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05.店員マキヤは恋の悩みを聞く。


「ほらこれ! 新作のアイシャドウ。似合うと思って取っておいたの!」


 そう言ってジルヴェーユの前に置かれたのは、シガレットケースめいた薄い革張りの容器だった。開いてもらったその中身には、ピンクとグリーンの二種のパウダが詰められている。


「ありがとうございます、マキヤさん」


 表情こそ動かさないが、声にはなるたけの気持ちを載せて感謝を告げる。


「お客様の、それも恋する女の子のためだもの。このくらいはなんのその、よ」


 化粧品店の店員マキヤが、こちらへウインクを返す。さる日に思い煩いながら装飾品を眺めていたジルヴェーユの恋情を見破った彼女は、今や少女が着飾るための心強い味方だ。


 百貨店、イル・オ・パンデモニウム。ジルヴェーユは、仕事絡みで街に行くコニャックに随行し、そこに訪れている。冬前のセールや日常の庶務に必要な物品の補充がその主な目的だが、しかし用事はそれだけでは終わらない。購入と配送の手続きを済ませたジルヴェーユが次に足を向けたのは、今年になってから訪れるようになった化粧品店だった。


 そして今は、社員用の控室まで通されている。店を覗いたジルヴェーユのことを、馴染みの店員マキヤはすかさず見つけて、あれよという間にそこへ連れて込んだのだった。


「店の裏って、初めて入りました」


 化粧台と談話卓を備えた室内を、ジルヴェーユは物珍しく見回す。


「あはは。ごめんね、こんな所連れ込んで」


 目的は、化粧の技術指導(タッチアップ)である。店頭にも試供用の設備はあるのだが、そちらはこの後予約が入っているからと、こうして特殊な措置を取ってくれているのだった。


 謝罪に首を振るジルヴェーユ。


「広いし、綺麗な部屋だと思います」


 白を基調とした机や棚の設えには飾り気こそないものの、散らかりや汚れもなく清潔そうに見えた。少女の感想には、「掃除がだめだと叱られちゃうから」と、苦笑を返される。


 向かい合わせになれるように椅子を整えると、マキヤは「これ、これ、これ」と手早く他の道具を準備しつつ、こちらへ声をかける。


「その後、お師匠様のご様子は?」


「ご様子?」


「アプローチに、成果は出ているのかってこと」


 視線を下げるジルヴェーユ。


「私は、その」


「隣にいて恥ずかしくないように、でしょ? でも私が知りたいのは、もっと表面的なことなのよね」


 メイクのために両頬をぐいっと持ち上げられて、向かいのマキヤと目が合った。化粧筆が視界に迫り、瞼の上を撫でる。


「なんたって、私の仕事にも関わる話ですから。綺麗になったあなたへの反応を、ちゃんと教えてもらわないと」


 そう言われると、こちらも話さなければという気分になるのだった。無論接客トークという側面もあるのだろうが……気さくに会話をリードしながら気持ちにもさっと寄り添ってくるマキヤの立ち振る舞いを、ジルヴェーユは尊敬している。


「これは……ただの、気のせいかもしれないんですが」


「ふんふん」


「お師匠は、なんだか、困っておられるような」


「戸惑ってるのね。タジタジよ」


「妙に言葉少ない時もあるし」


「照れてるわ。メロメロね」


「……本当に?」


「ホントもホント! もう結婚間近!」


「マキヤさん?」


 からかわれているのだと察して呼びかければ、マキヤは「ごめんなさい」と笑う。


「だってあなた同じ表情なのに、まんざらでもなさそうな目付きをするんだもの。あんまりかわいいものだからつい、ね」


「また……」


「嘘じゃないわよ、ほら」


「――!」


 示されるままに横を見れば、化粧台の中央、鏡の中の自分と目が合った。色味の薄い金の前髪の下、水色の瞳の上を、深い桃色と薄い若草色が縁取る。


「ね、とっても似合ってる」


 瞼に彩られた鮮やかさに目を奪われて、けれどもジルヴェーユは俯いてしまった。


 窺うように、声を掛けるマキヤ。


「……もしかして、好みじゃなかった?」


「違うんです。マキヤさんのしてくれたお化粧は、とっても素敵。でも」


「でも?」


「さっき話していて、気が付いたんです。もしかして迷惑なんじゃないか、って」


「迷惑……って」


「お師匠は、優しい人だから。私が傷付かないようにといつも心を砕いて……だからその気もないのに私にこんなふうに想われたら気を回して、負担なんじゃないか、って」


 だとしたら。


 そうだとしたら、自分の行いはひどく馬鹿馬鹿しいことだと、ジルヴェーユは思う。幼稚で、自分勝手で、(わきま)えのない行いであると。


「でも、ジルヴェーユ」


 否定のニュアンスに、ジルヴェーユは顔を上げる。穏やかに微笑むマキヤと、目が合った。


「あなたの気持ちは――恋って言うのはどこもおかしなところのない、当たり前の感情のはずでしょう? それに蓋をして塞ぎ込むことだって、あなたの優しいお師匠様はきっと、望んではいないんじゃないかしら?」


「それ、は」


 再び、俯く。


 白く塗られた机の木目に、言葉をなくしてじっと目を落とす。


 しばらくそうして、ふいに、何かがくるぶしを触る感触があった。そろりとした、毛並みの触感。ジルヴェーユは思わず足を引いて、机の下を覗き込む。


 一匹の、ネズミ。その背中が今度はマキヤに近寄るのを目にして、慌てて手で払った。追い払いをものともしなかったネズミはついに婦人の足に触れると、それからはたと辺りを見て、弾かれたようにその場から駆け出す。かりかりと、外に出ようと扉を引っ掻く。


「迷い込んだのかしら……ねえ、マキヤさん」


 動向を窺いながら呼びかけ、顔を上げた。


 じりっと目を剥いた無表情が、こちらを眺めているのを目にする。


「――マキヤさん?」


 打って変わった異様さにもう一度名を呼んで、視界に指が迫り来るのを見る。



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