歴史学者の伝言
昔、アルセという歴史学者がいた―――。
コリスはその言葉を頭の中で反すうしていた。それはクーも同じだった。
グローリアは彼について話し始めた。
「アルセは己の背に刻まれた印が“なぜあるのか”ということを調べていた。印が生まれたその根源を、アルセは知ろうとしたのだ。だが、どの書籍にも、印について触れているものはなかった。あるのはただの推測だけ・・・。アルセは次第に、歴史を研究するようになった」
クーはツバを飲み込んだ。
グローリアは続けた。
「アルセは他の部族の歴史を調べようと、世界中を巡り各部族の許可を得ながら歴史書を漁っていった。そして、“ある部族”に目を付けたのだ」
グローリアの赤い瞳が強く光った。
「ある部族?」みんな固唾をのんで見守っていた。そして、グローリアはつぶやいた。
「“竜の部族”だ」
だが、聞いたことがない部族にみんなきょとんとした。クーだけははっとしたように
「まさか・・・あの大昔、すべての部族を苦しめたと言われるあの凶暴な部族のことですか?」
その時、コリスははっとした。クーの家にいたとき、クーに聞いたあの恐ろしい部族のことを思い出したのだ。エリアスだけは何のことかさっぱり分からない顔をしていた。
グローリアはうなずいた。どこか、その表情に厳しさが感じられた。
「竜の部族とは、人魚の部族の古い書物に書かれていた名前だ。当時、描かれた絵も保存してあった。鋭く強固な角を持ち、その腕には魚の部族や蛇の部族と同じように鱗が生えていた。だが、そんなに優しいものではない。鱗そのものが鋼のような強さを持ち、まるで武器が腕に生えたように鋭くとがっていたのだ」
「ということは、あなた様もその絵を見たことがあるのですか?」エリアスは驚いていた。その話が信じられないようだ。
「ある。私はあまり身体が丈夫ではないアルセの手助けをしていた。・・・本当は無理やり連れまわされていたんだが、まあいい経験ではあったな。世界中を見てまわるということは」
「では、その竜の部族と背中の呪いがどう関係しているのですか?」
「いや、詳しいことは忘れた。まあ、バルバートは知っていると思うが、『竜の部族と我らの部族の間に、印と関係する何かがあった』というのは紛れもない事実だろう」
あっさり言ったグローリアの言葉にコリスたちはがっくりした。
すると、ふとグローリアが思い出したように
「そういえば、それが分かった後からだったな。アルセがやたら女を囲うようになったのは」
「え? どういうことですか?」クーがきょとんした。
「それと呪いとなにが関係あるんです?」エリアスが眉をひそめて聞いた。
「さあ、分からんが。なぜかあいつは我々の部族の数を増やそうとしていた。現に、あいつは3匹も子供を持っていたからな。だが、あいつが探していたものは見つからなかった」
「探していたもの?」クーが首をかしげた。
「クー、お前だ」グローリアがすっとクーに赤い瞳を向けた。
クーに一斉に全員の視線が注がれる。クーは戸惑ったように聞き返した。
「どういうことですか? 僕を探していたって・・・」
「アルセは、次に生まれるだろう自分と同じ印を持つものに伝えたいことがあると言っていたのだ。そして、亡くなる前にそれを私に託した。私は魔者だからな。もし私が生きている間に現れたなら、ぜひ伝えてほしいと・・・」
「伝えたい・・・こと」クーはツバを飲んだ。
クーだけではない。そこにいる全員がじっとグローリアの言葉を待っていた。
あたりはしーんとしていた。それは、グローリアが黙っていたからだ。時間が経つにつれて、全員に嫌な予感が走っていった。
「・・・まさか、忘れたとか」
バルバートが聞くと、グローリアの目がそれた。みんな驚愕した。
「忘れた?! 私の大切な弟子への伝言を忘れただと・・・?!」
バルバートが憤慨して立ち上がった。今度は誰も止めなかった。
「まあ待て。落ち着け」グローリアは冷静にいった。
「これが黙っていられるか!!」
「グローリア、今回はあなたが悪いですよ・・・」エリアスはあきれたように言った。
グローリアは一息つくと、詫びるように目を閉じた。
「すまない、ずいぶん前のことで忘れてしまった。私も、こんなに長生きするとは思っていなかったんだ。それに、クーのような印を持つものが現れるのはもっと先の話しだと思っていた」
「ではあなた様が死んだあと、一体だれに代わりの伝言を頼もうと思っていたのですか?」エリアスがふと尋ねた。
「その時、一番長く生きている弟子に託そうと思っていた。だが、今そんな弟子はいないしシーリーは魔者ではないしな・・・」
「ではどうするんです? これじゃあ、あまりにも二人がかわいそうですよ」エリアスが困ったように言った。
コリスも耳をたれて二人を見た。
二人ともしょんぼりした顔をしている。グローリアがそんな二人を見て、考えるしぐさをした。
「ちょっと待て、なんだったか思い出す。・・・・・・・・鍵・・・そうだ、鍵だ」
グローリアが思い出したように言った。
「鍵??」みんな口をそろえて言った。
「鍵とはなんです?」バルバートが聞いた。
「鍵とは鍵だ。その背の印が、鍵の役割をしているのだ。そこまでは思い出した」
「・・・つまり、一体なんの鍵なのかは思い出せないと?」エリアスが目を細めて聞いた。
「そうだ」
はっきり言い切ったグローリアの言葉に、全員またがっくりした。
「まあ、そのうち思い出すだろう。大丈夫だ、私もなんとか努力する」
その楽観的な言葉と根拠のないセリフにみんなは肩を落とした。
「・・・お前の師匠、大丈夫か?」テヴォルトが横からぼそっと聞いてきた。
「たぶん、大丈夫だと・・・思う」コリスは自信なさげに耳を下げた。でも、みんなそんな師匠を信じるしかない。
「ちょっとクーのとこ行ってくる」コリスはテヴォルトにそう言って机を降りた。
「俺も行く」テヴォルトもそういったので、一緒にクーのいる机に上った。
そこにはいつの間に移動したのかグローリアもいた。
「クー、すまない。少し、時間がほしい・・・。私の勝手な言い分に迷惑をかけているのは分かるが・・・」
クーは逆に恐縮していた。
「そんな・・・僕はいつまでも待ちます。ですから、そんなに謝らないでください・・・」
「グローリア殿、思い出せるのですか?」バルバートが神妙な顔で聞いた。
グローリアは少し考えるように目を閉じた。そして、はっと何か思い出したように顔を上げた。
「な、なにか思い出したのですか!?」バルバートが興奮して聞く。
すると、
「いや、何も」
全員ズッコケた。
「だが、印のことについては何も思い出せないが、いいことを思いついたぞ」グローリアが言った。
お?とみんなお互いに顔を見合わせた。
「アルセには3匹の子供がいたと言っただろう? 残念ながら3匹とも死んでしまったが、幸運にもその子供がいる。つまり、アルセの孫だ」
「そのお孫さんがいま部族にいると?」エリアスが驚いたように聞いた。
「だが、孫がいたとしても・・・あっ」バルバートが何かに気付いたように声を上げた。
「その伝言を、子供にも託した可能性があると?」エリアスがすばやく言う。
「そうだ。まあ、可能性の話しだが。ちょっとシーリーを呼んでくれないか?」グローリアがパブの厨房に呼びかけた。
コリスたちはきょとんとしている。
「誰なんです? その孫というのは」エリアスが興味を引かれたように尋ねた。
「シーリーの幼馴染の、サロフィスという男だ」
お待たせいたしました。待っていて下さった方がいましたら、本当にありがとうございます!
またこれからもよろしくお願いします。
今回の話しの補足ですが、グローリアは自分があまり興味がないものはだいたい忘れてしまうので、忘れた理由にその性格も手伝っているのだと思います。どうか許してあげてくださいね。
なにしろ150年も生きている「お婆さん」ですから!
あれ、グローリアどうし・・・ぎゃー!




