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第十話 防波堤の先に帰って

「お出口は左側です。六番ホームにつきます。本日もJR四国をご利用くださいましてありがとうございました。」

リズミカルな線路の音がする中でそんなアナウンスが響く。

私は二階建て車両の一階で、窓枠に肘をついてただぼーっと外を眺めていた。ゴールデンウイーク中の旅行客で列車の中は満席になっている。

まだ一か月ちょっとしか経っていないのに、流れていく景色がすでに懐かしい。線路沿いの道路では、学生服を着た二人組が自転車で並走している。

少し前までは私は向こう側にいたはずなのに、遠い過去のように感じる。この列車が、窓が、時間の間を流れる川であるかのようだ。

私はもう東京の人になってしまったんだろうか。

あれが私の日常だったのに。


 電車はゆっくりとホームに入っていく。

いくつもの駅名板を通り過ぎて四つ目くらいでやっと見慣れた地名が読めるようになった。甲高い擦過音が響き渡り、体がつんのめる。しかし、またすぐにまた後ろへ振り戻される。

プシューという空気の抜ける音がしてドアが開いた。

「よいっせ」

私はスーツケースを持ち上げてホームとの隙間と段差をまたいで渡る。

ホームに降り立つと、夏のような湿気がまとわりついてきた。

「はあぁぁ、やっと着いた。」

腕を垂直に上げて背伸びをする。

東京からはるばる五時間。

岡山で新幹線から乗り継いでくると、やっぱり遠い。

もう腰やら背中がジンジンしている。

「新幹線も指定席料金払ってるんだから、自由席と同じ座席ってのはなぁ。」

そうぶつくさ言いながら前へと進んでいった。

ふと横をみると、『四国新幹線実現へ』というポスターがあった。以前からずっとあったものの、今見ると納得感が段違いだった。


 改札を通り抜けると、人込みの中で少し先でこちらに手を振る人がいた。まさか自分じゃないだろうと思って適当によけていこうとしたら、その人はこちらに早足で近づいてきた。

あれは、もしかして。

「ももか!」

そんな声がしてやっと確信できた。

「もう、気づいてよ。」

いつもの碧の姿がそこにあった。

「ああ、ごめん。おると思わんくてさ。」

色々なことが変わる中で、変わらないものがある。

不思議とさっき見ていた窓の向こうがこちらとつながった気がした。

「よく時間が分かったね。言ってなかったでしょ。」

私がそういうと、碧はニヤニヤしながらスマホを取り出した。

「ももかさん、ネットっていうのは恐ろしいモノですよ~」

そう言いながらスマホの画面を私に見せつける。そこには、私が岡山駅で撮った発車案内表が写っていた。

「これって私の投稿したやつじゃん。まさか、ここから!?」

「ふふん、そうですよ。今はね、列車位置情報がネットで見れるんですよ。どうせマリンは毎時二本だし、新幹線からの接続は少ないから逆算すれば、ね。」

だんだんと鼻が伸びていくのが見える。

それは、まあ、すごいけどさ。

「え、ストーカーじゃん。」

ちょっと笑いながら冗談めかして言った。

「うちは悪くないで。それは、あなたが情報をまくのがいけないのです、よ。」

碧はそう言って、軽く腕を小突く。

「そんなん、うちが私が悪いみたいやないです、か。」

私も負けじと肩を軽くあてにいった。

駅の改札の端っこで周りも気にせず二人で笑いあっていった。


 私と碧は、駅から少しした先の防波堤のところまで歩いてきた。

「ここも久しぶりだね。」

「そうやな。」

二人で見つめる先には、泳げそうな距離にある島々が浮かんでいる。海風が絶えず私の髪の毛を散らし続ける。

私はしばらく海を見つめていた。

沖にでるヨットの群れに島影から現れるフェリーの白い船体。日に照らされた海はキラキラとした反射を私のほうに返してくる。

「寂しかったんか?」

横から碧がそう聞いてきた。

「え!?いや、まあ、うん。でも、そうかもね。」

おちょくってきているのはわかっていた。

でもなんだか否定するのも違う気がした。

「そ、そうか。まあ、一か月ぶりやけん、な。」

想定外の反応だったのか、碧は言葉を詰まらせていた。

「碧、私ね、漫画描き始めたよ。」

「ほうか!ええことやな。どっかでだすんか?」

「うん、今度東京のイベントで出すつもりだよ。」

「そっか、いいなぁ。うちもなんかこう、生産的なことがしたいわ。毎日寝て食ってるだけやけん。」

碧は自嘲気味にそう言った。

「手伝いに来る?そうしたら生産的だよ。」

もちろん冗談だ。

「そうやな、検討だけしておくわ。」

碧は少し口角上げてそう返してきた。


 右から大きな赤いファンネルのついたフェリーが近づいてきた。

「でも、まあ、元気でよかったよ。」

碧は海の方を向いたまま言った。

「え、私はいつも元気だよ。」

私は碧の方を向いて目を細めた。

「またそうやって。ゆうてくれたら相談のったのに。」

「え。」

夕日が海を見たままの碧を包み込む。私は碧の方を向いたまま動けなかった。今だから思える、あの時頼っておけばよかったと。

「今は元気なん?」

「う、うん。」

私はぎこちなくそう答える。

ずっと悩まされていたはずのあの苦しみ。

自分でもびっくりする話だが、大学が始まると途端に何事もなかったように消え去った。いや、正確に言うなら死の恐怖自体は消えていない。今だってもちろん死にたくなんかない。しかし、そんなことをずっと、強く考え続けるようなことはさっぱりなくなってしまった。

「えっと、ごめんね。」

なんだか申し訳なくなってきた。

「ええで、別に。うちも何もできんかったし。」

ずっと一人で、自分の中でとどめていた。どうにもならないと思っていた。けど時に頼ってみることも必要だったのかもしれない。それがたとえ解決にならなかったとしても。

「ちなみになんで元気なかったん?」

碧はこちらに顔を向けた。

どういえばいいんだろう。「死にたくない」なんていってもわかんないだろうし。それ以上にこんなこと言ってもしょうがないのでは。

少し顔を下げていると、上から碧の声がした。

「ほら、またしよる。」

「え。」

「そうやってまた自分の中でなんか言っとる。」

碧は体を反転させて、防波堤のコンクリートにもたれかかる。そしてそのまま私のほうをじっと見ていた。

自省的であること、これは良いことだと思ってきた。

自分で解決する力は大事だと、そう教えらえてきた。

でも、時にプラスでないこともあるのだということを今、初めて、悟った。

私にとっても、相手にとっても。

震える唇をゆっくりと開いた。

「なんか『死にたくないな』って思って、それで、苦しくて。ずっと、心臓が締め付けられて、それで、死にそうになって、それで・・・。」

言葉を紡いでいくうちに、なんだか鼻の上が急に痛くなってきた。頬の下の方を何かがはっていく。何度もそれを払おうとしても、それがなくなることはなかった。

「あれ、なんで、私。」

ここで私はその正体が涙だと気づいた。何度拭ってもそれが止まることはない。

「なんで、こんな。」

手を何度も目元にもっていっていると、突然碧が私の体に抱き着く。

「ごめんな、うちも悪かった。気づかなんでな。」

碧はがっちり私をつかんでいた。

決して碧のせいではない。

そう言おうとしたけれど口から声が出てこなかった。

頭の中では「恐怖で死にそう」という恐怖に怯え続けた毎日、そしてそれを隠し続けた毎日が、急にビデオみたいに再生されていた。

「また小難しいことで悩んどったんやな。でも、もう大丈夫なんやろ。」

私は小さくうなずく。

「そうか。なら安心やな。大丈夫、今日明日で死んだりなんかせん。とりあえず今日を生きればいいんやけん。」

なんだ、結局それしか言えないじゃないか。

あの時、聞いていたとしてもあんまり意味なかったかもな。

そう心の中で少し笑った。

でも、こうしているのも悪くないと思った。

むしろずっとこうしていたいとさえ思った。

やっぱり言葉じゃないこともあるんだ。

「ここまで言ったらもう隠さんでもいいね。うちとの間やけんね。」

そっか、もう隠さなくていいんだ。

ぼやけた視界の中でそう気づいた。

この恐怖自体はきっと日々の忙しさで覆い隠されているだけなんだろう。またいつか再び現れる。そうなればもう一度同じ苦しみが出てくる。

でも、今度は胸の中に無理やり押し込まなくてもいい。

全部吐き捨てて碧に頼ればいい。

恐怖は消えない。

それで解決しないかもしれない。

でも、言い訳はいくらでもできる。

逃げ道はいくらでも作れる。

『怖くなったらその時はその時』

また怖くなっても、逃げればいい。

そうやって生きるしかない。


「ありがとう。」

私は一言それだけ言った。

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