなかった己をずっと責めているようだった。
「そういえば、殺された子猫の中にバルバートの一番弟子もいたな。あいつがクーを過保護なまでに守るのはそういった理由がある。まあ、私もあいつのことを言えんがな」
コリスは初めて町に来た時のことを思い出した。あの時、グローリアが決してコリスをコートの外へ出そうとしなかった理由が分かった気がする。
敵がどこから来るか分からないため、グローリアはそれを警戒していたのだ。過保護といえばそれまでだが、コリスはその話を聞いて外へ出るのが少し怖くなった。
それを見たグローリアが、
「怖い思いをさせてすまなかったな。今は昔より平和だが、コリス、この世界はお前が思っているより安全じゃない。いずれ、自分の身は自分で守る必要が出てくる。その時までは、私が命をかけて守ろう。・・・先ほどの話じゃ私を信じてもらえないかもしれないが・・・」
「そんな・・・!」
コリスは叫んだ。
「ヨルクさんが死んだのは、グローリアが悪いんじゃないよ!! 敵が全部悪いんだ! 僕は・・・――」
コリスは苦しかった。なんとかグローリアが抱えているものを軽くしようと言葉を吐くが、どれも意味がないように思えたのだ。
グローリアはまだ幼いコリスが、こんな自分を励まそうとしてくれている姿を見て胸が苦しくなった。グローリアはコリスを優しく撫でた。ビクッとコリスが反応するが、グローリアは構わず腕に抱いてコリスを優しく膝に乗せる。コリスはそんなグローリアを不思議そうに見上げる。
そしてグローリアは、
「私は幸せな猫だな。――コリス、ありがとう。私はずっと自分を責め続けてきた。私の人生は後悔ばかりだ。だが、これからはあまり過去を振り返らないようにするよ。今が見えなくなりそうだからな」
グローリアはそうつぶやくと、今までに見たことがないほど穏やかに微笑んだのだった。




