第8話 沈黙の聖女! ひとりぼっちの戦い
翌日の夜、ネオンの光に照らされた繁華街にて。
不夜城の喧騒は、突如として悲鳴に塗りつぶされた。
路地裏から這い出してきたのは、全身が棘だらけの姿をした怪人であった。本部が緊急で命名したコードネームは、ランクC怪人「アイアン・メイデン」。怪人は、逃げ惑う人々をその鋭い鋼の腕でなぎ払い、コンクリートを赤く染めていく。
「……あ、あの。……は、始めます」
ビルの屋上から、ひどく不器用で、たどたどしい声が響いた。
人々の視線が上空に集まる。そこには、新調された深紅のドレスを纏う少女が立っていた。彼女の顔の上半分は、真っ赤な仮面で覆われていた。
これが彼女の、一人前としての初任務だった。
シロフに要望したその仮面は、驚くほどあっさりと採用された。彼はそのことに対し、もっともらしく推理していた。
「広報部も、いいアイデアだと思ったんじゃないかな。『素顔を隠すことで個を殺し、純粋な慈愛のみを体現する』。自己犠牲の極みだろう」
何はともあれ、今の茉昼にとって、その仮面は唯一の盾だった。
自分を、世界から、レナの視線から切り離すための。
「わ……私は、沈黙の……聖女、キャンディ、レッド! 貴方の痛みを、私が、いっ、いただきます!」
与えられた口上は、気恥ずかしさの極みだった。
茉昼は意を決して、シロフと共に、夜の街へと飛び降りた。
彼は辺り一面に、認識阻害魔法を振りまきだす。
これによってどんな血や傷も、一般人の視界には華やかな演出として映るのだ。
「……変身!……カ、カガヤキ、解放!」
赤いドレスの裾が、夜風に翻る。
着地と同時に、茉昼は怪人の目の前に立ち塞がった。逃げ遅れたサラリーマンの脚に、怪人の棘が深く突き刺さろうとした瞬間、彼女はその脚に触れた。
「――っ!!」
能力が発動する。
男の脚から傷が消え、代わりに茉昼の太腿が、目に見えない刃で削られたように裂けた。
ドロリとした熱い液体が、ドレスの内側を伝うのが分かる。
(……ああ、そうか)
茉昼は、激痛の中で理解した。
なぜ、このドレスがこれほどまでに深い「赤」でなければならなかったのか。
怪人は容赦なく、茉昼にその鋼の棘を叩きつける。彼女はそれを避けない。むしろ、怪我人のいる方向へ自ら身体を投げ出し、すべての衝撃を買い取っていく。
一撃受けるたびに、彼女の身体のどこかが裂け、骨が軋む。
噴き出した鮮血は、ドレスの布地に吸い込まれていく。深紅のドレスは、彼女が流す血を「デザイン」の一部として同化させ、凄惨な現実を「神秘的な演出」へと変えてしまう。
――この服は、カモフラージュだ。
私がボロボロになることを前提に作られてるんだ。
「あ、は……っ、あぁ……」
仮面の下で、茉昼は荒い呼吸を繰り返す。
身体中に溜まった「他人の痛み」と、自らの「流血」。
それらが臨界点に達したとき、彼女の持つ赤い杖が、かつてないほど禍々しい輝きを放ち始めた。
「……皆さんの、苦しみ。……お返し、します」
極大の赤い閃光が、夜の街を真っ二つに切り裂いた。
ランクC怪人「アイアン・メイデン」は、その圧倒的なエネルギーの奔流に飲み込まれ、鉄の欠片すら残さず霧散した。
――静寂が訪れる。
アスファルトの上には、自らの血で小さな海を作った茉昼が、杖を支えに辛うじて立っていた。全身の傷口が熱い。意識が遠のきそうになる。だが、一人前としての仕事には、「戦闘後の口上」までが含まれていた。
「……救いは、……ここにあります。……お、お疲れ様、でした……」
血の海の中で、痛みに震える声。
それは聖女の慈悲というより、今にも壊れそうな供物の、最期の祈りのように聞こえた。
管理局のモニター室。
アヤメは、エナジードリンクの缶を握りつぶしたまま、画面越しにその光景を凝視していた。
「……バカ。本当、救いようのないバカだよ」
彼女の目には、茉昼のドレスの裏側にある、本物の流血がはっきりと見えていた。自分たちの業界が、一人の少女をここまで効率よく、そして残酷に消費し始めた。そのことを痛感するたび、吐き気のような怒りが込み上げる。
「あんなの、もう魔法少女ですらないじゃない……。上の奴らは何をたくらんでるの……?」
一方、現場の野次馬の中に、レナはいた。
彼女の目は、星襾を見るときのようにキラキラしてはいなかった。スマホを向ける手も、心なしか震えている。
「……怖いよ」
周囲からは「すごい」「新しい」「感動した」という声が上がる。
しかし、レナの目には違和感が残った。
あの仮面の少女が、昨日まで隣で笑っていた友人と、どこか重なって見えていた。
「なんで……あんなに、痛そうに笑うの……?」
その直感は、生理的な拒絶反応だった。
そして、都心の超高層ビル。
最高級のソファに深く腰掛け、このライブ映像を眺めている少女がいた。
M4の第4位。
「カワイイは正義」を地で行く、ピンクの衣装を纏った魔法少女「キューティキュア」――本名、モモ。
彼女は、茉昼が血の海で口上を述べるシーンを見て、ペロリとキャンディを舐めた。
「エッぐいね、例の子。今のトレンド狙いすぎでしょ」
彼女の瞳には、同情の色など微塵もない。
あるのは、自分の順位を脅かすかもしれない「新商品」に対する、冷徹な査定の視線だけだ。
「でも、これじゃ長持ちしないでしょ。一ヶ月持たずに壊れるね、この子」
モモはニヤリと笑ってテレビを消した。
「……ひょっとしたら、使えるかも」
夜の街に残されたのは、深い赤に染まったアスファルトと、仮面の下で誰にも見られることなく涙を流す、一人の「聖女」だけだった。




