小さな影
そのテヴォルトがこっちをじとーと見てくる。コリスは目を瞬いた。首をかしげると、相手も合わせるように首をかしげた。だが、相変わらず茶色の目をこっちに向けている。
なにか言いたそうなのに、何も言ってこないテヴォルトにコリスは戸惑っていた。なにか悪いことでもしたかな・・・?
そのようす見てグローリアとエリアスは微笑んだ。
「テオ、あいさつしなさい。」
エリアスが言う。
だが、テヴォルトはプイッとそっぽを向いて、言うことを聞こうとしなかった。
「おれ、コリスのこと知ってる」
弟子が突然そう言ったので、エリアスは驚いた。
「そうなのか? どこで知り合ったんだ?」
「・・・・」
教えてくれないので、エリアスは困った顔をした。
エリアスは自分の弟子が言うことをきかないことに、いつも悩んでいた。なぜ反発するのかもよく分からない。実は、エリアスがグローリアに相談していたのはこのことだった。
テヴォルトはそれを知っていて、恥ずかしくてそのことをコリスに知られたくなかったのだ。だからコリスをにらんでいたのだった。
コリスは首をかしげてテヴォルトを見ていた。テヴォルトは未だにちょっとムスッとした顔で座っている。
「ん? そうだったのか?」グローリアも初めて聞く話だった。
戦争が終わったあと、グローリアはテヴォルトを見ていない。グローリアが来たときは、すでにテヴォルトが帰ったあとだったからだ。
コリスはこくんと頷いた。
「なあコリス、外で遊ぼうぜ」
テヴォルトはコリスに言った。コリスはきょとんとしたが、すぐに「うん」と嬉しそうに返事をした。
テヴォルトはにっと笑うと、
「こっちこいよ」とテヴォルトはテーブルを降りるとコリスを振り向いた。
グローリアは微笑ましそうに「たっぷり遊んで来い」と言っている。コリスはふと、キョロキョロとシーリーを探した。あれ?ついさっきまでいたのに。
「シーリーなら向こうで女たちと話しているぞ」
グローリアが察して言った。コリスが目を向けると、店のカウンターで若い女性たちがシーリーと楽しそうに話していた。その中に、一匹猫がいるのが見えた。耳と足に模様がある、クリーム色の猫だった。部族の猫だ。
「おい、コリス。はやくこいよ!」テヴォルトが急かすようにいう。
「あ、うん」コリスは素直にテーブルを降りると、テヴォルトを追いかけて行った。
テヴォルトはコリスが来るのを見ると、パッと走って店を出て行く。
「コリス君、テオが色々と迷惑をかけるかも知れないが、根は優しい子だからね。それに、君が来てくれて一番喜んでるのは彼なんだよ」
エリアスがそう言った。コリスは振り返ると、首をかしげながら「はい」と言って出て行った。
「・・・グローリア、君の弟子はいい子だね。真面目でかしこそうだ」
エリアスが感心したようにいった。
それを聞いたグローリアは目の前のお酒を飲みながら苦笑した。
「・・・お前、テヴォルトがかわいいんだろう?」
「まあ、そりゃあ自分の一番弟子ですからね。言うこと聞かなくてもかわいいですよ」
出来の悪い弟子ほどかわいい。エリアスはそんな風だった。
「ならいいんじゃないのか? 別にそのまま放っておけば」
「それはそれで心配なんですよ。一体どこでなにをしてるのかわからないですからね。それに、あなた様は私の大先輩なんですから、少しくらい後輩の相談にのってください。こんなこと言わないとあなたは町に来ないし」
酒ビンをグローリアの杯に注ぎながら、エリアスはいった。
「・・・ん? お前、私を引きこもりかなんかだと思ってないか?」グローリアは思わず聞いた。
「みんな思ってますよ」
「ぶっ」グローリアは酒を吹きだした。
「それよりも、森から町に移ってきたらどうですか?みんな喜びますよ」
「・・・・」
一方、コリスたちは店の前にいた。
「はあ、ようやく外に出れたぜ」うんざりしたようにテヴォルトは言った。
「え?」コリスは瞬いた。
「まあいいや。遊ぼうぜ!」
テヴォルトにとって、パブの中は居心地が悪いだけだったので、外に出れてほっとしていたのだ。
実はテヴォルトは、誰かに命令されるのが嫌いだった。それが、たとえ師匠でも言うことを聞きたくないのだ。
「遊ぶって、なにするの?」コリスは聞いた。
「お前、まだ魔法使えないよな?」
「え? うん」コリスはまだ魔法を習ってない。
「じゃ、俺が虫を作るから、それ追いかけようぜ」
そういってテヴォルトは鼻頭を上につき出した。集中したように鼻先を見つめている。
「え、でも作るって・・・」コリスはきょとんとした。
「見てろ」テヴォルトはそう言いうと、ふっと息を吐いた。
すると、吐かれた空気が鼻先で形を作り、それは美しいコガネムシになった。光を受けて虹のように輝いているコガネムシは、命を吹き込まれたかのように羽ばたいた。
「うわー!」コリスはビックリして目を見開いた。あまりのことに口が塞がらない。
「じゃああっちに行こうぜ」テヴォルトはそう言うと、広間に向って走った。
コリスもすぐにパッと追いかける。コガネムシは空高く上がり、やがて町の広間につくと、テヴォルトの元へやってきた。
「じゃあ、先に捕まえたほうの勝ちな」にやっと笑うと、テヴォルトは自分の周りを飛んでいる金色のコガネムシを見た。
コガネムシは合図されたようにジグザグに飛ぶと、コリスの前を通って飛んでいった。
「まてー!」
テヴォルトとコリスは走り出した。真ん中にある魔法の噴水を通って、宝物のようなコガネムシを追う。
二匹は笑いながら走り回った。
コガネムシが家の屋根の上を飛ぶと、テヴォルトが建物を利用して屋根に登る。コリスは感心してそれを見ていた。
だが、ふとその拍子にある家の窓からこっちを見ている小さな影を見つけた。カーテンのシルエットで子猫だと分かる。コリスはテヴォルトのマネをして家を駆け上がると、その窓に近づいた。
好奇心がうずいている。コリスはカーテンの隙間から外を見ている子猫に声をかけた。
「ねえ! 一緒に遊ぼうよ」コリスがにこにこして言った。
だが、子猫ははっと驚いたようにコリスを見ると、さっとすぐに中に引っ込んでしまった。深い緑色の瞳をした子猫だった。身体はカーテンの影でよく見えなかったが、前足が黄色い色をしていた。
コリスはきっと部族の仲間だと思い、外から中を覗いてみた。
すると、横からひょっこりと出てきた子猫と顔がバッチリ合った。どうやらカーテンの横に隠れていたようだった。コリスはビックリして慌てている子猫に「ねえ、」と話しかけた。
「・・・・」子猫は困ったように耳を下げると、きょろきょろと部屋の中を見渡した。
「どうしたの?」おかしなようすの子猫にコリスは聞いた。
すると、窓ガラスの向こうで子猫が言った。
「あのね、僕。いまは外に出れないんだ・・・。ゴメンね」
申し訳なさそうに言う子猫。きょとんとしたコリスは、
「どうして?」
「だって、バルバートが出ちゃ行けないっていうから」と子猫は言った。
「バルバート?」コリスは聞き返した。
「僕の師匠の名前。だから、一緒に遊べないんだ・・・ごめんね」
そういって子猫は部屋に戻ろうとした。部屋の中はやけに散らかっていて、床には紙がバラバラと落ちていた。本棚には入りきらない本たちがあふれている。テーブルも同じだった。
「じゃあ、中に入れてよ」
コリスのビックリするような言葉に、子猫はぎょっと足を浮かせた。好奇心で瞳をキラキラさせているコリスに、目をパチクリさせた子猫は、そのあと少し嬉しそうに微笑んだ。
「おいコリス、ここでなにしてるんだよ」
見ると、テヴォルトが隣に立っていた。
「実はね、ここに僕たちと同じ子猫がいるんだ。だから、話をしてたんだよ」
「ここにだって? そりゃ、変わり者のバルバートの弟子じゃねーか」
「変わり者?」
「ああそうさ。窓をカーテンでさえぎって、ずーっと家に引きこもってんだ。しかも朝まで明かりが点いてるんで、きっと変なことでもしてるんだって言われてる。それに、バルバートは一度も弟子を外に出さねえもんだからますます―――」
「それは僕のせいなんだ・・・」
突然声がした。見ると、テヴォルトの後ろにあの子猫がいた。バナナ色の毛並みをした子猫だった。テヴォルトはとたんに鼻にシワを寄せる。
「お前、外に出れないんじゃなかったのか?」
「少しくらいならいいんだ。人に見られるところじゃなかったらね・・・」
子猫はちょっと寂しそうにいった。テヴォルトはまだ怪訝そうにしている。
「おいでよ、僕の家に案内するから。もし、嫌じゃなかったらだけど」
と、子猫はテヴォルトを見た。コリスは素直に子猫の後ろを付いていく。テヴォルトは、はあとため息をついてからしばらくすると、後を追っかけた。




