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第六話 スーパー銭湯

 瓦町駅を出た電車はポイントの通過で右に大きく揺れる。

車掌の駅の到着時間のアナウンスが流れる中で私はただ、ぼーっと流れる外の景色を眺めていた。全然寝ていないからそんなに頭がはっきりしていない。

普段ならもう一度二度寝でもしているところだが、今日はそうはしなかった。昨日碧に紹介された銭湯に行ってみることにしたからだ。

まあ、別に今日じゃなくてもよかったんだけどどうせ暇だし。

いい運動にもなるだろう。


電車は国道を超える高架を上るためにどんどん速度を上げていく。そして同時にゆれも一段とひどくなる。重低音のモーター音が爆音で響き渡り、連結部の金属の板はガチャガチャと音を立てて何度もぶつかり合う。

なんというか、揺れるというよりこれでは跳ねるという方が正しい気がする。

そう言えばニュースでこの電車は製造から六十年とか言っていた。

でも新車を入れるとかいう話は聞かない。

まあ、端的に言えばお金がないからなんだけど、このままだと本当にあと二十年は使う気じゃなかろうか。そう思いながら上を見上げると、天井では、KHKという文字が入った扇風機がクルクルと首を回していた。


 再び駅を発車した電車は、段階的にガクガクと加速していく。

相変わらずひどい揺れだ。

そう言えば降りるのは次の駅だったな。

そう思い返して、組んでいた腕をほどく。

スマホを二、三回タップして乗り換えアプリを開くと、路線図の上で丸い矢印がチカチカと点滅しながら動いていた。

駅で降りた後はバスに乗り換える予定なのだが、本当に接続してるんだろうかが心配だった。乗り換えアプリはできると主張しているが、使ったことがないのでイマイチ自信がない。

やっぱり車の方が楽だし、向こうだって車利用を想定しているはずだ。

本当ならこの時期は免許を取りに行くべきなのだろう。でも受験の不安が大きすぎて、先のことのなんか何も考えられていなくて、気づいたころにはもう教習所は定員になっていた。長期的視点をもてとはよく言うが、こういう細かいところにも生きてくるのかもしれない。


ーーーーー


「はい、どうも~」

運転手さんのそんな声を聞きながらバスを降りる。

私以外に降りる人もいなかったので、バスはすぐにブザーを鳴らして、大きな空気音とともに扉をしめると走り去っていった。

結論から言うと一応、バスには乗れはしたし、ちゃんと接続していたので便利ではあった。

だが、やはりDoor To Doorの車の方が楽だなとは思った。

こういう奴が地方のバス路線、鉄道をダメにするんだろう。

まあ、たとえ免許をとっても、私が運転なんてしたらどこかを擦る自信しかないけど。


「えーと、太田駅は・・・。」

帰りの時間を確認しようとバス停に張ってある時刻表を見る。

「二十分ごとか。」

二十分ごとといっても二十分おきではない。

毎時一本で二十分にくるのだ。

ここでこれぐらないならまあ、許容範囲かな。

こんなところまで毎時一本できてるならすごい方か。

別に銭湯はいつ出たっていいから、時間が余ったら食堂でアイスでも食べようかな。そう思いながらスーパー銭湯の入り口の方に歩き出した。


 靴をロッカーに入れてから受付を済ませると、食堂を右手に見ながら二階に続く階段を上がっていく。最近できたので建物や壁は新しく、全体的に綺麗だった。昔は屋島にもっと大きなスーパー銭湯があったが、あそこはものすごく古かったのでなかなか年季が入った内装だったのを覚えている。

それでも屋島にあったのはもっともっと大きな規模のものだったのでそれと比べてしまうと設備の差はある。

規模と綺麗さのトレードオフといった感じだろうか。

いや、別に関係ないか。

そんなことを思いながら更衣室の前の暖簾をくぐって中に入って行った。


 私は体を洗うのもほどほどにして、濃い湯煙の中に踏み込んでいく。

人の入りはまあまあといったところだろうか。高校が近くにあるからか、案外部活の終わりに来たような高校生もちらほら見受けられる。碧の話も嘘じゃなかったんだ、と感心した。

少し進んで一番大きな内風呂の浴槽が見えてくると、早速手前の段差を踏み越えて浴槽に足を入れていった。

「あっつぅぅ」

腰あたりまで入ったところで思わず声が出る。

どうにか語尾を殺して浴槽の中の階段で座った。

別にやけどするとかそういうのではないが、太もものあたりがピリピリする。

一応、入ってしまえば慣れるのはわかっている。

このまま座っていたってしょうがないので、意を決して一気に体を底まで沈めた。

「つぅぅ」

口を横に引っ張って、前歯の隙間から息を吐く。

体が慣れるといったって熱いもんは熱い。

十秒ぐらいは苦い顔をしながら座っていた。

 やっと体が慣れてくると、黙って白く曇ったガラスを見つめる。

ガラスに何かあるわけではなく、単に目のやり場がないだけだ。人とは不思議なもので、ある空間の中では互いに無関心であるようにふるまわないといけない。

 「風呂はいいぞ」と碧はいっていたが、確かに体が温まると心も落ち着いてくるような気がした。ここにくるまでも、ずっと心の中で何かが引っかかっていて、それをどうにかしようと無意識に戦っていた。引っかかり自体がなくなった訳ではなかったが、どうにかしないといけないという焦りは落ち着いてきた気がする。


 だんだん頭がふわふわしてきて、顔がほてってくる。

やはりここはずっと入り続けるには熱かったか。

でも上がるにしてはまだ早い。

そう思っていると、横の扉から人がポツポツ出入りしているのが見えた。

白んだ空気の先に目をこらすと、扉には「露天風呂」という文字と矢印が書いてあった。

この二月の外気に触れてるなら入りやすい温度になっているかもしれない。

時間もたっぷりある。

行ってみようか。

そう思い立つと、ゆっくり立ち上がる。

私の体にまとわりついていた水が音を立てて落ちた。


 頭のタオルを直しながら外につながる扉へ向かう。

扉の取っ手をつかむが重たいからかほとんど動かない。

しょうがないので今度は両手で取っ手をつかんで足を踏ん張ってこちら側に引いた。

足元から冷気が入ってきたかと思うと、私の周りを包んでいた空気がはぎ取られる。

「寒っ。」

思わずそんな声がでた。

吐き出す息は白くなり、腕からはもうもうと白い湯気が立ち上っていた。

さっさと入らないとヤバい。

腕をさすりながら人のいない浴槽を探す。

そして端っこの方に一人用の壺風呂があるのを見つけた。

イケる!

思うが早いか小走りで壺に駆け寄ると、そのまま足を入れて肩までつかった。温度は四十度行かないぐらいの適温で何時間でもいれると思った。


「ああぁ」

そんな声を出しながら体をゆっくりと沈める。

壺のふちに首をひっかけると、自然と顔が真上を向く。

私の目には雲が全くない、水色の先の色をした空が見えた。

「はあ。」

大げさにため息をついてみる。

頭の上には、雲一つない晴れ渡った空がほろがっていた。

私が意識していないだけだけど、こんなにきれいな空は久しぶりに見たかもしれない。

自分の心の内とはずいぶん対照的だ。

あの空の先の暗い青色の向こうにはもっと大きな宇宙が広がっているのだろう。

自然というのは大きい。

自然の中での私の存在なんてどれだけちっぽけで、儚い存在なのかと、そんなことをつい考えてしまう。

私が生きるか、死ぬかなんてのは、この自然、地球からしたら大したことではない。所詮アミノ酸でできた一つの生物が動いているだけだ。

「でもなぁ。」

息を吐くついでに声を出す。

確かに私がいなくなったって、地球は回り続けるし、社会は止まることはないだろう。でも、私はこの自分という存在は、地球より重いと勝手に思っている。

この世のすべての流れをこの目で見ていたいし、できるならすべてのことをしてみたい。一秒、一日、一年と私のもつ時間という可能性がじりじりと失われていくのが私にはとても看過できなかった。

「はあぁ。」

何度ため息をついただろうか、それでも何も変わらず、相変わらず胸がつぶれそうだった。

いつまでこんな『死にたくない』という恐怖心に苛まれつづけるんだろう。

もしかしたらもう一生離れてはくれないかもしれない。

「どうしたらいいんだろうなぁ。」

そうつぶやいて、水をためた両手を目元にかぶせた。


恐怖・・・。


真っ暗な世界の中でそう繰り返す。

そういえば、「恐怖とはわからないことだ」なんて誰かが言っていた。でも私は私なりに「死」についての結論を出している。

わからないわけではない。

それでもなお、恐ろしい。

普通ならそれで恐怖心は消えるはずなのに、私は恐怖で押しつぶされそうなのだ。


 はて、どうしてなんだろうか。

頭の中でゆっくりと「死ぬのが怖い」の中身を分解していく。

「私は一体何に恐怖しているんだろうか。」

そんな疑問がふと頭の中で湧いてくる。


死んだ先にあるのは、「永遠の闇」。

私はその世界に行くのが嫌だ。

だから死にたくない。

そんな思考になったはずだ。


 でもそんなもの今日明日の話ではないはずだ。

何十年も先のことを、今この場で恐れる必要はない。

自分の中でも死ぬのは「今日明日の話でない」ということ自体は認識しているし、「明日事故で死ぬかもしれない」とかいうタイプの恐怖ではないということもわかっていた。

 だから、これに胸が苦しくなるほどの恐怖を抱く必要性はないはず。

しかし、現に苦しいし、しんどいのは事実だ。

じゃあ、それが私にとっての恐怖なのだろうか?


 体をゆっくり起こして壺の中であぐらをかく。

首を軽く押さえたまま、何をしようとするでもなく顔を正面にもどす。


 胸が苦しくなったあの日。

あの日は確かに「死」というか「永遠の闇」が恐ろしかった。

でも、今はあまりそういうのではない。

でてくるのは「苦しみたくない」だ。

ただただ苦しさから逃れることばかりを考えているような気がした。


水の流れる音を聞きながらただ座り、いつの間にか冷たくなった鼻に指をあててからこう思った。


 今の私は「恐怖することに恐怖していないか」と。


「死ぬのが怖い」が始まりだった。それは確かだ。

しかし、だんだんそれは「苦しくなるのが怖い」「これがずっと続くのが怖い」というそちらの方に移っている。「死にそう」と思ったことがまた別の恐怖を生み出しているのではないだろうか。

『恐れることによる発作が起こること』

これ自体がいつの間にか私にとっての恐怖にすり替わっていたのかもしれない。


 縁に手をかけてゆっくりと立ち上がると、バシャバシャと水の音がして、周りから白いもやが立ち上った。

根本的なところはどうしようもない。

だから決して解決したわけではない。

しかし、こうやって落ちついて分解してみるとだいぶ楽にはなってきた気がする。



 板敷の床を歩いて、中に続く扉へ向かう。

いくら適温だとは言え、長く入りすぎたのかだいぶフラフラする。

冷水のシャワーでも浴びればなんとかなるだろうか。

なんだかこうやって自己分析しているのって、傍から見れば気持ち悪いのかも。

でも、私にはこうすることでしか解決できない。

自分の思考は自分で何とかするしかない。

そう思いながら扉の取っ手をつかんで引っ張った。


 風呂の椅子をまたいで座り、シャワーのレバーに手を掛ける。

ぬるいか、冷たいかの間ぐらいの水が頭からかぶさってくる。


 自分のことは他人にはわからない。


他人に聞いたって仕方ない。

全部自分でなんとかするしかないんだから。


いや、そんなことだろうか。

突然別の自分が横から話しかけてきた。


 レバーを上げて水を止め、滴る水を横目にじっと足元を見つめる。

そもそもここが間違っていたのではないか。

人が考え付くことなんて大体他の人だって考えているというじゃないか。もしかしたら同じ苦しみの中にいる人もいるのではないか。

全部自己責任なんて考えはやめるべきではないか。

だってもう受験は終わったんだから。


 上から照らしてくるライトがなんだかさっきよりまぶしくなってきたような気がした。

「こういうのってネットに、あったりするのかな。」

小さくそうつぶやいた。

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