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02.ジルヴェーユは今日も甲斐甲斐しく師にかしずく。


 ジルヴェーユ・マクマオン。


 今日も食卓を共にする十年来の弟子は、どうも自分に恋をしているらしい。


 十七歳の少女が発するサインのことごとくが、コニャックにその事実を知らせているのだ。


 何かと気遣うようになった身だしなみ。


 していなかったはずの化粧。


 近くて遠い距離感。


 声は響きに上擦りを増して、時折り眼差しに、焦がれる空気を纏う。


 など、など。


 三十路を迎えた人生に差したる色恋の履歴を持たぬコニャックにだって、ジルヴェーユが見せる兆候が意味するところはよくわかった。


 彼女は、自分に恋をしている。


 ここ最近勘付いたその事態に、コニャックは大変に懊悩し狼狽している。表立って「神よ!」と頭を抱えることこそしないにしても、だ。


 食卓、朝餉。これまた丁寧に裏ごしして作られたであろうカボチャのポタージュを飲み込みつつ、一心にこちらを眺めている少女へ、据わった目つきを返す。


 弟子としてこなしていたコニャックの暮らしの世話もまた、いっそう甲斐甲斐しさを増していた。そのこと自体は喜ばしいことではあるものの、前述の事情を考えるにつけ、コニャックの胸中は複雑であった。


 渋い眼差しを送ったことを不審に思ったのだろう、ジルヴェーユが小首を傾げた。


「お口に合いませんか?」


 絶品だ。


「……いや」


 問いかけには生の本音が漏れかけ、言葉を濁す。


 静かで平坦な声は、他の者が耳にすれば、単に味の感想について訊ねたものと「誤解」するだろう。


 けれどもそこに、一世一代とでも言うべき神妙さが潜んでいるということを、コニャックだけが明敏に読み取れるのだった。


 師である自分の教えをよく守って、彼女は常々感情を抑えて振る舞うが、言動の端々に表れる機微を、コニャックはつぶさに読み取ってしまうのである。


 ずっと、二人でそうして暮らしてきたのだから。


「そうだな……」


 時間稼ぎに、もう一口匙を運んだ。


 少なくともだ。出されたポタージュ・ピュレに手間がかけられていることには、疑いようがない。玉ねぎ、ベーコン、マッシュルームといった具材は昨日の夕飯にはなかったから、別途新たに準備した食材である。カボチャの仕込みにしても、昨日そのような匂いはキッチンからしなかったわけで、朝早くから取り組んだことが窺われた。そういう手間暇をかけ始めたのは本当に、ここ一年くらいの出来事なのだ。


 ひし、ひし、と。


 ジルヴェーユは視線をまさに注いで、コニャックの感想を待つ。腕によりをかけて作った料理がいかに想い人の舌を悦ばせたかということを、懸命な気持ちで確かめようとしている。


 そんな彼女に、自分の素直な絶賛を浴びせかけてしまったら、果たしてどうなることか。きっと、大変なことが起こる。心臓は突き上げ、頬は紅潮し、ともすれば瞳を潤ませるかもしれない。


 それは、絶対に避けなければいけない事態だ。涙だけは。


 と言って冷たい言葉で突き放せば、彼女の心が凍えてしまう。ひどく凍て付くみじめさは、ふとした時に来たって彼女の心を悲しませるはずだ。つまり、元も子もない。


 間違えるなよ、コニャック。


 自分自身に忠告して、口を開く。


「実に――結構な仕事と思うね」


 どうだ。


 と、少なからず誇りに思うコニャックである。


 決して情熱的とは言えないが、彼女の手間暇を無碍にはしない一言。プラスになりすぎず、マイナスにはならない匙加減の評価だ。果たしてわずかに両目を開いたジルヴェーユは、きょとんと目を瞬かせる。


 まず、まず、か。


 結果に満足したコニャックは、匙を動かす手を早める。四口、五口とぱくついて、やがて底を浚う。名残惜しく感じつつ残りの一口を口へ運んだ。


 飲み込んで、それからしばし空の深皿を見つめる。視線を感じて顔を上げる。彼女とまた目が合う。さっき気取ったばかりだったから、ちょっとバツが悪いコニャックである。


 そっぽを向いて、居心地悪く口髭を撫でた。


「……おかわりは、あるかね」


 ぷっ。


 息の吹き出す音が聞こえて、視線を戻す。粗相をしたふうに鼻と口元を手で隠したジルヴェーユと目が合う。彼女は一度瞬きをすると、澄ました顔で立ち上がってみせる。


「ございます。お持ちいたしますね」


 ほんのわずかな具合弾ませた声で言って、こちらの皿を取り上げようと腕を伸ばした。


「ジル」


 気が付いて、呼び止めた。


「服が汚れていないかね」


 空色のエプロンドレスの袖口に点々と付いたシミを指して、言う。隠していたかったと言わんばかりに、彼女はそこに手をやる。けれども表情とは違って、衣服の汚れは覆って隠すだけでは、消え失せない。


「お気に入りだろうに。ちゃんと言いたまえ」


「お手を煩わせてはと。それに本来、弟子であればできて当たり前のことを私ができないから」


「君が魔法を使えないのは、君が怠けているからじゃない。いつも言っていることだろう」


 弁解を遮って言い含める。


 袖口を差し出すよう身振りで指示すると、ジルヴェーユは従順に従う。コニャックは自身の人差し指に一つ息を吹き掛けると、撫でるようにシミ汚れの上をなぞった。吸い寄せられるみたいに服から離れたポタージュの玉滴が、指の動きについてくる。吐息を混ぜた空気を自在に操る、コニャックの自慢の魔法だ。


「ほうら、元通り」


 無邪気な気持ちで笑いかけて、見えたのは、じっと唇を引き結ぶジルヴェーユである。


 跡形の消えた汚れに視線を注いで静止して、まなじりには、複雑な色合いが満ちていた。どこか湿っぽい肌は静かに上下して、わずかに吐息に、艶めくものが混ざる。


 ぽとり、と。


 背中にどぎまぎとしたものを感じたコニャックは、動揺して魔法の制御を誤る。ふよふよと宙に浮かしていた滴のポタージュは落下して、床の絨毯へと染み込んだ。


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