第9話 茉昼、決意の瞬間! 誰かを守る勇気
本部の治療室は、外界の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
無機質なLEDライトの下、茉昼はベッドに横たわり、点滴のチューブを見つめていた。深紅のドレスは脱がされ、今の彼女はどこにでもいる、青白い顔をした中学生に戻っている。
「……アンタ、マジで言ってるわけ?」
アヤメの声が、静寂を鋭く切り裂いた。彼女はパイプ椅子を乱暴に引き寄せ、茉昼の顔を覗き込む。その手には、半分潰れたエナジードリンクの缶が握られていた。
「もうやめなよ。今回のは『仕事』の範疇を超えてる。自分の血を流してまでトレンドを稼ぐなんて、そんなの魔法少女じゃない。ただの公開自殺ショーだよ」
「……でも、アヤメさん。怪人は倒せました。逃げ遅れた人も、みんな無傷で……」
「効率の話をしてるんじゃないの!」
アヤメが声を荒らげる。
「アンタが傷つくたび、管理局の空気がどうなってるか分かってる? 普通の人間はね、子供が血を流してるのを見て『ありがとう』なんて思えない……あんなの、ネガキャンにしかならないの」
苦虫を噛み潰したような顔で、彼女は続けた。
「それなのに、上層部が『沈黙の聖女』プランを即決したってことは……アンタを単なる戦力じゃなく、もっと別の何かに利用したがってるってことだよ」
アヤメの言葉は正しさを帯びていた。だが、茉昼の胸には響いていないようだった。
茉昼は、点滴で冷たくなった自分の指先をじっと見つめ、ぽつりと呟いた。
「……私、あの時……助かっちゃったんです」
「え?」
「怪人が来て、両親が死んで、街が壊れて……私だけが、傷一つなく。……あの日からずっと、自分が生きているのが、誰かの席を奪っているみたいで、怖かったんです」
茉昼の瞳に、暗い光が宿る。
「でも、今の私は違います。私が傷つく分だけ、誰かの傷が消える。私が痛い思いをする分だけ、私がここにいてもいいって、誰かに許されている気がするんです。……魔法少女じゃない私は、ただの『余り物』だから」
「茉昼……アンタ、それ……」
アヤメが絶句した、その時だった。
自動ドアが軽快な音を立てて開き、場違いなほど甘い香りが部屋に流れ込んできた。
「うわ、重っ。お葬式かと思っちゃった」
ピンク色のツインテール。フリルを過剰に重ねた、冗談みたいに可愛い衣装。M4第4位、キューティキュアこと――モモが、ペロペロキャンディを片手に立っていた。
「……モモ?」
アヤメが慌てて立ち上がる。ランクBのアヤメにとって、M4は文字通り雲の上の存在だ。モモはアヤメを一瞥もせず、真っ直ぐに茉昼のベッドへ歩み寄った。
「君が新人の『聖女』ちゃん? 映像で見るより、ずっとボロボロだね」
モモは茉昼の顔を覗き込むと、その頬を冷たい指先でなぞった。
「ねえ、知ってる? 君みたいな『自己犠牲キャラ』って、短期的には数字出るけど、すぐ飽きられるんだよ。ファンはもっと刺激を求めるから。次は腕を失くせ、次は死ねってね」
茉昼が息を呑む。モモの瞳は笑っていなかった。それは、市場価値を品定めする冷徹な商人の目だった。
「でも、安心して。壊れる前に、私が『使い方』を教えてあげる。……君、星襾さまに会いたいんでしょ?」
「なんで知ってるんですか」
モモは、茉昼の耳元に唇を寄せ、毒を注ぎ込むような低い声で囁いた。
「星襾さまはね、完璧なの。この世のすべての『正しいこと』を独占している人。そんな人の隣に並ぶには、君みたいな不潔な血の匂いは邪魔でしかない。……でもね、あの方は、自分を救ってくれる存在には、とびきり甘いのよ」
茉昼は、その言葉の意味を計りかね、モモを見返した。モモは楽しそうにキャンディを噛み砕くと、その破片を茉昼の枕元に吐き出した。
「君のカガヤキ、『肩代わり』でしょ? だったら、一週間後のシール・ライブでの共同任務、君を推薦してあげる。星襾さまが戦場を舞う裏で、君は影に隠れて、あの方が受けるはずの疲れ、衣装を汚す程度の返り血、野次馬からの小さな嫉妬まで、全部一人で吸い取りなさい」
「シール、ライブ?」
疑問符をつける茉昼に対し、モモは嘲るように口角を上げた。
「知らないんだ? あはは、世間知らずとは思ってたけどさ。ここまで──」
我慢できなかったようで、アヤメが口を挟む。
「一年に一回、必ずSランク怪人が現れる区画があるの。上限がSまでだから『Sランク』と呼ぶしかないんだけど、M4全員でやっとの強さなんだ。M4がみんな戦うから、そこでの戦闘は毎年、どのテレビ局、どのSNSでもライブ配信されてる。それが『シール・ライブ』。そこには何人か、補助役をつけられるの」
正式な名は、「Systematic Elimination of Accumulated Luminescence Live」――略して S.E.A.L LIVE と言った。いかにも管理局らしい、綺麗に包装された名称である。
「……そこに、私を?」
モモはアヤメの方を向くことなく、茉昼の指を辿るようになぞった。
「説明ご苦労さん。ま、そういうことね。星襾さまを、永遠に『無傷の聖女』でい続けさせるための……生きた濾過装置。それが君に与えられた、唯一の特等席だよ」
アヤメは堪らず、二人の間に割って入る。
「ふざけないでよ! そんなの、星襾を輝かせるための生贄じゃない! 茉昼、聞いちゃダメ。この女は、アンタを道具としか……」
「道具で結構。ねえ、赤木茉昼。君、自分がここにいてもいいって許されたいんだよね?」
「……聞いてたんですか」
「こういうカガヤキなの。それはさておき、ね」
モモの冷たい瞳が、茉昼の心の最深部を射抜いた。
「最高の善に尽くして壊れるなら、それ以上の『許し』なんてないと思わない?」
茉昼の脳裏に、あの日見た白い背中が浮かぶ。両親を救ってくれなかった彼女。もし、傷一つ負わせず、その純白を守り抜くことができたなら。
彼女と言葉を交すことが叶うかもしれない。
あの日、何を考えて、なぜ笑えていたのか。
問い詰めることもできるんじゃないか。
「……やります」
茉昼の声は、驚くほど静かだった。
「茉昼!」
「アヤメさん、大丈夫です。私……これなら、役に立てる気がします」
「賢い選択だよ、聖女ちゃん。それじゃ、明日からの一週間、つきっきりで特訓してあげる。私のところにちゃぁんと来るんだよ?」
モモは「合格」とばかりに手を叩き、治療室を後にした。
扉が閉まる直前。彼女は肩越しに、シロフが扉の陰で控えているのを確認し、わずかに口角を上げた。
残された治療室で、アヤメは崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。点滴の雫が落ちる音だけが、カウントダウンのように響いていた。
茉昼は再び自分の指先を見る。
そこには、モモがなぞった冷たい感触と、これから引き受けるであろう「至高の痛み」への、狂気じみた期待だけが残っていた。




