表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
赤いサメの唄  作者: 変汁
5/40

今、私の頭の中に住む赤いサメはまるで水族館の中で泳いでいるかのように穏やかだった。


寝起きの時はサメ特有の獰猛さを遺憾なく発揮していたが今はその事が嘘のように静かに遊泳している。


余りに優雅に泳ぐせいで思わず見惚れてしまい仕事の手が止まっていた。


その度に上司に名前を呼ばれ、注意を受けた。

1度や2度なら、まだ上司も苛立つような事はなかったのだろうが、午前中だけで、6回も注意を受けた。


さすがに6回目は言葉に怒気がこもっており、年度末のクソ忙しい時に何やってんだ!というオマケの言葉も頂いた程だった。


自分が悪いのはわかってはいるが、上司の言葉に流石の私も腹が立った。


「すいません」


出来る限り声のトーンを低く意識して謝ったが上司は私の謝罪に対して何やらぶつくさ言っていたが、その内容までは聞き取れなかった。


今までこの上司の事は嫌いでも好きでもなかった。

けれど、さき程怒られた事で完全に嫌いになった。


怒られる要因は私が作ったのだけど、やっぱり怒鳴った事は許し難かった。


先週の週末だって嫌々飲みに付き合ってあげたのにの何だ。ふざけるな。調子に乗るな。お前なんかDとRを間違えた老人の運転する暴走車にでも押し潰されたらいい。


私はパソコン画面を見ながら頭の中で上司に向かってそう罵った。


静香が休んだので、今日のランチはコンビニで済ませる事にした。サンドイッチとお茶。そしてサラダを買い会社の屋上へ向かった。


エレベーターを降りた瞬間、数人の人が屋上に続くドアから慌ただしく飛び出して来た。


「お前はすぐに警察に電話しろ!俺は部長に伝えてくるから!」


そう喚きながら、部下らしい若い社員に言い聞かせた人が、私の側を駆け足で通り過ぎで行った。閉まりかけたエレベーターのドアに手を差し込み、無理矢理に乗り込んで行く。


私は、屋上に出て、出入り口の前で電話をかけている男性に、何かあったのか尋ねてみたが、電話中のせいか、無視された。

だから私は男性の側を過ぎ、屋上へと出た。


屋上にはバトミントン用のコートとバスケットのリングが一つずつあり、普段であればこの時間帯には数名が身体を動かしているのだけど、今日はそんな人は1人も見えなかった。


その他は2人掛けと4人掛けのプラスチックのベンチが3つと木のテーブルが2つある。屋上全域に渡って2メートル以上の高さのフェンスが備え付けられているのは自殺防止の為だと入社時に聞いた事があった。


なんでもそのフェンスが設置される前には3人もの人がここから飛び降り自殺をしたらしい。だから今はそのような事が起こらない為に高いフェンスが設定してあるらしかった。


けど、と私は思う。本気で飛び降りて死のうとしているのなら、これくらいの高さのフェンスなら簡単によじ登るような気がするが、まぁそれでも無いよりはマシなのだろう。


フェンスがある事で飛び降り自殺を思い止まる抑止効果が無いとはいえないからだ。それでもフェンスの針金を切るカッターを持ってくれば登らなくともフェンス外に簡単に出れてしまうじゃない?と思う私は、今はとても嫌な奴になっていると思った。

それもこれも、全部、上司のせいだ。

何も、あんなに怒鳴らなくても良いのに。


けれど、フェンスを設置以降、屋上から飛び降りるような人間は1人も出ていない事からして、意味はあったののだろう。


私はがらんとしたら屋上を進みながら木のテーブルへと向かった。そこに腰を下ろしレジ袋からお茶を取り出した。一口飲んで辺りを見渡した。


エレベーター前で慌てていた2人は一体、ここで何を見たのだろう?ひょっとしてフェンスを乗り越えた人がいたのだろうか?もしそうならあの慌てようは理解出来る。私はサンドイッチの封を開けサラダが挟んであるものをつまみ頬張った。


組んでいた足を下ろし木のテーブルの下に伸ばした。その時片足の爪先に何か当たった気がした。


何だろ?と思った私はサンドイッチをくわえたまま、上半身を折り曲げた。その時、また、赤いサメが見えた。赤いサメはお腹を上にして浮いていた。 


そのような姿のサメは初めて見たから思わずサメは死んでしまったのだろうか?と少し心配だった。


けれど私の杞憂などお構いなしに、赤いサメは仰向けのまま尾鰭を動かしてゆっくり泳ぎだした。まるでその顔は笑っているように見えて、可笑しかった。その為、口に咥えていたサンドイッチを思わず吹き出しそうになった。私は左手でサンドイッチを掴み、テーブルの下を覗き込もうとした。その瞬間、


「下を見るな!」


大きな怒鳴り声は屋上出入り口の方から聞こえて来た。私は顔をそちらに向けながら上半身を起こした。そんな私にさっき警察に電話をしていた男性が駆け寄って来る。


「え?どうして?」


男性はすぐさま私の側に来て二の腕を掴んだ。


「ここにいたら駄目です。早く立って中に入りましょう!」


「いやいや、いきなり何ですか?ちょ、待って下さい!」


私は言い返し掴まれた手を振り解いた。


「いいから早く!」


男性が急かすのを他所に赤いサメは相変わらず仰向けで口をパクパクさせながら笑っていた。


「荷物をまとめてください」


男性の語気が強まった。


私はうるさいなぁと思いつつも離れないと、とやかく言われそうなので食べかけのサンドイッチを袋にしまった。席を立とうとした。


その時だった。私の足が何かにぶつかったのだ。私は何となくテーブルの下を覗いてみた。


見るなと言われたら見たくなるのが人間の性だ。

だけど、やっぱり駄目と言われたものは素直に従った方が良かったとテーブルの下のあるものを見て思った。


私の目に飛び込んで来たのは、下半身だけ裸にされた静香の死体だった。


腹部には数ヵ所の刺し傷があり、そこから夥しい量の血が流れ落ちていた。


髪は乱れ化粧は剥げ落ち、涙を流した跡が胸を締め付ける。


見開かれた静香の目が最後に見たものが一体、何だったのか。私には想像すら出来なかった。

何故ならその瞬間、私は尻餅をつき悲鳴を上げていたからだ。地面に両手を付き、両の踵で地面を蹴飛ばしながら後方へと後ずさった。

いきなり私の身体が引き上げられた。その間も私は悲鳴を上げ続けていた。


「だから言ったじゃないか」


私はそう呟く男性に抱きかかえられながら屋上を後にした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ