第15話 大暴走! かわいい笑顔にご用心!?
スタジアムを埋め尽くす澱……「負のキラメキ」の粒子が、茉昼の肺を焼く。呼吸をするたびに、他人の絶望が血液に混ざり、心臓をドロドロの毒に変えていく感覚。
「……あ、あぁ……」
茉昼は砕けた左肩を抱えながら、アスファルトの上に這いつくばっていた。
仮面が半分に割れ、剥き出しになった左目には、もはや光は宿っていない。彼女の中には、吸収した憎悪と痛みの山が、極限まで圧縮されて渦巻いていた。
それは、一人の少女が抱えていい容量を、とうに超えていた。
「いい、すごくいい。……最高の熟れ具合ね」
背後から響いたのは、この世のものとは思えないほど甘く、冷徹な声だった。
第4位、キューティキュア――モモ。
彼女はピンクのハートをあしらった杖を軽やかに振り、茉昼の前に立った。
「モ……モさん……? 下がって……ここは、危な……」
「危ない? 違うよ、聖女ちゃん。ここは、私の『収穫祭』の会場なの」
モモの瞳が、ピンク色の禍々しい光を放つ。
彼女は怪人に向けるべき杖の先を、あろうことか、味方であるはずの茉昼の胸元へと突きつけた。
「カガヤキ解放――『共感の簒奪』」
瞬間、茉昼の全身が跳ね上がった。
悲鳴すら出なかった。
茉昼が必死に封じ込めていた苦痛の結晶が、モモの杖を媒介にして、濁流となって引き抜かれていく。
「な、……に……を……」
「君のカガヤキ、便利すぎて笑っちゃうよ。他人の痛みを引き受けて、純度を高めて、自分の中に溜め込んでくれるんだもん。……それって、『最高品質のガソリン』を精製してくれてるのと同じなんだよね」
――それは、茉昼の能力とは似て非なるものだった。
茉昼のカガヤキは、「他人の傷を自分が引き受ける」力だ。
痛みも、呪いも、澱も――すべてを自分の内側に受け止め、その代償として力を得る。だから彼女は、誰かを守るたびに、確実に削れていく。
だが、モモは違った。
彼女は傷を引き受けない。
痛みを処理しない。
澱に触れることすらない。
ただ、他人が壊れないために必死で生み出した「結果」だけを、共感という名の錯覚で奪い取る。魂が自分を守るために精製した、高純度のキラメキだけを――横から、すくい上げるのだ。
それが、「共感の簒奪」。
救済ではない。分かち合いでもない。
これは、他人の防衛機構そのものを盗む能力だった。
モモの周囲の空気が、歪み、膨れ上がる。
茉昼が奪った、何万人という観客の嫉妬、怪人の呪い、星襾への恨み。それら全てが茉昼を通し、キラメキへと濾過され、さらにはモモの魔力へと変換されていく。
その様子を、アヤメは管理局のモニターで見ていた。
「は……? ……何、あのキラメキの量。あれじゃ、星襾よりも――」
――戦慄が走った。
その瞬間、彼女は何かに気付いたように、勢いよく駆け出した。
「あはははは! 気持ちいい! みんなの『イヤな気持ち』が、全部私を強くしてくれる!」
モモの背後に、巨大なピンク色の影が形を成す。
それはもはや、かわいらしい魔法少女の姿ではなかった。
――怪人。
そんな形容がピッタリだった。
一方、供給源としての役目を強制終了させられた茉昼は、抜け殻のような音を立てて地面に崩れ落ちた。キラメキを強引に引き抜かれた反動で、視界が白く染まっていく。
そして、異変はすぐに戦場の中央へ波及した。
「……っ!? なに、これ……急に、身体が……」
宙を舞っていた星襾が、うめき声を漏らして高度を下げた。
これまで、茉昼という「防壁」によって遮断されていた怪人の毒素が、濾過されずに直接、星襾の精神を叩き始めたのだ。
「こんなの……演出にない。一体何が……」
星襾の眉が不快げに寄る。彼女の強靭な精神力をもってすれば、この程度の毒素で戦闘不能になることはない。事実、彼女は冷静にカタルシスの触手を切り伏せようとした。
しかし、誤算があった。
(……モモ!?)
彼女が信奉し、守り続けてきた「完璧なショー」という前提が、味方であるはずのモモの暴走によって内側から崩壊したのだ。
台本外の事態への戸惑い。
そして、濾過されなくなった毒素が、一瞬の硬直を生んだ。
――星襾、笑って。
そのわずかな隙を、カタルシスは見逃さなかった。
うねる触手が、無防備になった星襾の右腕を深くかすめる。
今までなら、茉昼がその傷を瞬時に引き受け、星襾のドレスは白く輝き続けていたはずだった。だが、今の茉昼にその力はない。
星襾の白いドレスの袖が、真っ赤に染まった。
彼女の輝かしい経歴の中で、初めて刻まれた負傷だった。
「あ……あぁぁぁぁぁ!!」
痛みそのものよりも、「完璧」が汚された衝撃が、星襾の絶叫となってスタジアムに響く。
重力に抗う力を失い、彼女は絶望と共に墜落した。
彼女が築き上げてきた偶像が、あまりに呆気なく、泥に塗れて瓦解していく。
『……信じられない。星襾さまが、撃ち落とされた?』
『今の、血だよね? 魔法少女って血が出るの?』
『赤い子がサボったせいか? いや、藍色の子が何かしたろ今!』
今や、認識阻害魔法の効力は解かれていた。
SNSのコメント欄は、未曾有のパニックと、隠しきれない「興奮」で埋め尽くされていく。
泥だらけになった星襾と、ピクリとも動かない茉昼。
その光景を見下ろしながら、モモは狂気に満ちた笑顔で、スタジアムに君臨した。
「さあ、お掃除の時間だよ。……ゴミみたいな『旧時代の希望』もろとも、ね」
モモが放ったピンク色の波動が、一気に膨れ上がる。
それは、怪人「カタルシス」と星襾を同時に飲み込まんとしていた。




