第6話 心をつなぐ光! 最後の研修
その日の夜。
「……あー、疲れた。マジで死ぬ。ランクDの討伐させられてんの、今週で何回目よ。アンタ以外にも新入りはいるんだからね」
雑居ビルの三階。看板すら出ていない鉄扉の先は、薄暗い「魔法少女専用」のカフェだった。空気清浄機がフル稼働しているが、工場特有の廃油臭と、湿布のような薬品臭が混じり合っている。奥のボックス席では、青い衣装を着たままの少女が一人、虚空を見つめてブツブツと、決め台詞の練習を繰り返していた。
アヤメは店に入るなり、白と黒のきらびやかな衣装を解いた。魔法の光が弾け、現れたのは、よれよれのパーカーにジャージという、あまりに「普通」な、そして疲れ果てた少女の姿だった。
「アヤメさん、そんなに一気に飲むと体に……」
目の前で、アヤメは安売りのエナジードリンクを二本同時に開け、交互に喉に流し込んでいる。
「うるさい。キラメキの消費は糖分で補うのが一番コスパ良いの。……ほら、アンタも座んなよ」
茉昼は、まだ変身を解くタイミングを掴めないまま、赤いフリルの衣装でパイプ椅子に腰掛けた。シロフはいつの間にか姿を消している。
「ここ、なんですか?」
「管理局の非公認福利厚生施設。……平たく言えば、愚痴り場だよ」
アヤメは空き缶をテーブルに叩きつけ、スマホの画面を茉昼に向けた。そこにはSNSの通知画面が、滝のように流れている。
「見て。昨日の戦闘、作業員の誰かが撮ってたみたい。結構バズってるでしょ。でも広報からは、『トドメの決めポーズで目線がずれてる』ってお叱り食らったの。……は? こっちは死に物狂いでハサミ振ってんだよ。モデルやってる暇なんてねえっつの」
彼女の口から漏れるのは、テレビで聞く「愛」や「勇気」とは無縁の、生々しい「労働」の言葉だった。
「アヤメさんは……どうして、魔法少女になったんですか?」
茉昼がそっと尋ねると、アヤメは一瞬だけ虚空を見つめ、鼻で笑った。
「金だよ。実家の借金。あるいは、一度足を踏み入れたら辞められない契約書。……アンタみたいに、誰かを助けたいなんて本気で思ってる奴、この業界じゃ絶滅危惧種なんだよ」
アヤメは冷めた目で、茉昼の腕に刻まれた火傷の跡を見つめた。本部で治療は受けたものの、今回の担当者のカガヤキは遅効性らしい。
「効率が悪いんだよ、アンタは……自分を削るのが正義だなんて思ってたら、すぐに使い潰されて終わり」
その時、二人のスマホが同時に、あの不快な鼓動を刻んだ。茉昼の画面にはこうあった。
【怪人警報:エリアB5】
【危険度:ランクC】
【出動要請:赤木茉昼】
「チッ、休憩終わり。ランクCか……最後に、少しは歯応えあるのが来たね」
アヤメとの出動はこれで三回目。
新人として彼女についていくのは、これが最後だった。
アヤメが立ち上がると、黒いカラスのノワが影から這い出し、彼女を再び「白黒の魔法少女」へと塗り替えていく。
現場は、建設途中の立体駐車場だった。
吹き抜けで暴れているのは、全身が錆びた鎖で構成されたような、巨大な怪人。これまでのランクDとは、放つ威圧感の桁が違った。
「いい、新人。よく聞きな」
アヤメが巨大な裁ちばさみを構え、鋭い視線を怪人に向ける。
「アンタは私がおぶるから、『ダメージ』を吸うことだけに集中して……死なない程度にね」
「でも、それじゃアヤメさんの負担が……」
「これが一番効率が良いの。私が全力で殴る。アンタは私のリミッターを外すための『ゴミ箱』になりな」
アヤメが地を蹴った。
「しっかり掴まってなよ!」
茉昼を背にし、鎖の猛攻を紙一重でかわしながら、鋭いハサミが鉄を断つ。
だが、怪人の放つ衝撃波も熾烈だった。
アヤメの防御を削り、彼女の呼吸が次第に荒くなっていく。
茉昼は、アヤメの背中に向かって手を伸ばした。
(……吸わなきゃ。もっと、全部)
茉昼の手は、切り刻まれた彼女の傷跡に触れてゆく。
同じ傷が増え、そのたびに痛みが脳に響き渡る。
しかも、それだけではなかった。
彼女の指先から、何かが吸い込まれていくような感触があったのだ。
それは肉体的な疲労だけではない……精神的な「傷」なった。アヤメが抱える「苛立ち」、ノルマへの「焦り」、そして奥底にある「諦め」。
それらが茉昼の中に流れ込んできた瞬間。
「――っ!!」
茉昼の胸の奥で、赤い光が爆発した。
今までとは比較にならないほどの高熱。視界が真っ赤に染まる。他人の負の感情を引き受けるほど、彼女のキラメキは鋭く、凶暴な鋭利さを増していくようだった。
本来、魔法少女のキラメキは、本人が抱く「希望」や「熱量」に比例して出力を増すはずだった。
それは同時に、燃え上がった分だけ、行き場を失った「痛み」や「恐怖」を――澱として吐き出す構造でもある。
茉昼のキラメキは、その排斥を行わなかった。
他人の希望の影で切り捨てられた「痛み」、戦いの裏で押し殺された「諦め」。本来なら外界に吐き出され、怪人の元となるはずのそれらを、彼女は燃料として再点火させていた。
それは、澱を澱のまま燃やす、禁忌の燃焼だった。
黒いガソリンのような熱量が、彼女の中で爆発的に膨れ上がっていく。
「あ、はは……っ」
茉昼は手を伸ばしながら、同時に杖を突き出した。それは直感に背を押されるような動きだった。初めて魔法を使ったあの日のように、杖の先には、丸く赤い輝きが、徐々に大きく膨らんでいく。
――瞬間。
茉昼の杖から赤い閃光が放たれた。その赤光は、駐車場のコンクリートを溶解させながら、怪人の胴体を貫いた。二十数メートルはあろう怪人が、悲鳴を上げる間もなく消滅していく。
……沈黙。
煙が漂う中、アヤメは呆然と茉昼を見つめていた。
彼女は静かに、シロフの目論見を理解してきていた。
「……手出すなって言ったでしょ、バカ」
アヤメは歩み寄って、ぶっきらぼうに茉昼の頭を撫でた。その手は、少しだけ震えていた。
「……アヤメさん」
「あの星襾に会いたいなら、まずは無理しないこと。……あいつはね、アンタみたいな『本物のバカ』が一番合わないタイプなんだよ」
アヤメはふいと顔を背ける。
「……あいつにとって、傷を笑って受けるアンタは、自分の醜さを見せられてるようなもんだからね」
茉昼は、自分の腕に溜まった新しい鈍痛を抱きしめながら、暗くなった空を見上げた。
そこにはまだ、星襾のいる高みは見えなかった。
だが、胸の奥の熱は、消えることなく燃え続けていた。




