03.友人バルサンは自分本位な清廉さをたしなめる。
「……それは、なんだ、自慢かね?」
「自慢なものか」
「自慢以外の何があるんだコニャック! 年頃の娘が色気づいてお前を好いているなんて話の、どこのっ? 師匠が! 弟子との! ロマンスなどと! 背徳的だが一切背徳でない、最高じゃないか」
高らかに声を上げる。細い口髭の端をぴんと整えたこの男はコニャックの友人にして同業者であり、名をバルサンと言った。
いわゆる飲み友達というやつで、普段から頻繁に街へ繰り出すような付き合いはないが、顔を合わせればひとまずカフェーに出向くといった程度の親密さがある。だから魔法研究者の会合があった本日も、どちらから誘うでもなく店まで来て、二人杯を合わせているのだった。
そのバルサンだが、ウィスキーのグラスを片手に、嘆くふうに胸に手を当てている。
「かたや俺は今宵も、貢いだ踊り子とベッドを共に……だ。全く侘しいもんだねえ」
肩を竦めるコニャック。事業に成功して金を得たバルサンが、パトロン気取りになって贔屓の若手女優と交流しているというのは、以前から聞いていた。
「相変わらず、稼いでるらしいな」
「おうとも」
バルサンは深く頷くと、店の中全部を抱くみたいに大きく手を広げる。
「何せ今や、床を這いずる気色の悪い生物を目にすることはほとんどなくなった。街と家を汚す害虫を一掃させたんだ。この俺の魔法で――な」
魔法使いには、身体の一部を媒介に生命力を他へ伝え、そこに変質や現象を与える力がある。ある日の朦朧とした徹夜明け、自身の髪を用いたとっておきの除虫薬の調合を編み出していたバルサンは、それで一山当てたのである。
「ブルジョワから庶民から、引く手数多も引く手数多よ。この間も下水道に使うってんで、市から大量に注文があった」
「景気のいいことだね、全く」
ひがむなよ、とバルサンは小憎らしい笑顔を作ってみせる。
「お前も、弟子と何かすれば良いじゃないか。彼女、魔法の力はとびきりだろう。何たって瞳に魔神を封じて」
「おい!」
と、声を荒げて軽はずみな発言を止めると、バルサンは悪びれもしない仕草で口元を隠した。周りの客席を見る。幸いにも、広間に乱雑に丸卓が並ぶ空間では、誰もがそれぞれの談笑に興じている。
「そうキョロキョロしてる方がよっぽど怪しいぜ」
「……私は別に、私利私欲のためにあの子を拾ったわけじゃない」
茶化してきたのには応じずに、先ほどの提案への答えを返す。
平和条約において禁止される逸脱魔術の儀式。
ジルヴェーユは、かつてそれが執り行われた辺境の村の生き残りだった。劫火の魔神を召喚せんとした不良魔術師の討伐には若きコニャックも参加して、からくもその力が彼奴に取り込まれる直前、捕縛と封印に成功する。
そしてその時――これはきっと、「幸いにも」と言うべきではないのだろう――魔神が、持ち込まれた封印の器でなく少女の右眼に封じられた事実に、コニャックだけが気が付いた。
以来、魔神を封じた稀有な魔法資源として扱われることがないよう、コニャックはジルヴェーユを弟子として匿い、育ててきたのだ。
目の前のバルサンはその事情を話した、数少ない人物でもあった。
「私利私欲ね……そいつは、誰のための清廉潔白なのかね」
「む」
「お前は過保護で、遠慮をし過ぎだ。弟子なのに、力が強すぎるせいでろくすっぽ魔法を使えない。だからってお前に構われるばかりだったら、彼女だってツライぜ。どんな形でだって自分の体質が役立ってるんだって思えなきゃ、前向きになんかなれないだろ?」
「……」
コニャックは俯いて、何も言えずに拳を握った。ひと時、酒の席には似合わぬ沈黙がテーブルに下りる。
「うお!」
と出し抜けに、バルサンが驚いた様子で声を上げた。
「なんだ、どうした?」
「ネズミだ」
「ネズミ?」
「最近多いと思ったが、店の中にまで出やがるか」
床を走り抜けているらしく、同様に驚く声がそこかしこで聞こえ始めた。
辺りを見やる。
離れた場所で、たたらを踏むみたいにその場を立つ人々がいるのを目にする。
波が押し寄せるようにその数がわらわらと増えて、コニャックは図らずも眉をひそめる――




