第1話 運命のスカウト!? 魔法少女、誕生!
――これは、絶対に関わっちゃいけないやつだ。
赤木茉昼は、自分がごく普通の中学生だと信じていた。
少なくとも、その瞬間までは。
路地裏の電線に止まっているそれと、目が合った。
……白い。
異様なほど白いフクロウだった。
夕方の湿った空気の中で、その羽毛だけが浮いて見える。街灯の光を反射しているわけでもないのに、輪郭がやけにくっきりしていた。まるで現実の解像度が、そこだけ一段階ずれているような感覚だ。
放課後。スーパーの特売に寄るための、帰りの近道。
ただそれだけの理由で、この路地を選んでしまった。
「やあ」
鳴き声ではなかった。
はっきりとした、テノールパートみたいな声だった。
茉昼は足を止めた。逃げる判断は何度も浮かんできたのに、身体がついてこない。小柄な身体の全てが、地面に縫い留められたみたいに動かなかった。
「……喋る、んですか」
思ったより落ち着いた声が出た。その事実のせいでさらに不安が募る。
「喋るとも。でなきゃスカウトなんてできないだろ?」
……スカウト。
その単語を聞いた瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。
「一応、防犯ブザー持ってますけど」
「だからフクロウの姿なのさ。不審者扱いされたら、ホーホー鳴いとけばいい」
フクロウは首を傾げた。愛嬌のある仕草のはずなのに、可愛げは感じられない。視線だけが、こちらの内側を値踏みするかのように冷たい。
「では改めて、『魔法少女』にならないかい?」
聞き覚えのある言葉だった。
――魔法少女。
テレビやSNSで嫌というほど見てきた存在。怪人を倒し、笑顔でポーズを決める、みんなの「希望」だ。古来から国に認められている公的ヒーローであり、憧れの職業ランキングでは、常に上位を独占している。学校ではしょっちゅう、決め台詞を真似する声が飛び交っている。
(……あれってスカウト制だったんだ)
そのとき、きらびやかなイメージに、別の記憶が重なった。
怪人と人の叫び声。
血の匂い。
逃げていく二人の背中。
「……無理です」
即答だった。
「私は、そういうの――」
言葉は最後まで続かなかった。
ふと、遠くで警報が鳴ったのだ。サイレンの音が、街の空気を鋭く切り裂いた。胸の内側を直接かき乱すような、不快な振動。その音に呼応するように路地の奥が歪んでいく。
思わず、喉の奥がひりついた。
「出たね」
フクロウの声は、場違いなほど軽かった。
「近いよ。かなり」
「関係ありません。私は――」
「あるよ」
フクロウが、彼女の肩に降り立つ。
重さはほとんど感じない。
それなのに、足が完全に動かなくなった。
「君はもう、関係者だ」
茉昼は唾を飲む。
フクロウは前方を見据えた。
「ほら」
現場はすぐそこだった。通りの中央で横倒しになった自動販売機。歪んだシャッター。
その中心に怪人がいた。
人の形をしている。だが、人間ではない。
怪人の定義は、小学生の頃に習っていた。皆の中にある精神エネルギー「キラメキ」が流出し、形を成し、行き場を失って、沈殿した末の存在。
目の前の怪人が吠える。
膨れ上がった黒いキラメキが肉体を歪め、裂けた皮膚の隙間から、光とも影ともつかないものが漏れ出していた。見ているだけで、視界の焦点が揺れていく。
その前に、母娘がいた。買い物帰りだったのだろうか、近くには、ネギやら割れた卵やらが散らばっていた。怪人の現れた衝撃で、ママチャリが丸めた紙のようにひしゃげている。
母親は、小さな子供を背に庇って必死に立っていた。腕は震え、膝は今にも崩れそうだ。それでも、一歩も退いていなかった。
その光景を見た瞬間、茉昼の呼吸が止まった。
目にかかっていた前髪を、無意識に払う。
――知っている。
怪人の腕が、ゆっくりと持ち上がる。
「今だよ」
フクロウが言った。
「君が選ばなければ、この子は死ぬ」
選ぶ。
その言葉が、胸に落ちた。
かつて、自分は選ばれなかった。
守られなかった。
両親はあの姿勢から、自分を置いて逃げて――なぜか、生き残ったのは自分だけだった。
だから、という理由をつける前に。
声が先に出ていた。
「……なります。魔法少女に」
フクロウは満足そうに目を細める。
「契約成立。――君のキラメキは、どこか違うね」
差し出されたのは、赤い杖だった。
キャンディみたいな形で、冗談みたいに可愛い。
――なのに。
握った瞬間、鋭い熱が走る。体の内側から、何かを削り取られていく感覚。痛みはない。ただ、確実に「減っている」と分かった。血液を抜かれるのとは違う、もっと魂の輪郭が薄くなるような、不吉な摩耗だった。
「……大丈夫?」
フクロウが聞く。
答える前に、視界が赤に染まった。光が茉昼を包み込んでいく。
気づけば、赤い衣装を着ていた。
ふわりと広がるスカートに、白いフリル。テレビで見た「魔法少女」の理想像を、そのまま型抜きしたような姿。だが、似合っているかどうかを考える余裕はなかった。
杖の先が、怪人を向く。
考える必要はなかった。
身体が、やり方を知っている。
「はぁッ!」
瞬間、まばゆい赤のエネルギー弾が放たれた。
爆音と衝撃が辺りを呑み込んでいく。
通り全体が揺れ、怪人は光の中に紛れて霧散した。
――静寂。
瓦礫の中で、母娘が呆然と立ち尽くしている。助かったのだと理解するまで、少し時間が必要そうだった。
茉昼は赤い杖を握ったまま、自分の胸の奥を探った。
「……熱い」
達成感や安堵は、確かにあった。
自分は正しいことをした。そう思っていいはずだった。
なのに。
(ホントに……魔法少女に、なっちゃったんだ)
名前のない違和感が、遅れて胸に広がる。
茉昼はそれに気づかないふりをして、赤い衣装の袖を強く握りしめた。




