過ち
※今回、望まない出産に関する話が出てきます。ですので、とてつもなく暗い話になっております。そういった話が苦手な方はお読みにならないほうがよろしいかと思います。
6/24追記:途中、少し文を付け加えました。流れは変わっておりません。
ギルゼルトはルールを破るような猫ではない。
なのに、なぜ魔者の暗黙のルールを破ったのか?
猫の魔者には昔から、ある暗黙の掟が存在していた。それは、戦士である魔者は子どもを極力作らないようにする、という内容だった。それは、魔者が死ぬときに悔いを残さないようにするためであり、出来るだけ悲しむ者を少なくするためでもあった。
その夜、グローリアはギルゼルトの屋敷を訪れていた。ギルゼルトの家は町から外れた静かな場所にあり、そこは人間はめったに近寄らない場所でもあった。それほど、人里離れた土地に建てられているのだ。
グローリアは不気味な闇に包まれた屋敷を見上げると、人間の姿で戸をたたき中へ入って行った。
グローリアとギルゼルトは似ている。
それは、グローリア自身もよく知っていることだった。また、グローリアとギルゼルトは幼いころから共にいたため、ギルゼルトの性格や考え方もグローリアはよく分かっていた。
だからこそ、今回の事件は不可解だった。何度も言うが、ギルゼルトはルールを破るような猫ではないのだ。何か、己の中で葛藤があったのではないか?ギルゼルトらしくない行動にグローリアは少し動揺していた。
「邪魔するぞ」グローリアはギルゼルトのいる部屋に入るなりそういった。
冷たい灰色のレンガで囲まれた部屋はほのかに暖かかった。それは、部屋の隅にある暖炉に火が灯っていたからだった。
まるで、夜遅くに来客が訪ねてくるのを知っていたかのような・・・。
ギルゼルトは黒猫のまま、金色に光る瞳をこちらに向けた。その瞳はうつろで、そこには諦めにも似た感情が浮かんでいたのだった。
「夜遅くにすまんな。お前に話があってきたんだ」グローリアは人の姿のまま言った。
ギルゼルトは急に唸り声を出すと、「その姿を仕舞ってくれ」と嘆いた。
「・・・たまにはお前と、人間の姿で語り会いたいものだな」
グローリアは皮肉を言いながら黒猫の姿に戻る。ギルゼルトは唸った。
「人間になどなるか。死んだ方がマシだ・・・」
ギルゼルトは人間が嫌いだった。というより、人に恨みを持っているという方が正しい。そのため、ギルゼルトが人間の姿になることはめったになかった。
それは、人間たちのせいでギルゼルトが師匠と引き離されたことがあったからだ。ある日突然、師匠がどこかへと連れ去られてしまい師匠のいた場所には見たことのない魔方陣が刻まれ、どこの世界なのか分からない場所へと消えてしまったのだ。
その魔方陣は人間の手で書かれていたために、ギルゼルトはその時からひどく人間を憎むようになっていった。
ギルゼルトは幼いころから無愛想な子どもだった。周りから理解されにくく、いつも一人でいた。そんな孤独の中でどうすることも出来ずにいたギルゼルトを唯一救い出してくれたのはギルゼルトの師匠ライカスであった。
しかし、その事件が起きてから幼いギルゼルトはたった一人いた理解者を失い、同時に師匠も失い奈落のどん底にいた。そんなとき、手を差し伸べたのがグローリアの師匠フォークスであった。
それ以降、ギルゼルトはフォークスの弟子となり、当時フォークスの弟子だったグローリアと兄弟のように育つ。
そのため、グローリアはギルゼルトを自分のかわいい弟だと思っていた。以前、グローリアが「ギルゼルトとは兄弟のようなものだ」と言った背景にはそのようなことがあったのだ。
「・・・で、私にわざわざ訪ねに来た理由があるのだろう」
ギルゼルトは自ら切り出した。
「・・・ああ、ミュミランが生んだキティのことだ。あの子はギルゼルト、お前の子どもではないのか?」
「・・・・・」ギルゼルトはすぐには答えなかった。
だが、しばらくすると、
「・・・ああ、アレは私の子だ」と告げた。
「なぜ子どもを作った? 置いて行かれる辛さを、お前は誰よりも知っているはずだろう」
横顔を暖炉の炎に照らされながら、グローリアは鋭い目を向ける。
「このまま何も残さず一人で死ぬことが、愚かに思えたからだ」
ギルゼルトは前足にある、戦いで出来た傷を舐めた。黒い毛並で見えないが、ギルゼルトの身体には傷が無数に走っている。それは、グローリアにも言えることだったが。
「弟子がいるじゃないか。リアはお前をひどく慕っているぞ」
「・・・私は自分の血を分けた子どもが欲しかったのだ。だが、それは余計な荷物を増やすだけだったが・・・」
ギルゼルトは強い孤独を感じて生きてきた。血を分けた者が出来れば、その孤独も薄れるかと思ったのだ。しかし、実際は違った。
「どういうことだ?」グローリアは眉をひそめる。
「私には荷が重すぎたのだ。命を懸けて守る必要がある命ができただけでこのありさま・・・。私には荷の重すぎる命だったのだ」
やつれた顔で言うギルゼルト。よく見ると、ギルゼルトの周りには酒ビンがいくつも転がっていた。キティが生まれてからずっと飲んでいたというのだろうか。
「子どもとはそういうものだろう。お前は知らなさすぎたんだ。あの子猫の将来を考えろ。全く、愚かなことをした。罪を償うんだな」
グローリアは呆れて言った。キティの将来を考えると、グローリアは頭が痛くなる思いだった。
「・・・あの子に何をしてやれば良いのか、分からないんだ」
ギルゼルトは言葉を詰まらせた。
「・・・バカらしい。まずは会いに行けば良いだろう。あの子が大きくなったら、あの子の愚痴を聞いてやるだけでもいい」
「今さら出す顔がない。・・・私は父親失格だ」
「・・・・・」グローリアはそれ以上なにも言えなかった。
グローリアは帰りぎわに振り返ると、火が消え暗くなった部屋にいるギルゼルトへ言った。
「ミュミランが泣いていたぞ、お前が来ないと」
「・・・・ああ、あの気の強いメス猫か。あの女は大丈夫だ、一匹でも生きて行ける」
「・・・・。ミュミランとお前はよく似ているな。表では気丈に振る舞っていても、裏では心の弱い子猫のまま。そんな状態ではキティがかわいそうだぞ。
良いのか? 一言も娘と話さず、先に娘に死なれでもしたら。必ず、必ず後悔するぞ。お願いだから、私のようにはならないでくれ・・・」
「・・・・・」
それだけ言うと、グローリアは立ち去った。ギルゼルトは何もない暗闇を、ただただ見つめるばかりだった。
ミュミランの元に行くと、ミュミランはよく眠っているキティを静かに見下ろしていた。その顔はどこか無表情だった。
ミュミランもミュミランで何かを抱えている様子に、グローリアは頭を抱えた。
「ミュミラン、お前がその子をどう思っているのかは分からないが、その子はお前の血を分けた家族だ。産んだからには――」
「分かっているわよ。そんなこと・・・。ただ・・・ちょっと不安なだけよ」
ミュミランはグローリアの言葉をさえぎると呟いた。
「なにが不安なんだ?」グローリアはベッドに腰かける。
「私が、本当にこの子を望んでいたのか分からないの。あの時の私はとにかくルールに縛られたくなかったし、あの猫に魅力を感じたからそういうことをしただけで、実際に出来るだなんて思ってもみなかった。遊び半分だったのよ、あの頃は」
「・・・・・」グローリアは何も言わなかった。
「女として生まれたからには、魔者でも子どもを産みたい気持ちがあった。けれど実際に妊娠して、産んだら・・・。私、どうしたらいいの・・・」
ミュミランは落ち込み、そして自分を責めているようだった。また、そのせいかかなり疲労しているように見えた。
「・・・まずは、キティ自身のことを考えるんだ。そして、愛することだ。キティ自身を見る・・・。そうすれば、どうしたら良いのかわかってくる。キティのために生きようとすれば・・・」
「私・・・。不安なの。愛することが出来る自信がない」
「・・・キティを育てたい気持ちはあるのか?」
「・・・もちろんよ。私が生半可な覚悟をしたせいで生まれてきた子だもの。ちゃんと責任はとるわ」
ミュミランは目を伏せながら言った。
「・・・・・」
不安げに揺れるミュミランを見ながら、グローリアはしばらくようすを見ることにした。
そして、何も知らずに眠る黒猫のキティを見て、今だけは安らかに何の不安もなく眠ってほしいとグローリアは願う。そして、何事もなく時が過ぎてほしいとグローリアは祈ったのだった。




